37.夢追いのルヴィアリーラ、なのですわ!
盗賊団とのエンカウントという不幸な事態はあったものの、シートス村へのその後の旅路は恙無く終わった。
と、いうのも、遭遇したゴブリンだとかオークだとか、森からわざわざ飛び出してきた魔物たちは、ルヴィアリーラにとってはおやつも同然であったし、ゴブリンの中でも複数の個体を統率する上位個体──ゴブリンキャプテンであってもそれは同じだ。
「踏み込みが! 足りないのですわ!」
シートス村近くに姿を現したということは、この赤肌のゴブリンキャプテンは不遜にも畑の農産物を狙っていたのだろう。
ルヴィアリーラは目視するなりゴブリンの一個体を「躯体強化」のスキルを駆動して、ドロップキックでもってその首を撥ね飛ばすと、星剣アルゴナウツを抜き放って、シミターを構えたゴブリンキャプテンと対峙する。
奴が従えているゴブリンの数は十、ボガードの混成隊も含めれば十五の手勢に一つの指揮官と、開拓村を襲うにしては随分と気合の入った面子だが、不幸なことに、こちらの戦力はルヴィアリーラだけではない。
「……『光よ』!」
その詠唱が一瞬で、ゴブリンたちの耳朶を震わせたかと思えば、音よりも早く着弾した雷──盗賊団に放ったものとは比べ物にならない規模のものだ──が、一瞬の内に魔物の群れを消し炭にして、塵へと還していく。
リリアが極大魔法を使えば、確かにゴブリンキャプテンごと彼の群れを葬り去ることはできたかもしれない。
それはルヴィアリーラが錬金していた「爆炎筒」と同じことだが、ここは開拓村の近郊だ。
そんな場所で、グランマムートすら悶絶せしめた、物騒な威力を誇る魔法や爆弾を使えば、村にも被害が及ぶことは想像するに難くない。
ルヴィアリーラは、明らかに無軌道に、そして力任せに振るわれたゴブリンキャプテンのシミターを弾き飛ばしながら、左手で懐の万能ポーチから、一段ランクは劣るが十分強力な「火炎筒」を取り出して投擲する。
『グ……ゲギョォッ!?』
「粗末な鎧とはいえ、鉄を斬るというのは骨が折れるのですわ……だからこいつでおくたばりあそばせ!」
ルヴィアリーラが火炎筒を投げた理由は単純だ。
ゴブリンキャプテンは、上位種の証として、仕留めた冒険者から鉄製の鎧を奪って着用していることが多い。
手入れのやり方がわからないために殆どが錆び付いていて、用をなさないことは明らかだ。
しかし、それはそれとして、鉄を斬るという行為には相応の集中力が要求される。
だからこそ、ルヴィアリーラは爆弾で錆び付いた鎧を破壊した上で、剥き出しになった胴体を目掛けて音越えの刺突を繰り出したのだ。
爆弾は全てを解決する。
人類が炎によって文明を切り開いてきたのならば、ルヴィアリーラの赤い瞳とそして爆弾と剣術を組み合わせた戦術は、正しく開拓者にして冒険者だといえるのかもしれない。
そんなことを茫洋と考えながら戦いの趨勢を見守っていたペーターをよそに、ルヴィアリーラは額に浮かんだ汗を拭うと、愛剣を鞘に収める。
そして悠然とリリアのもとに歩み寄るその姿は、腐っても、というよりは、追放されても尚彼女の中に、ノーブルとしての気品が宿っていることの証明でもあった。
「ルヴィアリーラ様、お怪我は……」
「お気遣いに感謝いたしますわ、リリア。ですが、この程度の相手に後れをとるわたくしではありませんことよ! あーっはっは!」
本当に濃い人たちだな、と、ペーターは高笑いをあげるルヴィアリーラと、そんな彼女の隣でフードを目深にかぶりながら小動物のようななぴょこぴょこと飛び跳ねているリリアを一瞥して、静かに嘆息する。
ユカリからの指示で、この二人の護衛があれば道中で死ぬことは絶対にない、と念を押されたからこそペーターはこの旅における御者を引き受けたのだった。
しかし、それも二人の戦いっぷりを見ていれば納得がいくというものだ。
痩せぎすの体で、ペーターは戦いに興奮して嘶く馬を宥めながら小さく笑った。
「どうどう……まあでも、ユカリさんが言葉を濁した意味もわかるなあ」
冒険者というのは多かれ少なかれ、性格に難があるものだというのはペーターも理解している。
だがまあ、ルヴィアリーラのあれに関しては性格に難がある、というよりはある意味純粋が過ぎるのだろう。
盛大な高笑いを聞きつけたのか、シートス村の正門から姿を現した門番と思しき二人と、壮年の男性は、農具を武器の代わりに構えてルヴィアリーラとリリアに詰め寄っていた。
「あんたは……ルヴィアリーラ様だか! こいつは失礼なことを……」
「ヨーサク村長、お久しぶりですわね! ご健勝で何よりですわ!」
壮年の男性こと、ヨーサクは目配せをして、門番の二人に武器を取り下げさせる。
ここ最近、開拓村に魔物が現れるケースが増えてきた、と、城塞都市ファスティラからヨーサクたちのもとに御触れが回ってきたのはつい昨日のことだった。
そして、それからわずか一日でゴブリンキャプテンが率いる群れが襲撃をかけてきたところを、図らずもルヴィアリーラが救ってくれたのだ。
そんな恩人に武器を向けるなど無礼極まりないと村長は平伏して、貴族にそうするように頭を垂れる。
「いんや……こいつは儂なりのけじめですじゃ。命の恩人に武器を向けちまうなんて、無礼にも程がありますだ」
「いいえ、外敵の脅威に晒されていたのなら、全てを警戒するのは正しいことですわ。さあ、面を上げてくださいまし。むしろ……今日はわたくしが頭を下げに参りましたのよ」
道中の盗賊団や、先ほど討伐したゴブリンキャプテン率いる群れのことで記憶の隅に追いやられかけていたが、ルヴィアリーラがシートス村を訪れた本来の理由は、「頑丈な木材」を作ること。
そして、そのために御神木の実を分けてもらうことなのだ。
だからこそ、ルヴィアリーラは丁寧に、四十五度腰を折って、ヨーサクへと頭を下げる。
「ルヴィアリーラ様が頭を下げる……そんな、恐れ多いですじゃ、儂らに協力できることがあればなんでもいたしますわ、じゃからどうか、ルヴィアリーラ様も面を上げてくだせぇ……!」
「感謝いたしますわ、ヨーサク村長。その……言い出しづらいのは承知しておりますわ、ただ」
「ただ?」
「御神木の実を分けていただくことは可能でして?」
苦笑を浮かべながら問いかけたルヴィアリーラに対して、ヨーサクの浮かべる笑顔はぎこちないものだった。
これが無理筋なのは、さしものルヴィアリーラとて理解している。
何故なら、村人から崇められている御神木の実を何の事情もなしに分けてくれと言われて素直に首を縦に振らせるほどの信頼を、ルヴィアリーラは積み重ねていない。
「ふむ……何でも聞くと言った手前、非常に恥ずかしいことを許してほしいですじゃ……しかしルヴィアリーラ様、どうして御神木の実が?」
「説明すると長くなるのですが……先日、グランマムートがヒンメル高地麓に現れたことは知っていまして?」
「おお……それでしたら、ファスティラからのお触れが回ってきましたですじゃ、それで、まさか……」
「そのまさかでしてよ! わたくし、ヒンメル高地麓を復興するための木材を錬金すべく、土の元素の働きが強いものに……この村の御神木の実に目をつけていたのですわ!」
ヨーサクへと簡単な事情説明を終えるなり、ルヴィアリーラはいつも通りに豊かな胸を張って、あーっはっは、と、高笑いを挙げるが、それが虚勢や強がりであることは、さしものリリアにも見抜けるようになってきた。
ルヴィアリーラはいつだって綱渡りのような道を選んで歩いているような人だ。
だからこそ、自分を鼓舞するためにそういう振る舞いをしなければやっていられないのだろう。
そこにかける言葉は見当たらずとも、リリアはその痛みの一端を感じ取って、眦にじわり、と涙を滲ませる。
リリアは諦めることでやり過ごしてきた。
それでも、ルヴィアリーラは絶対に諦めない、諦めることができない人だ。
だからこそ、高笑いをして得意げに、気丈に振る舞いながらも、ヨーサクを相手にして必死に頭を下げているのだ。
「どうか、この通りですわ! 報酬が必要でしたら……現物では今、用意できませんわ、ですが必ず!」
「う、うむ……しかしですじゃ……」
「……お、おねがい……します……!」
ヨーサクの態度は頑なだ。
それも無理はない。
御神木というのは村人たちにとって精神の拠り所であり、「東の森の主」の脅威が去ったとしても、おいそれとその実を収穫することは掟によって禁じられている。
しかし、ルヴィアリーラが命の恩人にして村の救世主であることもまた確かなのだ。
リリアが勇気を振り絞って頭を下げたのは、そんな具合に、ヨーサクがああでもないこうでもないと唸り声を上げていた時だった。
フードを脱いで、虹の瞳をさらけ出しながらリリアは地に額を擦り付ける勢いで頭を下げ倒す。
自分がルヴィアリーラのためにできることがあるなら、今はきっとこれくらいしかない。
だからこそ、元からあってないような恥と外聞など犬にでも食わせて、リリアは一身に頭を下げるのだ。
「……この通りでしてよ、村長! 何卒、御神木の実を分けていただきたいのですわ!」
「うむ……ルヴィアリーラ様、しかし……」
「あんた、何言ってんだい!」
リリアが地に頭を擦り付けたのに倣って、ルヴィアリーラも額を地面につける勢いで跪いて、ヨーサクへと頭を垂れた。
しかし、それでも尚ヨーサクが掟との間で板挟みとなって、唸り声を上げていた刹那、かぁん、と、小気味良くも痛そうな金属音が、長閑な農村に響き渡る。
「痛てて……は、ハナ! おめぇには関係ねぇ話じゃろうが……!」
「亭主がバカ言ってんだからぶん殴るのも当然さぁね、ルヴィアリーラ様だったかい? ごめんねぇ、うちの亭主が堅物でさ。木の実でよかったら、いくらでも持ってきなさいな」
「ハナ!」
「なんだいヨーサク! 大体『森の主』から助けてもらったのもこのルヴィアリーラ様ってお嬢ちゃんのおかげなんだろう! それにゴブリンだって倒してもらった! これでお礼の一つもなきゃあ、名折れってもんだろうが!」
腐ってもこのシートス村は、ヨーサクだけが切り拓いてきた開拓村ではない。
そして、フライパンでヨーサクを殴打した女性こと、ハナも初期から村を開拓した住人だ。
だからこそ、カカァ天下とは大分違うのかもしれないが、開拓村を切り開いてきた功績があるハナは、役職こそなくとも、このシートス村での発言権はヨーサクに次ぐものを保持している。
「大体ね、掟だなんだって、このルヴィアリーラ様って子たちは村の外の女の子じゃあないか! だったら掟なんて通用しないよ! さあ行った行った! いつまでも若い子に頭下げさせてたんじゃあ、あたしゃもう居た堪れないよ!」
早口で捲し立てたハナは、恰幅のいい身体を揺らして豪快に笑い立てると、ルヴィアリーラとリリアの背中をぽん、と叩いて、「ナチャーロの森」がある方角をフライパンで指し示す。
「本当にいいんですの、奥様?」
「あらやだ、奥様なんて口が上手ねえ……困ってる人がいるんだろう? そしてあんたはそいつを助けずにはいられない……今でこそこうだけど、うちの亭主も若い頃はあんたみたいな無鉄砲でね。っと、惚気話にゃ興味もないだろ、さあ行きな! なんかあったらあたしのフライパンが炸裂するから心配なさんな!」
そんな言葉と共に、ハナは豪快な笑みを浮かべてばしばしと遠慮なくルヴィアリーラの背中を叩く。
ルヴィアリーラはいつだって豪放磊落に振る舞ってきたつもりだが、それにしたってハナの年季の入った振る舞いには敵わない。
亀の甲より年の功、というのは失礼にあたるのかもしれないが、もしもいつか大人になったなら、こういう歳の取り方をしたいと、ルヴィアリーラはそう思ってしまうのだ。
「感謝いたしますわ、村長、奥様! わたくし……必ず開拓村を救って、一人前の錬金術師になってみせますわ!」
「……あ、ありがとう、ございます……!」
ハナに背中を押されて、ナチャーロの森へと駆け出していくルヴィアリーラとリリアを見送りながら、ヨーサクはひりひりと痛む頭を掌で摩った。
確かにハナが言う通り、自分も昔はあれぐらい向こう見ずで、無鉄砲で。
「……諦めに飲まれんといいの」
「なに、あたしらにできなくても、あの子たちにゃあできるさね」
しかし、気付けば夢を叶えるための時間はあっという間に過ぎ去って、幾星霜の月日に蝕まれてできたのが今の自分たちなのだ。
夢に向けて駆け出していく、ルヴィアリーラとリリアをどこか羨むように、そして自分のようにはなるなとばかりに呟いたヨーサクへ、豪快に笑いながらハナは「大丈夫」と、そう返した。
夢の形は違っても、若者たちが追いかけるそれはいつだってきっと美しい。
そしてルヴィアリーラなら、いつだって前を向いて高笑いを上げるあの深紅の瞳の少女なら、壁にぶち当たっても、それを壊れるまで殴りつけるのだろう。
置き去りにされたペーターと、そして傍に佇むハナと共に、ヨーサクはそんなことを思って、森の中に溶けた二つの背中を見送るのだった。
爆薬令嬢、三度──!
【ハナ】……ヨーサクの奥さんにして、実質的にシートス村の副村長ポジションにあたる女傑。その豪快な性格ゆえに夫を尻に敷いているが、かつては夢追い人だったその背中に憧れて嫁入りを決め込んだ愛情深い押し掛け女房でもある。




