眠れる剣歯虎
お読み頂き有難う御座います。
あの後のミューンとフリックで御座いますね。
昼を少し過ぎたドレッダ侯爵邸。
姉と婚約者が見守る中、開け放った窓から入る初夏の風が、若草色の柔らかな耳と髪を揺らす。
フリックは、柔らかい布団に寝かされスヤスヤと眠っていた。
此処まで運ぶ為、厳重に自分の体で抱き締めて馬車の揺れから彼をガードしたミューンは、医者の診断を手に汗握ってハラハラしながら待っていた。横のコレッタがその様子にオタオタしているのも気付かない。
「軽い脳震盪ですね」
「の、脳震盪ですって!?それは、あの馬鹿狼がフリックの大事な頭を揺さぶったから!!ダメージを与えたってことなの!?
フリックの可愛いお耳の付いたふたつとない明晰なる頭脳に何て事するのよあんの野郎よ!!ゴードン如きが!!」
「みゃ、ふみい!?」
ミューンは怒りに燃え、吼えたショックでコレッタは飛び上がった。
「お、お嬢様お静かに!フリック様が起きてしまわれます!!」
「これでフリックがやりたい勉強が出来なくなったらどんなに辛くて悲しむか!!
コレッタ嬢をも悲しませるし、私も何より恐ろしくて悲しすぎるわ!!
私達の世界の損失にどう賠償するの!?あのエロ脳を百や二百カチ割っても足りなあい!!」
「お、落ち着いてくださいミューン様!」
自分の胸を撫で下ろす暇もなく、フリックの姉コレッタは地団駄を踏むミューンを宥めた。
「あ、あの!フリックはけ、結構見た目よりは頑丈ですので……。それに、父から突き飛ばされたりしてましたし」
「何ですって!?それは私的な処罰対象ね!!」
「いえ、あの……自滅、していると思いますし」
余計な事を言っただろうか、と内心コレッタは自分の失言に冷や汗を掻く。
あんなややこしく暴力的な親に、恩人であるミューンを関わらせる訳には行かない。コレッタは親の暴虐ぶりを思いだし、震えて涙目になった。
「いいのよ。コレッタ嬢は心安らかにフリックを愛して将来の旦那さんへの希望を具体的に考えておいて」
「え!?旦那さん!?
そ、そんな……。まさか、ご迷惑を更にお掛けしているのでは!?」
コレッタとフリックは知らないが、彼等の両親は噂を聞き付けて甘い汁を吸おうとして追い出されている。具体的には、厚顔無恥にもドレッダ侯爵家の門を何度も叩いている。勿論、侯爵家の全力を込めて門前払いで叩き出している。
因みに、次は再起不能にしようと家内で決定していた。
そんな事をおくびにも出さず、ミューンは慈愛を込めて微笑みを浮かべた。
「私、守りたいの、あなたがたを……」
「ミューン様……うっ、うう。本当に貴女のような頼もしくて綺麗な方がフリックを見初めてくださるなんて夢みたい」
フリックと似た顔からハラハラと涙が溢れる。思わずピコピコ揺れる若草色の耳を凝視してしまったミューンは、そっと使用人がタイミング良く持ってきたハンカチを差し出して誤魔化した。
「私は心のままにフリックを好きになっただけだし、心優しい貴女達は報われただけよ!」
「ミューン様……ううう!!」
「危ないわよコレッタ嬢」
涙で前がよく見えなかったのか、コレッタはよろける。
そんな彼女を支えようとしたミューンは、強い視線に気付いた。
「……お姉様、ミューン様?何で抱き合ってるんですか?
ま、まさか不甲斐ない僕に見切りを付けて、お姉様に浮気ですか!?」
見たことの無い険しい疑惑の目をしたフリックが、其処に居た。
「えええ!?抱き付いてないわよ!!見て!?肩触っただけよ!その顔も可愛いわねフリック!」
「フリック!?貴方の番を取る訳無いでしょ!?寝惚けてるのね!?」
「……フリック様、落ち着いてください。はい、吸って吐いて」
空気に同化していた医者は、ミューンの服の裾を掴んで寝てしまった彼の脈を取る。
「ぐるるるるう……みゃ」
「やだ可愛い!フリックったらもう!私のスカート握って寝ちゃったわ!」
「寝惚けておられますね。脈は正常です。私はこれで失礼しますね」
フリックの様子が問題無いと判断した医者は帰って行った。これ以上痴話喧嘩に関わると碌なことにならないと判断したようである。
「お、お恥ずかしながら、弟は寝起きが悪くて……」
「いいのよ、寧ろちょっとときめいたわ。
軽く睨まれるのもフリックならいいものね。余所の奴なら社会的に葬るわ!!」
「す、すみません弟がご無礼を」
物騒なコメントを漏らしながらも、スカートの裾を握って離さないフリックの様子にミューンは頬を緩めて染める。
「取り敢えず、私とフリックの輝かしい新婚生活の為に……色々企まないといけないようね」
「た、企むですか?」
「ええ、何ならコレッタ嬢は式の為のドレスの生地でも選んでおいて頂戴。修道院の子供達とシスターの分も必要よね。お金を気にせずド派手でいいわよ」
「そ、そ、そんな、ド派手!?いえ、シスターと修道院の子供達までご招待してくださるんですか!?」
「何故かお父様が、フリックの卒業式の次の日に挙式することに決めて来そうだから、話し合ってくるわね」
ミューンは父親を尊敬している。
だが、やることなすこと全てスピーディーが過ぎるのは、この頃ちょっと気に入らないなと思い始めていた。
「あ」
「キャアアッ!お召し物が!!」
ぴりりりりり!
絹を割くような声と、絹が実際割ける音が被る奇跡が起こる。
そしてフリックに捕まれていたことをすっかり忘れていた昼用ドレスの裾が、結構破れた。
この後起きたフリックは、裂いた服に滅茶苦茶泣いて謝りました。




