2、無情なる異世界
「―――――ぁあああああああああああああっ!!」
いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!
たすけて、だれかたすけて、とおさん、かあさん、しずたすけ、て
意識が浮上した瞬間に、激痛という言葉すら生ぬるい痛みが全身を襲う。
死ぬ手段があれば初動的に死を選びそうなほどで。
いや、もはや痛みで満足に体も動かせないんだ、それもできないだろう。
「げはっ、おえっ、がぁ!」
吐きながら、涙を流しながら、鼻水を流しながら、のたうち回りながら、
その激痛と不快感に、体が、思考が蹂躙される。
「ああああああああああっ!ごほっ、ごぼっ、うげっ、あ、ああああああああっ!!」
俺はただただ、この理不尽な痛みが去ることを祈るしかなかった。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
「はぁ・・・はぁ・・・」
いったいどれほど地面を転がっていただろうか。
まったくわからない。
俺はゆっくりと自分の体を眺める。
ああ、大丈夫だ。
手足はある、骨は砕かれていない、もちろん焼かれていないし、皮をはがれてもいない。
心底、安堵する。
だが服は土と自分の吐しゃ物でひどいものだ。
顔は涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃなことだろう。
「うぁ・・・?」
ようやく回りを確認できるまでに意識が戻った。
「こ・・・こは?」
辺り一面木々が茂っていた。
さっきまで学校前にいたはずだ。
なんで俺はここにいる?というかここはどこだ?
空を見上げると、木々の隙間から微かに明るい光が見える。
それがどう見ても昼時のように見える。
でもそれはおかしい。
さっきは夕方だったんだ。
「待て待て・・・冷静に、だ」
混乱し、恐怖に呑まれる前に、自分に言い聞かせる。
さっきの痛みといい現状といい、異常事態であることに間違いはない。
そういう時こそ冷静にならなければならない。
無理やりでもいいから落ち着け。
思いっきり大きく息を吸い、長く細く吐きだす。
ゆっくりと、深く。
何度も何度も繰り返すと、落ち着いてきた。
「・・・よし」
まずは、現状の整理だ。
突然の痛みに襲われて、気付いたら森の中、しかも昼時だ。
考えられるとすれば・・・そうだな。
何かの病気による激痛で意識がなくなって、その間に誰かが俺を森に連れてきて放置した?
意味がわからない。
まず、学校前で倒れたんだ、当然周りには学生がいっぱいいる。
俺が激痛にのたうち回っていたら、誰かが先生を呼ぶだろう。
そしたら、俺を見た先生は救急車を呼ぶのが当然だ。
救急車が来たなら病院に搬送されるんだ、間違っても森に放置ということはない。
だからそれはない。
それじゃあ・・・先生が来る前に誰かが俺を病院に運ぶという名目で車に乗せて、
ここまで運んできた?
誘拐・・・にしては、あまりにも俺の扱いが適当すぎる。
いや、世の中には俺が理解できない異常者もいないとは言えない。
救急車でここに運ばれてきたと考えるよりまだまし、
完全にないとまでは言えないし。
よし、とりあえずそういうことにしておこう。
まったく何もわからない異常事態よりも、完全にないとまでは言えない異常事態の方がましだ。
「とりあえずは、町に出よう」
あれほど痛かったのに、不気味なほど今では全く痛みはない。
ポケットに入れていたハンカチで顔を適当に拭い、汚れている上着を脱ぐ。
「さすがに少し寒いか」
ぶるりと小さく震えて、ゆっくりと歩をすすめた。
「大丈夫。
早く帰らないと、みんなが心配するから、とっとと帰るんだ。
静流なんて泣いてるかもしれないしな」
現在地もわからない、進むべき方向もわからない。
そんな中で森を進むことの危険性から目をそらしつつ、俺は早足でその場を後にした。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
いったいどれだけ歩いただろうか。
進めど進めど、木、木、木。
いつしか日は沈み、辺りは暗闇に閉ざされた。
まったく何も見えない。
目を閉じているのか、開けているのか、それさえもわからないくらいに濃い闇だ。
大きな木の根元に腰を下ろし、体を丸める。
「・・・」
寒い。暗い。怖い。腹が減った。
視界を奪われたせいで、過敏になった聴覚が、鳥か獣かわからない声をとらえる。
火をつける道具などなく、ただただ闇に身を潜ませるしかない。
大丈夫だ、この辺りの森にそんなに危ない動物は出ないはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、ただただ、家にたどり着いた姿を思い描き、希望に縋った。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
「―――くそっ、くそっ、くそっ!!」
走る。
これまでにないくらい必死に走る。
走りながらも、そうすべきでないと頭では分かっていながら、口から洩れる言葉は止まらない。
「来るなつってんだろうがぁ!」
後ろは見ない、ただ遮二無二に走る。
根に足を取られそうになっても、必死に体勢を戻す。
だがどれだけ走っても、後ろから俺の後を追ってくる無数の音はなくならない。
「くそっ、くそぉ・・・っ!」
心臓がばくばくと鼓動を打ち、息を苦しく、足は今にももつれそうだ。
それでも止まるわけにはいかない。
止まるくらいなら死んだ方がいい。
あんなものに、捕まるくらいなら。
それは異形、だった。
知っている生物で近いのはノミだろうか。
だが、俺の知るノミは50㎝近くも大きくないし、鞭のようにしなり刃物みたいに鋭利な無数の
触手を有してはいない。
恐怖で頭がおかしくなりそうだ。
先ほど見た、何かの死骸に自分の卵を植え付けている姿がフラッシュバックするが、必死に走る
ことで無理矢理頭の中からそれを追い出す。
走って走って―――終わりは唐突に
「うわっ・・・・!?」
俺を襲ったのは浮遊感。
藪を突っ切った先は崖だったのだ。
重力に足をつかまれ、引きずり落とされる。
真下が川だと気付いたすぐ後には、川の中にダイブしていた。
「むぐ・・・ぐっ!
ぷはっ!」
身を切るような冷たさにパニックになりかけるが、咄嗟に浮かんだ家族や友人の顔が俺の意識を引き戻した。
なんとか水面から顔を出し、泳いで岸に上がる。
「・・・ささ、さむ、い」
あまりの寒さにがたがたと歯の根が合わない。
震えながら、自分が落ちてきた崖を見る。
・・・どうやら、さすがにここまでは追ってこないか。
大きく息を吐いて、その場に大の字に倒れこむ。
寒さと疲労と安堵感で、体から力が抜けてしまった。
「・・・ここは、どこなんだよ」
そう呻きながら、こぼれる涙は止められなかった。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
森に来てから、4度目の太陽が昇る。
しばらくここで歩きまわって、わかったことがいくつかある。
第一に、認めたくないが、ここはおそらく俺の知る世界じゃないということだ。
最初に襲われた生物もそうだったが、ここではまるで俺が見たことのない
生物が生息しているからだ。
しかもその中には、何もない空中から水を生み出して撃ち出してきたり、土を思うままに操る生物もいる。
それを見たら、異世界であると認めざるを得ない。
そうだとすると、学校前で世界が歪んだと感じたことはあながち間違いではなかったのだろう。
あの恐ろしい激痛も、異世界に移動した証だったのかもしれない。
第二に、どうやらこの異世界の環境自体は地球と酷似しているようだ。
でないと、俺はこの世界にきた瞬間に気圧の差で膨れて死ぬか、つぶれて死ぬか、あるいは窒息して死ぬかしていたずだ。
水もそうだしな。
というか、この4日、水しか飲んでいない。
もはや足も動かなくなってきた。
「・・・・・・」
でも、これでいいのかもしれない。
空腹で頭が回らないのは、悪いことばかりでない。
どこに向かって歩いているのか、それを考えなくて済むから。
ただぼんやりと、早く家に帰らないと、それだけを考えながらふらふらと歩いていく。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
「~~~~~~?」
「・・・ん、ん?」
いつの間にか意識を失っていたようだ。
「~~~、~~~~~?」
夢か現か曖昧になる程朦朧とした意識だったためか、それに気付くのに数十秒を要した。
「ひ、と?」
人影だ。
俺を見下ろしながら、何かをしゃべっているようだ。
ひとが、いるのか、よかった。
「~~~~~、~~~~~~~~~~」
ああ、だが。
やはりそうあまくはないか。
頭の中で苦笑する。
「~~~」
世界が違うんだ、言葉が分かるはずがないんだ。
「~~~~!」
俺を見下ろしていたでっぷりとした人影が何か言うと、その横から複数の男らしい影が出てきて、俺の首根っこをつかんで引きずっていく。
「・・・ていねいに、たのむわ」
言葉が通じていないことを承知の上で皮肉を言ってみた。
もう体を動かす力も残っていない俺ができる唯一の抵抗だった。
人に保護されたという安堵感など全くない。
ただただ、頭に浮かんだ最悪の事態だけは当たらないでくれと、そう願うしかなかった。




