五十一話 人に教えて己に問う
青痣だらけになったヤナギを治療し終えた私は、治療する間にうるさいので無視し続けていたヤナギの言葉にしばらく考えてから言う。
「大きな課題、目標に目を向けることは重要ではあるが、だからといって小さな積み重ねの意味を失わせてはならない。オマエは自分の目標と今やっている積み重ねとの結果を知らず知らずに比べて評価し、その効率の悪さに気を取られてしまうから積み重ねに意味を見出せずにいる。しかし、積み重ねなければ、目的地へと向かわなければ永久に辿り着くことはできない。まぁ、より良い方法を探すことが悪いとは言わぬが、そういうことはやってみてから考える事だ。何より、拙者の教え方に文句をつけるのはやめろ」
「要するに千里の道も一歩からってことだろ?それになぁ文句を言ってるんじゃねぇってんだよ!おめえがあちきをどう鍛えたのか知りてぇって言ってんだ!何であちきはあん時にシュエに一太刀浴びせることができたんだよ!!」
反復される言葉は大音声として叩きつけられる。
周囲にあるものが震えてビリビリと小うるさい。大元の声はとにかく五月蝿い。
眉間に皺が寄らないように手で表情を保ちながら私は答えた。
「今それを知ることに意味はあるまい」内心をそのまま言う。「だが、感じたはずだ。己が強くなっている実感を」
「そりゃあ、まぁ、そうだけど・・・・・・」
怒ろうにも頬が緩んでいるのか声に怒りの込められない怒れない様子のヤナギ。
「積み重ねていけば、いずれ気付く。その時が来たのならば、オマエは極意を摑むだろう」
「じゃあなんだよ? おめぇはあちきの極意を知ってるのかよ?」
感情を隠さない言葉に可笑しさから笑うけど、私はそんなこと知らない。
「知らん。ただ、拙者とオマエの極意は全くの逆のようだと、そう思うだけだ」
「? ならおめぇ・・・・・・師匠の極意って何だよ?」
「手掛かりはもう十分だろう。後はオマエ次第だ」
「ちぇ、そこまで言うなら」
そうして質問を取り下げると正眼に構え、続けて木刀をつまらなさげに振るうのだった。
その一振りの留めに感じた手首の強さに僅かばかりの嬉しさを覚えて頬が緩む。
「ヤナギ」
「おう」
「そろそろ次の修行法を加えようと思う」
「おう。何だよ?」
「常に左の手に木刀を持て」
「それだけかよ? もしかして、飯食う時もそうなのか?」
だったら嫌だと無言のうちに語りかけてくる様に私は首を横に振ってみせる。
「いや、そこまでする必要は無い。ただ、なるべくそうしろ」
「そういやおめぇも左手に武器持ってたけど、いいことあんのかよ?」
「老化が遅くなると拙者の師は言っていた」
「あぁ、あの姉ちゃんか。なるほどねぇ、そりゃあいいやって・・・・・・それだけかよ!」
「そんなことよりも、足運びを気にし過ぎて姿勢が崩れているぞ。もっと上半身に意識を向けろ、姿勢を正すのだ」
構えと素振りの稽古は欠かさずに、且つ、体に今もなお習得させているから良いけど、足捌きが・・・・・・いざ動くとなると途端にそれも崩れてしまう。
「なこと言っても、足の位置がそろわねぇからふらつくんだろ?」
「違う。そう考えて足元を見ようとするから自然と前倒しになってふらつくのだ。さっき言ったように上半身を意識して姿勢を正せ。さすれば崩れぬ」
「お? 本当だ。ふらつかねぇ」
成功したことへの嬉しさが声に多分に交じっている。それはあまり聞かない声色で、ああ嬉しそうだなと、私自身も少しだけそうした感情を持たせられる。
「全く、身のこなしは悪くないかと思っていたのだが、足運び一つでこうなるとはな・・・・・・ガキだというのに妙な癖を身に付けたか」
「うるせえぇ!そう言うおめぇはあちきに教えた足運びなんか一つもしてねぇだろう!」
「拙者は盲目故、不動にて立ち合うようにしているだけだ。しかし、だからといって足捌きの一つも体得していないという訳ではないぞ」
「じゃあ見せろとか言うつもりはねぇけど、師匠はそれで勝ち続けられるのかよ?」
その言葉が心に引っ掛かるのは何故だろう。
気付けば私は既に左手に持った木刀を持ち替え、ヤナギの周囲を切り抉っていた。
「勝てぬと思うか?」
私は私の行いに後れて言葉を発する。
ヤナギは自分の爪先、その一寸先で行われた破壊に身を竦めながら、それでも私のことをまるで怯まぬ強い瞳で見ている。
見られている。それがはっきりと分かる視線に込められた感情は何なのか?
そうだ。この違い、違和感には何度か覚えがある。
気に入らない、というほどでもない。
強いて表すなら苦手な、あまり私が経験したことのない感情だった。
もしかすれば全くの未知のものかもしれない。
貪欲に、しかし静かで、まるで雨を待つ砂漠・・・・・・そう、まさに砂漠だ。
かつて『心眼』を強化する為に渡った水を貪欲に吸い続ける不毛の大地。
ヤナギはそれに近い渇きを宿している。
そして、私の肌にそれを訴えている。
危ない。
コイツは私にとって危ない心を持っている。
私が持たないからこそ抱くこの感情、危機感は思い過ごしなんかじゃない。
在り方と、恐らくはあるだろう才覚が、私の意識を無理矢理内側に吸い込んでまで危険を訴える。
魂の危機を感知させる。
だから何?
知ったことじゃない。
魂で勝負が決まるなら剣など持たない。
剣術も、そもそも武などという力も必要としない。
けど、そんなものは世界ではない。
無明の中にある私でもそれは迷いなく断ずることができる。
より強い力を得た者こそが勝者となる。
そんな私自身の信じるものへの揺らぎの無さを確かめていると、こっちの心の推移を見計らったようにしてヤナギが口の端を持ち上げたのが判った。
「力を振るう時には振るうってか?まぁ、あちきは怪我してねぇってことは、それは正しいってことなのかもしんねぇな」
「何が言いたい?」
「師匠は力加減がちゃんと出来てるから今のは暴力じゃなかったって、あちきなりに納得したんだよ」
ヤナギはそれなりに考えているらしい。
そういえば、このくらいの頃の私は二代目とどんなやりとりをしていただろう。
そう、丁度私も今のヤナギと同じ修行に取り組み始めて、教えられたのだ。
――刀は人を斬ることはしない。
――刀を握って振るうのが私なら、斬ったのは間違いなく私で、
――それが秋ちゃんなら、斬ったのは秋ちゃんになる。
生と死は一体なの。いい?
殺すは生かす。生かすは殺す。そこに至ってしまうと善と悪は剥がれ落ちる。
そして、戦い。これが時の争奪の縮図になる。
ただ、見出せないのは命の価値、命の本質。
とても遠くて、とても近い死のように、とても必要で、不要にもなる命。
過去が積もり、平等っていう敷居が高くなる度に、過去の偉人が未来の多くの生者の意味を喪失させる。そんな世において、命の数は増えていく。
――命ってなんなんだろうね?
さてね。そんなの知ったことじゃないわ。
私はただ、フォルティスと戦う二代目の剣に宿る何か、言うなれば人殺しの技を美しいと感じて、魅せられただけの人間に過ぎないのだから。
そんな私の思案を他所に、ヤナギはわざとらしくヘラヘラ笑って言う。
「師匠が強ぇのは改めて分かったけどよ、単にそれだけってんじゃ、今やってる大会は勝ち残れないかもしんねぇぞ」
「ほう、大会のことは知っていたのか」
「まあ、おめぇが話してんのを聞いてたからな」
この答えを聞いて、まぁそんなところだろうと思っていると、ヤナギは床に落ちていた紙を拾い上げて読む動作をする。
「ところでこの新聞、情報源としちゃかなり使える。今ここで開かれてる大会はここの恒例行事みてぇなもんらしい。それと、今回の参加者に関する情報も結構載ってるみてぇだ」
「となると、それをシュエが持っていたのは道理という訳か・・・・・・」
私としては全く頼れない情報源だったので思考の余地が無かったけど、今はそれができる状態にある。このままヤナギから情報を聞き出して役に立ちそうな奴がいれば会いに行ってみるのもいいだろう。
どうにもこの大会、座したままでどうにかなるものでもなさそうだしね。
「ヤナギ、参加者の中で腕が立つと評されている者の情報を読み上げてくれ」
「ん?あぁ、でもその前に余計なことを言っとく。師匠の名前がどこにもねぇぞ・・・・・・情報源としちゃこの新聞の精度は高ぇだろうし、だからこの情報に信頼を預けるって参加者は多いはず・・・・・・だからここから省かれるってことはそのまま師匠の情報としての価値を低くするってことになるんじゃねぇのか?」
「要らぬ心配だ。まだ最初の一ヶ月も経過していないのだぞ?つまり、まだまだ序盤、始まったばかりだ。もしも今のこの状況、この段階での情報を真に重要と受け取るのなら、それは軽挙妄動というものだろう」
「言われてみりゃそれもそうか」と言いつつもヤナギは何かを懸念している様子。
「何か気にかかることでもあるのか?」
試しに訊いてみると、何でもないと言い切られた。
その言葉に、嘘は既に無い。
コイツ、意外な所で摑みどころがないな。
それを思い私が訝るようにして見るのを敢えて無視して、ヤナギは情報を読み上げる。
「まずは天川恵吾。天気流と呼ばれる霊術の流れを汲む奇剣の七代目継承者。影読みと称される技を極意とする。昼間、影あるところでは無敵と噂されるが、影なきところでは技が鈍る、だってよ。
お次は一如=R=ロドブロク。竜殺しの戦士を祖先神として奉る一族の末裔。
超一流の使い手にして『蛇剣』と呼ばれる妖刀の使い手として怖れられる。備考・・・・・・ワイルドギース? なあ? ワイルドギースってなんだ?」
「・・・・・・傭兵のことだろう。つまりは金次第では味方に引き入れるのは容易いという事だ。それで、目ぼしいのはその者達のみなのか?」
「のみだな。確かに師匠の言う通り、今はこんくらいなんだろうさ」
「しかし、思いのほか選ぶのが早かったな」
「シュエの野郎がご丁寧に書き込みしてやがったのさ。気に喰わねぇけど確実だろう?」
「また思いのほか、と言うしかないな。嫌いな相手の言葉を信じるような真似をオマエがするなんて」
「あちきの先生みたいな奴が異教の教えだって言った後で教えてくれたんだよ。過去を追うな、未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ到っていない。現在の状況をそれぞれによく観察し、明らかに見よ。今為すべきことを努力して為せってな。要するにシュエが嫌いだからって、そいつの能力の程を一応は知ってる以上、使える情報をシュエがどうたらとか言って無為にするようじゃ正しい判断とは言えねぇってことさ」
「なるほど、オマエの好き嫌いはそういう風にしてなっているのか。確認しておくが、お前は何かを信仰しているのか?」
「うんにゃ。何も信仰してねぇけど、いつかはそういうのに負けねえ自分の足場を持てたらって、そう思ってる。そういうおめぇは何か信じてんのか?」
「無いな。故にオマエの先生とやらから言わせれば、私は理性の無い獣といったところだろう。しかしまた、拙者にも守る掟はある。強いて言うならそれが拙者の理性なのだろう。で、急に思い出したのだが、オマエに型捨無流の禁じ手について話しておこう」
命題として「空」、勝つ為の最善を尽くすならいかなる手段も問わない型捨無流の剣には何故か一手だけ禁じられているものがある。私自身口伝のみの教えだったため未だにその本質には到っておらず、それどころか危うく忘れかけたこともある。
そんなものだから、忘れぬうちに伝えておくことにした。
「脛斬り。この一手だけは型捨無流の禁じ手とされている」
野太刀を振るう剣術であるにも拘わらずに、だ。
野太刀を得物とするのなら確実に有効な一手であるはずなのに。
「それだけかよ?」
「それだけだな。それと、開祖の遺した教えを一つ、オマエに授けておこうと思う。もっとも、こうした教えを理解したところで、それは各々の理解であって開祖の剣に近づくことはあっても同じになることはないと、始めに言っておく」
「何だよ?それだと教えることが二つじゃねぇか」
「とにかく教える。これは気を殺されぬようにするためのものだ。いいな?」
「おう」
「安全だからといって、今生きているという危険を忘れてはならない。生きるからこそ死ぬのだから、そのことをゆめゆめ忘れてはならない。それは不覚油断の到りなり」
「要は気を抜くなってことだろ?なんでそんな物騒な言い回しすんだよ?」
「拙者にそれを聞くな。だが、オマエの言う通りだ。気は抜くな。気を抜けば時に呑まれ、時に気付かぬ。それが死合いともなれば、」
「気を殺され、そのままバッサリ、だろ?」
「そのとおりだ」
「でもそれは負けない為の教えだろ? 勝つ為のやつを教えてくれよ!」
なるほど・・・・・・ね。これでコイツの志向の輪郭は見えたかな?
「何に負けぬ為の教えか判って言っているのか?」
「相手だろ?」
「未熟」
「何ぃ?!」
「相手に真に勝つ為の教えなどない。あるとすればそれはただ殺すためのものだ。死合いにおいて相手を殺すことは、開祖からすれば糞勝ち、と思われるものだったらしい。ただ、この辺りは二代目がそうしたような吐露を聞いたというだけのことらしいが」
正直なところ、訳が判らない。殺せば勝ちだろうに。
生きる者こそが勝者なのよ。死人は敗者だ。だから殺す。殺す殺す殺す。
殺すことは勝利。それを是とする剣の筈なのに、一体、何を思ってそんなことを言ったのか?そう思いながらも教えるのは私が師であるからだ。師は弟子に己の授かった技を正しく教える。あの二代目も結局は私に型捨無流――殺人剣――を教えたように。
「開祖って、本当に強くなりたかったんだな。なんか、やっぱ、あちきの思ったとおりだ」
耳に入った言葉が一瞬で頭の中を空にする。
ヤナギは何か判ったようにして得意げになっている。
何が判ったの?
それが私にはさっぱり判らない。
「ヤナギ。一つ訊いてもよいか?」
「何だよ?」
「オマエは型捨無流を何だと思っている?」
「まだ分かんねぇよそんなこと。ただ、おめぇが師匠ならって、そう思ったら強くなれる気がしただけだよ」
またもや放たれる意外な言葉に私は地に根を張ったような様となる。
「・・・・・・何?」
「初めて会ったときに言ってたことがあっただろ。あれ聞いたときに、そう思ったんだよ」
「何故そう思った?」
「それに関しちゃあ言葉じゃ言えねぇ・・・・・・。だってよ、言葉よりも先に覚えたことを言葉にしなきゃなんねぇんだぜ? そんな簡単にはできねぇよ」
「そうか。ならば、その答えを剣で探してみるといい」
「剣で? 言葉じゃねぇの?」
「オマエが拙者に何かを感じ、それに通じるものが剣であるのならば、その想いは言葉ではなく、剣に込めろ。もし、オマエの剣にその想いが込められたなら、拙者がそれを剣で受けよう。そのときは・・・・・・・・・・・・」
そのとき私は、どうするというのだろうか?
そう思った瞬間に出掛かった言葉が頭の中からすっぽりと抜け落ちる。
そのことに私は呆然としていた。
そのせいで、ヤナギに小突かれて気が付くという失態を犯していた。
「!」
「うおっ! 何だよ! そんな驚くなよ!!」
「あぁ、驚いたのだから仕方ないだろう。それで、オマエまで驚くのはどうしてだ?」
「そりゃあ、師匠はいつも物静かそうな雰囲気してるから? だよな?」
「だから拙者に聞くな」
ふと、時間が気になったので体内時計で時刻を計れば、昼過ぎといったところか。
そういえば、アユムに命じられたことを片付けないと。
「ヤナギ、『季節名』を持ってついてこい。少し外に出るぞ」
「稽古はどうすんだ?今日はまだ全然してねぇだろ」
「体を動かすばかりが稽古ではなし、それに今日から始めると教えたことがあるだろう?それをするだけでも稽古にはなる」
「そうかい」
納得が行ったらしいヤナギは太刀懸けから『季節名』を取るとそれを体に括り付け、木刀を左手に持った状態で私の前へと戻ってくる。
「では行くぞ」
「どこに?」
「しゃれこうべの笛の音がするところに」