14.リリアは頑張り屋さんなのですわ!
ナチャーロの森は、村を出て半日もかからない場所にその入り口を構えている。
川と隣接した肥沃な土地に支えられた森林は、様々な恵みを村の住人、ひいては現物による徴税や輸出という形で様々な人々に分け与えていた。
だが、それはあくまでも森の浅い部分に限る話だ。
整備された道が途切れ、辛うじて獣道が残されているだけに留まった、森の中間地点までルヴィアリーラとリリアは辿り着いていた。
道中で様々なアイテムを採取し、その「御神木」から取れそうなものを想像しつつ、ルヴィアリーラは村人によって印の付けられた木を目印に、森の深部へと分け入っていく。
「釣果は上々といった具合ですわね」
「……上々、ですか……?」
「ええ、あの熊がわざわざ人里に出てきたということは、餌の類を食い尽くしたのかと思っておりましたのに、動物や魔物もいた……それが若干不可解ではありますけれど」
追放される前にあらかじめ錬金していた万能鞄に詰め込まれた素材を確認しつつ小首を傾げるルヴィアリーラだったが、リリアもまた同じ違和感は抱いていた。
森の奥を縄張りにするような魔物が人里まで出てくるケースはそう多いものではない。
リリアの瞳、その虹がなせる御業である「乞い願うことによる魔法の発現」、つまり詠唱を破棄した上での魔法の行使という極めて高度なそれで発動していた「環境観照」によって彼女は森に息衝く生き物の種類や数をある程度把握している。
それが標準的なものかどうかはわからないが、ルヴィアリーラが口にした通り「食い尽くされた」印象がないことは確かだ。
「……ど、どうして、あの魔物は……人里に現れたのでしょう……え、獲物だって……いっぱい、いるのに……」
「わかりませんわ!」
「え、えと……その、る……ルヴィアリーラ、様……?」
しかしリリアも、そして自身も抱いていたはずの疑問をルヴィアリーラは驚くほどあっさりとその一言で切って捨てて、豊かな胸を支えるように腕を組んでふんす、とどこか得意げに鼻を鳴らした。
「考えてもわからないのなら、考えても仕方ありませんわ。とりあえず今のわたくしたちの使命は栄養剤を作ってあの村の畑を復興させることでしてよ、違いまして?」
「……そ、それは……そう、です……」
「ですが考えることは悪いことではありませんわ、リリア。だからわたくしは栄養剤を第一に考えている、それだけの話ですわ」
要するにリリアを責めているわけではない、ということなのだろう。
ルヴィアリーラにはルヴィアリーラの果たすべき役割があって、そしてリリアにも、もしかしたら、それは何かあるのかもしれない。
今はただ、ルヴィアリーラが素材を採集することを手伝ったりするだけかもしれないが、いつか、何か。
しゅん、と一瞬出かかった涙を押し込めて、ごしごしとリリアは眦を拭う。
今はいてくれるだけで勇気になる、というルヴィアリーラの言葉を疑っているわけではない。
だが、リリアがあのキンググリズリーとの戦いにおいて何もできなかったのは確かなことだ。
だからこそ、何か──その一心でリリアがきょろきょろと周囲を観察しながらルヴィアリーラの後ろをついて歩いていた時だった。
「これは……困りましたわね」
「木が……倒されて……」
獣道の一部を通ってあの森の主は村に現れたのだろう。
その災禍の爪痕は、村人たちが作り上げていた目印をなぎ倒してしまっている。
加えて厄介なのは正規の道中に「森の主」の痕跡が少なかった以上、彼は不規則に移動していた可能性が高く、木が倒れた方向、そこが御神木に通じているとは限らないことだ。
とりあえずは直進すれば森の奥へと向かうことはできるのかもしれないが、鬱蒼と茂る森の中で闇雲に進むことは、博打どころか下策でしかない。
「さて、どうしたものかわかりませんわね……」
ルヴィアリーラは唸り声を上げて小首を傾げる。
自身の保有している魔術の殆どは戦闘向けに特化したもので、せいぜい採取や移動の時に「躯体強化」を使っているだけだ。
もしもこの場に錬金窯と然るべき素材があったならば、何かしらを作り出すことで事態の打開を試みることができたのだろうが、そこになければないのだからどうしようもない。
こうなれば、その辺で拾った棒でも倒してその向きに進もうか、と、ルヴィアリーラが危険な方向に腹を括ろうとした、刹那。
「あ、あの……そ、その……る……ルヴィアリーラ、様……」
「ん? どうしましたの、リリア?」
「……え、えと、その……あ、あの……わたし、風の精霊さんに……訊いて、みたんです……」
そしたら、こっちだ、って。
震える手に握っていた樫の杖でそのまま真っ直ぐに道を指し示して、リリアはびくびくと怯えながらもルヴィアリーラへと、行くべき道を指し示してみせる。
魔法の詠唱破棄と同じだ。
リリアが持って生まれてきた虹の瞳は、生家においては忌み子──「魔女」の証であった。
だが、それは裏を返せば、彼女が様々な魔力と適合しうる万能の可能性を持って生まれた稀有な存在であることの証明に他ならない。
ぶたれたらどうしよう、生意気だと殴られたらどうしようと、疑いたくないのにルヴィアリーラを疑ってしまう自分に嫌悪を抱き、涙を滲ませながらも、リリアはそれを取り消すことなく、行くべき道を指し示し続ける。
「リリア」
「……は、はい……! ご、ごめんなさい、でも、わ、わたし……そ、その……ルヴィアリーラ、様の……お役に……お役に立ちたくて……」
「貴女、最っ高ですわ! 流石ですわね!」
──わたくし、魔法が使えないからこの木が倒れた方向に進もうとしておりましたのよ。
そんなことを恥ずかしげもなく宣って、向日葵のような、そうでなければ、窓から差し込む木漏れ日にも似た笑顔を満面に浮かべて、ルヴィアリーラはリリアを包み込むように抱きしめた。
「……る、ルヴィアリーラ……様……そ、その……わたし、なんか……」
「やはりわたくしの目に最初から曇りなどありませんでしたわ! リリア!」
「……は、はい……」
「貴女なんか、ではありませんわ。貴女だからこそ! わたくしはこの夢に……この国で一番でっかいアトリエを建てるという夢へと共に乗り込んでくれるかと問いかけたのですわ!」
「……っ……!」
リリアは家族からもその命を、存在を否定されて育ってきた。
売り捌かれた先では、命の価値を認められながらもそれはあくまで将来買い取られる主人の道具としてのものであり、個人としてのそれにはなんら価値がないと、教え込まれてきた。
だがルヴィアリーラは、そんな事情など関係ないとばかりにリリアを抱擁し、ずっと蔑まれ続けてきた、或いは好奇の目で見られ続けてきた虹の瞳について何かを語るでもなく、ただ黙することを親愛の証として、頬をすり寄せている。
「……え、えへ……へ……えへへ……どう、すれば……いいんでしょう……涙、止まら、なくて……ごめんなさい……申し訳、ありません……ルヴィアリーラ、様……」
「嬉しい時に流す涙ならば、幾らでも流しなさいな。悲しい時も同じですわ。リリア……貴女は自由なのでしてよ、それが信じられないのなら、ルヴィアリーラがこの名においてそれを保証いたしますわ!」
とはいえ今はただの素寒貧ですけれど!
そんな自慢にもならないことだって、ルヴィアリーラが得意げに口にすれば途端に、ネガティブなイメージが消え失せて、「這い上がるための好機」とさえリリアにも捉えられるのだから不思議なものだ。
きっとルヴィアリーラ本人は、本気でそう思っているのだろう。
貴族の身分を剥奪されても、冒険者に身を窶しても、爛々と心の奥で輝く紅宝石の炎は決して消えることはない。
だから、今はまだ自信がなくとも。
──いつかは、ルヴィアリーラのようになれるのだろうか。
違う。なれたらいいな、と、リリアはこの時心の底からそう思っていた。
嬉しさ、幸せ。
まだ名前を知らないその感情にぽろぽろと涙をこぼしながら、リリアはルヴィアリーラの気高い温もりへと縋るように、回された腕に少しの力を込めて、差し伸べられた想いをそっと抱きしめ、噛み締めるのだった。
悪役の濡れ衣を着せられて追放されてもポジティブな元令嬢がいるらしい