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6、医術士ヒリア2

目を覚ますころには日が沈みきっていて、部屋は真っ暗だった。


まだ痛む体を起こし、小さく頭を振って目を覚ます。


誰も来てないのか。

てっきり、すぐに監督者がやってくるものと思っていたが。


少し疑問に思ったが、考えてもわからないことを考えるのは無駄だ。

すぐにその思考を打ちきる。


代わりに気になったのは、部屋の暗さだ。


勝手に明かりをつけていいものかと悩む。

しかしそもそも明かりの付け方も知らないことに気付いて、俺は窓の下の壁に背をあずける形で誰か来るのを待つことにした。


それからしばらくしても、監督者は現れなかった。

代わりにこの部屋に訪れたのは、食事をもった使用人であった。


その使用人は扉を開き、俺を見つけると少しおびえたように身をすくませた。

だがすぐに食事を扉近くの机に置き、さらに机の上のランプのようなものを操作して明かりをつけると、そそくさと何も言わずに立ち去っていった。


俺はゆっくりと立ち上がり、その明かりに近づいていく。


これは、俺が食べていいのだろうか。


しばらく困惑する。


見たことがないほど立派な飯だ。

パンとシチューのようなもの、あと数切れの肉を炙ったもの。


パンは俺が今まで食べていた、変色し、ぱさっぱさに乾燥し、一部がかびているようなものではないし、シチューのようなものには具がちゃんと入っていて、変な臭いはしない。

何よりもすべて、温かそうだった。


思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。


食べて、いいのだろうか。

いや、食べよう。後で殴られようと知ったことか。


そう決心すると同時に、目の前の飯に飛びついた。


そのパンは柔らかく、小麦の香りがした。

そのシチューのようなものは、やはりシチューとは違ったが、それでもとてもおいしかった。

その肉は、塩コショウがきいていて、簡単に食い千切れるほどに柔らかかった。


その美味さに、比喩でなく体を震わせながら、次々に平らげていった。


この世界に来て、初めてまともな食事ができた。


「最期の晩餐、か」


ぼんやりとそんなことを考えながら、ゆっくりと目をつぶった。


―――結局、監督者が現れたのは翌朝になってからだった。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


『次の命令があるまで、この部屋で待機。

 傷を治すことに専念するように』


監督者はそれだけ言ってすぐに立ち去った。


困ったことに自由な時間ができてしまった。


何をしようかと考えるも、今更この部屋から逃げるという選択肢はなく、かといってやりたいこともない。

日本に帰れるという妄想にふけるには疲れはて、これまでの人生を振り返るには辛すぎる。


結局、やれることは、言われたように安静に眠ることだけだった。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


コンコン


「入っていい?」


ぼんやりと夢と現を行ったり来たりしていると、ノックの音と女性の声が部屋に響いた。


「どうぞ」


俺の言葉に扉を開けたのはヒリアだった。

昨日と同じく白のだぼだぼのコートを着ている。

下にきこんだ服は昨日のものと違うようだが、やはり簡素で地味なものであった。


「こんにちは、調子はどうかしら?」


そう言いながら、床で寝ころんでいる俺の傍に膝をつき顔を覗きこんでくる。


「痛みは引いてきたよ」


「そう、ならよかったわ。

 ・・・ベッド、慣れない?」

 

小首をかしげる彼女に、小さく肩をすくめて見せた。

だが俺がこのままだと、彼女はずっとそのまま、膝を床に着けた状態で治療をするのだろう。

それは・・・駄目だ。


立ち上がり、椅子をもってベッド近くに置くと、ヒリアにそれをすすめ、自分はベッドに。


「ありがと、紳士的ね」


少し表情を柔らかくしてヒリアは椅子に座った。


「そりゃ恩人だからね」


「ふふ、そう?」


なんてやり取りを交わしながらも、ヒリアは手際よく治療の準備に取り掛かっていた。


「よく休めた?」


「やることなくて、逆に疲れたよ」


「しっかりと休めはしたようね。

 いい?あなたの体は、自分が思っているよりも傷つき、疲れきっているわ。

 だから、無理してでも休むべきなのよ」

 

「・・・」


どうせあと少しで捨てる命だけどな、なんて言葉は飲み込んだ。


おそらく、ヒリアはそれを知らないのだろう。

今日で会うのは二回目だが、それでも、命に関して彼女は真摯に向き合っているように思う。


そんな彼女に、俺のこれからの処遇を伝えることは無粋のように思われた。


「うん、傷の経過もいいみたいね」


包帯をとり、傷を一つ一つ確認しながら小さく頷くヒリア。


しっとりとした指が体を撫で、薬を塗っていく。

ヒリアが顔を近づける度に、ふわりと薬草の匂いとは違う少し甘い匂いがした。


「・・・」


ヒリアにばれないように、小さく息を漏らす。


昨日は興奮状態でもあったためかそこまで気にならなかったが、そういえばこの世界の女性と触れ合ったのは初めての経験だ。

つまり、十年間、女性と触れ合う機会がなかったわけで。


「どこか痛む?」


「っ、い、いや」


覗きこむように見上げてくるヒリアの凛とした端正な顔立ちに、ドキリと心臓が跳ねた。


異性に対する免疫が明らかに落ちてしまっているようだ。


「正直に言って」


「本当だよ、嘘はついてない」


「・・・」


「そう睨まれても、本当に何もないから」


「・・・なら、いいけど。

 些細なことでもちゃんと言って?」

 

「ああ」


ヒリアはまだ少し気になるようだったが、それ以上何も言わず傷の手当てに戻った。


ほっとするとともに、ひどい自己嫌悪が襲ってきた。


恩人に対して、不埒な考えを持つとは。


俺はもう一度、ヒリアにばれないように心の中でため息をついた。


それから、今の俺には幸いなことに、しばらく会話はなかった。


先に口を開いたのは、包帯を巻き終わり、ひと段落したのであろうヒリアの方からだった。

表情は変えず、ただじっと俺の胸元あたりに視線をとどめたままで。


「コウジ、ごめんなさいね」


ぽつりと、まるで独り言のようにそうつぶやいた。


「なんでヒリアが謝るんだ?」


「・・・あたしは、医術士としてあなたの傷をいやすことはできる。

 でも、それはあくまで事後対応に過ぎないわ」

 

ヒリアは少し迷うように、ためらうように下唇をきゅっと噛む。

だが、小さく息を吐いて再び口を開いた。


「本当にあなたの命を救いたいのなら、あなたを奴隷から解放することが最善だと思うの。

 でも、あたしにそんな力はない。

 命を救いたくて医術士になったのに、結局、あなたを救うことはできない。

 それが・・・とても悔しくて、申し訳ないわ」


なるほど、そういうことを考えていたのか。

このヒリアという女性は、俺が思っているよりも立派な人のようだ。


だからこそ、俺が言うべきは―――

 

「それは違うよ、ヒリア」


「え?」


「ヒリアがそこまで背負う必要はない。むしろ、背負ってほしくない」


ヒリアの揺れる瞳をしっかりと見て、はっきりと言ってやる。


「俺は君に感謝している。それも、君が思っている以上にだ」


この、クソッタレな世界にもヒリアのような人がいることを知った。

恨んで恨んで恨みぬいて、ただそれだけで死ぬよりも、幾分かはましになった。


それがどれほど俺の救いになっているか、きっとヒリアは理解できないだろう。


「だからこそ、俺は君の余計な重荷なんてなりたくない。

 ヒリア、君は俺を十分に救っているんだ。

 それだけが、君にだって否定させないたった一つの事実だ」

 

それだけはわかってほしかった。

だからこそ、これ以上ないほどに一生懸命に、つたない言葉をならべる。


ヒリアは大きく目を開いたまま、ぽかんと小さく口を開いていた。


的外れなことを言ってしまったか、と恥ずかしくなり始めたころ―――


「ありがとう、コウジ」


はにかむように柔らかく笑ってくれた。


「あなたがそう言ってくれるなら、それ以上悩むのはあなたに失礼ね。

 その言葉、うん、ずっと覚えてる」

 

「恥ずかしいから、すぐ忘れてもらって」


「ダメよ、もう覚えたもの」


「・・・」


ま、まぁ、こちらの気持ちが伝わったってことで、よしとしよう。


「でも、不思議ね。

 患者にこんな弱音を言うなんて、初めてだわ」

 

ヒリアは目をつぶって、少し首をかしげる。

だがそれも束の間のこと、すぐに片目だけ開いて、いたずらっぽく笑った。


「もしかしてあたし、あなたに一目ぼれしてるんじゃないかしら?」


「いやいやいやいや」


「あら、コウジにあたしの気持ちの何がわかるのかしらね?」


「いや~」


「ふふ、コウジはおもしろいわね」


そう言って、ヒリアはクスクスと小さく笑った。


俺もそれにつられて、笑ってしまったのだった。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


次の日も、そしてその次の日も、ヒリアは会いに来てくれた。

治療を終えた後は、他愛無い会話。

何もすることがない俺は、それが楽しみになっていた。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


「―――その人、結局文句を行ってきたのよ?

 あまりに無茶なこと言うもんだから、怒りを通り越して呆れてしまったわ」

 

心を許してくれたのか、それともたまっていたのか、あるいはその両方か。

ヒリアは俺にちょっとした愚痴を言ってくれるまでになった。


「それはひどいな」


ヒリアの話はどんなものでも俺には新鮮だった。

奴隷という狭い世界の中でしかこの世界を知らない俺には、ヒリアにとって何気ない話であっても、驚きと新しい発見があったのだ。


そういう意味ではいい聞き役だったのだろう。

『コウジと話していると、意外と自分はおしゃべり好きなのでは?って思ってしまうわね』とは

ヒリアの弁である。


「そういえば、今日、このすぐ近くの裏通りで、美味しいランデル焼きを出してくれる店を見つけたの。明日買ってくるわね」

 

「ランデル焼き?それはどんな食べ物なんだ?」


「ランデル焼きは・・・ううん、説明するのは野暮ね。

 明日を楽しみにしておいて?味はあたしが保証するから」

 

「そうか、それは楽しみだな」


「うん、楽しみにしてて」


ヒリアは少し嬉しそうに目を細めた。

それが嬉しくて、俺も笑ってしまう。


そういえばこうやって、会話を楽しんだのは本当に久しぶりだ。

この世界の言葉を覚えたのはあくまで生きるため、会話を楽しむ余裕なんてなかった。


それに、奴隷の仲間は普段から疲れきっていて口数は少なかったし、会話をしたらしたで監督者に見つかり無駄口を叩くなと折檻を受けた。

だから会話を楽しむことなんて、会話が楽しいものだったなんて、忘れていた。


『お兄ちゃん、そのアイス、一口ちょーだい?

 いいじゃん、いいじゃん!ひーとーくーち、おにーちゃん!

 今日はなんと、妹ポイント二倍dayです!優しくしましょう♪』

 

『光示、喧嘩したんだって?

 例え相手が友達に暴言を吐いたからって、いきなり殴る奴があるか!反省しろ。

 ・・・・それで、勝ったんだよな?』


『今日は、光示が好きなカレーライスよ。でも、おかわりは一杯までだからね。

 ・・・その特大ドンブリどこで買ったのよ』

 

『光示、ボウリング行こうぜ、ボウリング!

 勉強ばっかしても効率悪いしよ。

 他の奴も誘ってボウリング!女子も誘っちゃおうぜー』


ああ、そうだ、会話ってのはこんな楽しいものだった。

 

また一つ、元の世界のことを思いだせた。


「・・・ねぇ、聞いてもいい?

 答えたくないなら、答えなくっていいから」


ああ、いけないな。会話中に郷愁に浸るなんて、ヒリアに失礼だ。


「うん、何だ?」


「コウジは、この国の人じゃない・・・わよね?」


「ああ、そうだな。

 遠い、本当に遠いところに、故郷はあるんだ」


「そうよね、あなた、言葉に訛りがあるし、雰囲気が他の人とまるで違うわ」


「言葉はともかく、雰囲気ってそんなに違うか?」


「ええ、まったくね。

 あたし、これでも人を見る目はあるの。

 あなたからは、なんていうんだろう、うん・・・そうね」

 

逡巡するように視線を彷徨わせて・・・小さく頷いた。


「そうね、隠しきれない優しさを感じるわ。

 まるで争いのない世界にいたような、甘さって言われてしまうほどの優しさよ」

 

「それは違うよ。

 俺の国にも争いはあった」

 

だがそれは、画面の向こうの出来事のように、俺の日常において意識はされないものだったが。

 

「それはそうなんでしょうけどね。それでも、あなたが育ったその国に行ってみたいわ。

 ねぇ、そこは東の国『アシハラ』皇国よりも遠いところなの?」


「うん、もっとずっと遠いところだよ」


「そうなんだ。

 ・・・あたしね、医術士として各地を回ってるの。

 今はちょっと用事があって、こっちに滞在してるんだけどね。

 だから、いつかあなたの国に行くかもしれないわ」

 

「・・・そっか」


「だから、その国の名前教えてくれない?」


「俺の国は・・・『日本』ってところだよ」


「『ニッポン』・・・う~ん、やっぱり聞いたことがない名前ね」


「まぁ、遠いところだからね」


「でも、うん。

 覚えておくわ。あなたの故郷だものね」

 

「・・・ああ」


「ああでも、場所がわからないのはやっぱり困るわね。

 あなたには道案内してもらうかしら」

 

「それは―――」


「今は無理だけど、いつか、ね?」


そういって、ヒリアは淡く笑った。


「・・・そうだな、その時は案内してあげましょう」


「よろしく」


今度は二人で笑いあう。


ああ、そうなれば、なんて素晴らしいことだろうか。


こんこん


そこで無機質な音が響いた。

それはこの時間の終わりを意味していた。


「ヒリア様、お時間です」


いつものように扉の向こうからヒリアの護衛の女の子の声がする。


「あら、もうそんな時間なの?

 ・・・あなたと話しているとすぐ時間が過ぎていくわね」

 

苦笑しながら、荷物を抱えるヒリア。


「じゃあね、コウジ、また明日来るから。

 ランデル焼き、楽しみにしといてね」

 

「ん、楽しみにしとくよ。

 今日もありがとう」

 

「こちらこそ、愚痴を聞いてくれてありがと」


ヒリアは最後にもう一度、頬を緩めるように笑って出て行った。


「・・・」


再び、静寂が訪れる。


また明日・・・か。

この世界で、明日を望む日が来るとはな。


天井に視線をやりながら、俺は苦笑した。




だが、その約束の明日は来なかった。


その日の夜、今まで顔を出さなかった監督者が現れたのだ。



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