15.それは小さな奇跡と魔法、なのですわ!
ナチャーロの森、その最奥の湖に根差して佇む巨大樹は、確かに神木と呼ぶのに相応しい威容を誇っていた。
リリアと風の精霊による対話で導かれた先に広がっていた風景は、確かに村人たちが信仰を持つのにも頷けるほどに美しいものであったのだが、考えてみればあの森の主はここを縄張りにしていたのである。
「そう考えるとわたくしたちは幸運だったのか不幸だったのかわかりませんわね」
「……う、うーん……そ、それは……」
「まあ過ぎたことは仕方ありませんわ、今はとにかく栄養剤! ということで早速やってみせますわ! こほん、『鑑定』!」
ゴブリンとボガードが畑を荒らした主犯であった場合も遅かれ早かれここには来ることになって、そしてあの森の主とは相対していたのだ。
加えて、ここが湖という都合上、村で戦ったときのようなバイタリティポーションを着火剤の代わりとした攻撃も効果が見込めない以上、不謹慎でこそあるが水気のない、開けた場所でかの熊の王と戦えたのはルヴィアリーラたちにとっては幸運であったといえるのかもしれない。
しかし、その結果として村人たちが不幸になってしまったのでは本末転倒だ。
ルヴィアリーラは御神木に「鑑定」のスキルを発動させて、採取できそうな中で何が一番土の元素を強く含んでいるかを探知する。
「ふむふむ……なるほど、あの御神木の実は栄養剤の材料として申し分ありませんわね」
天高く聳えるその枝に実った黄色い果実は、神木がその恵みを分け与えて新たな森を作る種子として生み出したものだ。
ならば土の元素が多く含まれているのも納得できる。
そして、何故あのキンググリズリーがここを縄張りにしていたのか、その答えはきっとあの果実にこそあるのだろうと、ルヴィアリーラはそう推測した。
実際、彼女の推理は間違っておらず、キンググリズリーはこの湖周辺を縄張りとして、熟れて落下する果実を主食としていたために人里へと分け入ってくることはなかったのだ。
そして、かの森の主と例えられるような怪物であったとしても、天高く聳える御神木の枝から果実を直接盗み取るのは難しいのだろう。
「もしかして……落ちてる果実を、全部食べちゃったから……」
「その可能性はありますわね、しかしそうなるとわたくしたちにも大問題ですわ」
ルヴィアリーラは豊かに実りながらもまだ熟れ落ちる時期ではないとばかりに、枝にしがみ付いているそれらを一瞥しながらぐぬぬ、と唸る。
木登りは得意な方だし、魔物に対して奇襲をかけるために木の上から飛び降りてのちぇすとをぶちかました経験もあった。
だが、木登りというのは得てして行きは良い良い帰りは怖い、を地で行くもので、ルヴィアリーラがその重力落下式天誅を下した時も着地を誤って盛大に膝を擦りむいて、プランバンから烈火の如く怒られたことは、彼女の記憶に染み付いている。
要するに御神木を登って果実をもぎ取った上で地上に帰還する、というのは中々難しそうだ、ということだ。
「水がありますけれど、あの高さから落ちれば痛ぇのは変わりませんわね」
「……でも、そんな高さから落ちて……果実は、大丈夫なんでしょうか……」
「鋭いですわねリリア、あれは恐らく硬い皮に覆われているのですわ、そして熟れ落ちた時にその皮が割れて中身が露出する……そこを恐らくあの熊は狙っていたと考えられましてよ」
脳筋式解決法を探っていたルヴィアリーラに、リリアは恐る恐るといった調子でそう問いかけた。
実った果実の生態を気にする辺りリリアもまた観察眼や好奇心は強い方なのだろう。
それは極めて好ましいことだ。
自身が錬金術や剣術を身につけた時、プランバンからそうしてもらったようにリリアの頭をフード越しにそっと撫でながら、ルヴィアリーラはどこか妹ができたような気持ちで、気が弱くとも優しく、そして頑張り屋なリリアの行いを肯定する。
「……ん……あ、えと、ごめんなさい……その、ルヴィアリーラ様……」
「何を謝るのです、リリア。さて、流石に御神木ともあれば蹴っ飛ばして解決するのも気が引けますわね」
どこか甘えるように身を差し出したことを恥じ入るようにびくりと両肩を震わせて、すっかり定位置となった半歩後ろに退がるリリアへと苦笑を向けつつ、ルヴィアリーラは脳筋式解決法の極致と呼ぶべきプランを口に出した。
とりあえずとばかりに「躯体強化」のスキルを発動してから、全力で御神木の幹を蹴り飛ばせば、熟しきる直前の一個ぐらいは落ちてきたりしないだろうかと、ルヴィアリーラはそう考えていた。
とはいえ流石に村人たちからの信仰の対象となっている木を蹴りつけるというのは後でバチが当たりそうだし気が引ける。
それに、ルヴィアリーラの蹴りで果実が落ちてきてくれるなら、あのキンググリズリーだってそうしていたことだろうし、癇癪を起こして人里へと分け入ってきたりはしなかっただろう。
「……しかしわたくし、本当に物理的な解決法しか浮かびませんわね!」
魔法が使えないのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、それでもルヴィアリーラが錬金術の他には、「身体強化」をはじめとした肉弾戦向きの魔術しか習得してこなかったのには理由がある。
魔力のルートパスは、生まれ持った魂の適性も大きく関係するが、その行使においてはイメージによって開かれる部分が大きい。
例えば火の初級魔法を使おうと試みた場合、自分の掌から炎の球が出てくるところをイメージし、その軌跡を脳裏で、そして魔力でなぞることができるか。
ルヴィアリーラは、錬金術という「物質を還元し、他の物質へと再構成する」というイメージを描くのは得意だったのだが、世の魔法師たちが蔑んでいる、魔法の劣化品としての魔術についてはてんでダメだったのだ。
辛うじてイメージできたのは、物理的な動きに関するものや動きを伴うものである。
端的にいえば、魔法師としてこれ以上ないほどの魔力適性を持ちながらも本人の性格や魂の傾向としては騎士と錬金術師の方にブレている、というのがルヴィアリーラという女だった。
「リリア、そこで貴女の力を借りたいのですわ」
「……わ、わたし……ですか……?」
「ええ、先程風の精霊と対話していたように、貴女には魔法師として類稀なる素質を感じますの。でしたらなんとかなるのではなくて?」
魔法が使えないから具体的にどうするかとかは専門外ですけれど。
どこか自嘲するように肩を竦め、そしていつもの高笑いを上げるルヴィアリーラが、いつも通りでないことはリリアにも想像がついた。
否、きっと、ルヴィアリーラが「いつも通り」であったことなど今まで一度もないのだろう。
時々、主に言動が怪しくなることはあれど、彼女の振る舞いは貴族的な優雅さと気品に満ち溢れたものだ。
そんな彼女が冒険者をやっているというのは、自分と同じような、何かしら切羽詰まった理由があるのだろう。
(それに……ルヴィアリーラ様は、わたしと……同じだ、って……)
自身を救い上げてもらったあの時、確かにルヴィアリーラがそう呟いていたことをリリアは確かに覚えている。
──役に立ちたい。
それは、リリアの心の中にずっと根差していた思いだった。
小さい頃に、愛されなかったのはきっと自分が両親の期待に添えなかったからだろうと、リリアは生まれの不幸を抜きにそう考えている。
そして、リリアーヌ・アイリスライトという名前すら剥奪された「28番」だった時代にも、「誰かの役に立つ、喜ばせることをしなければ価値はない」と教え込まれてきた。
ならば、ルヴィアリーラの、誰かの役に立つことが自分の存在を証明することになるなら。
リリアは静かに目を伏せて、意識を集中する。
誰でもいいから愛してほしかった、などと宣うつもりは毛頭ない。
それでも、役に立てない自分を、ずっと気持ち悪がられてきた虹の瞳を見ても何も言わなかった──否定しなかったのはルヴィアリーラだけだ。
なら、その恩に報いたい。自分が今ルヴィアリーラに必要とされているのなら、もらった分を返したい。
その一心で、リリアは世界の法則、神々の作り出したゴールデンルール・パスへと乞い願う。
「……そ、その、えと……」
「ええ、リリア」
「……な、なんとか……して……できない、かも、しれませんけど……なんとか……! がんばり、ます……っ……!」
──ルヴィアリーラ様の、ために。
リリアは確かにそう口に出して、願うことで開かれた神々の世界からこの地上へと開く法則へのルートパスとなる言葉を口走る。
「──『風よ』!」
その言葉と共にリリアが樫の杖を掲げた瞬間、巻き起こった旋風が神木の葉を巻き上げて、枝に結びついていた果実を地面や水面へ、無造作に叩き落としていく。
忌み子として扱われていたリリアは、当然だが魔法の教育など、ほとんど、全くといっていいほど受けていない。
だが、それでも、リリアにはどうすればそうなるのかがわかっていて、そして、わからなくとも「乞い願う」ことでそれを理解することができた。
故にこそ、彼女は今、風の初級魔法をぶっつけ本番で発現させて見せたのだ。
「……で、でき……た……? できまし、た……!」
自身の巻き起こした旋風でフードが捲れ上がって、露わになった虹の瞳に浮かび上がる困惑が、実感と共に喜びへと変わっていく。
じわり、と涙を滲ませて、リリアはその癖の強い銀の長髪を旋風の残滓に靡かせながら、ルヴィアリーラへとその事実を、「なんとかして」みせたことを告げる。
落下した果実はまだ熟していないということもあり、硬い皮に覆われているが、錬金術の材料に使うのだから好都合だ。
子犬のように、きっと尻尾があったら全力で左右に振り回していたのであろうリリアが満面に笑みを浮かべていることそれ自体にルヴィアリーラは唇を綻ばせながら、確かに彼女の言葉へと答えを返す。
「ええ……貴女のおかげですわ。感謝いたします、リリア。やっぱり……貴女は最高ですわね! 流石はわたくしの親友、なのですわ!」
ぎゅっと、自身と同じように出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるリリアの細い身体を抱きしめながら、ルヴィアリーラは彼女に頬をすり寄せた。
「……え、えへへ……ごめんなさい、わ、わたし……わたし、褒めてもらったの……いつ、以来か……わからなくて……嬉しい、のに……涙が……」
「こんなのお安い御用ですわ! 人が頑張ったら褒めるのなんて当然でしてよ! それに今回の件、貴女がいなければわたくし詰んでおりましたのよ、リリア」
「……ルヴィアリーラ、様……」
「貴女が頑張ってくれた。ならば……今度はわたくしがそうする番なのですわ」
改めて、ありがとう。
リリアの額に信頼と親愛、そして感謝を示すベーゼをそっと落として、ルヴィアリーラ彼女が潤ませる虹の瞳を覗き込む。
ああ、本当に。
不謹慎なのかもしれないけれど、そこに湛えられた七色はきっと綺麗だと、そう思ってしまうのだ。
──そして、彼女と出会わなければ、自分は野垂れ死ぬ定めにあったのだろう。
そんな、リリアの傷に触れてしまうであろう言葉と、小さな弱音をそっと胸の内側に仕舞い込みながら、ルヴィアリーラは落下した果実を拾い上げ、彼女の奮闘に報いるべく、錬金術師としての決意を固めるのだった。
ルヴィアリーラもまた何かに飢えている人なのですわ