19.ポーションを作るのですわ!
錬金術の基本はポーションからなる。
その言葉通りに、ユカリに告げた日程通りの草毟りを終えたルヴィアリーラとリリアは、回廊街道から帰還し、借りている冒険者の宿……ではなく城塞都市の城門近くに即席の焚火を作り上げてポーションを作り上げていた。
「本来であれば街の中でやる方が遥かに安全なのですけれど」
「……か、火気厳禁……って、言われちゃいましたから……」
「世知辛ぇのですわ……」
実際、できることなら宿で錬金したかったところなのだがリリアが苦笑混じりに呟いた通り、ユカリからもし宿が燃えた時の賠償金を払う覚悟があるなら、と事実上の脅しをかけられたのではどうしようもない。
今のルヴィアリーラたちの懐具合は生活水準を保って暮らすにも余裕があったが、流石に「東の森の主」の素材程度で賄えるほどファスティラ城塞都市の宿、そしてその建物代と賠償金は安くない。
それどころか放火扱いで物理的に首が飛ばされかねないのだから、仕方なくといった風情で門番を務めている憲兵から許可を得て、都市から程近い場所でルヴィアリーラはポーションを作っているのである。
「お前たち、錬金術師なのか?」
国軍からの依頼をこなす、ということでユカリに伺いを立てながらも外でならば、と彼女の言葉を代弁する形で許可を出した年若い憲兵──トムは物珍しそうに、釜の中に大量の草と水、そして水の元素の持つ力を引き上げるための「一年氷石」を詰め込んでいるルヴィアリーラの瞳を覗き込みながら問いかけた。
「ええ、正確にはわたくしルヴィアリーラが錬金術師で、こちらのリリアは親友ですわ」
「へえ……いや、錬金術師ってこの都市にもいるって聞いたけどさ、外に出てるヤツなんて見たことないから」
「……えと、その……」
「ん、リリアだっけ? 何か?」
「……そ、その……れ、錬金術の基本は……草毟り……じゃ、ない……んでしょうか……」
トムは外に出る錬金術師が珍しいと言っていたし、ルヴィアリーラもそんなことを言っていたのはリリアも覚えている。
だが、錬金術は基本を疎かにできるほど簡単なものではない、というのはルヴィアリーラを見ていればわかることだ。
だからこそ、商店に下ろすためのポーションを作っているのであろう彼らがどこからシンプレ草を購入しているか、というのが気にかかったのである。
フードを目深に被って顔を隠すようにしながら問いかけてくるリリアの様子を訝りながらも、冒険者など訳ありばかりかと割り切った上で、トムは楽観的な表情を浮かべて肩を竦めた。
「さあ? 君には悪いけどあいつら秘密主義だから……まあ行商人とか、噂じゃ錬金術師個人相手に商売する奴らもいるみたいだし、そいつらから買ってんじゃないかなあ」
「……そ、そうだったんですか……」
「ええ、リリア。それがアトリエを構えることのメリットの一つですわ」
ぼこぼこと泡立っている釜の中身をかき回し、魔力を送り込みながら、ルヴィアリーラはトムの答えに追従する形で言葉を紡ぐ。
アトリエと呼べるほど表立って商売をしている錬金術師はこの城塞都市ファスティラにはいないし、王都にもいない、というのはルヴィアリーラがユカリから聞いていたことだった。
そして、トムが言った通り錬金術師は秘密主義だ、というのもそう間違ってはいない。
錬金術が高度に体系化された学問かつ、それを修めるのが難しい上に、魔法師や僧侶が多い貴族たちからは異端視される魔術に分類される都合上、それを修めていることを隠す貴族の子弟やブルジョアジーの存在は思った以上に多く、ルヴィアリーラが異端なだけだ。
そして、初歩の錬金術を齧っただけの、いわゆる「ポーション作れます」ぐらいの錬金術師は表に出てこそいるがその扱いはほとんど日陰者で、そうした都合から冒険者でも「錬金術師」を名乗る人間はそうそういない、というのがこの国、否、この世界の現実だった。
「クラリーチェ・グランマテリアは広く門戸を開いたというのに、全く嘆かわしい限りなのですわ」
ルヴィアリーラは溜息をつきながらも、決して魔力を送り込む量を乱したりはしない。
そして錬金術が秘密主義へと傾倒しやすいのはそういった世情の都合もあるのだろうが、その終着点はまさしくそのクラリーチェが、そしてその姉である開祖カリオストロが証明した通り、「あらゆる物を理解し、あらゆる物を分解し、あらゆるものを『再解』する」ことができるというところに行き着くのだろう。
「等価交換の原則を無視したエリキシル、そしてそこから発展する『グランマテリア』……賢者の石。秘密にしたい気持ちもわからないわけではありませんが、学問や知識というのは持ってて嬉しいコレクションじゃありませんことよ」
「……え、えりきしる……ぐらん……まてりあ……?」
「何つーかその時点で何言ってっかわかんねーし、やっぱ錬金術師も俺らみたいなのを相手にしたくねーのかなぁ」
ルヴィアリーラが何ともなしに捲し立てた専門用語の数々にリリアは頭からぷすぷすと黒煙を上げんばかりの勢いで困惑して、そしてトムは諦めたように小さく笑った。
俺、馬鹿だからさあ。
自嘲する彼の言葉には、だからこそ騎士の位を貰えず、いつまで経ってもこんな門番をやっているんだとばかりの哀愁が漂っていた。
しかし。
「ノンノンですわ!」
「は?」
「……ルヴィアリーラ、様……?」
手早く、ぐるぐると仕上げに釜をかき回す工程を行いながらもルヴィアリーラは得意げに豊かな胸を逸らして高らかに宣言する。
そうだ。
わからないのなら、わかるようにすればいい。
それが言うほど簡単なことではないのなど百も承知だ。
だが、そうでなければクラリーチェ・グランマテリアが後世の人間へと体系化された錬金術を残した意味がない。
ルヴィアリーラはこほん、と小さく咳払いをすると、その錬金術における終着点を端的に換言してみせる。
「要はくっだらねぇことに、錬金術やってるといつか超すげぇものができるから秘密にしとこう、ってだけですわ! そして錬金術は難しいかもしれませんわ、しかして昔の偉い人がちゃんと教科書を作ってくれている、だからいつか誰もが錬金術師になれるのかもしれないのでしてよ!」
エリキシルだの賢者の石だの難しいことを言わなくとも、わかりやすくいうならば儲け話というのは誰かに話すより黙っておきたい、というだけのことだ。
しかし、クラリーチェはそれを良しとしなかった。
カリオストロの方は他人にあまり関心がなかった上に、弟子たちに対してもあまりいい振る舞いをしたことがなかった、と後世の伝記に記されているのが真実かどうかはわからない。
だが、儲け話の例えが不適切だというのなら、探求者というものは往々にしてそれだけを目的としているから、他人に教えている余裕がない、というのもまた、ままある話なのだ。
「へえ……それなら俺でもわかるな、確かに賭けポーカーで絶対勝てる方法があったら、教えたくねぇし」
「……貴方、賭博やってらっしゃいますの?」
「あっやべ、ごめん、ちょっとこれなしで! ノーカン!」
憲兵ともあろう者が賭博に関わっていたとなれば法に背くことになるだろう。
一瞬鋭くなったルヴィアリーラの眼光に、トムは背筋を震わせながら慌てて無かったことにしようと発言を取り消した。
「……くすっ……」
「リリア?」
「……あ、ご、ごめんなさい……その……なんだか、トムさんが慌ててるのが……」
「おいおい勘弁してくれよ、こっちは死活問題なんだぜ?」
それを見ていたリリアは相変わらずフードで顔を隠してこそいたが、その薄い唇は微かな三日月を描き、笑い声が漏れ出ている。
──なんだ、貴女、ちゃんと笑えているじゃありませんの。
がくりと肩を落として泣き落としにかかるトムと、そして蕾が綻んだように笑っているリリアに引きずられて、ルヴィアリーラもまた、小さな苦笑を浮かべるのだった。
「仕方ありませんわね、リリアの笑顔に免じて聞かなかったことにして差し上げてもよろしくてよ」
「おお、神様ルヴィアリーラ様……いや本当ありがとう、憲兵までクビになったらやってけねぇよ」
「でしたら賭博なんて程々にしなさいな、胴元をやるしか、確実に勝てる方法なんて存在しなくってよ」
相変わらず賭博自体はする気満々なトムに呆れつつ、ルヴィアリーラは錬金術もまた同じだと、出来上がったポーションを釜から引き揚げて、納品用の箱に詰めながら唇を尖らせる。
錬金術はそのエリキシルへ、賢者の石へ至る、つまり真理の探究こそを最終目標としているのだが、そこに一足飛びで駆け上がることは難しい。
ルヴィアリーラだって、天賦の才こそ、その身にあれど、何度もポーション作りに失敗した上でここにいるのだ。
それにそもそも憲兵がどうこういうなら、トムは今も任務をサボっているのに等しいのだが、その辺りについて触れるのは野暮なのだろう。
ルヴィアリーラもリリアも暗黙の了解とばかりに、きっと今日の任務が終わった後に酒場へと駆け込むことを考えているのであろうトムを見遣って苦笑する。
「さてと……これで百個、ポーションが出来上がりましたわね」
そして、出来上がった大体八箱分と少しのポーションを一瞥して、ルヴィアリーラは額に浮かんだ汗を拭う。
この辺りで採れるシンプレ草と一年氷石の中では比較的品質が良いものを使って作っているが、果たして皇国側が求めている水準にあるのかどうかはわからない。
「……え、えと……わたし……鑑定、しますか……?」
「ええ、是非ともお願いいたしますわ、リリア」
そんなルヴィアリーラの一抹の不安を見抜いたのか、リリアはおずおずと手を挙げて、魔法の行使を提案した。
鑑識測定の魔法は、鑑定の魔術と比べてより詳しく対象の状態が分かる。
ルヴィアリーラはそれをはっきりと理解しているわけではないが、リリアにできることがあってかつ、初めて彼女が自主的な提案をしてきたことが喜ばしかったのだ。
だからこそ、ポーションの鑑定については彼女に一任することにしたのだ。
「『鑑定せよ』……!」
本来であれば詠唱を必要とする魔法だが、リリアはどういうわけかそれを破棄した上で並の魔法師が完全詠唱を使った時かそれ以上の力を発揮できる。
それは彼女が持つ「虹の瞳」に由来するものなのだが、ルヴィアリーラも、そして何よりリリア自身もそのことはわかっていない。
ただ、ルヴィアリーラの役に立ちたい。
だからできることをする、という感覚で、リリアは並の魔法師やそれを生業とする鑑定士が裸足で逃げ出すような精度の鑑定を成し遂げてみせた。
【ヒーリングポーション】
【品質:良い】
【状態:新鮮】
【備考:強い水の魔力を感じる、普通のものよりもよく傷を癒してくれるだろう】
鑑定結果を作り出した水の鏡へと映し出し、リリアはどこか怯えたように、そして縋るようにその虹の瞳でルヴィアリーラを見据える。
「成果は上々、といった具合ですわね! 感謝いたしますわ、リリア!」
「……あ、えと……は、はい……ありがとう、ございます……えへへ……」
そうしてどこか求めるように差し出してきたフード越しの頭を、ルヴィアリーラはいつもの通りに優しく撫でて、長い前髪に隠れていたリリアの額へと親愛のベーゼを落とす。
リリアの鑑定結果の通り、このポーションが普通よりも傷を大きく癒してくれるのであれば、国軍も決して悪い評価はするまい。
そんな具合に、焚火を消してから、箱に収まりきらなかったものをポーチに詰めて、ルヴィアリーラはしめて十二個を一纏めにした箱を八つ一息に城塞都市の内部へと運んでいく。
「なんか色々濃い奴らだったなあ」
トムはその背中を見送りながら、唐突に咲き乱れた百合の花に困惑しつつも、独り身な自分を省みて、苦笑と共にそっと溜息をつくのだった。
リリアは甘えたがりなお年頃なのですわ!