20.事態は見えないところで動いているようなのですわ
生息域をなんらかの理由で追い立てられた魔物が人里に出るというのは珍しくなく、そしてそういった討伐依頼は冒険者たちに一任されるのが常だ。
ウェスタリア神聖皇国騎士団は、遥か北の大陸へと伸びる「橋の街」に部隊の一部を集結、そして現地からも招集した上で、「ヒンメル高地」が広がるスフェリア連峰のふもとへと行軍を決行していた。
「しかし、なんでこんな時期に俺たちが呼び出されるんだ?」
騎士の一人であった男、フォンロン・ミューンが、隣を歩いている同僚へとうんざりしたように問いかける。
橋の街の近くは北方大陸に近いこともあって、春だというのに寒冷地対応の装備をしていなければとてもじゃないが歩けたものではない。
一応、ヒンメル高地は高山ゆえの豊かな恵みを人々に提供してくれる資源集積地であり、だからこそその麓にはいくつもの開拓村が存在している、というのはフォンロンも知識の上では理解していた。
だが、通常であればこのような、「麓で魔物が暴れているから討伐してこい」という依頼は皇国騎士団ではなく冒険者へと委託されるのが常だ。
「ぼやくなよ、フォンロン。わざわざオレたちが呼ばれたってことはなんかあったんだろうさ」
「けどなあ、マーク」
「あんまりお喋りしてると隊長にどやされるぜ? それになんだか知らんが、やけに品質のいいポーションが届いたそうじゃないか、並の魔物相手なら俺たちは遅れを取らないし、そうでなくても特注品のポーションがある、だったら黙って給料分働くのが筋だろ」
マークと呼ばれた男は、同僚の軽口に苦言を呈してこそいたものの、彼の抱いている感情はフォンロンのそれと大差ない。
開拓村からの使者が王都に知らせた情報によれば、ここ数日原因不明の雪崩がなんども起きていて、それに呑み込まれて滅んでしまった村もある、とのことだった。
自然災害に対して騎士団が何か対処できるかといえばそんなことはないのだが、ヒンメル高地は、恵みと同時に災いをもたらす土地でもある。
だからこそ、その雪崩が魔物の仕業だということは十分に考えられるために、騎士団がこうして派遣されているのだ。
全体的に士気の低い部隊の連中を一喝すべきかどうか、フォンロンとマークの会話をしっかり耳にしていた選抜隊の隊長──ドルガン・フォン・ゼッケンドルフは黙って頭を抱えるものの、彼らの気持ちは自身もまた理解していた。
とはいえ、高地に住む魔物程度であれば正規の騎士を五十、橋の街で雇ったベテラン冒険者が三十という数があれば何の問題もあるまい。
そして、騎士団がしばらくの行軍の末、ヒンメル高地の麓にその村落を構える、開拓村ニエべに到着した時だった。
「た、助けてくれぇっ!」
一人の青年が、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃに歪めながら、ドルガンへと縋り付いてくる姿がある。
「どうした、我々はウェスタリア神聖皇国騎士団選抜隊だ。落ち着いて話したまえ」
そのみっともなさに顔をしかめたくなったものの、騎士階級としての体面を保つべく平静を装ってドルガンは青年へと問いかけるが、声音には隠しきれない呆れが滲んでいた。
しかし、ドルガンも、そして軽口を叩いていたフォンロンとマークもまた、次の瞬間には青年が必死に叫んでいた理由を否応なく知らされることとなる。
「や、山が……動いた?」
「馬鹿野郎、山が動くものかよ!」
誰ともなしに呟いたその言葉は、今ドルガンたちの眼前に広がる光景を表すのにこれ以上ないものだった。
雪に覆われていた開拓村の大地が盛り上がったかと思えば、けたたましい地響きとともに「それ」は生き残りである青年と、そして騎士団の方へ悠然と歩み寄ってくる。
その一歩で大地が揺れた。
その鼻息が、粉々になった家屋の破片を吹き飛ばした。
そして、「それ」は長い鼻には家屋の残骸を巻き込み、哀れな骸を、かつては誰かの家であったものを無造作に、悪意なく貪っている。
「ば、化け物か──!?」
フォンロンは怯えながらも剣を抜き放ち、地響きを立てながら進むその巨体に抗うべく、ドルガンから教えられた通りの皇国流剣術、その基本となる型を取る。
「馬鹿野郎、あいつに剣なんか通じるか! クソッ、割のいい依頼だと思ってたら!」
「待ちたまえ冒険者殿、あれはなんなのだね!?」
そんなフォンロンを諫めながらも戦場から逃亡しようと踵を返した冒険者の一人を呼び止めて、釘を刺すような形でドルガンは問いかけた。
山が動いているとしか形容できないその巨体は人間が大体二十人ほど縦に積み重なってようやく届くかという領域だ。
ドルガンも魔物に関しての教育は受けているが、あんな存在がいるなど聞いたこともない。
「……グランマムートだ! あいつは……ヒンメル高地の頂上近くに引きこもって出てこないようなやつなんだよ!」
「グランマムート……? しかしあの巨体は!」
「何かがおかしいんだ、あいつほどデカいのは俺だって見たことないんだよ! クソッ、もうこんな依頼なんかやってられるか、俺は逃げ──」
『Ooooooooo!!!』
金切り声で喋り立てる冒険者が癇に障ったのか、グランマムートと呼ばれた巨大な魔物はその鼻先で思い切り息を吸い込むと、氷塊を吐き出して、逃げ出した彼とそして周囲に展開していた騎士団の兵士たちを蹂躙する。
「ば、馬鹿な……各自散開だ、救助できそうな者以外は見捨てて構わん、とにかく時間を──グアアアアアッ!!!」
そして、グランマムートの長い鼻はただ雪を吸い込んで氷塊を吐き出すという力だけを持っているわけではない。
鞭のように薙ぎ払われるそれは巨体からの重量を合わせて、鉄の鞭が振るわれたかのごとく指示を出していたドルガンの鳩尾を穿ち、一撃の元に戦線を半壊させる。
化け物だ。
運良く生き残っていたマークは、物言わぬ骸と化したフォンロンと、そして自身よりも遥かに強かったはずのドルガンの遺骸を見遣って、涙目になりながらも逃走を選択した。
あれは指揮官を失ったこの部隊で勝てるような敵じゃない。
そして指揮官を失ったなら責任を取る人間だっていないということだ。
無茶苦茶な論理ではあったが、そう自らを正当化しなければとてもじゃないがやっていられない。
あの魔物は強すぎる。
本隊か、せめて、ピースレイヤー卿やクレバース卿ほどの実力者でなければ殺しきることなど不可能だ。
マークは全力でグランマムートとの距離を取りながら、それを王都に伝えるべく、支給されていたマジックアイテム──「風鳴りの羽」を天高く放り投げる。
自分だけ生き残った、というのがどれほどの重罪で、騎士として恥ずべきことなのかは分かっていても、今優先すべきはそんなことではない。
『PaOoooooooo──!!!』
猛り狂う山の化身が咆哮するのに怯えながら、マークの身体はマナとエーテルに一度還元され、そして王都の教会での再構築を迎えるべくして空に溶けて消えていく。
その後の部隊がどうなったのか、そして冒険者たちがどうなったのかなど、もはや語るまでもないだろう。
「すまない、皆……すまない……」
譫言のように呟くマークの言葉は、地吹雪にかき消され、そして曇天に還り、かつて開拓村だった場所の空へと見えないシミを作って霧散するのだった。
化け物には化け物をぶつけるしかないのでしてよ
【風鳴りの羽】……魔法師と僧侶が主にエンチャントすることで作り出すマジックアイテムにして、どんな場所からでも祝福を受けた教会へと帰還することができる優れもの。貴重品であるが故にマークへとドルガンから手渡されていたのは半ば保険のようなものであり、不幸中の幸いだったといってもいい。




