五十四話 柳と雪と秋
それは完全な不意打ちだった。
「うわ」
師匠から拳骨もらうのが恐くて逃げてたら、いきなりだ。
本当に運よく当たらなかったからいいものの、当たってたら間違いなく死んでた。
なにせ、使われてんのが真剣だしな。
ぎりぎりのところでよけたけど、勢い余ってゴロゴロと地面を転がる破目になった。
「危ねぇな!」
反射的にそう言って、犯人を見たあちきはその場から思いきり飛び退いた。
あちきの前に再び現れたそいつの間合いがまるで分からなかったから、とにかく距離を取ることで安全を確保する。
「シュエ・・・・・・てめえ、復讐しにでも来たのかよ? へへ、この前より随分とおしゃれじゃねえか」
頭に巻かれた包帯を見て皮肉っぽく笑って言ってやる。
シュエは頭に巻かれた包帯を軽く撫でつけると、呆れた顔なんかしやがる。
「この痛ましい姿を見て皮肉を言うなんてね。普通、怪我させたことを謝ると思うけど」
「みみっちい奴だな。怪我とか言うなら、あちきの方がかなり怪我したってのによ」
「それはお前が弱いからだろ」
こいつ、なんつう手前勝手な。
「それならてめぇの怪我だって、てめぇが弱っちいからだろ?」
口に出した瞬間、あちきはビビらされた。
その瞬間に、もう手遅れだと分かっちまったんだ。
それは現状に対してでもあり、あちき自身の気持ちでもある。
やばい。
シュエの奴の目付きがおかしなことになってやがる。
明確な殺意に彩られた眼光。それが煌めく時とシュエの手にした剣と同時になった瞬間、あちきの命はなくなるかもしれねぇ。
いや、今は気持ちの問題なんて放っておいて、泥棒を見て縄をなうようなこの状況を何とかすんだよ。
あちき頑張れ、頑張るんだ。
「何だよ? 仮にも格下とか思ってる相手にムキになっちゃうのかよ。修行が足らねぇぞ」
言いながら、あちきは極力姿勢を意識して、じりじりと間合いを取る。
傍目には引け腰には見えねえはずだけど、逃げようとしてんのがすぐシュエにばれた。
そんで、シュエはあちきの虚勢が可笑しくなってきたのか、ちょっぴり笑顔になる。
それこそが、あちきの狙いさ。
この前のまぐれ当たりだって、てめえのそうした態度が原因だろうが。
確かにてめえはすげえよ。
この前の動きだって全然見えなかったくらいだ。
本当に、剣に関しちゃ正真正銘一流なんだろうさ。
けどな、隙を見せる瞬間は、本当に三流なんだよ。
「らあっ」
師匠の刀を地面に突き立てて、それを支えに体を浮かして蹴りを三回浴びせるようにして叩き込む。
真剣相手にやり合うには無謀かもしんねぇけど、普通はやらねえだろうから、やる。
それに、蹴りに関しちゃシルクリムからしっかりと教わってる分、下手に剣を振るうよりもマシだってことをこれまでの経験から学んでるしな。
奇をてらったこの蹴りは当たりこそしなかったけど、三回とも掠った。
空振りじゃねえ。いい感じだ。
張りぼてかもしれねえけど、とりあえずの自信は持てた。
シュエは反撃する素振りを見せない。どころか、刀をわざわざ左手に持ち換えて、右手を顎に当てて考える仕草をする。
そうやって、余裕を見せ付けてくる。あぁ、頭に来る。
「お前、拳法使いだったのか。それにしても、驚いた。白刃に対し何の守りもない両足を曝すなんてね。普通は脚甲ぐらいつけるだろう。馬鹿なのか?」
「お利口にしてて勝てるんなら、誰も技なんか考えずにルールを作るだろうさ。だからどいつもこいつもバカになる」
気付いてみりゃ、あちきは震えてた。
けど、震えている分だけ頭に来てるからな。
遅れて、全身から力が湧いてくるのがはっきりと分かる。
へへへ、本当にバカになっていやがる。でなきゃ今、充実感なんか覚えねぇ。
「なるほど、それもそうか」
シュエが呼気と一緒に構えを解いた。
その一連の動作の流れが師匠そっくりで、こいつの才能ってやつがよく分かる。
そのまま流れるように今度は刀を肩に担いで、腰を大きく落とす構えになる。
それで血の気が失せかけるのを、あちきは頬を張ることでどうにか防いだ。
今のが、相手を気で呑むってやつなんだろうな。
薄っすらとそんなことを思う間も、あちきはシュエから目は離さない。
重心は思い切り前足に。半身をずらして避けるとか、とにかく退くことが頭にない。
そんなシュエの構えは攻めの兆候を見切って、一気に間合いを侵略して斬れば勝てる。
でも、あちきじゃあ見切れねえから、勝てない。口惜しい。涙するくらいに。
担ぎにも似て見えるシュエオリジナルの構え。
峰が肩から二の腕の方に落ちたところで、シュエの足元から急に土煙が巻き上がった。
今の何なんだ? まさか魔術――
「呆けている場合か?」
「!」
いつの間にか間合いが詰められてる!
咄嗟に横に飛び退こうとした時、目に一瞬差し込んだ凶器の光に気付いて地に伏せることで間一髪のところでやり過ごす。
その最中にもシュエからは目を絶対に離さない。攻撃そのものが見えないのは今のでもよく分かった。なら、見えるこいつを見るしかなない。
睨むようにして見れば、シュエはあちきの動く方向を予想して刃を構えただけ。
それは足を引っ掛けようと縄を張るフリをするのと大差ない。
でも、その構えを見た瞬間に寒気が背筋を襲ってくる。
いつの間にか、シュエは背を向けていた。
足を交差させて、捻りの入った胴は引き延ばしたゴムみたいに力を溜めてるのが分かる。
師匠が見たら(見えてねえけど)隙だらけだって言うに違いない構えだ。
でも、一連の動作とここまでの流れからいって、この隙は隙にはならねえ。
何故なら、あちき自体が既に隙を晒していて、シュエはその隙を利用しているだけだ。
あちきの隙を十二分に活かした、シュエが刀を振るう。
軌道は誰の目から見ても明らかな、下から上への切り上げ。
狙いは、伏せたことで差し出す形になっているあちきの首だ。
その狙いの分かり易さは、先読みのできないあちきからすれば天の助けに違いなかった。
「うおおっ!」
「!――またか」
あちきは死ぬ気で立ち上がる。無茶だとは分かっていたものの、言いようのない痛みが足に走った。
鼻先を刀が掠める感覚と一緒に、刀から殺気が伝わってきて、気が遠くなりかけた。
大して動いてもいねえのに汗がすげえ飛び散っていく。
それが自分の血だなんて変な考えが出てくるんだから、洒落になんねえ。
本当にそうだったら、もう死んでんだからな。
そんでもって、そんな風に考えてたら、次こそマジで死んじまう。
あちきは内心で大慌てしながらも教わったことを守って慎重、かつ大胆に距離を取る。
この手の動きは師匠の都合からか熱心に教わってる。それが功を奏した。
「また、かわした」
ふとした呟き。
シュエの奴は、攻撃を繋げることはせず、動きを止めると不満げにそう口にした。
「一瞬小さく跳び上がって、体を引くことで剣の軌道から一寸だけ離れて、そのまま立ち上がる。そんな動作を殆ど同時にやってのける俊敏さ。才能がまるでないと言ったけど、驚いた。最初に会った時には上体とそこに付随する足捌きからしてお粗末だったから、ああ言ったが、あの時のお前は型捨無流を学びもしていなければ、剣士でもなかった訳だ」
淡々と、それこそ淡々と口にする。人間じゃなく人形が喋るように。
その目は決してあちきの方を見ず、じっと自分の刀に固定して。
陽の光を受けているその刀は、かなり物騒な光を放っている。
けど、何でも斬れるようには見えねえ。
まぁ、刀の良し悪しなんて、あちきにはてんで分からねえんだけどな。
「ヤナギ・・・・・・だったな。お前の才を今ここで使い潰させてもらう」
才だって? それと使い潰すって、あちきの才能とやらは消耗品かよ。
「要領を得ないといった顔だな」
どうも顔に出てたらしい。それにしたって、こいつがこんな風に話しかけてくるなんて、本当に意外だ。それこそ淡々と、何の感慨もなく戦いそうな雰囲気をしているのに。
「当たり前だろ。才能ってのは伸ばすもんであって、使い潰すようなもんじゃねえよ」
「そうだな。だから、お前には才能がない」
そこまで言って、シュエはまた刀を担ぐ。さっきよりも姿勢が低い。
構えると殆ど同時、今度は地面を蹴って飛び出してくる。
まるで水の中を泳ぐように魚みてぇに、スーッと間合いを詰めてくる。
けど、跳んで早々に失速してやがる。足でも滑らしたか?
地に足を着ける瞬間を狙えば、たとえ傷を負うことになっても、あの構えからして速くは振れねぇだろうし、傷もそう深くはならないだろう。それに、痛いのには慣れっこだ。
あちきにとって何も問題がねえなら、これは千載一遇のチャンスか。
考える前に体は動いてる。
「もらったぁ!」
空の彼方へとぶっ飛ばすつもりで、シュエの顎を狙って左の蹴りを放つ。
タイミングは完璧だ。
そこで、シュエの足が地に着く。
途端、またあの謎の土煙が巻き上がる。
そしたらどういう訳か、あちきの蹴りは空を切った。
「嘘――」
あちきが口にする間に、蹴りを一寸引いた所から見送るシュエは、軸足の膝を折って、バネ仕掛けみたいにこっちに跳んでくる。
今度は明らかに飛距離が大きい。体当たりなんてするはずはねぇだろうし、このまますれ違いざまに斬るつもりなのか。
とにかくモタモタしてらんねえ!
「だろ!」
有り余ってる勢いを利用して跳躍と共に右の蹴りで迎撃する。
斜め上がりだった蹴りと並行に振られた刀は上手い具合に衝突して、何とか凌げた。
そんで、足がなくなっていたかもと遅れてビビる。踵がすげえ痛えよ。
「また、これもかわすのか」
「どうしたよ? この間と比べて随分と遅いじゃねぇか」
「・・・・・・チッ」
シュエの奴が腹立たしげに舌打ちする。段々と余裕がなくなってきた証拠だな。
逆にあちきは調子に乗ってきてる。気分が良い。
でも、ここで堪えねえとまずい。
そもそも、あちきには逃げるって目的がある。
どうやって逃げるのか?
とにかく、それを考えるんだ。
「シュエ、あちきは今思った。おめえと戦う意味がねえってさ。少なくとも、あちきには戦う理由なんざない。おめえはどうなんだよ?」
何だかんだで、刀でいきなり切りかかってくる奴だ。口で言って分かる相手じゃあねぇだろうが、無視する気はねえはずだ。
「理由ならある」
「なんだよ?」
「私は型捨流を既に修めた。そして、新たな流派を名乗るに際して、私の剣術が支流であるというのは気に食わない。だから、本流の相伝の証たる野太刀、『季節名』をもらい受けにきた」
奪いに来た、の間違いだろ。師匠ならムドウモノだとか言って叩きのめしてるぞ。
「あー、要するに自分が本流になりてぇって、そう言うんだ?」
支流の支流なのに?
「そうだ」
マジなのかよ。それじゃあ逃げても追われ続けるってことか?
いや、命が惜しけりゃ刀捨てて逃げる・・・・・・ダメだ。それじゃあ師匠に殺される。
誰かに預けるならどうだ? 師匠は無理だし、あの姉ちゃんに預けたら折られるかもしれねえし・・・・・・どういう訳か八方塞がりじゃねぇかよ。
この選択肢の少なさはおかしい。
けど、考えても埒が明かねぇようだし、ここはあちきが頑張るしかないのか?
それを確かめようと、ほんの少し右足にかける体重を増やす。
踵のから響く痛みは引くどころか、足首全体にまで広がっていやがる。
「あのー、シュエさん」
「何だ? 足が痛むのが気になるのなら、気にするな。いずれ痛みは無くなる」
そう言って、シュエは変形の担ぎを構える。
痛めてることを見抜かれて、余計に冷や汗が出てくる。
しかも、あちきの体は死にたいのかこの土壇場で音を上げやがった。
くそ、シュエの奴……狙ってやがったんだ。
攻撃もせず、妙に時間をかけていたのは、あちきの疲れが表に出てくるのを待っていたからってことなんだろう。
そんなあちきの考えを、目の前のシュエがしたり顔で肯定してきた。
何てこった、考えを読まれていやがる。
やべえぞ、もう完全に息が上がってきた。
あれだけ走りこんだってのによ・・・・・・ちくしょう。
「おいおい、物騒過ぎるだろ? 頼む、命だけは勘弁してくれねぇかな」
あちきは息苦しいのを堪えて命乞いをすると、シュエは心底意地の悪い顔で笑う。
「お前は、戦いにの中に生きる気がないのか? 型捨無流という殺人剣を学んでいるお前が、物騒なんて言うとはね」
「それを言うなら、活人剣を学んだおめえは、どうしてそんな物騒なんだよ?」
「お前には関係の無いことだ」
「けっ、そうかよ。嫌な奴だ」
空気の重みが変わった!
シュエの姿勢が徐々に前のめりになる。
多分、動きはさっきと同じで、バカ正直な一直線だと思う。
あちきは本能的に、集中しようと目を凝らす。
そこで、いきなり視界がぼやけて、何も見えなくなった。
衝撃があちきを襲ったのは、それとほぼ同時だった。
気付いた時にはあちきは脇腹を斬られて、糸が切れた人形みたいに崩れ落ちた。
痛いとか痛くないとかの次元じゃねえ、完全に力が抜けていくっていう感覚が、とにかく怖かった。
まさか、あちきは死んじまうのか? 勝手に涙がこみ上げてきそうになる。
「・・・・・・服の中に短刀でもしまっていたのか。悪運の強い奴だね」
「・・・・・・う?」
この時ばかりはシュエの言葉に感謝しとく。本当に死んだかと思って動かなかった指先が、今の言葉に反応して動いたんだからな。
「はぁ、くっ」
あちきはこれまでしてきたように、気合いと根性で立ち上がる。
気付けば息まで止まってたらしく、呼吸を荒く繰り返す。その度に体の中が痛んで膝が落ちかけた。
いつの間にか霞んでろくに見えなくなった目を凝らしてシュエを睨む間、脇腹に手を当てて服の中を探ると、シュエにやられた切り口から短刀の仕込まれた柄が地面に落ちる。
あちきはそれを慌てて拾おうとした。
普通に考えて、拾えない距離じゃねえのに、なのに手が届かず、空を切った。
「なんでだよ・・・・・・」
殺されるかもしれねえのに、この土壇場で、なんで・・・・・・なんで届いてねえんだ!
あちきの焦る心に火が付いて、頭の中がこんがらがってくる。
シュエがどう動くのか見極めようにも、目が霞んでるし、おまけに心臓まで騒ぎ出してきやがったから耳もバカになっちまってる。
気が、殺されたってことなんだろう。
そこに何の前触れも無く、あちきの心の中に現れた師匠が「無理だ」って言いやがる。
なら、このまま死んじまうのか? そう思った時、シュエがくつくつと笑う声がおかしなくらいこの場によく響き渡った。
「やっぱり消耗品だった。お前が型捨無流の四代目とは、型捨無流はもう終わりだね」
「あちきは、四代目じゃねえつってんだろ!」
カッとなってあちきが言えば、シュエはため息を吐いた。
「いいや、お前は四代目だよ。型捨無流という流派はそういうものなんだ。だから私は、型捨無流を学ばなかった」
「……どういうこった?」
どうやらシュエはまたおしゃべりをする気になったらしく、おかげであちきは柄を拾うことができた。
敵に武器を取らせるなんて間抜けもいいとこだ。おかげで命拾いしたけど。
「あれは師が教えると真に思った弟子にしか伝わらない。そして、一度師が弟子を定めたのなら、たとえ師が技を教えずに果てたとしても、弟子は自然と体得してしまう。
教われば、必ず身に付いてしまう流派。それが型捨無流という剣術であり、呪いだ」
「呪いだって? おいおい、冗談はよせよ」
その手の話は苦手なんだよ。
「呪いでないなら、何だ?」
「そんなこと訊かれて分かるかよ。あちきはまだ、基礎の基礎しか教わってねえんだ」
「なら、型捨無流の三形は知っているな」
「あぁ、「妖」形は自分で作れとか言われたのなら覚えてる」
「ほら、やっぱり四代目だ」
「だから、何でそうなるんだよ?」
てめぇには相互理解ってやつが必要だと思うね。
「私の師であるカイルは始祖から「剛」形のみを教えられた。差し詰め、それしか教える気がないと断言されたようなものだ。言っておくけど、私の師は私が認めた一角の剣士だ。そんなカイルであっても教える気がないとされた三形を、お前は口伝とはいえ教えを受けている。さらには「妖」形を工夫することをあの三代目に命じられている。そんなお前がどうして四代目でないと言える?」
「そりゃ、おめぇの考え過ぎ、勘違いだ」
師匠はあちきに才能が無いってはっきり言った。「無理」だってよく言ってる。
だから――
「あちきじゃ、きっと四代目になんかはなれねえ。でも、剣は最後まで教わるつもりだ」
「最後まで教わる? なら、お前の言う最後は随分と中途半端だ」
言われてハッとする。その通りだ。あちきの言う最後って、本当にどこまでなんだ?
基本を終えて、それで最後だったとして、あちきはそれでいいのか?
良い訳なんかない。あちきは師匠にもっと剣を教えて欲しいと思ってる。
ならどこまでやる? どこまでもやるに決まってる。
行き着くところは中途半端な最後じゃない。とことんまで行った先の最後だろ。
考え終わってみたら、可笑しくて、口の端が勝手に上がっていた。
「おめぇに気付かされるってのは気に食わねぇけど、あちきは中途半端なところで終わるのを認めそうになってた。だから前言撤回する。あちきは、四代目になる!」
それが魔法の言葉にでも化けたのか、霞んでた視界が一気に晴れる。
目が治って、手には武器もある。勝ち目はないにしても、やり合える。
見れば、柄の目釘はもうどっかに消えている。そのまま外装を取っ払えば、両刃の短刀がその姿を現した。
日の光を受けて輝くそれに、あちきは興奮してきて、握る手に力が篭った。
「若いだけに回復が早かったか・・・・・・けど、今日はあと一回が限度だろう」
「あちきの才能の話か? 使い潰すだのなんだのって、言葉であちきを惑わすつもりか?」
シュエは答える気がもうないらしく、刀を斜め正眼に構える。
それだけで、あちきがシュエから感じていた色んなものが、シュエの中に吸い込まれて消えていくのを感じて、あちきはシュエを不気味だと心底から思った。
「・・・・・・三代目のこともあるし、そろそろ決着を着けさせてもらう」
その時、あちきとシュエ以外の人の声が、風鈴みたいに響いてきた。
「拙者に何か用か?」それは、紛れも無い師匠の声!
「おぉ! 師匠!」
本当に神出鬼没といった具合の登場。けどそんなことはお構いなしに、あちきはこの天の助けに歓声を上げた。
そんな風にあちきが大喜びしてると、師匠はこのあちきの歓声が気に入らなかったのか、顔を嫌そうに顰めている。
「何でそんなに嫌そうなんだよ!」
「オマエに非はない」あっさりと答えを返してくる。「しかし、見つけてみればこんな事態になっていようとは。シュエ、何か言い訳はあるか?」
よく見れば、師匠の額には汗が滲んでる。あの師匠にだ。
そこまでして探してくれるなんて、やっぱ師匠はいい人だよな。
師匠が来て余裕ができたのか、そんなことを考えつつ、あちきはシュエの方を見る。
シュエの奴はずっと無言のまま、構えは解かずに体の向きを師匠の方に変えた。
「この前といい、見計らったようにして現れるね。今回ばかりは、ずっと現れないでいて欲しかったのだけれど」
「『季節名』をそこのヤナギが持っている以上、拙者は現れるさ。して、拙者に刃向かおうという気概は認めてもいいが、オマエが拙者の間合いに入ってくるというのなら、容赦はせぬぞ」
師匠は淀みのない動きで抜刀すると、脇構えになる。けど、それは構えているって感じがまるでしなかった。
敢えてそうしているという感じがひしひしと伝わってくる。手加減してるのかとも思えたけど、しっくりこない。ただ、する必要のないことをわざわざやってる気がする。
「型捨無流は野太刀を使う剣術、扱い慣れない定寸の刀を手にしてどこまでやれる?」
シュエのこの言葉に、あちきは開いた口が塞がらなくなった。
何でそんな強気なことが言えんだ? 相手は仮にもあの師匠だっていうのに。
あちきはあまりのことに、シュエのそんな点を尊敬しようかどうか少し迷っちまった。
「その手に持った刀は飾りか?」
師匠は静かにそれだけを言って、地面を少しだけ滑った。そうとしか見えない、無駄の無い足捌きっていうのは、まさにこのこと。
スッと間合いを詰めていく。そんな師匠の足捌きに、あちきは驚かされていた。
師匠は問題無いと思ったあちきはシュエの方に視線を戻す。こっちは全く動いてない。
いや、違う。あちきが目を離した隙に、師匠と同じ分だけ間合いを離していた。
「……」
「……」
二人とも黙りこくって何も言わねぇ。シュエにはもう完全に余裕がないってことだろう。
目に見える変化といえば、途中で何度かシュエの剣先が少し動いたくらいだった。
師匠から教わったことを当て嵌めれば、何かの誘いなのかとあちきが首を傾げたところで、シュエが構えを解いた。
「参りました」
シュエは恨みがましくそう言うと、あちきたちに背を向けて去って行った。
あちきは何がどうなったのかさっぱり分からず、師匠の袖を引いた。
「何だ?」
あちきの目に留まらぬうちに、師匠はいつの間にか刀を納めた状態で左手に持っていた。
これだけの速さならシュエが逃げ出すのも頷ける。けど、何をしたのかは師匠の口から聞いておきたい。
「一体何したんだよ? 参りましたって言ったなら、師匠の勝ちなんだろうけど」
「簡単な事だ。攻撃をするフリを何度かしただけだ」
「それのどこが簡単なんだよ? それだけで相手が引き下がるなら苦労しねぇよ」
あちきが食い下がるようにしてそう言うと、師匠は薄く笑ってあちきの頭に右手を置いてきた。蝋で固めたような硬い感触がした。
「確かに、それだけで済んだのなら苦労はあるまい。拙者がしたことは、フリによって相手、シュエが本能的に防御を苦手とする箇所、防御しようとする箇所を探ったのだ」
「それで探り当てられたから、あいつは引き下がったってのか?」
「ヤナギよ。オマエは喧嘩っ早い性格の割に、喧嘩自体はそれほど経験がないのか?」
「殴り合いとかそういうのは、物騒だろ。格闘技は少しやってたけど、そういうのは極力避けてたんだよ。これでも平和主義なんでね」
言った瞬間、師匠は吹き出して、しかもそのまま笑い始めた。
「笑うなぁ! 笑うんじゃねえ!」
恥ずかしくなって飛び掛かろうと体に力を入れても、頭に置かれてた手が邪魔でまるで動けない。
「いやいや、見誤ったことがこうも可笑しく、嬉しいとは、あははははは――」
しばらく笑い続けたあとで、師匠はようやく、あちきの頭に置いていた手をどけた。
「拙者のした事は何ていうことはない小技よ。例を挙げて言えば、素人同士の喧嘩のやりとりにもよくあることで、相手の攻撃に対して思わず目を瞑るということがあるだろう?拙者がしたのもあれと同じことで、攻撃するという気を相手にぶつけて、その反応をみただけだ。何も特別なことではない。違うのは、相手が瞑る目が顔にないことくらいだろう。もっとも達人ならば、そうしたものは巧妙に隠すか、消すなりするものだがな」
「じゃあ、それができないシュエは達人って訳じゃねぇんだ」
「そういう訳ではないな」
「じゃあ、どういう訳なんだよ?」
「アイツが自信過剰にも程がある行為をした結果、拙者に弱点を見せた。それだけだ」
「え? じゃあ自滅ってことかよ!」
やっぱあいつは間抜けじゃねぇのか?
「そうなるな。それよりも、オマエは拙者の時間を大分無駄にしたんだ。もう逃げるなよ。
傷の手当は、あとでしてやる」
師匠は怖い顔してあちきを睨んだかと思えば、柔らかく笑ってすたすたと歩いて行く。そんな表情とか動きを見てたら、言葉が本当に余計なくらい師匠の考えが分かって、素直に礼でも言おうかとも思ったけど、その背中は今まで知らなかった遠い世界の人間の背中で、あちきは結局、何も言えねぇまま目の前にある背中を追いかけた。