接着剤と剥離剤
お読み頂き有り難う御座います。
スオリジェ軍将の元へ駆けつけようとするフリックで御座います。
フリックは走っていた。
頭脳労働が得意で……正直運動は苦手な部類の彼だが、必死に走った。
「フリック様、馬車を」
「め、目立つから、駄目で、す!」
侯爵家に連絡して間も無く現れた護衛の鷹の獣人女性マキを連れ……フリックはメメル校を出て、走った。
傭兵の彼女は全く息を切らして居なかったが、フリックはつんのめりながらも、急いでいた。
医務室で待っている間、シュラヴィの姿が消えたとの大騒ぎは耳にしている。
ミューンへも報告されている筈。聡明な彼女はきっと、ジュランへ話を持って行ってくれている。そして王宮にも。
ならば、スオリジェの元へは自分が行きたいと申し出たのだ。
腕っぷしもシャーゴン内で上位に入る彼に心配は無いのかもしれない。物理的に何か有っても、きっと直ぐに退けるだろう。
だが、フリックは底知れぬ胸騒ぎがしていた。あの優しい孤独な人を今、ひとりにはしておけなかった。
「フリック様、危ない!」
「……!?わっ!」
考えながら走っていたばかりに、人にぶつかりそうになったようだ。目の前に買い物籠を提げたふくよかな中年の女性が目を丸くしている。
「す、すみませんでした!!」
もふっとした羽に引っ張られ、目を白黒させながらフリックは慌ててその女性に謝った。
裏道を走っていたら、闇の大地商店街近くまで辿り着いていたようだ。
「い、いえ。……いいのよ。ええ、忙しいのね?人混みで走っては駄目よ、坊や」
「ぼ、坊や……?坊や……。
いえ、本当にすみませんでした。お怪我は有りませんか?」
そんなに誰が見ても子供に見えるのだろうか。フリックは凹んだが、悪いのは前をよく見ていなかった自分なので重ねて詫びた。
「お怪我?」
しかし、謝るフリックにフワフワとした笑顔を向けた女性の目は……何故か虚ろだった。
此方を向いているようで、見ていない。
「お怪我?お怪我は、ねえ。
つぎはぎ……繋ぎ合わせ……?いえ、無いの。無かったことなのよ」
「え?」
歌うような……それでいて、意味不明な声にフリックが呆気に取られていると、ペタリとした冷たい感覚が彼のおでこを覆う。
……目の前の女性の手のようだった。ただ、鱗で覆われていたが。
「フリック様に触らないで頂こう」
その手を、護衛のマキが慇懃に離す。
多少乱暴なその様子にも、女性はフワフワとした薄ら笑いを浮かべたままだった。
「貴方、不思議な血筋……。空、剥離、争い……羽?」
「あ、あの?」
もしかして具合でも悪かったのだろうか。不安に思ったフリックは女性に話しかけた。
「あの」
「母さんに近寄らないでくれ!」
フリックを責めるような、聞いたことの有る声がする。そして、ピンク色の髪を揺らした青年が、目の前の女性をかき抱いた。
「君は……ロレット君」
「剣歯虎フリック君、君の制服代の件は母さんに関係ないだろ」
「え?……取り立てに来たんじゃなくて。いや、それも困ってるけど……。
……母さん?この方は、君のお母さんなの?」
そう言えば何時の間にか新しい制服が用意されており、彼に汚された制服の事は忘れていた。それはそれとして、後で追求するにしても……。
ロレットに抱き締められた女性の黒い髪に黒い目の、凹凸の控えめな顔立ちは、ロレットにあまり似ていない。
「……ロレット?ロレット……」
「ああ、母さん」
「またバラバラな声が体のあちこちでするの。困る。ザワザワするの」
女性は神経質に首を擦る。その首の半分は……何故か、色が違った。まるで、違う皮膚同士を継いだかのように。
よく見れば、女性の所々は……指の関節や、スカートから伸びる脛の半分先は、違う種族のように見える。
本来は尻尾や、耳等丸ごと違うのではなく、生まれつき混ざったキメラ獣人ではなく。
まるで、違う色の粘土で作った人形をバラバラにして、また組み合わせ直したような。
組み合わせ直す?人を?そもそも、外科手術跡も無しに?
いや、もしかしたら。
「……まさか」
女性をよく見れば、鱗の有る腕から伸びているのに、親指の指先だけがまるで鳥の鉤爪のようだった。
頭に過った単語、それしかない。
合成異世界種。
「君のお母さんは合成……異世界種」
「そうだよ」
返事は絞り出すような声だった。
「……虹色油。アレが、必要なんだ」
ピンク色の髪のサクラダイ獣人は、ぐったりした母親を抱えたままフリックを睨んだ。
いや、フリックの背後の……油煙塔から出る煙を睨んでいる。
「に、虹色油?」
フリックは思わぬ単語に首を傾げる。
大量の物流を動かし、シャーゴンの経済を握っていると言っても過言ではない、虹色油。
主にこの王都で採れ、他の地では採れないと聞いたが……。
「あの油は、特殊だ。只の燃料だけに使うだけなんて、本気でどうかしてる。
他のどの国でも手に入らないから厳重に管理されてるのは知ってる。俺達みたいな立場の人間にはとても使えない。
でも、誰をハメても、法を犯してでも俺には必要なんだよ。だから……」
「……虹色油が、何の役に立つの」
「剥離剤を作りたい。母さんを……色んな人と接着したのは、虹色油なんだ」
ポロリ、と流れた涙はまるで絵画のように美しく、出来すぎているようだった。
過去に見つかった合成異世界種は、体の違和感を上手く隠していたようですね。




