10.改めて冒険者になるのですわ!
手続きとはなるべく簡便でかつ、強固なものであることが望ましい。
酒場と併設されている冒険者ギルド、そのファスティラ城塞都市支部で一人、羊皮紙に羽ペンを走らせながら、東方系とのハーフである金髪の女性──ユカリ・オーレイテュイアは小さく溜息をつく。
片目を瞑って視界の先にあるものを覗けば、そこには書類の処理に忙殺されている彼女のことなど知ったことかとばかりに冒険者たちがどんちゃん騒ぎをしている姿があった。
言ってしまえば、冒険者ギルドが管理している彼らの身分はある種の戸籍のようなもので、王侯貴族はあまり関心を払わない層が集っている以上、その素性調査などは概ね組合側に丸投げされているといってもいい。
冒険者として、身分を登録することは極めて簡単だ。
申請を出してそこに名前を書いた上で、「洗礼の儀」と同じような「鑑定」のスキルをギルドの代表者から受ければ、日によっては一時間足らずで完了する。
だが、あまりにも身なりや所作が怪しい人物についてはこうしてユカリがやっているように、ギルド側が素性を追って調査した上で申請が取り消され、冒険者の身分が剥奪されるということもありえる。
因みにそれが決定するのは早くとも三日を要するものだ。
簡便で強固、そんな矛盾した手続きは概ねユカリたちのような中間管理職が呑んだ涙によって成り立っているのだが──まあ、仕方あるまい。
「失礼いたしますわ! こちらで冒険者への登録ができると聞き及んでわたくしルヴィアリーラは参りましてよ!」
「……あ、あわわ……る、ルヴィアリーラ、様……その、声が……」
いつものことだと、素性を調べて問題がなかった人物の名前にユカリがチェックをつけたその時だった。
よく通る、最近の冒険者にしては珍しく、良くいえば世間擦れしていない、悪くいえば直球でバカみたいにデカい声が響き渡ったのは。
喧騒へと水を刺されたことを咎めるように冒険者たちの視線は来訪者──ルヴィアリーラとリリアへと突き刺さるが、どこ吹く風といった風情にルヴィアリーラは悠然と、ユカリが腰掛けているカウンターへと歩み寄ってくる。
その所作はクソでかい声で非常識な挨拶をした人間と同一視するのが難しいほど様になっていて、ユカリは厄介ごとへの予感に頭を抱えつつも、来訪者ルヴィアリーラをいつもの営業スマイルで出迎えるのだった。
「はい、ここが冒険者ギルドで間違いありません。ルヴィアリーラ……さんでしたよね? お連れの方も、冒険者としての登録ですか?」
「いかにもその通りですわ、親友のリリア共々よろしくお願い申し上げますわ、と言いたいところですが……少しばかり水を差してしまったようですわね、ごめんあそばせ」
「……り、リリア……リリアーヌ……いえ、その、リリアです……その……ごめんなさい……」
優雅にドレスのような衣装の裾を摘んで冒険者たちに一礼するルヴィアリーラの所作と、対照的に怯えながらフードを目深にかぶって自身へと頭を下げるリリアの対称性に、ユカリは一瞬、温度差から風邪をひきそうな感覚に陥ってしまう。
だが、問題児が来るのなど珍しくはない。
落ち着けと、そうだ、いつものことだと、多少唇の端を引きつらせながらもユカリは営業スマイルを維持した上で、二人にカウンター下から取り出した羊皮紙を必要な枚数分手渡して、いつものように熟れた説明口上を述べる。
「登録でしたらそこにお二人のお名前を書いて、左上の四角い枠のところにこちらの朱肉で拇印していただければ完了しますよ、あとはお二人に『鑑定』を受けていただく必要がありますが……今日は新規登録者がお二人の他にいらっしゃらないので、私が担当しますね」
カウンターに運ばれてくる酒場側からのオーダーを捌きつつ、ユカリはルヴィアリーラとリリアが記名と拇印を終えるのを待つ。
冒険者ギルド、その組合には入るのも簡単だが追い出されるのも簡単だ、とはルヴィアリーラも事前の知識で聞き及んではいた。
自身やリリアの素性が知れれば追い出されやしないか、という不安は当然のようにある。
だが、それでも冒険者をやらなければアトリエ経営どころか食い詰め者になってしまうのだから、出来ることといえばせいぜいお祈りをするぐらいしかない。
(流石にこればかりはなるようになれ、としか言えませんわね)
もしもそうなったら、野垂れ死ぬしかないだろう。そんなことは容易に想像できる。
だが、ルヴィアリーラはそんな一抹の不安をおくびにも出さず、慣れた手つきで署名と、同時に差し出された朱肉での拇印を終えると、自身の名を書くのにも手間取っているリリアの方をそっと見遣った。
「え、えっと……り、リリ、ア……」
リリアも一応、売り飛ばされるまで最低限の教養は学ばされた。
だが、字など書くのは何年ぶりだかわからない。
震える指先で、羊皮紙にインクの染みを作りながらもリリアはなんとか自分の名前を記した上で、ルヴィアリーラがそうしていたようにぺたり、と、朱肉に置いた自身の親指で判を押す。
どうやら手伝う必要はなさそうだと、ルヴィアリーラは小さく笑って、酒場のウェイター、その統括も兼任しているのであろうユカリへと二枚の書類を差し出した。
「これでよろしくて?」
「名前、拇印……はい、これで手続きは完了です。あとは鑑定の儀ですが、お二人は私についてきてください」
受け取った書類を、貼り付けた営業スマイルを顔面にまま少しけだるげにチェックしたユカリは、カウンター脇に設置されたバーを跳ね上げて、受付の後ろにある小部屋へとルヴィアリーラとリリアを案内する。
一応、個人の持っているスキルだとか魔法だとかそういったものはプライバシーに関わるものだ。
その性質上、傭兵稼業に手を出して同じ冒険者同士で対立するということも珍しくない彼らの多くは、自らの技能が他者に暴かれることをあまり好んでいない。
ましてや衆目に晒すとなれば尚更だろう。
だからこそ、こうして「鑑定の儀」を執り行う時は個別の部屋で行うと、半ば慣例的に決められている。
だが、それ自体が何かルヴィアリーラにとって影響を及ぼすわけでもない。
いつも通りにリリアの手を取って、ルヴィアリーラは彼女を小部屋へとエスコートするように、ユカリが開いた、壁に擬態した扉を潜る。
「強い水の魔力を感じますわね」
「はい、どんな冒険者の方でも一度はこうして『鑑定』を受けていただく以上、なるべく多くの情報をギルドとしては把握しておかなければならないので」
でないと、もしもの時とか大変なんですよ。
どことなく実感のこもった言葉と共に、ユカリはがくりと肩を落として偽装扉をぱたりと閉じた。
実際、ギルド側が名前だけではなくスキルだとか能力を今回だけでなく、都度把握するように努めているのはその制度に、具体的には冒険者ランクの昇格に関わる話だから、というのもある。
だがそれ以上に大きいのは個人の識別という目的だ。
ありふれた名前の冒険者が姓を名乗らず登録して、依頼先で戦死したという情報がもしも組合にもたらされた時、例えばそれが「ボブ」という名前の冒険者であったならどの依頼を受けたどのボブなのか、という把握を迅速に行うために、鑑定の儀は存在しているのだ。
しかし、そんな事情は露とも知らず、小部屋をぼんやりと照らす、水の魔力を秘めた水晶が描く六芒星を一望しながらルヴィアリーラはユカリへと問いかける。
「『鑑定』の魔術ですの? 魔法ではなく?」
「魔術の方が色々と簡単なんです、魔法だと私の場合詠唱が必要なのと、あとはまあ、あんまり大きな声では言えませんけど、魔術だの魔法だの拘ってるのは王侯貴族と魔法師協会の方々ぐらいなので……」
「把握しましたわ、確かに一理ありますわね」
「結果が同じならなんでもいいんです、さあ、始めるのでそこにお二人は立ってください」
魔術と魔法に違いがあるとするなら、それが人の作り上げた方程式か、神の定めた黄金律かという違いだけだ。
そう断言してしまえば世に蔓延る魔法師や僧侶、そして信徒とはいえずとも神への信仰を重んじる傾向が強い王侯貴族は怒り狂うのだろうが、魔力を使って現世に何かしらの結果を出力するという点では変わりはない。
だが、「事象」に対しての発現において、人のイクエイションは神のゴールデンルール・パスを上回ることはできない。
だからこうして、わざわざ魔力を増幅する方陣と触媒を使った部屋、いってしまえば「鑑定のアトリエ」まで冒険者ギルドは作り上げているのだ。
事情はともかく、ルヴィアリーラも貴族ではあったが魔法が使えない上に色々異端であるのだから、ユカリの持論に文句などない。
「さあ、参りますわよリリア」
「は、はい……ルヴィアリーラ様……」
「ご理解が早くて私としても助かります……こほん。それでは……『鑑定』!」
指示された通りに魔法陣の中心となる場所に立って、二人はユカリがそのルートパスを開く解号と共に宙に掲げた両手がぼんやりと水の魔力を帯びるのを、そしてその鏡に自らの力量が映し出されるまでの数秒を、どこか緊張した面持ちで見守るのだった。
ユカリさんは苦労多き中間管理職なのですわ!