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6.虹の瞳のリリア、なのですわ!

「──もし、貴女。共通スフェリア語はわかりまして?」


 少女は、その瞬間にどこか神を見たような面持ちで、自身と目線を合わせて、汚れているのも厭わずに手を取ってくれたルヴィアリーラを、その虹色に輝く瞳で見つめていた。


 銀の髪は、北方大陸の出身者に見られる珍しい色だが、瞳が虹色に光り輝いている、というのは尚更珍しい。


 しかし、虹の瞳というのは少女が生まれ育った土地においては忌み子の証だった。


 だからこそ少女は名前を剥奪されて、奴隷商へと引き取られて、この中央大陸セントスフェリアへと遥々運ばれてきたのだ。


 どこか呆然としながら、長らく考えることを放棄していた思考で、少女はルヴィアリーラから投げかけられた質問を、それに返すべき答えを探り出す。


 そして、少女はたっぷり一分近くの時間をかけた上で、こくり、と、ルヴィアリーラからの問いかけを首肯した。


「それなら話は早いですわね! ならばもう一つ質問させてくださいまし、貴女……名前は、なんと?」


 名前。


 生まれた時に親から授かったものは、そして目を開いたその時までは確かに自分の魂に刻まれていたものはあったと、少女は思い返す。


 だが、生まれて名前を呼ばれた記憶はその、産声を上げた瞬間しかなかったと少女は記憶している。


 ならば、いつも通りにこう答えた方が良いのだろうか。


 辿々しい思考と言葉で、少女は舌先を動かして、消え入りそうなくらい小さくルヴィアリーラの問いに答えた。


「……28番……」

「は?」

「……ひ、ひぅ……っ……ご、ごめんなさい、申し訳ありません……!」


 それは断じて名前などではない。


 ルヴィアリーラは怯えながら、自身の頭を地に擦り付け、何度も打ち付けながら許しを乞う少女が、どのような扱いを受けてきたのかを脳裏に描いて固めた拳を震わせた。


 このように幼気な少女まで、卑屈に変えてしまうとは。


 天が許しても断じてこのルヴィアリーラは許さないとばかりに悪徳商人の罪状を脳内の閻魔帳に書き記し、彼女は柔らかく微笑んだ上で枷に繋がれ、薄汚れた少女の手を取って再び優しく呼びかける。


「それは名前ではありませんわ。貴女にもあるでしょう? と……名乗るのならばわたくしからですわね、礼を欠いていましたわ。わたくしはルヴィアリーラ、苗字も何もない見ての通りの根無し草ですわ」


 明日をもしれない駆け出しの冒険者。それはこの世界においてある意味ではもっとも身分が低い存在だといっても過言ではない。


 そして自身がヴィーンゴールドの名を失ったことと、少女の境遇を重ね合わせていたのだろうか。


 ルヴィアリーラは一瞬、思考の片隅にそんな言葉が引っかかって零れ落ちてきたのを見なかったことにして、どこか自虐するように微笑み続ける。


 名前。28番と呼ばれ続けることに慣れすぎて、最早それこそが本当の名前だと少女は諦めかけていた。


 それでも、心のどこかで夢見ていた。


 自身の名を、自身をこの世に送り出してくれた両親が、心から愛おしく、慈しみを込めて呼んでくれたあの瞬間のことを。


 肩を震わせ、その眦に涙を滲ませながら、少女は小さく、本当に答えていいのかどうかわからないといった風情で恐る恐る、その言葉を──本当ならばあるべきはずだった自分の名前を呼んだ。


「……り、リリア……リリアーヌ……アイリスライト……です……」


 アイリスライトの家は、北方でも有名な貴族の家だった。


 だからこそ、忌み子を出したという事実が彼らにとっては許し難かったのだろう。


 ある程度の歳までは冷たく育てられて売り捌かれても、それでも少女の、リリアーヌの魂は故郷の家に囚われていた。


「よくぞ申し上げてくれましたわね、しかしアイリスライトとは……むむむ……」

「あ、あの……ルヴィアリーラ……様……?」

「……貴女も、わたくしと同じなのですわね。決めましたわ!」


 一瞬、悲しげに目を伏せたかと思えば一転してどこか珍妙な唸り声を上げると、ルヴィアリーラは合点が行ったようにぽん、と拳で小さく掌を叩く。


 アイリスライトの家については、ウェスタリア神聖皇国が北方大陸と地理的に交易を結んでいる都合である程度聞き及んでいる。


 そしてリリアーヌがそこを追われたとあるならば、そんな彼女と今この場で出会ったのならば、これはきっと何かの運命なのだろう。


「リリアーヌ、いえ、リリア」

「……り、リリア……? そ、そんな……る、ルヴィアリーラ様、恐れ多い……」

「何を恐れるというのです、そして貴女もわたくしのこともルヴィアでもリィラでも好きにお呼びなさいまし、そして!」

「……そ、そし……て……?」

「貴女、わたくしの夢に乗ってみる気はありまして?」


 堂々と胸を張ってそう見栄を切ってみせたはいいが、ルヴィアリーラのそれは、自身のアトリエを構えるという夢は見切り発車でノープランだ。


 だからこそ断られてもやむなしと考えた上でも、敢えてルヴィアリーラは問いかける。


 何故なら。


「わ、わたし……なんかが……そんな……」

「いえ、なんか、などでは断じてありませんわ! これは運命! 故にわたくしは貴女と……リリアと、この街で一番の、否、この国で一番のアトリエを打ち建てる! その夢に、乗っていただきたいのですわ!」


 奇しくもルヴィアリーラが提案したそれは未踏に乗り出し、未知を塗り替える、白紙の地図を当てにした旅と、その船に乗り込んだアルゴナウツ……自身の愛する剣の由来となった彼らと同じだった。


 全くもって馬鹿げた夢。乗るのなど馬鹿馬鹿しいと多くの人間がそこから降りていくであろう穴だらけの船。


 それでも。


「……わ、わたし……こんな、薄汚れて……汚くて、気持ち悪い、わたしを……リリア、って……」

「ええ、リリア。汚くなどありません。貴女は貴女、とても可愛らしく良い名前だと思いますわ」

「……っ……」


 それでも、心のどこかで求めていたその言葉をもらえただけで、リリアーヌに、リリアにとってはそれで十分どころか、満ち足り過ぎて何を返せばいいのか心配になる程だった。


 今更誰かに愛してもらえるなどと思ったことはない。


 ただ見世物にされて、使い潰されて死んでいくだけだとそう思っていた。


 だが、自身の手を取り、ずっと気持ち悪がられていた虹色の目を見てくれるルヴィアリーラがここにいる。


 ならば、自分はその夢に、ルヴィアリーラの漕ぎ出した船に乗ることで、その恩を少しでも返せるのなら。


「……こ、こんな……わたしで、よければ……何卒……そ、その……よ、よろしく……お、お願い、いたします……ルヴィアリーラ様……」

「ルヴィアでもリィラでもいいと申し上げましたのに」


 ルヴィアリーラは少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせてから苦笑する。


 だが、リリアの境遇を思えば無理もない。


 少しずつ慣らしていけばいいのだ。


 自分が剣術を体得したときのように、錬金術を、魔法ではなく魔術(スキル)を学んだときのように、ゆっくりと、歩くような速度で。


 そうしてリリアが零す涙をハンカチで拭いながら、そっと優しく、ボロボロの服に包まれた彼女の背を、ルヴィアリーラはさすってみせる。


 ──ああ、なんて。


 なんて、あたたかいのだろう。


 幼い日以来の温もりに、リリアの涙はただただ止まることを知らずに零れ落ちる。


 そう呼べる日はまだ遠くとも、くしゃくしゃに涙で歪んだ顔で、それでも──どこか、笑顔の残滓が残った表情を浮かべて、リリアはルヴィアリーラの夢へと乗り込むことを承諾する。


 そして確かに、差し伸べられたその手を取って、二人は城塞都市ファスティラへと向かってゆくのだった。

これにて第一章完結ですわ!

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