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季節名の道  作者: 元国麗
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五十五話 一如と二代目



 男の手に握られた刀が鞘より疾走を開始する。

 それは、この場において戦いを開始する合図であった。

 だが、その攻撃の兆候を合図として走る敵の速度は異常!

 全力にて抜き放たれている筈の刃は未だ鞘のうちであるにも拘らず、敵の走りはそれを遥かに凌駕して、間合いを一気に詰めてくる。

 まるで先に抜刀しようとした男の方が後手であるかのような。そうとしか思えない常識外れな相手の身のこなしに今この瞬間にも刀を抜こうとする男は戦慄する。


 最早人間ではない!


 圧倒的な速度の違いは、男の体を本能から攻めより守りへと突き動かした。

 斬るための刃は未だ鞘の内であり、敵の方が速いと判断した男は、抜くことの出来た刃があるだけマシと言わんばかりに鞘諸共に受け太刀の用意を済ます。

 そうであらねば死ぬ。このまま行けば得物が死すこともあろうが、受けねばより確実な死が待つのみとなれば、致し方ない。

 しかし、その判断は悪手でしかなかった。

 もっとも、何をしたところで男の命運は目の前の相手と出会った時点で尽きていたが。

 男は死の間際、偶然にも見ていた。

 疾走してきた相手の足元。その前足は踏み込みからして右足であるべきはずが、左足となっているという奇妙な光景を。

 そして、その光景を見納めた男は呆気なく命を落としていった。



 一如=R=ロドブロクは腕を付け根から斬られたことで事切れた男が地へと倒れ伏す間も無駄にはしないとばかりに首を一切の躊躇いなく瞬時に切り落とす。そのままゴロゴロと転がる首を掬い取るように袋に詰めて、次いで死体も別の袋に詰める。手に刀を持ったまま片手で軽々とこれを済ませる姿は一如の腕力を物語っていた。

 死体を袋に詰め終えると、一如は何かをやり遂げたように一息吐いて、手にしたままの刀の柄を握り直すと、男を殺した場所に再び立ってゆっくりと同じ動作を繰り返す。


「足の踏み変えは良かったが、腕の使い方が甘かったか? 微かだが圧を感じた……」


 自身の動きをまるで稽古を終えた時のようにして検証する一如の眼光は澄んでいる。

 その目の向けられる先が、殺した相手の血溜まりであるとは信じ難いほどに。


「相手は目が利く奴だった。俺の動きを最期まで追っていたし、死を前にした瞬間に反応が速くなったということか? それなら今年も足を運んだ甲斐があるな」


 一如は己の居場所として定めた戦場から離れてまで来たことを後悔せずに済んだことを安堵と共に確信して、大小併せて都合十四の死体を詰めた袋を引き摺って歩き出す。

 ずるずると、袋に詰めた骸を引き摺って歩くこと三十分。一如は依然抜き身の刀を手にしたまま、町の入口へとやって来たところで黒い着物姿の女を見つけ、思わず口笛を吹いていた。

 瞬間、一如は即座に袋の紐を手放して首筋に手を当てていた。そこに傷を負ったような気がしてならなかったためである。

一如は女の気によって身体が勝手に動き、ありもしない傷を探したことにしばし呆ける。呆けた後で、魅了されたように熱い息を吐いた。


 丁度いいかもしれない。一如は直感的にそう思った。

 一体何に丁度いいのかと言えば、刀を振った後の熱冷ましに、である。

 たった今の出来事でそれなりに熱が冷めたことが、一如のその思いを強くする。


「これほどの熱冷ましには早々お目にかかれないか」


 一如は足を止めたまま、遠目から黒い着物姿の女を観察する。

 まるで滝のようだと、一如は女にそのような第一印象を受けた。それは石英を伴った藍晶石のような色合いの綺麗な長髪が一如の中で何かの符丁となったのかもしれない。

 とはいえ、女の柔らかな美貌からすれば妖精のような小さくか弱いものを真っ先に想像するのが自然なのかもしれない。そうならないのは、女から感じる気配の大きさのせいだ。

 見ているものと感じているものの印象のちぐはぐさに一如は思考に歯止めがかかりかけていることを感じて、それを打ち消そうと女へ向けて声を放った。


「やぁやぁ、そこの変わった着物姿のお嬢さん」


 この時、女は意外にも一如の声よりも刀を納めた音に耳聡く反応する。

 一如はそれを目敏く感知し、僅かに警戒の度合いを上げた。


「わたしですか?」


 振り返った女の顔をはっきりと見て、一如は内心で目を剥いた。玉のような肌に蒼く澄んだ水面を思わせる瞳の色。それを縁取る美しい形の睫毛、薄く色づいた唇は微笑みさえすれば必ずや魔性を備えることだろう。化粧っ気のなさを一目で感じていただけに少し残念がっていた一如は今この時に死に、食い入るようにして女を見ていた。


 この時、一如が見ていて一番気にかかったのは、女からははっきりとした魅力が感じられないことだった。何とも途切れ途切れなのである。まるで点いては消える灯りのような。

 食い入るように見る間に、女は短く言葉を発していたが、一如はこれをまるで聞かずに女の仕草を目に入れて、僅かに考えた末に気を落としていた。

 気配の大きさの正体は依然としてはっきりしないが、姿勢などから高貴な出自の人間であることを感じていたからである。娼婦であること自体は一目見た時から違うと感じていたが、高貴な身分であるなら手が出し難くなる。

 そうした地位の相手に手を出すことの厄介さを知るが故に、一如はますます気を落とす。


 下手に手を出せば、一如は自身の父親と同じことをしたことになる。

 そう、目の前の女を一如の母親と同じ目に遭わせるかもしれないのだ。

 一如がそのような事態に飛躍して結び付けたうえで思い返してしまうのは、今目の前にいる女が一如の母親に非常によく似ているからであった。

 一如の母は、一如の父により望まぬ子――一如――を産んだ直後、命を絶った。

それ故に、一如が知る母親の姿は実物ではなく肖像のみであったが、髪や瞳の色、顔立ちといった特徴がよく似ており、目の前に母が生きてここにいればこのような姿だったのだろうということを一如に思わせた。

 そうしてどこか夢想していたことが災いしたのか、つい触れてみたくなって手を伸ばす。

 だが、その手の届く距離から女が離れたことで、一如の手は空を切った。

 そこで正気に戻った一如が女を見れば、女はとても戸惑った表情をしている。


「わたし、幽霊じゃないです。それと、わたしの声、聞こえてますか?」


「ああ、別に幽霊だなんて思ってないよ。それで、お嬢さん」


「何ですか?」


 女の問いに対して一如は口を使うことなく、腕を使って女を抱き締めることで答えた。

 そこで、一如は女に左腕がないことに気付いたが、そんなものは些細な事と流していた。

 胸の奥にある熱が引くのであればと、一瞬だが脳裏を過ぎった過去――酷く曇った刀身と、父の亡骸――を一如は即座に打ち払いつつ、欲望のまま口にする。


「今夜の熱冷ましになってくれよ」


 一如の言葉を受けて、腕の中にいる女は身を固くするでもなく、かといって身を委ねるでもなく、ひどく掠れて声にもならない音を呼吸と共に漏らしていた。


「――ぇ、――え? 熱冷ましって……だからその、わたしは幽霊じゃなくて」


 完全に混乱した様子の女の声が耳朶を打つ度に、一如は酔っぱらいのように笑う。


「幽霊だったら、こうして触れ合えないだろう」


「そうです。それに温かいですから、熱冷ましにはならないと思うんだけど」


「いや、お嬢さんなら十分に俺の熱も冷める」


 この直後、女は自身を抱き締める一如の手つきが変化するのを事前に察知して、一如を思い切り突き飛ばすと耳まで真っ赤にしてしまう。

 目を潤ませるさまから見て、一如がしようとしたことに対するショックは隠し切れない様子だった。


「何するんですか! いえ、何しようとしたんですか!」


 一如はこれに納得が行かないという苦い顔をしてみせる。


「ちょっと、触り心地でも確かめようかと思っただけだ」


「……突然抱きついてきたのもそうだけど、わたしで熱を冷ますって、どういうこと?」


 一如は心の奥底では力ずくでどうとでもできると女を見縊っていたのでこれまでのやりとりをまるで気にしていなかったが、女の立ち直りの早さには純粋に驚いていた。何しろショックを受けてしまうような性質の相手である。

 しかし、非常に珍しいことに女は瞬時に冷静さを取り戻すだけでなく問いを発してきた。

 そのことが、一如の女に対する興味を引き寄せる。


「お嬢さん。俺は「今夜の」とも言った。そこは無視するのか?」


 一如は念押しするようにして言ったが、女は言われたことの意味がはっきりしない為か唸って考え始めてしまう。


「わたし魔法は使えるけど、そういう商売はしていないの」


 女の断りの文句はどこかずれており、一如はこんなことがあるのかと思わず天を仰いだ。


「お嬢さんはどうも、的が小さいみたいだ」


「的が小さい? もしかして、わたしは的外れなことを言ってたの?」


「確かに話が噛み合ってない。いや、俺としてはお嬢さんが惚けてるもんだとばかり思ってたからな。まさか本当に、そういうことに思考が行き着いていないとは思わなかった」


 言葉を聞くうちにとうとう一如の言葉の意味を理解したらしい女は唖然としていたが、時間が経過するにつれて首から上を真っ赤にして俯いた。


「えーと、そういうことはわたしの前で話すことではなくて、そうじゃなくて、あなたは一如=R=ロドブロクさんですよね?」


「何だ、俺を知ってるのか?」


 口にした瞬間には、一如の身体は女を殺す用意を済ませている。

 そして、それは完璧なる水面下の動作として処理し、気付かせる愚は犯さない。

 ついでに、少し脅かすつもりで左手にまだ残っていた血脂を舌で舐めとって見せた。

 が、普段あまりしないことに加えての血の味の不味さにすぐに吐き捨てる。


「ええ、去年の試合の記録映像から顔を見ていたので」


 しかし、女はまるで怖気づくことなく自然体で答えるのだった。

 むしろ、何も感じていないと言った方が適当なその雰囲気は不自然でしかない。

 それで一如は悟った。このお嬢さんは滅多に見つからない相手なのだと。


「へえ、俺の試合を見るなんて随分と物好きだな。自分でわざわざ言うのは気が進まないが、人殺しの記録なんて好き好んで見るような内容じゃないだろ」


 一如からしてみても、殺した相手の首を必ず切り落とすという試合内容は特殊な趣味を持つ人間の好むところであると思っている。

 それだけに、目の前の女が自分の試合を見たということが一如には意外だった。


「大会のレベルを知るのなら、一番上を見ればいいことですから」


 この予想外の答えに一如は唖然とするしかなかった。

 一体どうやって戦うつもりなのか? この女は何者なのか? 訊かずにはいられない。


「……まさか大会に出るのか? お嬢さんは何者だ」


「わたしはトキナ=エスタシア。型捨無流の二代目です」


「何、エスタシア?」


 この一如の反応に、エスタシアの表情が途端に不安そうなものへと変わる。

 それは一如がこれまでの、弟子を伴い幾多の戦場で名乗りを上げた際の経験とは違った反応をしているからだ。季節名でも、型捨無流にでもなく、エスタシアという名に真っ先に注意を移したのである。

既に滅びたとはいえ、エスタシアは仮にも王族の血を引いているのである。幸いにも今まで刺客などとは無縁の人生ではあったが、一如がその刺客ではないのかと内心ではすっかり怯えていた。

 エスタシアとしては、彼の反応は決して無視できないものだった。

 真実、一如はエスタシアという名をとても気にしていた。


「これは偶然か?」一如は誰にでもなく呟いた。


 まさかの三文字が一如の頭の中を覆い尽くすほどの群れとなって飛び交う。

 そして、心中で再び呟いた。これは必然なのかと。


「……」


 いつの間にか緊張した面持ちで一如を見るエスタシアを無視して、彼は考え始めた直後、それをそのまま口に出していた。


「俺の生き別れた姉と同じ名前だ。それに容姿も母親に本当によく似ている」


「え?」


 一如はこれまで秘匿し続けてきた己の出自について、初めて口に出して言った。

 名も姿も、疑うべき点は存在しない。加えて、父と一如以外には誰も知りえない姉の存在は、彼が長い間、誰にも頼ることなく探し求めたものであった。

 だからこそ、一如は姉に化けた刺客である可能性などを憂慮することなく、思い切って言葉を口にすることができる。

 一如は、己のこれまでの辛抱が実を結んだのだと心中で早くも快哉を上げていた。


「エスタシア=アッチェント。それがお嬢さんの名なら、お嬢さんは俺より八つは年上の姉であり、今ここで奇跡的な対面を果たしたことになる。しかし、今夜抱こうかと思って口説きにかかった女が実の姉だったなんて信じられない偶然だ。ところで、お嬢さんの歳は二十七ということでいいのか? どう見てもそんな風には見えないが」


 エスタシアは未だ少女と呼ぶべき年恰好であり、一如の思い描く姉の姿には重ならない。

 想像と大分違っている。これでは妹ではないかと、一如は目の前の現実に毒づいた。


「うっ、女性の年齢については触れない方がいいと思うよ」


 年齢の話題はやはり禁忌だったのか、エスタシアは大分狼狽えている。


「それはそうだが……それで、あんたは俺の姉なのか?」


 エスタシアは混乱に続く混乱で平常心を失っているのか、目を回している。


「騙そうとしてない? わたし、弟がいたなんて知らないし」


「俺の親父が国を滅ぼした時の戦利品が王妃、つまりは俺とあんたの母親だった。だから、国が滅んだ時にいなかったあんたには知ることはできない。父親違いの姉と弟。それが、俺とあんたかもしれないって話なだけだ」


 僅かに興奮した調子で言いながら、一如はエスタシアが本物かどうかを見極めようと全神経を集中させていた。

 それだけではない。仮に本物であったとして、一如自身を害する者かどうかということもまた、見極めようとする。何故なら、エスタシアの気配の中には常に無色透明な殺意があるということに気付いたからである。

 こういった空気のように自然な殺意を持つ相手の危険性を一如はよく理解していた。


 ――こういう殺意のある奴は、殺しに対しての否定的感情を一切持たない。


 それはもはや殺意と呼べるのかも怪しい。ただ言えるのは、殺し合いという行為をする際においてこの上なく厄介な資質と評すべきものだと一如はこれまでの経験で知っていた。

 この厄介な資質を一如は無色透明なものだと認識していた。純粋な殺意ではないながらも、殺人という行為を一切の躊躇なく行うことのできる精神の力として。

 エスタシアという滝。その滝壺にある闇は、一体如何なる感情の凝りであるのか。

 そして何故、それは殺意となって感じられるのか。


 ようやく出会えた実の姉には謎が多く、一如は知らず衝撃を受けて思考に埋没しかける。

 だが、それを引き戻したのは、そんな姉であるエスタシアの非難じみた言葉だった。


「……じゃあ、どうして仮にも姉かもしれなくて、その、年上の人にそんな言い方をしてるの? だって、今の話が本当ならわたしはあなたのお姉さんだし、でも年下には」


 大人げないような、しかしどちらかといえば子供っぽいエスタシアの言葉に一如は苦笑いを浮かべつつ、半ば反射的に言葉を返す。


「俺は今思ったんだ。歳と見かけが食い違うことをあれこれ言うのはおかしい」


 この瞬間の一如の頭の中は単純明快だった。

 一方は見かけよりも若く、一方は老けて見られる。それは当て嵌めればエスタシアは前者となり、一如は後者ということになる。

 まだ十代の若者であるところの一如は普段こそ大人びた自身の容姿を利用するが、いざ他人に年齢という具体的な数値と見かけを比較されるとなると忌避してしまうのであった。

 それ故に間髪入れずエスタシアの言葉に割って入ったのだが、入られた方のエスタシアはすっかり目を丸くしている。

 だがすぐに気を取り直そうとして、エスタシアは大きく深呼吸する。

 そこまではどこか思い切りの良い感じがあったものの、続けて指を組んでしまうとどうにも煮え切らない感じに変わってしまう。


「取り敢えず、これははっきりさせたいんですけれど、わたしって、あなたのお姉さん……なんだよね?」


 言葉も、雰囲気通りでどこか煮え切らないものが感じられた。

 だが、それでも一如は満足できた。


「あぁ、あんた……いや、貴女は俺の姉さんだ」


 一拍の間が空く。この合間に一如はあることを思い出す。


「そういえば、さっきは型捨無流の二代目って言ってたな?」


「はい。わたしは型捨無流の二代目ですけど」


 一如は純粋な好奇心からか、知らぬうちに笑みが浮かんでくるのを抑え切れなかった。


「大会にも参加するんだろう?」


「参加するけれど、それで、どうしてそんな風に笑うの?」


 エスタシアの問いは一如の笑みを深くするばかりだったが、実際のところ、一如本人にも己がそこまで笑顔になる理由は未だはっきりとはしていない。

 だが、こうして笑う時に相手に放つ言葉ならはっきりとしていた。


「同じ大会参加者として、是非とも、手合わせ願いたい」


 この瞬間、エスタシアの胸には一如によって点けられ、燃え上がる炎があった。

 それが、どういった感情を含むのかを精査することなく、エスタシアは頷いていた。

 当然のように、ごく自然のこととして。

 十年という月日の中で、エスタシアはこうした手合わせには慣れていた。

 否、慣れなければならなかったと言った方が正しいだろう。

 経験を積まずして、師である初代・季節名に勝つことはできないのだから。

 エスタシアの胸中の動き、それが目に宿る光となって一如にも伝わると、一如はどこか意外なものを見たような心境をその面に出した。

 しかし、それは単なる一如の見立て違いであったのだと即座に気付き、鼻で笑った。


 エスタシアは、よく見れば火の気質の持ち主である。

 本質的に感情に火が点きやすいその性質からして、一如の感情が飛び火したのだろう。

 早い話が、単純であるということだ。


「いいね。その気質は、嫌いじゃない」


「好き、じゃないんだ」


「姉さんと呼ばしてもらうが、姉さんはちょっと分かり難くて、何だか油断ならない部分がある。そして、それは今のところ警戒すべきだと俺は思っている」


「わたしって、どこか危ないように見えるの?」


「或いは水の如く。また或いは火の如く。そんな風に揺らいでいる感じがする」


 本来が火の気質でありながら水の気質を漂わせ、その奥底に根差すようにして木の気質すら併せ持つという異常さ。

 それは、魂をメッキで覆っているかのような虚飾性を一如に感じさせていた。


「そうやって形を変える魂の持ち主は、誰かに成り切ろうとしているというか、己を曲げているというか、見ていて冷や冷やさせられる」


「わたしが、誰かに成り切ろうとしている?」


 口調こそ疑問形だが、エスタシアは何か思い当たる節があるのか、目の光を消した。

 それから数秒、エスタシアは完全に心の内へと入り込み、何事かをじっと考えていたが、ほんの一瞬だけ一如を探るようにして見た後で目の光を戻す。


「そうかもしれない。いつも、わたしはあの人の真似をしていたから」


「真似していた相手は姉さんの師匠、と考えてもいいのか?」


「うん。その通り」


「ああ、成程ね。姉さんに時折感じる違和感は別人の面影で、その影の正体は姉さんの剣の師匠である初代季節名のものということか」


 型捨無流――噂通りの殺人刀だ。一如は内心で畏怖と呆れを込めて呟いた。

 型捨無流という流派は、二十年以上も前の頃から剣士たちの話題に上るようになった剣術であり、その強さは広く世に知られるようになったものの、その技を知る者が殆どいないという、半ば架空の流派であった。

 だが、半ば架空とされながらも、この流派の祖である『季節名』の名は天下に知れ渡るほどに有名であり、特に影響を受けた国では怨霊神から転じて武神として祀られるようになるほどであった。

 事実はどうであれ、『季節名』の名は確固とした伝説であった。

 そして、この『季節名』の名を継承したとされる者達にも様々な噂が実しやかに囁かれている。

 そのなかでも特に一如がよく耳にするのは「紅指」と呼ばれる三代目の噂である。

 手合わせを急ぐつもりのない一如は、好奇心に任せて訊いてみることにした。


「なぁ、姉さんはどうやって今代の季節名を育てたんだ? 噂で聞く限り、姉さんの性格ではどうやっても仕上がりそうにない剣士なんだが。二つ名も「紅指」と、また血生臭いものが広まっているようだしな。できれば、その由来なんかが知りたい」


「「紅指」、ですか?」


 訊かれたエスタシアの声は沈み、眉もいっそ見事と思える弱弱しい八の字になる。


「それは、あの子が『季節名』の中で一番、居合に力を入れていたことと、その技術を磨く過程で多くの血を流してきたことの証。わたしが、『季節名』として教えた結果です」


 自分としてではない。そう暗に口にするエスタシアの表情には微かな後悔の色がある。

 しかし、そうした個人的な事情に対して、一如は一切関心を示さない。話題を転換する気は全くないのだから。


「居合を使うことと、二つ名の関連性……成程、三代目は納刀の際に指で血脂を拭うのか。それで、血で紅く染まった指。「紅指」ということか。しかし、一体どうしてそんな名前になったんだろうな?」


「色が落ちなくなるほどに、あの子は人を斬ってしまった。わたしが手心を加えたせいで」


 口に出すことを内心の苦悩が遮るのか、エスタシアはそれきり口を噤んでしまった。

 それと時を同じくして一如は未だに血に染まった己の左手の親指を視界に入れたことで言葉の意味を理解し、そのことを手を打つことでエスタシアに示した。


「悪党などに情けをかけて、それが裏目に出た時、師である姉さんの責任を取ってきた。その結果だということなのか?」


 エスタシアは心底気まずそうに首肯する。


「それでいて、わたしはあの子に人を殺めてはいけないと言ってるんです。実のところ、わたしのやり方で解決したことなど殆どないですから、反発は強くなる一方でしたけれど」


「凸凹というか、生き方を重ねてみれば面白い師弟なのかもしれないな。姉さんが季節名という名に高潔な騎士という意味を与えられたのは、三代目という影があればこそ、か」


「本当に、わたしがそういった一面だけでやれてこれたのは、そういうことなのかもしれないです。そう、わたしが綺麗なままでいられたのは、そういうこと」


 エスタシアは一如ではなく、己に向かって静かに言った。ただ、そこに後悔の色はない。

 その時に浮かんだ目の色は、奇妙なことに嫉妬深い人間に特有のそれであった。

 一如は、この複雑な色を見せる姉の心境にただ嘆息するしかなかった。

 人を斬りたくないと思い悩みながらも、師と弟子は迷うことなく人を斬る。そんな二人の剣士の生き様に板挟みされた末に、息苦しさからか、嫌がることをできる二人を羨む。

 そこまで考えて、一如は姉に初代季節名の面影があることをすんなりと理解することができた。

 エスタシアは型捨無流の技だけでなく、心まで真似ようとしているのだと。

 気付いてしまうと滑稽でならず、一如は堪えきれずに笑い出していた。


「ねぇ、どうして笑うの?」


「姉さんは師匠のことが好きなんだなと思ってな。まぁ、悪い意味じゃないと思う」


 エスタシアは何かしら思うところがあるのか、一如を疑わしげな目で見ていたが、一つ息を吐くことで気持ちを切り替えてみせる。

 と、ここで背中から第三者による声が一如にかけられる。


「おい、あそこにある死体入りの袋はあんたのものか?」


 問いかける声は男のもの。武器は持っておらず、格好も地味であり、一目で実力の底が分かる程度の相手である。

 一如は問いの内容について検討しつつ、この問いによる変化を気にしていた。


「死体?」


 エスタシアが言葉と共に眉を顰め、一如を不審げに見る。

 今後のやりとりによっては間違いなく顔色を変えそうな気配である。

 ――面倒事にならぬようにしよう。

 一如はあっさりと決断を下すと、その顔に素早く笑顔を張り付けた。


「ええ、あれでも俺の商売道具のようなものでして」


 後ろ暗さなど微塵も感じさせない爽やかな笑み。

 一如自身がそう思って浮かべている笑みは、男の目には胡散臭くてしょうがなかった。


「葬儀屋……にしては、首と体が離れた妙な死体だけってのは、どういうことだ?」


 男の追及に対し、一如はただ男の目をじっと見るだけに留める。

 ほんの数秒経った頃だろうか。男はエスタシアを一時見てから、突然狼狽えると疑って悪かったとだけ言ってその場から立ち去って行った。

 エスタシアは何が起きたのか分からずに首を傾げたが、正直なところ、一如にも何が起きたのか上手く説明することはできなかった。

 ただ分かることは、男は一如に対して心の底から身の危険を感じて、逃げたのである。

 ともかく、一如はエスタシアに向き直って説明をすることにした。


「さっき男が俺のことを葬儀屋には見えないって言いはしたが、実は本当に葬儀屋でな。男は俺の顔を見て思い出したらしく、ああして去って行った訳だ」


「そうなんだ」


 一如のこの発言は、完全に口から出まかせである。

 しかし、エスタシアは信じたのか手品を見て驚く子供のように感心している。

 その隙だらけな姿に、一如はエスタシアの注意を掻い潜りながら刀の柄に手をかけた。


「それじゃあ、姉さん。また邪魔が入ると面倒だから、早速始めようか」


「え?」


 エスタシアが疑問の声を上げた時、彼女の視界に光が差し込む。

 それは、紛れもない剣光であった。




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