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31.ですから、こんな話は聞いていないのですわ!

「やはり見事に素寒貧なのですわね!」

「……る、ルヴィアリーラ様……その……」

「ええ、皆まで仰らなくてよろしいですわリリア、今回の戦いで得られたものは大きい……ならば国難にありて立ち上がるのはこのわたくしというもの!」


 だから素寒貧になっているのだ。


 ルヴィアリーラは高らかに、そしていつものように得意げに豊かな胸を反らしながら、あーっはっは、と高笑いをする。


 ルヴィアリーラは、宵越しの銭を持たない主義ではない。


 ただ、グランマムートによる開拓村の破壊という被害を押し留められたことは間違いなく国難を救ったともいえることであり、そんな席でしみったれた顔をして酒を飲んでいるのは性に合わないというだけだ。


 だからこそこうして、それから数日経って

、酒場にひしめく冒険者たちに「オン・ザ・ハウス(わたくしの奢り)」だ、とばかりにルヴィアリーラは、彼らが飲み食いする代金を肩代わりするという暴挙に出たのである。


 実際のところ、素寒貧になった原因の八割ぐらいは定期市が開催される最後の日に、ヒァーレの実をはじめとした錬金術に有用なものを買い込んだところがほとんどだ。


 だが、傍目から見ればルヴィアリーラは冒険から帰ってきて手に入れた宵越しの銭をばら撒いて騒ぎ立てる、どこからどう見ても元貴族とは思えない姿だった。


 ただし、冒険者というのはそれが正しいのだ。


「おいお前らァ! 今日はルヴィアリーラの姉御の奢りだ、ジャンジャン飲んで食うぞ!」

「うおおおおおお!」

「流石だぜ姐さん!」

「『銀嶺砕きのルヴィアリーラ』ここにありって風情だな!」


 そして、そんな気風のいいルヴィアリーラの態度と成し遂げた偉業は、図らずも彼女とリリアを懐疑的に見ていた冒険者たちの視線を一変させていた。


 異端の元令嬢にして現冒険者、銀嶺砕きや爆薬令嬢など、様々な二つ名を貰っているルヴィアリーラだったが、そのどれにも決して驕ることなく優雅に微笑むと、手にしたジョッキを宙に掲げてみせる。


「それでは……国難を退けたことに、そして神々の祝福がわたくしたちにあったことに、乾杯、なのですわ!」

『乾杯!!!』


 野太い冒険者たちの歓声を、一身に浴びるルヴィアリーラの姿は、やはり、様になっていると、リリアは、控えめにジョッキを掲げながら静かに思う。


 リリアも生まれは確かに貴族だったかもしれないが、貴族としての教育はろくに受けてきていない上に、内気な性格は虐待やその後の半生を抜きにしても、生まれつき持ち合わせたものだ。


 いつの間にか、依頼表が貼り出されている掲示板の置かれた壇上から戻ってくるルヴィアリーラに、リリアはそんな少しだけ困ったよう笑みを浮かべつつ、フードを目深に被り直す。


 そうしてリリアは、そっと笑うのだ。


 本当に自分は、ルヴィアリーラという強すぎる光の、文明を切り開く炎の傍にいてもいいのだろうかと。


 それは勝手な思い込みなのに、ルヴィアリーラはずっと前からいい、と答えてくれているのに、涙が溢れてしまうのは、きっと充満するアルコールの匂いがそうさせるのだろう。


 くいっ、と煽った葡萄酒が喉を灼いていくような感覚に身をまかせながら、リリアはぺしょりと机に突っ伏した。


「リリア、戻りましたわ」

「……ルヴィアリーラ、様……」

「貴女には、改めてお礼を言わなければなりませんわね」


 乾杯のために掲げたジョッキを豪快に空にすると、ルヴィアリーラは、照れからなのか、アルコールがそうさせているのか、頬を赤らめながらリリアへと優しく微笑みかける。


 太陽のようだと、そう思った。


 曖昧にぼやけて、輪郭の崩れていく思考の片隅でリリアが描いた言葉は、そんなものだった。


 太陽。確かにルヴィアリーラは、自分を照らしてくれた光に他ならない。


 なのに、そんな彼女が自分にお礼を言う必要なんてどこにあるのだろう。


 むしろ、自分がいくら頭を下げたって下げ足りないくらいなのに、と、出力される言葉は酩酊の中に掻き消えて、霧になって散っていく。


「……貴女がいなければ、わたくしは生きてここに帰ってこれませんでしたわ、だから、リリア……ありがとう。そ、そんなわけで盛大にじゃんじゃん飲んで食べてくださいまし!」


 酩酊の見せる霧の中で、そんなことをいうのは、きっと、ルヴィアリーラにとっても恥ずかしかったのだろうか。


 こほん、と、小さく咳払いを挟んで、戯けたように大仰な仕草で両手を広げるルヴィアリーラのことを、リリアは、失礼なのはわかっていても、どこか可愛らしいと、そう思ってしまうのだ。


「えへへ……ありがとう、ございます……ルヴィアリーラ様……ルヴィアリーラ様は……可愛くて……強くて、素敵で……えへへ……」

「リリア?」

「……わたしを……捨てないで、くれますか……?」


 それが酩酊に任せて口をついた戯言だというのは、リリアも、思考の片隅で理解していた。


 産声を上げた時まで受けていた歓待が、目を開いた時には水を打ったように静まり返ってしまったことを、リリアは不幸なことにはっきりと覚えている。


 商品として扱われていた頃は、顔こそ殴られなかったけれど、奴隷として要領が悪いと知った時に監督官は、目立たない腹をいつだって殴ってきた。


 だから、リリアにとって愛というのがなんなのかはわからない。


 ただ、ルヴィアリーラはきっと自分のわからないその感情に溢れた人なのだと、それぐらいは理解していた。


 ならば、そんな素敵な人の隣に自分がいていいといわれるなら──捨てられたくない。


 それが包み隠さず、微酔の中に、そして微酔の溶け込んだ酒場の酩酊、その片隅にさらけ出された、リリアの偽らざる本音だった。


 怒られるだろうかと、ぼんやりと考える。


 また腹を殴られたりするのだろうかと、胃液を吐くまで殴られて、その後始末を命じられるのだろうかと、虹色の瞳に涙が滲む。


 わかっている。


 これがルヴィアリーラに対する裏切りで、疑うことそのものが失礼なのだと。


 それでも、リリアはずっと怖がっていたのだ。


 いつかいらなくなることを、そしていらないと言われてまた、ボロ雑巾のような人生を歩んで、いつ野垂れ死ぬかわからないような、そんな状態におかれることを。


 ──それでも。


「リリア」

「……ほへ……は、はい……」

「なーにしみったれたことを言っておりますの!」


 怒られるだろうかと、リリアは一瞬だけ身を強張らせた。


 だが、ルヴィアリーラは怒るどころかけらけらと快活に微笑んで、自分の頬をぐにぐにと軽く摘んでくる。


 殴られる時以外で顔に触れられたのは初めてだった。


 それどころか、自分が虹色の、他人のどれとも違う瞳を持っているというだけで迫害されてきたのだし、いいところでも商品としての価値しか見出されてこなかったのがリリア、否、リリアーヌ・アイリスライトという女なのだ。


 それでも、ルヴィアリーラは一貫してリリアーヌのことを「リリア」と、親愛を込めてそう呼び続けている。


「ほへ……いひゃいれす……」

「いいですの、リリア? わたくし貴女へ、最初にこう問いかけましてよ? 夢に乗る気は無いのかと、そして貴女は首を縦に振ってくれましたわ」

「……ひゃ、ひゃい……」

「つまり貴女とわたくしは運命共同体! 船乗りを海に投げ捨てる船など沈んで当然! リリア、貴女の命が尽きる時がわたくしの命の尽きる時で、逆もまた然りなのですわ!」


 契約というのは、約束というのは、そういうものなのでしてよ。


 ルヴィアリーラはむにむにと引っ張っていたリリアの頬をそっと離すと、そこをそっと撫でて得意げに微笑んでみせる。


 リリアには、ルヴィアリーラの言っていることの全てがわかるわけではない。


 ろくに教育も受けてこなかったのだ、そして元から要領が悪いのだ。


 いくら極大魔法を四節詠唱で唱えられるからといっても、それが変わるわけではない。


 それでも、忘れたら何度だって言い直すとばかりに、強い覚悟をその赤い瞳に灯して、ルヴィアリーラは毅然と言い放っていた。


 だったら、自分にできることは。


 じわり、と、虹の瞳に浮かんだ涙をそっと拭いながら、リリアはか細く、消え入りそうな声で、ルヴィアリーラへと問いかける。


「ずっと……ずっと、お傍にいさせてくれますか……?」

「勿論ですわ!」

「……ず、ずっと……わ、わたしなんかが……要領が悪くて……ドジで、根暗で、その……いいことなんて……えへへ……なんにもない、わたしと、い、一緒に……ですよ……?」

「その要領が悪くてドジで根暗でいいことがない、というのは関係ありませんわリリア! わたくしは……貴女が貴女だから、リリアだから傍にいてほしいと願ったのですわ!」


 百の言葉を尽しても、伝わらないことはきっとある。 


 リリアが語ってくれた言葉の断片からその過去を推測することは容易だ。


 だからこそきっと、己の全てを信じてもらうというのが難しいことなのなんて、ルヴィアリーラは百も承知なのだ。


「……ルヴィアリーラ、様……?」

「なぜならわたくしは……そんなリリアが大好きなのでしてよ!」


 あーっはっは、と、高笑いを上げたのは、きっとただの照れ隠しだ。


 額に、そして頬に優しくベーゼを落としてこぼれ落ちるリリアの涙を拭ったルヴィアリーラは、彼女に負けじと顔を真っ赤にしている。


 きっと、それでも。


 それは偽らざる彼女の本心だったのだろう。


 囃立てるような酒場の喧騒からも遠く、二人だけが切り離されたような感覚の中で、リリアは古傷に染み入るあたたかさに、悲しみに染まった色のない血液ではなく、ただ、人が涙と呼ぶものを零す。


 そう呼んでくれることが、そう言ってくれることが、一体どれほどの救いになっただろう。


「……る、るゔぃあ……りーら……さま……ぐすっ……えくっ……うええええ……んっ……」

「よしよし、リリアは怖がりさんですわね」

「だ、だいすき、です……だいすきです、わたしも……」

「ええ。感謝いたしますわよ、リリア」


 自分の目線で見えるもの、そして自分の知ることしか、人は見えないし知らない。


 それでも他人の目線で何が見えているのか、知らない場所で何が起きているのかを知ろうとすることぐらいはできる。


 喧騒の中で、ルヴィアリーラは涙に暮れるリリアを抱き寄せて、その髪をそっと撫でながら、虹の瞳に映るもののことを想う。


 それはきっと、恐ればかりなのかもしれない。


 だったら少しでもいいことがあるようにと、どんなことがあっても、自分は傍にいると、そう伝えることが、信じられなくなったら何度でも続けることが正義なのだと、ルヴィアリーラは信じている。


 何故なら。


 リリアが抱いている感謝と同じものを、ルヴィアリーラだってその胸に抱いているのだから。


 歩んできた旅路を振り返り、そしてこれから歩む旅路に懸想しつつ、ルヴィアリーラは目を閉じて、リリアが泣き止むのをそっと待つ。


 素寒貧になってしまったかもしれないが、夢が潰えたわけじゃない。


 むしろここから始まると思えば実質チャラだ。


 いつだって向いているのは前がいいのだとルヴィアリーラが強がって、二杯目の葡萄ジュースに手をつけたその時だった。


「失礼する、ここにルヴィアリーラとリリアという冒険者の二人組はいるか?」


 がやがやと賑わっていた酒場の空気を打ち壊すように、大剣と長剣の中間にあるような得物を腰に帯びた、皇国騎士団の制服と街頭に身を包んだ青年が、問いかけとともに扉を開く。


「ピースレイヤー卿? ルヴィアリーラさんとリリアさんならあのテーブルにいますが……」


 突然のことに静まり返った酒場の沈黙を切り裂くように、どこか顔見知りと出会ったような調子で、カウンターに突っ伏しながら麦酒を口にしていたユカリが、二人の座っていたテーブルを指し示す。


「ピースレイヤー卿だって……?」

「皇国の双璧の一つがなんでこんな冒険者酒場に……」

「ルヴィアリーラの姉御、またなんかやらかしたのか?」


 その人物の登場に対して誰かがそう呟いたのが、沈黙していたはずの酒場へと言葉を取り戻していく。


 ピースレイヤー卿。


 そう呼ばれた彼は、二十代半ばという若さでありながらもウェスタリア神聖皇国騎士団、王都防衛士団を率いる才媛にして、普段であれば第一皇女アイリスディーナ・カルボン・ウェスタリアの専属護衛騎士をやっている男だ。


 そして誰ともなく呟いた「皇国の双璧」という言葉の通り、彼──スターク・フォン・ピースレイヤーとここにはいないもう一人は、皇国最強の騎士だと呼ばれて憚らない。


 間違ってもこんな場末に姿を現すような身ではないのだ。


 色めき立つ酒場に気を配ることなく、悠然とルヴィアリーラたちに歩み寄りながら、スタークは静かに問いかける。


「君たちがルヴィアリーラとリリアで間違いないだろうか」

「ええ、いかにも。わたくしがルヴィアリーラで、こちらが親友のリリアですわ。貴方は……スターク・ピースレイヤー卿でしたわね。このような形でのご挨拶、そしてご無礼をお許しくださいまし」

「そうか……いや、非礼というならこちらも同じだ。ただ君たちにどうしても伝えねばならないことがあってな」


 ごほん、と咳払いをすると、スタークは懐から一本の筒……書簡を収めたものを取り出して、ルヴィアリーラへと手渡した。


 いかにも王室御用達といった風情に豪華な装飾が施されたそれを、失礼、と一言詫びてルヴィアリーラは開封しながら、中に収められていた書簡を取り出してその文面に目を通す。


『冒険者ルヴィアリーラとリリアへ、此度の戦いの功績を称え、表彰を執り行うため至急王都へと向かわれたし』


 ルヴィアリーラは、書かれていた文面に思わず唖然として口を半開きにしていた。


 差出人の名前は不明でこそあるものの、わざわざ「皇国の双璧」の一つである男が直々に手渡しに出向いたのだ。 


 それが神王か、そうでなければ、そこに程近い貴族であることには、何ら疑いの余地などないだろう。


「こ……こ……」

「こ?」

「こんな話は聞いてないのですわ!!!」


 ヴィーンゴールド領を追放されてそう月日が経たないうち、怪物退治を任されたことはまだいいとしても、王都に直接迎えというのはいくらなんでも寝耳に水がすぎる。


 酩酊に身を任せ、リリアがいつの間にか穏やかな寝息を立てている傍で、ルヴィアリーラはスタークからの報せにそう、未だかつてないほどに動揺しながら、絶叫を上げるのだった。

これにて第二章完結なのでしてよ!

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