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5、医術士ヒリア1


監督者達に連れられて、本館を出る。

だが向かった先はこれまでいた奴隷部屋ではなく、本館から出てすぐの建物だった。


そこの二階の一番奥の部屋、そこはなんとも小奇麗な部屋だった。


「・・・」


監督者達は、俺にここで待つように命じてさっさと出て行ってしまう。


この部屋は客室、というには質素であるように感じる。

おそらく使用人用の部屋なのだろう。


それでも、俺が十年詰め込まれていた監獄のような奴隷部屋とは比べるまでもない。


簡素な物とはいえ、敷物がしかれている。

壁は真っ白で、穴どころか汚れもない。

簡単な机と椅子があり、ベッドもある。そしてそのどれもが腐った木じゃない。


窓からは温かな日が差し込み、自由に開くこともできるようだ。

常にしていたすえた臭いもしないし、虫たちが湧いている様子もない。

うるさいいびきも、泣き声も、うめき声も聞こえない。


「・・・」


落ち着かない。

それがたまらなく苛立つ。


本当に、奴隷生活が沁みついている。

こんなの、日本にいた頃は当たり前だったのに・・・。


手持無沙汰だった俺は、窓際の壁に背をあずけ、座りこんだ。


「はぁ、いてぇな・・・」


少し落ち着くと、痛みがぶり返してきた。

全身が痛く、熱を持っているようだ。


その痛みに耐えるように、そのままゆっくりと瞼を閉じる。


「・・・傷を見たいんだけど、起きてもらえる?」


「っ!?」


突然の声に飛び退いて―――後ろが壁のためにそれができなかった。


いつの間に入ってきたのだろう、目の前には女性がいた。


白を基調としただぼだぼのコートが目を引く女性だ。

その下が、しゃれっ気のない簡素な服だからこそ、余計に目立つ。


その女性は汚れるのもいとわずに膝をつき、意志の強そうな目でまっすぐと俺を見ていた。


「聞こえてる?」


肩口でそろえるように整えられた青みがかった髪を揺らしながら、首を小さくかしげる。


「あ、ああ、聞こえてる。

 君はどうやってはいてきた?」


「どうって、普通に。

 ノックはしたわ。でも寝ているようだった」


どうやら、瞬き一つしただけのつもりだったが、意識を失っていたようだ。


その女性はゆっくりと立ち上がり、こちらに手を差し伸ばしてきた。


「立てる?」


差し伸ばされたその小さな、柔らかそうな、そしてきれいな手。


「・・・ああ」


汚れたこの手で触れるには、きれいすぎて。


視線をそらして、自分の手で立ちあが―――


「無理しない」


ぐいっと、強引に手をつかまれた。


そのまま、引き上げられる。

見た目よりも力が・・・いや、魔法か。


「あたしは『医術士』のヒリアよ。

 けが人は黙って世話になるといいわ」

 

『医術士』?


この世界で言う、医者のことだろうか。


まじまじと改めてその女性を見つめる。


背は160㎝ほどで、年の頃は・・・20代前半といったところだろうか。

凛とした雰囲気の整った顔立ちをしている。

化粧っけはないが、それがまた一段と彼女の素の美しさを際立たせている。


その『医術士』ヒリアは、俺の全身をさっと見て口を開いた。


「とりあえず、傷を見せてもらうわ。

 そこに座りなさい」

 

「あ、ああ」


有無を言わせぬ妙な圧があるな。


指示通りに、ベッドに腰かけるや否や、服をはぎ取られた。

一切の迷いなく当たり前のようにはぎ取るものだから、抵抗する間もなかった。


「・・・ちっ」


ヒリアは俺の体を見ると、顔をしかめ、舌打ちした。

なんだろうか、何か俺の体が失礼を働いたのだろうか。


「傷、手当てされてなかったのね」


そっと指を這わすのは古傷だ。

もはやどの傷が、いつつけられたかもわからない。

あちこち傷痕だらけの体だ。


「しょせん奴隷だからな」


皮肉気に口をゆがめて吐き捨てると、ヒリアはさらに眉間にしわを寄せた。


「奴隷であろうと、命は命。

 医術士の前ではみな平等よ」


驚いた。

奴隷の命を、他の命と平等というのか。


ああ、いや。

驚くほど、俺はこの世界の奴隷に対する意識なんて知らないな、そういえば。


「ごめん、傷痕は消せない。

 けど、新しい傷なら治せるから」

 

「ああ、お願いする・・・します」


奴隷生活で学んだ言葉に丁寧な話し方なんてなかった。

これでいいのだろうか。失礼ではないだろうか。


「無理をする必要はないわ。

 手を出して」

 

言われた通りに手を出す。

監督者のふるった剣でつけられた切り傷と、打撲でボロボロの腕だ。


「『慈悲深きルナリア精霊にこいねがう、彼の者を癒したまえ』」


朗々と歌うような呪文を唱えると、ヒリアの手が淡く光り――――


「え?」


それだけだった。

傷が治るでもなく、痛みが引くでもない。


ヒリアは驚いたようにかすかに声を上げた。


「もう一度。

 『慈悲深きルナリア精霊にこいねがう、彼の者を癒したまえ』」


再度、詠唱するが、先ほどと同じ結果となる。


「・・・」


ヒリアは眉をひそめると、しばらく考え込むように口元に手をあてた。


「ヒリア?」


「ちょっと待って」


ヒリアは、傍に置いていた自分の物であろうカバンから小さなナイフを取り出すと、ためらうことなく自分の指を切った。

ぷつりと赤い液体が溢れてくる。


「『慈悲深きルナリア精霊にこいねがう、彼の者を癒したまえ』」


すぐにその傷に対して手をかざし呪文を唱える。

すると、淡い光に包まれた傷はみるみる消えてき、数秒も待たずに傷など最初からなかったように

きれいな指に戻っていた。


初めて見たが、やはり回復魔法というのはあるんだな。


少し感心する。


「魔法は問題なく発動できている・・・。

 ということは――――」


そうつぶやいて、こちらを観察するようにじっと見つめてくる。


「あなた、もしかしてあまり魔法が使えない?」


「まぁ、そうだな」


『あまり』ではなく『まったく』だが。


子供でも魔法が使えるような世界で、まったくそれが使えないとなると、悪い意味で目立つかもしれないためそこまでは言えない。


「そう。

 極稀にいるのよ、魔法力が人よりも極端に少ない人。

 そういう人には、こういった、直接その人にかける魔法の効きが悪いのよ」

 

そう言いながらも、手際よくカバンから三つほどの小瓶や包帯、乳鉢のようなものを取り出していく。

小瓶の中には形の違う葉が詰められているようだ。


「少し時間はかかるけど、薬で治すしかないわね。

 ちょっと待ってて、すぐに調合するから」

 

そう言って、ヒリアは手慣れた様子で葉をすりつぶしてゆく。


「あなた、名前は?」


手を止めることなく、彼女はそう聞いてきた。


「44番だ」


「違う、あたしはあなたの名前を聞いているの」


「っ・・・」


ぴしゃりと言い放たれた言葉に、言葉がつまった。


名前、か。

この十年、呼ばれることのなかった俺の名前。

父さんと母さんがつけてくれた、大切な名前。


「光示、だ」


「そう、コウジね。

 あまり聞きなれない名前ね」


でも、と彼女は手を止め俺を見つめると―――柔らかく微笑んだ。


「いい名前だと思うわ」


「っそ、そうか・・・」


「ええ」


その微笑みは淡雪のようにすぐに消えてしまった。

だが、俺の胸を衝くには十分だった。


この世界で初めてだった。

この十年で初めてだった。

名前を呼ばれたのも、優しくされたのも。


久しぶりに、日本にいたころの温もりを思い出せた。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


「うん、とりあえずはこれでいいわ」


「ああ、ありがとう」


ほぼ全身と言っていいほどあちこちに薬を塗られ、包帯を巻かれた。


「コウジ、もう一度確認するけれど、他に痛いところはない?

 お腹が痛いとか、頭が痛いとか」

 

「それは大丈夫だ。変な痛みはないよ」


真剣に俺を見つめるヒリアに、俺もまっすぐに見つめ返しながら頷いた。


「そう・・・。

 明日も診に来るから、何かあったら言って?

 ちょっとした違和感も見逃しちゃダメ、特に頭の痛みはね」

 

「うん、気をつけるよ」


「それと、傷が治るまで安静にすること。いいわね」


「奴隷の俺の俺に決定権はないよ」


「ならあたしが言っとく。

 あと、薬は寝る前にもう一度塗りなおして。

 替えの包帯も渡しておくから、巻き方は―――」


ヒリアは親身になっていろいろと教えてくれた。


「ヒリア」


「なに?」


「今日は本当にありがとう」


感謝を込めて頭を下げた。


「別にお礼はいらないわ。

 これがあたしの、医術士としての使命だから」

 

当たり前のように言いきるヒリア。


こういう奴もいるんだな、この世界にも。


「でも、礼は言わせてほしい。

 俺はそれ以外何もできないから」

 

「・・・」


「ありがとう、ヒリア」


じっとヒリアを見つめる。


「どう、いたしまして」


ヒリアは頬を少し朱く染めると、ぷいっと背を向けた。


意外と照れ屋なのかもしれない。


こんこん


と、そこで控えめなノックが響いた。


「ヒリア様、そろそろ」


扉の向こうから、くぐもった、女性の声が響いた。


「時間切れね。

 次の患者が待ってるわ、あたしは行くわね」

 

「ああ、本当にありがとうヒリア」


「ふふっ、お礼を言ってばかりね、あなた」


「それしかできないからな、そればかりするさ」


「あまり言い過ぎるとありがたみがなくなるわよ?」


「それはまずいね」


そう言って肩をすくめると、ヒリアは口もとに手を当ててまた笑った。


なんだ、険しい顔ばかりしていたが、普通に笑うんだな。


「それじゃ」


「ん」


ヒリアはカバンを手に部屋を出て行った。


扉の開けたときに、フードをかぶった小柄な女性が見えた。

先ほど声をかけたのは彼女だろう。


フードでよくは見えなかったが、簡単な鎧を着こんでいるらしく、剣も携えているようだった。


護衛か何かだろうか。


そんなことを考えながら、布団に背をあずける。


「・・・」


柔らかい。


実際は日本の俺の自室のベッドより硬いそれだったが、奴隷生活が染みついた俺にとってはあまりにも柔らかかった。それこそ、不安になるほどに。


「・・・はぁ」


大きくため息をつくと、掛布団をもってベッドから降り、床に寝転んだ。


監督者が来るまで、しばらく寝ようか。


・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。


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