四十四話 『超越火術』
「一切衆生悉有仏性……」
よりにもよって火で私を倒すなんて言うとはね。肝が冷えて、息が詰まりかけた。
やはり、火は嫌いだし、何よりも恐ろしいものだ。
「両腕に火を灯すとはね、そういえば、あなたみたいのとはあまり戦ったことがなかった」
アユムは答えず、口の中で小さく呟く。アフラという初めの言葉しか解らなかったが、直後に炎の色が赤から黄金に変わり、光彩陸離とした様を見せる。
幻惑的な輝きに目を凝らす。輝きの中に何かが見える。
見切る。見切ってみせる。そう念じて見れば炎に混じる青白い火花が強風に煽られ今にも千切れそうな糸のように、アユムの周囲で暴れているのが克明に見ることができた。
強い熱気がじわりじわりと命を奪っていく。命が燃え尽きる。
不可解な力…これが魔力ということなのか、私に動き出す隙を与えない。
私は既に敵の手が届く場所に居る。対して、こちらは間合いに捉えてはいない。
火花が散ってゆく。散っていったその残りが、消えることなく拳大の大きさの光の玉となって宙に留まる。
正に刹那、空気を引き裂いて光が私を狙って襲い掛かってくる。
それを右の掌中に捕らえれば、手が熱さのあまり凍える錯覚に続いて、体内で痛みが暴れて危うく膝が落ちかける。
全身から煙が立ち昇る。体の熱さに息を吐けば火を噴く心地がする。
「まさか、炎を操るかと思わせて雷を操るとはね」
右手を見れば醜く焼け爛れ、赤黒くなっている。握ろうと力を込めてみても、痛みが走るだけで動かない。
「火を操る魔術を極めた者が行き着くことができる境地、それが『超越火術』だ」
脈を確かめる。一つの間に来る雷撃は四つ、反応が間に合わず、その全てを受けてしまう。
急所を外すのが精一杯だ。ここまで速い攻撃は今まで一度も見たことがない。
右手をぶらぶらと振るう。手首のしなりは生きている。まだ動かせる。
私が体の調子を計るうちに、光の玉は数を増やしていく。
続いて、アユムの両腕を覆っていた炎が熱気と交じり合うようにして色を失う。
無色となって、ただの陽炎に変わった……ように見えるだけで、炎は確かにそこにある。
「何故なんだ」
突然、アユムは置き去りにされた子供に似た雰囲気で、そう呟いた。
「?」
「あなたはどうして微笑んでいられる?どうして、そんなにも自然な自信を感じさせるんだ?」
私が圧倒的不利に思える現状で、戦いに脅えを見せないことが不思議らしい。
それにしても、微笑んでいるというのは意外でならず、手を顔に当てると、本当に微笑んでいる。
「この体って、闘いが好きでね。まぁ、そういうことだよ」
「さすがは開祖、トキナと同じで殺生が好きらしい」
「殺生は好きじゃないんだけどね。そう。三代目は好きなのかー……」
愛剣アイニを構える。既に光の数は二十七個。これを受ければ間違いなく、私の時間は全て失われる。
仕方が無い。この場はとっておきで、凌ぐとしよう。
「悟りを得ぬもの 目覚めることなく」
追撃を弾く。弾かれたことを受けて、アユムが僅かに焦る。
「夢は妙なる 調べをもって」
弾かれた火花は再び雷へと変わり、矢となって襲い来る。
「我を眠りへと縛る されど戦の光は」
その襲い来る全てを、私の剣が切り裂いた。
「日の出のよう 我という花に一時の」
心の中で閉じられていた瞳が開く。
「目覚めを与えん 目覚めを与えん」
世界が、己が刹那の内、別のものへと変わる。
「決着という宵がきたる そのときまで」
人の身では決して感じることの叶わない力が、溢れ、満たしていく。
「竜人、それがあなたの融魔としての正体……」
「この姿になると耳がゴツゴツしたものになるし、角やら尻尾やらが生えてくるから、あまり好きじゃないけど、あなたはちょっと強過ぎた。
だから、私も人を超えた力を、不本意ながら使わせてもらうことにしたよ」
一人で使うには有り余る魔力が赤黒い色として体から溢れる。やはり余分、忌々しい。
呼吸をする感覚に合わせて、それを内に秘めることで昂ぶる気を抑える。
「さぁ、つづきを始めよう。今度は私が加減をしてあげる」
息を軽く吸い込む。それが勝手に口の中で膨大な量の力に変わるのを感じ、嚥下する。
口からものを吐くなんて、そんなはしたない真似はできない。
そんなことを勝手に思ってしまいながら、飲み込んだ分の力を両足に溜めているとアユムが一歩下がるのが見えた。
「脅えなくてもいいよ。アユムは三代目の主君だからね、容赦するよ」
「転生を経て、まさかそこまでの力を得ているなんて」
「もう泣き言? 別に、退くならそれでもいいよ。私はあなたが見逃してくれるなら、乱暴せずに済むし」
「いや、退かないよ。勝利はもう手中にある」
連続して雷が飛来する。それはもう見切っているし、今の状態なら楽に反応できる。
そして、思ったとおりに雷は一刀のもとに斬り捨てることができた。他愛ないな。
普通ならそれでいい。攻撃は防ぎ切ったと判断して間違いないが、アユムは普通の攻撃など始めからしていなかった。
こういうとき、こういうときにしか思わないのが私という人間の瑕だ。気付いたときにはもう遅い。
服が燃え上がっている!焼かれている!見えない炎に焼かれている!?
「うっ、くっ」
焼けていく箇所が赤い光を持って全身を這い回っているっ!
熱い……熱い……苦しい。
恐怖とも焦りともつかない心境で腕を闇雲に振るう私はアユムから完全に注意を外していた。
「アレフ。念の四 形の三 和を以って創造の七とする。三百六十五の光を放ち燃え上がれ――」
「……!!」
熱に乾く目が微かに捉えたアユムの姿。その手には光って見える何かが握られていた。
乱した心をどうにか制して剣を構えるが、それも遅過ぎた。
「開祖、あなたは自惚れが過ぎる。だから油断を上手く突ければ、勝てないことは決してない」
この身は既に、目前にまで迫っていたアユムの光らしきものに袈裟斬りにされていた。
傷口は灼熱色を点し、血は瞬く間に煙となって天へと立ち昇る。
体が後ろに傾いでいき、倒れそうになるのを――思いたくはなかったけど――最後の力を使って堪える。
アユムを見る。光の剣をただ一度振るっただけで、顎を突き出し、全身から汗を流して呼吸を乱している。
「……驚いたよ。剣の上では何の心得も無いと思っていたから」
「別に、これ、は……僕の、技じゃ、ない」
「だろうね。何でアユムが型捨無流の技を使えるのかな?」
「トキナの動きは、記録してある」
「クリエイトの……道理でね。そんなことができるなんてね。あははははは、やられたよ」
その言葉を終わりとして、私は力を抜いて、後ろの海へと身を委ねるように落ちた。
『魔王』『英雄・白き隼』――悪としても正義としても謳われた剣士は波の音と共に海中へと消えた。
「はぁ、はぁ――――っ――」
全身を苛む激痛に苦しむ僕の都合など考えない通信機からの呼び出しに応じると、
『成功したようですね。ご苦労様でした』
それだけの音の羅列が空気を震わせる。ただ、相手が相手だったからか、珍しいことにトーンが低い。
『それで、どうでしょう? 本当にアレを始末できたんですか?』
正直、僕の体はもうそんな質問に答える力が残っていないと言いたい。
「あれで生きているはずはない」
その腹立ちをぶつけるように言って通信を切る。切ってから、疑問が首を擡げてくる。
最後まで、どうしてああ微笑んでいられるのか?
きっと僕には一生解らない類のものだ。
「不可解極まりない人だったな」
何はともあれ、これでしばらくは僕の信頼も保てることだろう。
せめてもの手向けに、僕はあらかじめ用意しておいた花を海へと投げる。
三代目の髪の色と同じ、亜麻の花を、どうか受け取って欲しいと思った。