1.早速婚約破棄されたのですわ!
「──従って私、パルシファル・フォン・ガルネットはここに、ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドとの婚約を破棄することを宣言する!」
親から譲られたわけでもない無鉄砲で、いつも損ばかりしてきた。
ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドが十六歳を迎えた春、辺境伯として名高い貴族であるガルネット家の館に招かれて宣言されたのは、かねてより約束されていたパルシファルとの結婚ではなく、その婚約を破棄するという一方的な宣言だった。
だが、ルヴィアリーラの心に動揺や憤慨の類はどこにもない。
むしろ今までよく婚約を維持し、外面もあるとはいえ自分に思いやりを持って接してくれたものだ。
自身と同じ金の髪、ただ違うのは青い瞳を持つ貴公子の度量にルヴィアリーラはそう、感謝さえしている。
「お待ち下さい、パルシファル様! そのように唐突な……!」
だが、まあこんなもんですわね、というのが正直な感想だったルヴィアリーラとは違って、パルシファルのすぐ後ろに控えていた、この世界では珍しい黒髪の少女はそうもいなかったらしい。
豪奢なドレスに身を包みながらも、幼さを感じさせる東方大陸系に共通する顔立ちの彼女は、このウェスタリア神聖皇国の招きで現れた「聖女」と呼ばれる存在であると、ルヴィアリーラも聞き及んでいる。
──この世界、ジュエリティアに危機が訪れた時、天より聖女と勇気ある者が遣わされるであろう。
この国に伝わる古い御伽噺だ。
いっそ馬鹿馬鹿しく思えてくるほど他力本願な、そしてこのガルネット家に集められた各地方の領主や貴族といった客品たちも半信半疑といった風情のそれは、しかし確かに現実でもある。
「怖がる必要はないよ、アリサ。君は、聖女なのだから。そしてルヴィアリーラ。君は大魔法師の家系に生まれながらも魔法が使えず、ましてや民草に混じって冒険者の真似事までしている。今日まで婚約を維持していたのは私の温情だと思ってもらいたいのだがね」
傍らに控えるその聖女、アリサ・ミツミネというらしい黒髪の少女に対しては優しく、頬を撫でる夏の微風にも似た声で呼びかけながらも、パルシファルがルヴィアリーラを見つめる視線は厳しい。
「存じております、パルシファル様。申し上げていることは全て仰る通りであり、わたくしの不徳の致す限りであると心得ております。故に本日まで幼き日の約束をお守りいただいたこと、心より感謝申し上げますわ」
「ほう、随分と謙虚なものだな」
「パルシファル様にはよくしていただいた恩がありますわ、それに泥を塗ったとなればお怒りになられるのも必然……わたくしの首を差し出すことでそのお怒りが鎮まるのであれば、そうする覚悟をしております」
これがもしデマであったり、彼がその熱視線を送る通りに、アリサへと肩入れしていたが故にでっち上げた罪状であるならば、ルヴィアリーラは確かに抗議を選んでいただろう。
だが、彼の並べ立てた婚約破棄の建前となる理由は全て事実だった。
ヴィーンゴールド家は代々魔法を生業とし、その実力を持って貴族たちの陰謀渦巻く社交界で成り上がってきたことに違いはない。
しかしながら、その一人娘として生まれたルヴィアリーラはどういうわけか魔法を使うことができないのだ。
だからこそ、ヴィーンゴールド家の魔力を当てにしていたガルネット家は失望したのだろう。
或いは規格外の魔力を持つ、異界より来たる聖女を保護し娶ることを、パルシファルの背後にいる両親たちが容認しているのも、また彼の家を存続させるためにやむなし、と判断してのことに違いはない。
現に、この場で声を上げないのがいい証拠だ。
──正直なところ、正当な理由があるのなら婚約破棄だろうがなんだろうが止む無し、何も問題などねえのですわ。
ただし、そんな具合にルヴィアリーラ当人は義理人情で動く、貴族としては異端な存在だ。
冒険者の真似事をしているというのも、魔物が国境付近に現れたならその平和を脅かす存在をいち早く排除するために自らがその尊き血の使命として剣を手に取り、その矢面に立っていたからに過ぎない。
とはいえそれは、庶民のやるようなことで自らの手を汚すことを嫌う貴族としては極めて許し難いことだったのだろう。
また、「戦いは男の役目である」という貴族、とりわけ騎士の間で流通している旧弊を鑑みれば、知らず知らずの内にルヴィアリーラはパルシファルの面子も潰していた、ということになる。
四面楚歌、八方塞がり。
形容するならまさにそんな、絶望的な状況でこそあったが、ルヴィアリーラは決して絶望することなく、その赤い瞳に毅然とした輝きを宿してパルシファルを見据えていた。
「ふむ、ルヴィアリーラ……わかっているなら話は早いが、君の瞳はいつもなにかを知りたがっているようだ。一つ質問を許可しよう」
「ありがたき幸せ……では、こほん」
ルヴィアリーラは生まれ育ったこの国を愛していた。
ウェスタリア神聖皇国は、中央大陸セントスフェリアの西部に位置して、常に魔物との脅威に晒されているような場所だ。
だというのに、貴族は自らの手を汚すことを嫌って領内に立て篭り、本来守るべきである民草が冒険者として、危険と隣り合わせになりながらその排除を担っている。
そして神王ディアマンテ・カルボン・ウェスタリア11世は「君臨すれども統治せず」として、王都ウェスタリア周辺以外のことに関心を示さず、諸侯や大臣たちに政治を丸投げしている始末なのだ。
ならばノーブルとして、貴族として民草のために立ち上がることのどこが間違っているというのか。
この婚約発表の筈だった場において、ルヴィアリーラはその破棄と理由を言い渡されたことで、一転して憎み、叩いてもいい「悪」として嘲笑や侮蔑の視線を向けられている。
しかし彼女はそれでも屈することはなかった。
元婚約者のパルシファルへ向けて、それこそ首が物理的に飛んでいくことも恐れずルヴィアリーラは言い放つ。
「パルシファル様……貴方は、アリサ様を心から愛しておられるのですか!?」
その質問をルヴィアリーラの唇が紡ぎ出した時、周囲は騒然としていた。
何故今その質問なのか。
命乞いはどうした。
無数のハテナに埋め尽くされた会場で、しかし毅然とルヴィアリーラは背筋を伸ばして、まるで自らが全ての裁定を下す立場であるかが如く、高らかにそう言い放ったのだ。
異界の聖女に恨みなどない。
というか話したことすらない。
この泥棒猫とかそういう感情を抱く理由もなければ敵愾心を燃やす理由もないのだから、自身との婚約を破棄するに当たって重要なのはただ一つだ。
要するに、彼の両親の、ガルネット家の思惑はともかく、パルシファルという個人がアリサという聖女を愛しているかどうか。
それが全てだ。
納得できるかどうかはルヴィアリーラにとって全てに優先する行動原理で、彼女はそういう女だった。
「……そうだ! 私は……アリサ・ミツミネを心より愛している! 故にこそ今この場で婚礼を申し込むべくこの場を設けたのだ!」
「ならば……何も申し上げることはございません! 何卒お幸せに……末長くお二人が結ばれるよう、愛の神へとわたくしは祈りを捧げましょう!」
ヴィーンゴールド家の恥晒しにして落ちこぼれ、悪役の汚名を被せられた令嬢は、ルヴィアリーラは心の底から祝辞を送っていた。
これで良いのだ。ルヴィアリーラは腕を組み、静かに頷くことでこの場における全てを良しとする。
パルシファルがアリサへと向けていたあの視線は、そこに込められた熱は本物だった。
ならば、何より大事なのは本人たちの愛し合う意志であって、妥協と打算で組み込まれた約束などでは断じてない筈だ。
「これにて全て一件落着! わたくしの処遇は父より言い渡されるでしょう! さあさ皆様、今この場における新郎新婦に盛大な拍手をお願いいたしますわ!」
何を言ってるんだこいつは。
そんな困惑を周囲の貴族や騎士たち、果てはパルシファルから向けられながらも、ルヴィアリーラは高らかに、オペラを歌い上げるような宣言と共に両手を叩く。
かくしてヴィーンゴールド家と辺境伯ガルネット家との婚約は破棄され、異界の聖女がその代わりとしてパルシファルの元に嫁ぐ運びとなった。
──愛と自由は全てに優先するのですわ。
異端の令嬢、ルヴィアリーラは誰にも聞こえないようにそう呟いて、あえて悪役の汚名を被りながらも堂々と、婚礼の儀を執り行うはずだった場を去っていくのだった。
異端の令嬢婚約破棄RTA
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