五十話 開祖の誘い(下)
人気の無い道を並び立って歩きながら、さくらは依然として手に棒を持ち、それを唸らせながら言葉を発する。
「目的は、歴史が狂うのを阻むこと。そのために歴史が狂う場所であるこの島をあるべき場所へと還すこと。方法は、この世界を刺激する戦いという手段を取る。だから私はこの島で行われる大会に参加して勝ち残る。そうして戦いの影響を傍で見守り、時にはこちらから干渉していってこの島を元の場所へと戻すための道を作るんだよ」
詳細をぼかした言葉にクレーデルは疑問の声を上げようとして、やめる。
(今の話でやることはだいたい分かったし、不用意に頭の中に情報を入れるのはよそう。それに、目的はともかく、手段としては指示に従えばこなせるものだし、今聞いた限りでは別段、私に都合が悪いことはないんだし)
しかし、疑問はやはり残る。目的の達成において必ず現れると直感した敵の存在についてさくらが何も触れないことの薄気味の悪さを、クレーデルは現に全身で感じていた。
しかしまた、と改めて考えたクレーデルは結局質問をする。
「それで、敵はどんな奴なの?」
その質問という行為に対するさくらの感情の動きは無い。
少なくとも、別に都合の悪いことを隠している様子ではないことにクレーデルは人知れず安堵する。
「敵は大会で武を競う相手全員だよ」
しかしそれはクレーデルの欲した回答ではなかった。
聞いた瞬間に、やはり何か隠しているのではないかと、すぐにでもそれを暴き立てようとする言葉が喉まで出掛かったが、そこを堪えて、言い直す。
「あんな大怪我まで負って芝居する必要があった敵は何なのかって訊いてんの」
そう訊けば、さくらは少しだけ感心した様子を見せる。
それが馬鹿にしているのかどうか判然としないクレーデルは目つきを険しくつつも、コートからミルクキャンディーを取り出し、包み紙を剥がしてそれを口に含むことで落ち着きを取り戻す。
ふと、さくらはそれらのことを行う僅かな時が、ふいに長いもののように感じていた。
そのふと感じ取ったものの精査に時間をかけていると、それを黙秘していると受け取ったクレーデルが言葉を発する。
「答える気はないってこと?」
返答如何によっては本気で逃げるつもりだと理解しているさくらはしかし、その心を変化させることはなかった。
「今回は敵のことは気にしなくていい。むしろ、気にしていると時間の無駄になる」
「・・・・・・気にしなくてもいい理由は何?」
「芝居を打った相手がその敵でもあるからだよ。その人物が私を倒すっていう役をこなすことで、敵の注意はしばらくこちらに向かないようになってる」
「あっそ。それであたしは大会に参加することになっちゃってるんだよね?」
これにさくらは当たり前という顔をして頷いてみせる。
それにクレーデルは弱ったなという顔をしつつ言う。
「この世界は戦いで刺激されるって言ってたけど、それってこの世界全体に適用されてるルールみたいなものなの?」
真偽に関係なく、興味を引かれた言葉について尋ねれば、さくらは首肯する。
「根拠は?あたしは理想やら妄想には付き合わない。今はあんたが嘘言ってるようには思えないからこうして付き合ってるけど、それがあんただけの現実じゃないって信じられるものがあたしには決定的に欠けてる。だからせめて納得の行く言葉が欲しい」
「賢明だね」さくらは呼吸の中に微かな笑いを含ませる。「クレーデルは歴史に奇妙な空白があることは知ってるのかな?」
「それくらい知ってるわよ。戦争がある度に色々な技術が一気に開発されて時代が飛躍していくのをそう言ってるんでしょ?確か、魔法とかが発展すると「本当に」それが起きるとか言う話も聞くけど、元からそんな歴史はなかったってことになってて、でも技術だけはいつの間にか普及してるから・・・・・・きっと、多分、あったことになってて」
言い募ろうとするクレーデルではあったが、その言葉を発する事が段々とできなくなり、代わりに、疑問の声が独りでに上がる。
そこへ、やがてはこうして言葉に詰まる事を予期していたさくらは言葉を被せる。
「不思議だよね。でもそうやって過去を知らないことでこの世界は成り立っている。新たな命という白紙の紙がなくならない限り、この世界は今あるものは元々あったものだと書き込んで、その紙の所有者もそれを信じることでこの世界は成り立っているんだよ」
「――狂ってる。どうしてあたしは、どうして誰も疑問に思わないの?」
「どうやって疑問として明示すればいいと思う?だって、あまりに暗示的なんだから、何かおかしくないかなと思っても、そこで考えることをやめないといけない。そうじゃないといけないって、きっと本能で知ってるんだよ」
「もしかして神の摂理? でももし、みんなが疑問に感じたら?」
「記録する為の資料を残し、古い紙は全部焼却して、新しい紙を大量に作り出すだろうね」
「まさか、それって、今いる人間皆殺しにしてまた新しい人間を同じ数だけ生み出すってことを言ってるの? いくらなんでもそんなこと、できるわけがない」
「私もそう思いたいけど・・・・・・きっと過去に一度か二度は行われている筈だよ」
確証が無い。それは信じられないと言うにはとても便利なものだったが、クレーデルはそれを口にすることを躊躇った。
(可能性はあった。ということは、さくらはその可能性を示す何かを知ってる。そこに嘘は無いと私自身が判定してる)
「一体誰がそれをしたっていうの?ちょっと待って。少なくともあたしの故郷はそうはなってないはずだけど・・・・・・でも、そう大規模じゃないとすれば、その役目をあたしの所で果たしていたのは、吸血鬼っていうことになる。でもさくら、あんたのところには吸血鬼はいないはずだから、別の何かがいるっていう、そういうことになる」
知恵や力を持ち過ぎた人間は昔から吸血鬼に狙われるというクレーデルの中の常識が新しく入ってきた情報と繋がることで一つの想像となっていく。
一方で、その想像を実行しているという相手を知るさくらは妖気のある笑みを浮かべる。
「そうだね。それがクレーデルが聞きたがっていた私の敵になる。過去には敵を打倒しようという動きもあったけど、いまいち正体が分からないから、それをするのは今はやめてる。やることはこれから起こると分かっていることを食い止めていくということだけだよ。だから敵の正体については深く考えない方向で行く。それに邪魔してくるのは敵だから、戦っていればいずれ尻尾を掴めるよ」
真相というものは聞くものではなく見るものだと最後に付け加えられたクレーデルはその人智では及びもつかない説得力により内心において無理に首を縦に振らされる。
「随分とスケールの大きな敵だけど、あんたは敵足りえる存在なの?」
想像力ではもはや推し量れない敵の力の大きさを前にクレーデルは肝要なことを訊く。
問いに対してさくらはしばらく答えずに、ただ空を見上げていた。
「私は敵になれるかもしれないっていうだけ。彼らにとっての敵は別にいる」
「それは誰なの?その相手とは接触した?今の関係はどうなってるの?」
「そう矢継ぎ早に質問しないで。相手は墓守と呼ばれている。簡単に言うと世界の守護者という使命を受けた者だけど・・・・・・会ったのはこれまでに一度だけで、関係としては向こうは私のことをよく知っていて、私は向こうのことはよく、ううん。何も知らない」
「これ重要なんだけど、その守護者って今この島に来てるの?」
「確実に来ているはずだよ。ただ、私はあれが好きじゃない。あれは命を捨てるから。命を捨てるなんてことは、あってはならないのに」
強い感情が滲み出てくるその言葉にクレーデルは共感を覚えることはないにしろ、さくらのことを一つ知ることができた気がした。
(犠牲を出さないとは絶対に考えず、けれど無駄な犠牲は決して出そうとはしない人。それでいて犠牲を強いることをしない人)
少なくともそういう想像はできた。
そして、それが当たらずといえども遠からずというところであることも。
それはさくらという人間が、全く支配的ではないからそう思えるというだけなのだが。
「守護者っていうのは無駄に犠牲を出すような奴なの?」
「あれは私たちの住んでいる場所を守るのが役目だから住人のことは歯牙にもかけない。だから今後の行く末によっては私の敵になる可能性もある」
「参考程度に聞きたいんだけど、そいつはどのくらい強いの?」
「あらゆる世界の喪失の象徴だから、恐らくは秒増しで強くなっていることだろうし、正確には分からないけど、今は私よりも少し強いくらいだと思うよ」
「それは結構強いってことね」
「そうだね。結構強いよ」
言葉の終わりと共に手に握られていた棒が折れないのが不思議なほどに軋むのを聞いたクレーデルの顔に苦笑が貼り付いた。
「さくらの実力を低く見てるって訳じゃないからさ」
「いや、別にクレーデルの物言いに引っ掛かることはないよ。ただ、思い返せばやっぱりあれは好きじゃないと思ってね」
確かに表情にも雰囲気にも怒りは無かった。ただ、クレーデルとしてはああ言わざるを得なかったのだと、そう思うとどうにもやるせなくなり、やれやれと頭を振る。
「あっそ。ところで、大会に出るんだったよね?」
さくらはこれに首肯する。
「クレーデルを入れてちょうどチームが組める。だから、これからチームを組んだっていうことを言いふらそうと思うんだ」
「はぁ? 悪目立ちしたら芝居打った意味とか無くなるとは思わないの。一応訊くけど、考えあってのことだよね?」
「心得ているよ。さくらっていう名前を敵は知らないし、軽く変装すれば誤魔化せる」
「ならいいけど、予選が荒れるでしょ?」
「荒れた方がいい。だって、チームを早めに組めたとしても、三ヶ月という期間が終わるまでの間に他の参加者によって分解しないとは限らないよ。つまり、早く組めば安全だって甘く考えている参加者をそうやってまず落とす。
私がやりたいのはね、クレーデル。まずはチームを早いうちに組ませるようにして、その後で今言ったことを私が教えるためなんだよ」
「何、嫌がらせ?」
「そうでもしないと弱者が本選に紛れ込むかもしれない。強者との戦いを望んでやまない私としては、そんなのは我慢がならないだけだよ」
「そんなに強い奴と戦いたいの?」
「そうなる。けど、強さを見てみたいとも思っているよ。だって、今の私は勝負がしたい訳じゃないから」
「どういうことそれ?」
「心の弱い者がいかに武に優れていても、苛立ちを覚えるだけだからね。私は、心の強い者の武を見たいんだよ。ううん、最も強くなる瞬間を見てみたいのかもね」
「それがさくら、あんたの人生の目標だったりするの?」
「そうかもね。そうなんだ。一見弱そうな心でも、強さを見せる時は必ずある。それをこの目で見て、その力を武という形で受ける・・・・・・至高の瞬間だよ。どんなに稚拙でも良いんだ。そこに気が篭っていれば、満足できる」
語るうちに言葉に熱が篭ってきているのを感じていたクレーデルは、そこから感じ取れる気に対する寒心を堪えた。
(やっぱり、危ない気がする)
さくらの矛先がいずれ自分に向くのかもしれないと思うとクレーデルは憂鬱になる。
こういう心情に限り、生まれのせいか日の光が不幸のエネルギーに思えるクレーデルはとうとう溜め息を吐いた。
二人が森から出ると、大仰に手を振りながら男が一人やって来る。
とても人懐こい笑みを浮かべながらも、どこか締まりのある表情と人として大きく感じられる雰囲気。鍛え上げられた肉体は年齢的に壮年とは思わせない若々しさが感じられた。
半白となった髪を撫で付けつつ、男はクレーデルを視界に入れるとその手を取って力強く握る。
「やあ初めまして。俺はカイル=サークス。君が五人目の仲間なんだろう?女の子みたいだから気が引けるけど、まぁよろしく」
溌剌とした声と態度に気を取られること数秒。クレーデルは握手を解いてカイルを指す。
「あたしはクレーデル=サイフって言います。サークスってことは・・・・・・この人、さくらのお父さん?」
『違うよ。どうしてそう思うのかな?』
訊けば、二人の声が重なって返ってくる。
これにクレーデルは照れるのを隠すように頬に手を当て言う。
「違った? ええと、あたしの父親も・・・・・そのくらいの歳だからさ。自然な発想よ」
「そうなんだ」
そう言って、さくらはクレーデルから視線を外してカイルを見る。
「あの子はどうしてる?」
「シュエはこの間の子とまた喧嘩して、怪我したみたいでね。治療はしておいた」
「そう。それで、ノイルは何してるの?」
「彼女は猫みたいにフラッとどこかに行ったきり。探そうにも姿を変えてるだろうから、向こうが現れるのを待つだけだよ」
そうして会話をする中で、視線だけで何かを語り合っていることをクレーデルは悟ったが、それを問い質すことは至難の業だろうと早々に諦める。
「分かった。五人揃ったことだし、予選終了までの時間も大分ある。それに最後の一人は期待していたよりもずっと頼もしいようだし、もしかすると私たちだけで十分かもしれないと思えてきたよ」
「その線は望み薄だよ」
さくらの言葉にカイルはきっぱりと言い放つ。その表情には年相応の厳粛さが宿る。
「三代目の出方はともかくとして、お姫様は確実に敵に回る。あの娘が十年もの歳月を、さくらを倒すために割いていたのは知ってるでしょ? 避けることが出来ない以上は」彼の視線に真剣味が増す。「俺たちだけじゃ厳しい」
「やってみないと分からないよ」
「さくらならそう言うと思ったよ。でも分かって欲しいんだ・・・・・・人の可能性には限界があるってことを」
その言い方は大人が子供に言い聞かせるそれで、だからだろう。さくらの表情には明白に分かる困惑がありありと表れている。
「『人間はそんなもの』だって、その言葉を・・・・・・私はどうしても受け入れられない。それをカイルはよく知ってるはずだよ」
「だから言ったんだ。さくらはいつも人間として進む先を求めて、窮めようとしてきたけど、融魔としての力が強くなってきたここ数年のうちに君は変わった。今のさくらは人間を窮めようとするよりも、人間であることに拘ってる。だから在り方まで他人に似せてきてるし、でもそれはさくらの、いや俺の思う君の人を窮めることとは違うと思う」
「・・・・・・私が人に惑わされてるって、カイルはそう思ってるの?」
言い終えたその時、さくらの気配が死ぬ。
情動の全てを絶ったそれは無我の境地を思わせたが、クレーデルは否と直感する。
(鎮めた訳じゃない。到った訳でもない。何もかもが、生じていない?)
死者よりも死者らしいさくらの気配にクレーデルの武が答えを得かけた頃にさくらはそのことに気が付いたのか気配を生じさせると無表情に言う。
「これだとあまり使えそうにもないね。カイル。私は確かに変わってきているけど、別に己を見失ってもいなければ、焦っていることもない。ただ己の可能性を信じてるだけ」
「だからそれが、危ないって俺は言いたいんだ。さくら、一人の人間は全ての人間の可能性なんて持ってないんだ」
クレーデルはその場の空気に置いておかれたことを自覚しながらもさくらを横目で見る。
その表情は無表情から一転していて、弱ったように眉根を寄せている。
そんな表情もするのかと彼女が思っていると、さくらは嘆息する。
「ふふっ、もう言い返す気が失せた。分かってるよ。三代目には事の次第を伝えて、エスとは決着を着ける。けどね、あの子とは一対一でやらせてもらうよ」
それをカイルとの会話の最後として、さくらは背を向けて歩き出す。
「私はただ、己を斬ることなく、空を飛びたいと夢想し、剣を振るう。相対する敵が変わっても、そう。この先の歴史というものがどうなろうともそれは変わらない」
誰にでもなく呟かれたその言葉を聞き取ったクレーデルは、それからの道中、その声に含まれた感情について考えを巡らせることになる。
聞き間違いでないのなら、さくらは最後にこう言っていた。
「だから私は求めるんだよ、私を斬れる強者を」