34.まずはお掃除、なのですわ!
アトリエの掃除は、恙無く、そのほとんどが終わっていた。
ポーションに汚れを移す錬金術を使っても、ルヴィアリーラとしては一向に構わなかった。
だが、長年放置されていた建物のそれを浄化するとなれば何本のポーションが必要になるのかわかったものではない。
そんな、不経済だという理由から物理的な掃除を選んだルヴィアリーラとリリアであったが、半日をかけて九割を磨き上げたアトリエは、古めかしくもそれなりに立派な面構えに生まれ変わっていた。
「らしくなってきたのですわね、そして地脈の状態も申し分ない……最っ高のアトリエにまた一歩近づいてしまったのですわ……ふふふ……あはは……あーっはっは!」
汚れるという理由から、安物のローブ一枚に着替えたルヴィアリーラは、袖をまくって額に浮かんだ汗を拭って高笑いを上げる。
元々使われていたアトリエだということもあって、かまどと錬金釜は、立派なものがデフォルトで備え付けられていた。
それすらなかったら流石に困り果てていたところだったと、ルヴィアリーラは嘆息する。
大きい釜と、そしてそれを運用できるかまどがあるというのは、アトリエとして最適な地脈の上にこの施設が建てられた、という証明に他ならない。
ルヴィアリーラのように、多くの人々に開かれたアトリエを開業しようとする錬金術師は今や稀だ。
それでも、錬金術師たちが、こぞって自分だけの工房を求めている理由は、この地脈の存在にこそある。
「……ち、地脈……ですか……?」
「ええ、この世界をマナとエーテルが循環してるのはリリアもご存知でしょう?」
「そ、それぐらいは……なんとか……」
リリアの疑問に答えた通り、ジュエリティアという世界は大気の循環に、マナとエーテルのそれが加わっている。
世界全体を巡る巨大な力から一端を借り受けて、神々の法則を顕現させるという魔法や、その真似事といえば聞こえは悪いが、人の手で神の法則に近づけた術である魔術は成り立っている。
だからこそ、マナやエーテルを「魔力」として体内に多く保有する人間が行使するそれらは、絶大な威力を誇っているのだ。
そして、循環するマナとエーテルの通り道こそが「地脈」と人が呼ぶ存在である。
その、天然自然のバックアップを受けることで大掛かりな魔術や魔法を行使することが可能となるのだが、要はルヴィアリーラにとっては錬金術のお手伝いをしてくれる場所、ぐらいの認識でしかない。
「まあめんどくさい理屈は色々ありますわ、ただ地脈のいい場所に立って錬金術をするとより疲れずにいいものが作れるってだけなのですわ!」
「さ、流石ルヴィアリーラ様です……! わたしが、知らないことばかり……!」
「……いや、その説明は正しいのか?」
ルヴィアリーラの保有している魔力量であれば、それこそ青空アトリエでも素晴らしい品質のアイテムを錬成することが可能なのだろうが、そこはそれ、錬金術師としてこだわるに越したことはないし、地脈のサポートで消費魔力が減るのなら尚更良い。
そんなふんわりした説明をリリアに伝えて、ルヴィアリーラはいつもの高笑いをあげようとする。
しかし、それを遮るようにして、アトリエへ来訪者が現れるのだった。
「あら、ピースレイヤー卿……でしたわね、ごきげんよう。そしてごめんあそばせ、このような格好で」
「……え、えと、その……こ、こんにちは……っ……!」
ルヴィアリーラのやけにふわっとした、具体性のない説明に嘆息しながら現れた、その栗毛を長く伸ばし、白を基調とした王都守護騎士団の衣装に身を包んだ青年、スターク・フォン・ピースレイヤー子爵へとルヴィアリーラは恭しく頭を下げる。
リリアもそれに倣って頭を下げたが、即座にルヴィアリーラの後ろに隠れて、小動物のようにぷるぷると震えて、スタークから目を逸らしてしまう。
スタークは、平たくいえば美男子に分類される男だ。
だが、皇国において第一皇女の専任騎士と、そして王都防衛騎士団の団長という多忙な任務を日々こなしている彼の顔つきは険しく、ルヴィアリーラは気にしていなかったが、知らず知らずの内に、見る者に威圧感を与えてしまっているのだった。
「……君は気にしないのだな、ルヴィアリーラ」
「何をですの? まさかピースレイヤー卿がわたくしたちの首を刎ねにいらしたわけではありませんでしょう?」
「本当に君は噂通りなのだな……まあいい。察しの通りだ、君たちに最初の皇国依頼を出しに来た」
しかし、そんなスタークの事情も、ルヴィアリーラにとってはどこ吹く風といったところだ。
そんな、竹を割った反動で脳味噌も縦に割れたような女、と形容されるルヴィアリーラがルヴィアリーラたる所以に軽く目眩を感じながらも、スタークは懐から書簡を取り出し、彼女へと手渡す。
基本的に皇国依頼を出すのは神王ディアマンテから、ということになっているが、依頼主は様々だ。
受け取った書簡を開封しつつ、小首を傾げてルヴィアリーラはその内容を読み上げる。
「えー、何々……先日の被害復興も兼ねて、『頑丈な木材』を納品してほしい、ですの?」
「うむ、期限は一ヶ月、品質の鑑定に関しては王宮専属の鑑定士が行う、ということになっている。君たちならば成し遂げられると、期待しているぞ」
伝えるなり、踵を返してスタークは掃除を終えたばかりのアトリエにして、ルヴィアリーラたちの仮住まいを後にする。
ルヴィアリーラは気にしていないが、掃除のためとはいえリリア共々薄布一枚と下着という姿は、まだ年若いスタークにとっては目の毒だったのだろう。
ただ、不幸なのかそうでないのか、ルヴィアリーラもリリアも、自分の見た目に関してはあまり頓着していない。
二人は、境遇が違えば、それこそ絶世の美女として宮廷に召し上げられていたであろう。
だが、それを知ったところで何かあるわけでもないし、今更宮廷に召し抱えますといわれたところで興味がないのだから意味がない。
スタークから手渡された「頑丈な木材」について考えながら、その書簡を机の上において、ルヴィアリーラは再び腕を捲る。
「さて、それでは残りの掃除から片付けることにいたしますわ!」
「……え、えと、依頼の方は……」
「明日は明日のなんとやらですわ!」
一月という期間は恐らく調達から錬金レシピの開拓までの時間を考慮しているのだろう。
ルヴィアリーラの推察が正しければ、頑丈な木材、という曖昧な指定だって、錬金術でそのようなものが作れるのかという王宮側の疑問からくるものであるはずだ。
宮廷魔法師クラスになれば、マナウェア加工と同様の「魔力付与」の魔法を使って、恐らく皇国側がイメージしているような頑丈な木材を作ることは可能かもしれない。
しかし、それは盛大に手間と暇とコストがかかるものであり、グランマムートに破壊された開拓村の家々の補修に当てる量をこなすのは骨が折れる話なのだ。
──それでも、錬金術ならそれができる。
初めての依頼に、ルヴィアリーラは内心でそっとほくそ笑んで、得意げに豊かな胸を反らしてみせる。
だが、今はアトリエの細々と残った各所を掃除して、仮住まいの環境を整える方が先だ。
リリアにそう答えた通り、明日は明日の風が吹く、の精神でルヴィアリーラは雑巾を桶に浸してきゅっ、と絞っていく。
とりあえず今日の課題を明日に残すというのは寝覚めが悪いし、リリアは埃に弱い。
だからこそ、今、困っているのはリリアだという論法を脳裏で組み立てて、ルヴィアリーラは細々と残された部屋の隅や机の足といった場所を丁寧に掃除するのだった。
まずは隗から始めよ、なのですわ!




