44.上手に焼けなかったのですわ!
旧鉱山への道のりは、王都からそう遠く離れていないこともあって、極めて穏やかなものだったといっていい。
とはいえ、街道が整備されていない森を抜ける都合上、そこに絶対の安全という言葉はないのだが、結論からいってしまえば、リィの土地勘と実力は確かなものだったといっていい。
「ほいさっ、と。一丁あがり、ルヴィアリーラのねーちゃんは?」
「こちらも終わりましてよ、リィ」
「そりゃ何より、そんじゃ血抜きして今晩の飯と洒落込みますか」
森林に棲まう捕食者である、サーベルタイガーの頭を自身の丈よりもはるかに大きな戦鎚で叩きのめし、リィは肩を竦めながらそう言った。
背中合わせになっていたルヴィアリーラも、山羊のツノを持つ猪のような魔物──ゴートボアを一刀の元に切り捨てており、リィの憂慮もまた解決されたということになる。
復路は「風鳴りの羽」で短縮できるからいいものの、往路は徒歩で行かなければならないというのは億劫に感じるところもリィにはある。
だが、ルヴィアリーラが受けている皇国依頼という形でなければそもそもそんな高級なマジックアイテムを支給されること自体がないのだから、あるだけ感謝というものだ。
リィは懐から取り出したナイフでサーベルタイガーの血抜きを行いつつ、ニヒルな笑みを口元に浮かべる。
ルヴィアリーラの方はといえば、血抜きも敵を斬り捨てるのも愛剣である星剣アルゴナウツ一本で済ませていて、高級そうな宝飾が施されているのにも関わらず、その扱いは十徳ナイフと同等レベルだ。
とはいえ、そんな風に扱っても刃こぼれしないのだから問題はない。
ルヴィアリーラは小さい頃に野山を駆けずり回って、同じようにゴートボアやサーベルタイガーを倒しては干し肉に変えていたことを思い出して小さく苦笑する。
「る、ルヴィアリーラお姉様……テントの設営、終わりました……!」
「あら、お疲れ様でしてよ、リリア! こちらも丁度血抜きが終わったところですし、焼いて食べてしまいますわよ!」
ゴートボアの肉は食用には適しているが、独特の臭みが存在する。
そのため本来は熟成期間を設けた方が美味しくいただけるのだが、冒険中は携帯糧食にも限りがあるのだから、味に対して四の五のなど言っていられない。
要は食って腹を壊さなければそれでいいのだ。
冒険者というのは、そういうものだった。
毛皮を剥ぎ取り、見事に明日、肉屋の店頭に並ぶといわれてもおかしくはない状態までゴートボアを解体しながら、ルヴィアリーラはリリアがテントを建てたことに労いの言葉をかける。
一方で冒険者としては慣れていないリリアはそのワイルドな光景に若干引き気味ではあったものの、ルヴィアリーラが獲物を捌く手際の良さには感心を覚えていた。
自分もいずれはああいう力仕事に参加することになるのだろうか。
リリアはナイフを片手に獲物を解体する自身をイメージしようとするが、中々うまくいかずに、小さく苦笑する。
「それにしてもお姉様ねぇい」
「あら、何か問題がありまして?」
「いや? 元から仲良いなーと思ってたけど、いつの間にそんな仲良くなったのかなって、そう思っただけだよ」
少し遅れてサーベルタイガーの血抜きと解体を終えたリィは、少し茶化すように皮肉な笑みを浮かべてルヴィアリーラとリリアへとそんな言葉を投げかけた。
二人が姉妹の契りを、己の知らない内に結んでいたことに関して、リィが思うところは特にない。
ただ、何となくルヴィアリーラが姉でリリアが妹、というのは金髪と銀髪であることも相まって、妙にしっくりくると感じただけだ。
焚き火を組み上げる、お嬢様言葉を使う人間らしからぬ妙な手際の良さや、リリアが常にフードで顔を隠そうとしているところには訳あり感が漂っている。
だが、リィとしてはどうでもよかった。
訊いたのだって、ルヴィアリーラに語った通り、ほとんど好奇心からなのだから。
そんな、どこか値踏みするような彼女の視線を堂々と受け止めながら、ルヴィアリーラはいつものように豊かな胸を張って、得意げに答えてみせる。
「ええ、リリアと姉妹の契りを交わしたのはつい二日ほど前ですわ! とはいえ会った時から妹のように感じておりましたから誤差ですわね! あーっはっは!」
「そりゃあ何より、仲良きことは何とやらっていうしね」
「……そ、そうですか……? えへへ……」
「そんなもんだよ、さてそんじゃあ夜飯にありつくとしますかね」
ルヴィアリーラが組み上げて、リリアが初級の火炎魔法で火を灯した焚き火へと二種類の肉を置いて、リィたちはしばらく、ぱちぱちと脂が弾ける音を聞く。
焼けるまでの時間を優雅に楽しみたくなる、そんな感覚を抱きそうになる光景だが、夜営というのは常に戦場に自らを晒しているようなものだ。
特に火を焚くのは、暗い中で自らの居場所を敵へと晒しているのに等しい。
だからこそ、穏やかな表情こそ浮かべていても、ルヴィアリーラもリィも、どこかぴりぴりとした緊張感を漂わせているのだ。
ごくり、と、リリアが生唾を呑み込んだのは、肉が焼ける匂いに胃袋を刺激されたからではない。
二人が漂わせる歴戦の風格、それに気圧されていただけの話で、そして。
「リィ」
「案の定来なさったか、そんじゃ行こっかね!」
二人の纏う緊迫した雰囲気が、ぷつりと切れて爆ぜる音が聞こえたようにリリアは錯覚する。
そして、その向こう側からじりじりと敵意が自分たちに向けられていることも同じだ。
リリアの第六感が警告する。
──これは、夜襲だ。
トロールたちの先鋒が仕掛けてきたのか、それとも野生の魔物が肉の匂い焚き火の明かりに釣られてきたのかはわからない。
だが、高らかに響き渡る遠吠えによってその答えは即座に明らかになる。
「アーミィウルフですの、まあ豪勢な」
「……アーミィウルフなんてこの辺りに出るような魔物だった? まあいいけどさ!」
爛々と暗がりでその瞳を光らせる狼は、二十の群れを従えてルヴィアリーラたちの喉笛を食いちぎろうとしていた。
アーミィウルフ。
森の捕食者たちの中でも極めて知性が高く、集団による包囲戦術を得意としている魔物だと、ルヴィアリーラは幼い頃に読んだ魔物図鑑の記憶からその情報を呼び起こす。
──そして。
ルヴィアリーラは、群れの中心にいるであろう個体が二度目の雄叫びを上げるよりも早く、そして疾く駆け抜けていく。
「ちぇええええええすとぉおおおおおおッ!!!」
獣、と、いうよりは言葉が通じない相手との戦いでの負け筋は何よりも気勢を削がれることだ。
リリアが光の魔法によって杖の先端に明かりを灯すことによって明らかになった赤毛の個体──アーミィウルフの群れを率いるリーダーである、「ヤークトウルフ」をルヴィアリーラは標的に定め、立ちはだかる狼を斬り伏せながら突撃を敢行する。
「噂通りだねぇい……そんじゃ、リィもやるとすっか!」
ルヴィアリーラの狙いが大将首で、それを獲る実力が彼女に備わっているなら、自分の役目は露払いだ。
躯体強化の魔術を起動させたリィは、小さな意気込みと共に巨大な戦鎚を振りかざす。
ルヴィアリーラがヤークトウルフを狙ってくれているおかげで、手下のアーミィウルフたちは彼女へと向けられている。
ならば、その隙を縫って始末していくことは容易い。
自身の身体を一つの独楽とするようにリィは戦鎚を携えたまま、舞踏でも嗜むかのように片方の足を軸として、ぐるぐると己の身体を回転させる。
そうして、遠心力によって振るわれるリィの戦鎚はルヴィアリーラの喉笛を狙わんとしていたアーミィウルフを跳ね飛ばし、轢き潰していく。
「良い援護ですわ、リィ! 統率を失った隊など……恐れるに足らないのでしてよ!」
──あーっはっは!
そんな高笑いと共に、守勢に回ったアーミィウルフ五匹がヤークトウルフを囲んだところを見逃さず、ルヴィアリーラは全力で己の携える剣を振るった。
薙ぎ払われる剣閃は、駆け抜ける暴風のように、自らの肉体を盾としたアーミィウルフごと、ヤークトウルフの首を見事に跳ね飛ばし、宵闇の中に血飛沫の雨が降り注ぐ。
リリアの範囲魔法であれば、この程度の敵ならば何ということはない。
だが、旧鉱山で待っているのが更なる強敵であるなら道中での消耗はできるだけ避けたいというのが、ルヴィアリーラとリィの見解であった。
だからこそ、二人は前線に立っているのだが、ルヴィアリーラの場合はそこにもう一つ理由が付け加えられることとなる。
──このルヴィアリーラがやらねば誰がやるというのか。
むしろ未だ彼女の心に根付くノブリス・オブリージュの精神こそが、ルヴィアリーラを前線に立たせている理由だといってもいい。
剣を鞘に収めて、生き残ったことにルヴィアリーラは小さく安堵の息を吐く。
しかし、自らの前線に立つ勇気を持ち合わせていても、彼女はまだ一人の少女であって、戦闘狂だというわけではないのだ。
そして、アーミィウルフたちを何事もなく殲滅したルヴィアリーラたちは食事にありつこうとしたのだが。
「……え、えっと、その……」
「見事に焦げてんね……」
「……とりあえずは削ぎ落として食べれるところだけ食べますわよ……」
夕食の予定だったサーベルタイガーとゴートボアの肉は表面が黒く焦げるまで火が通り切っていた。
しかし、これもまた冒険者。
ルヴィアリーラはがくりと肩を落とし、リィとリリアは苦笑しながら、火から引き上げた肉の焦げをナイフで削ぎ落としていくのだった。
招かれざる来訪者
【アーミィウルフ】……上位個体である「ヤークトウルフ」を群れの主とする集団捕食者。本来は強力な魔物であるため旧鉱山近郊での目撃例は珍しく、ルヴィアリーラたちが遭遇したのは不幸だったといえる。




