2.追放まで決定されたのですわ!
「ルヴィアリーラ、お前は自分が何をやったのかわかっているのかね」
婚約破棄を食らった翌日に、ルヴィアリーラは父親であるプランバン・フォン・ヴィーンゴールドの面前へと呼び出されていた。
ヴィーンゴールド家とガルネット家の婚約はこの家にとってはある種の悲願であることは彼女も理解していたし、だからこそ文字通り首を飛ばされる覚悟でこの場にも臨んでいるのだ。
しかしそれはそれとして、当人たちが愛し合った結果、自分という女にパルシファルが愛想を尽かしたのならばそれもまた仕方ないのではないかと、そこについてルヴィアリーラは一歩も譲るつもりはない。
「新たな夫婦の門出を祝ったまでですわ、お父様」
「……もう良い、お前はそういう女だったな」
思えば何度言ってもルヴィアリーラが冒険者の真似事をやめることはなかった。
豊かな胸を反らして堂々と宣言する愛娘の無鉄砲ぶりにプランバンは呆れかえって溜息を吐き出しながらも、どこかその一貫した姿勢には羨ましささえ感じていた。
貴族社会はしがらみと面子が交錯する修羅の巷だ。
取り分け、あのガルネット家のようにその血によって建国以来代々続いてきたそれと違って、ヴィーンゴールド家は魔法の才能で成り上がってきた、いわば泡沫貴族とでも呼ぶべき存在に過ぎない。
そして、プランバンの妻であったローズリーラ・エル・ヴィーンゴールドはルヴィアリーラを産んだ時に、その命を落としている。
男系の血筋が途絶えた以上、ヴィーンゴールドがその血を後世に残すにはルヴィアリーラがガルネット家に嫁ぐか、或いはプランバンが新たな妻を娶って男系の血筋を存続させるかの二択であった。
だが、プランバンもまた、娘ほどではないが、悪くいえば頑固で、良くいえば一途な男だったのだ。
この生涯において、燃えるように恋をしたローズリーラ以外に愛を捧げるつもりはない。
それがプランバンの立てた誓いであり、自らの命と引き換えにしてでも守らなければならないことであった。
だからこそ、ルヴィアリーラが無事にガルネット家へ嫁いでくれれば問題はなかった。
だが、心のどこかでプランバンはこうなることを予見していたのだ。
(私に似てしまったのが運の尽きか)
ルヴィアリーラの、絹糸のように細い金髪に赤い瞳というその容姿は生前のローズリーラに生き写しであったが、吊り気味の目元や何よりその無理無茶無謀無鉄砲な性格は、貞淑でいつも言葉数が少なかった妻と正反対のそれだ。
最近は貴族らしく館に篭ってこそいたものの、プランバンもまた成り上がりで貴族になった身だ。
前線に立つことを、戦いの矢面に立ち敵の首級を上げることで民草の盾となるというその高貴なる使命を果たすことを彼は否定していない。
だが、それとこれと建前の話は全て別物なのだ。
「ルヴィアリーラ、私はこの家を没落させるお前を追放しなくてはならない」
「……わたくしの命は取らない、と?」
「お前の首を取ったところで何になる。この家は元から──いやいい、だが、公衆の面前でこの家を、貴族社会を貶めたとあっては、一貴族として私はお前に罰を下さねばならんのだ」
これでルヴィアリーラを無罪放免にしましたとあっては、建前としては彼女の無能と貴族らしからぬ振る舞いを理由に婚約を破棄したガルネット家の沽券にも関わるだろう。
またくだらねえ政治の世界ですわね、と、ルヴィアリーラは嘆息する。
ただ、一応は自分が跳ねっ返りであることは理解しているし、曲がりなりにもパルシファルには世話になっていたので、強くは言い返せなかった。
むしろ今まで自分が何事もなく過ごせていたことの方に感謝すべきだし、今なら自分の首が飛ばないで済んだことだって望外の幸運なのだろう。
わかってはいた。
わかってはいたがわかるわけにはいかないとばかりに、異端の令嬢は静かに溜息をつくことでその返答とする。
「ルヴィアリーラ」
「わかっておりますわお父様、わたくしを追放なさるというのならば、それに異論もございません」
「ならば何故、子供のようにふて腐れている。お前はもう十六なのだぞ」
「わたくしはこの国を、民草を愛しております」
十六になれば成人として扱われる以上、行動に責任が問われるのは当たり前のことだ。
だがこの脳筋令嬢、本音を言えば理解よりも納得を優先することをその信条としているために、そういう面子や建前の世界をしゃらくせぇですわの一言に付してしまいたいのである。
そして娘のそんな思い込んだら一直線な、およそ貴族らしくない性格については父であるプランバンが誰よりもよく理解していた。
「……諦めろ、リィラ」
「歯痒いのですわ……」
「なればこそ、私はお前を追放するのだ。この意味はわかってくれるだろう」
愚行を犯した愛娘のことをまだ愛称で呼びながらも、プランバンが浮かべた笑顔には愛しさと諦観、そして悲しみが綯い交ぜになっていた。
しかし、ヴィーンゴールドの家は遅かれ早かれ没落していた。
それはプランバンもルヴィアリーラも理解していた事実だ。
魔法使いの家系に生まれながらも、ルヴィアリーラはどういうわけか魔法を使うことができない。
魔力がない、という訳ではないのは、彼女が五歳の時に受けた「洗礼の儀」で判明している。
むしろ規格外の、歴代で一番のそれを内側に秘めていながらも「法」として出力することができないだけで落ちこぼれと扱われるのは、プランバンとしても我慢ならないところではあった。
だが、例えば一国一城を築けるだけの財産が手元にあったとして、それが誰も開けることのできない金庫の中に仕舞い込まれていたのならば、そこに意味はあるだろうか。
金は持っていて嬉しいコレクションではない。魔力もまた同様なのだ。
だからこそ、「魔法使い」を家名の代名詞としているヴィーンゴールド家にとって、ルヴィアリーラという存在はどうしても落ちこぼれと評価せざるを得なかったのである。
それに加えてあの直情傾向、脳筋一直線で幼い頃から森から迷い出てきたゴブリンやオークの脳天を自慢の愛剣でかち割ってきたその奇行だ。
どんなにプランバンがルヴィアリーラを愛していたのだとしても、今回ばかりは貴族の身分を剥奪しての追放という形に収めるのが精一杯だった。
だが、ルヴィアリーラはこの家に、狭い貴族の世界に収まるような存在ではない。
プランバンは、それを誰よりもよく理解していた。
だからこそ娘の首が飛ばされないようにありとあらゆるものを差し出してでも、今回の追放処分を勝ち取ってきたのだ。
「と、仰りますと?」
「リィラ、世界を見よ。そしてこの家のことはもう忘れるのだ。お前は……お前として生きていくのが恐らく良いのだろうな」
「……わたくしが、わたくしとしてですか」
「ヴィーンゴールドの家にも王侯貴族の社会にも縛られない方がお前の性に合っているだろう。さて、父としては最後の言葉を贈ろう」
「……お父様」
「何か、餞別として望むものはあるか。私は最近めっきり目が悪くなってな。いつの間にかコレクションがなくなっていても気付かないかもしれん」
突き放すような冷たい声音で言い放ち、踵を返しながらもプランバンの言葉には、確かな最後の愛情が──父としてなし得る最後の仕事を為そうとする誇りが、ルヴィアリーラにもまた感じられた。
餞別をもらえるとは思っていなかった、というのがルヴィアリーラとしても正直なところだ。
とはいえ、許可を得られなければ無断で持っていくつもりだったから、その答えは決まっていたのだが。
「わたくしは……剣と衣をこそ望みます」
幼い頃から、どんな敵にも立ち向かってきた、何の属性も持つわけではなくただクソ重いだけのあの剣。
豪奢な宝飾が施されていながらも、魔法使いの家系だというのもあって蔵の片隅に転がされていたその剣、「星剣アルゴナウツ」と、今自身が身に纏っている母の形見である「聖衣ローズリーラ」をこそ最後の贈り物とすることを選んで、ルヴィアリーラは最愛の父へと、娘としての最後の言葉を送る。
「これは独り言だが……路銀はいらんのかね?」
「何を仰られているか聞こえなくて申し訳ない限りなのですが、わたくしは……先祖がしたように、この身を民草の盾とすることで生きることをこそ望むのですわ、ならば剣と衣、それ以外に何を取れと?」
「……そうか、ならば明日、お前を城塞都市ファスティラへと追放する」
出て行きたまえ、ルヴィアリーラ。
突き放すようなその言葉は、父としてのものではなく、プランバン・フォン・ヴィーンゴールドとしてのものだった。
「……今までありがとうございました、ヴィーンゴールド卿」
「……貴様のような娘に礼を言われる筋合いなどない」
「……それでは失礼いたします」
かくして、親子は断絶した。
滅びゆくこの家の未来と、確かに残した希望の狭間に波打つ想いに揺られながらも、親として子を捨てる悔しさにプランバンは拳を震わせる。
そして、毅然として父親の部屋を出たルヴィアリーラも、抱く想いは同じだった。
しかし、ごしごしと、眦に浮かんだ涙を拭いながらも彼女は高らかに宣言する。
「旧弊に縛られた貴族! 民草を気にかけることのない血筋だけが正しいというのなら、何が善で何が悪かは……わたくしが、このルヴィアリーラが決めるのですわ! なればこそわたくしは……間違ってなどいませんわ! わたくしは……っ……!」
──正しいことを、したのですわ。
その言葉は嗚咽に掻き消されて、静かに屋敷の壁へ透明な染みを刻む。
ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールド……否、「ただのルヴィアリーラ」の信念に偽りはない。
そして、一語一語を噛み締めるように言い放ったその言葉に何一つ嘘も強がりもない。
だが──いかに大人として扱われる年齢であろうとも、責任を全うする覚悟を持っていようとも、ルヴィアリーラはまだ、十六歳の少女にすぎないのだった。
そして追放RTAへ