三十九話 別れて、また会うこともある
迫る一撃を前に右手は背に差した愛剣の柄を掴み、半身を引いてかわす。
直後、鋼の一撃が霞となって消える。
「!」
予期しない動きを目は捉え切れない。右腕もこの体勢で無理に動かせば肩を壊す。
悠長にしている時間はない。左足を軸足として回転し、鋭角に右足の踵を振り下ろし二撃目を打ち落とす。
続けて左足で顎を狙うつもりで、また直後に一撃が腹を狙って迫って来る。
ぎりぎりのところで抜剣が間に合う。床に突き立て全力を以って軸を剣に移し無理矢理にかわす。
体を右にしならせると脇腹を一撃が掠めるのが分かる。着地と同時に愛剣を引き抜きざまに振るう。
私の一太刀はアルロの小手を強かに打った。手は砕けたろうけど、そこは勘弁して欲しい。
「くぅ、らあっ!」
しかし、アルロは得物を取り落とす事も怯む事も一切なく、更に恐るべき事に威力を落とすことなく打ち込んでくる。
どうにか引かずに打ち合わせていられるが、納得が行かない。何故アルロは無傷でいるのか。
「……っと」
それに、一撃をかわす度に穂先が霞となって消えたように見えるのはどういうことだろう。
攻撃の引きの動作にしては出鱈目な速さだ。攻撃よりも遥かに速いというのがまた更に不可解だ。
相手は全力全開だ。
それに対して私は全力ではあるけど全開とはいかない。一度死んだ身のせいか、あちこち強張ってしょうがない。
この部屋の中でも剣は満足に振るえるけど、そうすれば瓦礫を払うのに手間取ってしまうし、何よりアルロは相打ちだろうとお構い無しといった具合に攻めてくる。
別に私に殺すつもりは無いのだし、剣で斬るよりも楽な対処法でやらせてもらうとしよう。
力任せに愛剣を投げつける。轟と、風を切るというよりも押し潰すような凶暴な音と共にアルロへと飛んでいく。
さすがのアルロもこれは避けると見える。私は短く息を吸い前へと跳び出す。
六割の速さを以ってして行うことは何のことはない、ただの体当たりだ。
体当たりが決まり、アルロの姿勢が崩れる刹那、腕を取り間接を極めて地面へと叩きつける。
これで終わった。間違いなくそうだと思ったとき、体は余分な力を得たときと同じようにしてカクンと傾き、アルロが霞となって消える。
驚きはしたものの、カラクリは何となく知れたので先程アルロがいた場所へ服の中へ忍ばせていた石を投げると、案の定それはアルロに命中する。それに怯んだその隙をたっぷりと使って振り返ると、そこには無傷のアルロが立っている。
私はここで切り札を使う。ラングとの一戦で身に着けた眼力でアルロを見切る。
この眼力は神秘のカラクリを映す。妖術の類ならば必ず見切れる。
全てが闇のように黒く染まる中で、アルロだけは光を失わない。
「ふふ、カラクリが分かったよ。そうだった。アルロは妖術使いだったね」
戦いの中での言葉にアルロは耳聡く反応する。このあたりが、武人と術師の違いだろう。
「私の術を理解したと言うつもりですか?」
いや、こうして会話に興じるのは理解されたとしても破られはしないという自信の表れからか。
もしくは得物を失った私に対する評価なのか。いずれにしてもどうでもいい。
「時間を戻しているんだろう?攻撃をするときも、傷が治ったときも、拘束から抜け出たときも、同じ場所に戻っていたよ」
「……」アルロは無言だが、顔が図星だと語ってしまっている。
「けど不思議だね。体の時間だけを戻すなんて技をアルロが身に付けるなんて」
「それが私の最終的な回答だったんです。傷を癒すための・・・結局、自分にしか使えない代物でしたが、おかげであなたたちと戦うことができるようになった」
「そうかな? どっちでもいいよ。それより誤解しないで欲しいな。私はアルロの敵じゃないよ」
「あなたは融魔だ」
強い憎しみが、声と言わず全身から溢れ出す。
「そうかもしれないけど、私は違うって、どうしたら信用してくれるかな?」
「信頼はいつでも捨てられるものです。トキナさん、あなたが私から得た信頼をすぐにドブに捨てないとは限らない」
これにはもう首を振るしかない。哀しい事に、アルロは信頼する心を失くしたのだ。
信じて欲しいと願っていた分、そうならないことへの痛みが胸を刺す。身勝手だけど、この辛さには慣れることはない。こういう気持ちでいるときの心はいつも知らず知らずの内に無防備になっているからというのは分かっていても、だからこそ辛い。
「なら、私はせめてもの証として、この場から去ることにするよ」
私は壁に突き立てられた愛剣を手にしてこの場を去った。きっとアルロには残像しか見えていなかっただろう。
一瞬で森の奥深くまでやって来た私は周囲に誰もいないことにほっと息を吐いていた。
少し気を許し過ぎていたのかも知れない。それにしてもとんだ恩返しになってしまったとまた息を吐いてしまう。
胸に溜まったものが吐き出せない。こういう晴れない気分は嫌いだった。
行く当ても無く歩き出す。少なくとも、歩いていれば少しは気が晴れるのはよく知っているからだ。
「しかし、先に手を出しておいてよく言うよ」
歩くうちに、ついそんな言葉が漏れ聞こえる。私はつい愚痴でも言ってしまったのかと思いはたと足を止めると、実はそうではないらしい。近くから何やら言い争う声がする。
その方向へと足を向けかけたところで、少し後ろへ下がると鼻先を矢が飛んでいく。喧嘩にしてはいささか以上に物騒だ。
声の方が段々と荒くなるにつれて、飛んでくる矢の数も増えてくる。それを見切ってかわしながら近付いて行き、争っている相手の元へと辿り着いた。
「何してるの?」
「あなた誰?」
「えっ!後ろに人居たの!?」
声を掛けてみるとまず驚かれる。争っていた二人はまだ子供だったが、暮らしには困っていないらしく血色も良く元気そうなに見えるのが印象強い。きっと面倒を見てくれる人がいるのだろう。羨ましい事だ。
羨ましい?私には組長が居たはずだけど、羨ましいのだろうか・・・。
私はたまに私にも解らないことを言う。もう解りきっていたつもりだったけど、そうはいかないらしい。
「私は季節名。あなたたちはこの辺りに住んでるの?」
二人は警戒していることを隠しもせずに注意深く私を見てから答えた。
「そうだけど、トキナは旅人なの?」
一つ頷いて見せると、二人の顔が一変して明るいものに変わる。
「なら、話を聞かせて!私たちあんまり遠くに行けないから遠くのことが知りたいの!」
何かをせがむとき、子供は人の手を勢い良く引っ張って行く。エスタシアもそうだった。そう思うと、昔が色付いていくのが解る。記憶の器に水が並々と注がれていく、その途中で、頭の中にあの言葉が響いてきた。
全ての命の価値は等しく、奪った命の分まで生きる。
あぁそうか――私は理解した。私はまだ、奪った命の分だけ生きていないのだ。
だからこそ、こうして生きているのだという言葉を心中で続けて、それをすんなりと受け止めていた。
それこそが私にとって一番理解し易く、辻褄の合った理屈だったから。
徒然と考えているうちに、子供二人に連れられて、私は小さな山小屋の中へと入り、椅子の所まで案内される。私は愛剣を傍に置きそこに腰掛ける。
「二人は私が悪者だとは思わないの?」
家の中にまで招き入れられてもらっておいて何だけど、見知らぬ他人に対して、こうも無防備というのはどうなのだろう。
そのことについて尋ねると、二人は顔を見合わせたあとで笑ってみせる。
「悪者はそんなこと言わないよ」
「だから大丈夫だよ。それに」ここで言葉切り、背中の弓を指す。「悪者ならこれでやっつけられる」
「ふうん」
子供は可愛いと誰かが言っていた。成程、確かにこれは可愛いものだ。
「そういえば・・・二人とも名前は?」
「私はホズル」
「私はビダル」
弓で撃たれていたほうがホズル。撃っていたほうがビダル。こうすれば覚え易い。
「ねぇ、そんなことより話聞かせてよ」
そうビダルに言われて私は己の過去を振り返る。よく考えずとも、人に聞かせられるようなことはしていない。
自分が何者かと言われれば殺人鬼だとしか答えられない。この点はただ生きている人間よりも明確な身の証があるとも言えるものの、それが罪というのは他人からすればお笑い種だろう。
とにかく何か話してみよう。私はこのとき、真剣に考え、ようやく常とは違った訥々とした喋りで今までに見てきた景色や人達について色々と語って聞かせてみた。
すると、思いの外受けが良かったらしく、私は話を長い間続けていた。
「ねぇ、話にトキナのことが出てないんだけど、どうして?」
続けていると、やがてホズルに気付かれる。これに私は肩を竦めてみせるしかない。
「何でだろうね」
「あ、分かった。恥ずかしいんでしょう?そういう顔してる」
どういう顔をしているというのだろうか?
半ば真剣に悩み始めそうになったところで、家の中になんとアルロが入ってきた。
「!!―――」驚きの余りアルロは声が出せずにその場に根を張ったように立っている。
「やあ」
私はすっかりくつろいでいたせいか、かなり落ち着いてそう言っていた。
意図した訳ではないにしろ、今度は人質がいる。アルロも手荒な真似はしないだろう。
心中でそんなことを考える私は、やはり悪者だった。