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季節名の道  作者: 元国麗
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三十八話 再生

 

 記されし暦456年。


 私が仏となってから三年余りの月日が流れたこの時に再び生を受けたとき、初めて見た場所は冷たく湿った空気と人間の狂気が呼び起こした災厄によって撒き散らされた血の臭いが頭の中を冷たくする暗い地下だった。


 私はこの場所に降りている沈黙、その沈黙に早々に嫌気が差したところで、手は自然とすぐ傍に飾られていた大剣を取り、足はその場から離れていった。

 風の流れを燕さながらに読み取って歩きながら、手にした剣の刃に微かな光を当ててじっくりと眺める。愛刀以外の得物を意識せずに手に取っている。そのことへの驚きを感じながら、私はこの剣の素晴らしさを理解していき、浮気心を起こしていた。

 そこでようやく気が付いた。寝ぼけていたいというのか。私はシルクリムと戦い死んだはずだ。

 知らず知らずの内に空いた手が左眼の瞼をそっと撫でる。それだけで私の体から冷気は残らず吹き飛んでいた。

 間違いなく左眼には力が宿っている。五体に気力を充溢させるものは正しく血の力。私は生きている。生きている。

 剣を手放して右手で左胸にそっと手を当て目を瞑る。心の臓が一回一回鼓動を刻む度に心が弾むのが分かる。


「あぁ、ああぁぁ、生きている……生きている」


 顔が綻び、笑みを表す。私は己を思い切り抱き締めて、今感じる全てのものに痺れていた。

 嬉しい縁起だ。そう思ったとき、左眼が開いたことで私は体を寸時強張らせる。

 けど、何も起こらない。そのことに安堵しながら、私に幸運を齎してくれたに違いない左眼に感謝の念をゆっくりと瞼を閉じることで表した。

 地下の出口と地上への入り口の役目を兼ねる扉を開いて頭を覗かせて外の様子を窺うと、赤い光が目の前を覆い尽くした。

 吹き付ける熱がやはり死んだのではないかと思いを変えさせる。炎に覆い尽くされた世界は、私にとっての全き地獄だ。

 けど、どうやら地獄ではないらしい。叫びを求める血塗れた何者かの狂った声と助けを求めて叫ぶ者の姿が遠目に見えた。

 私は油断無く走りながら小石を振り抜かれようとする凶刃へと当てる。それで注意を引いたところで走る速さを一時緩めて、次の一歩で体を大きく沈ませて膝を折り、思い切り跳んで、大剣の一太刀を以って斬り捨てた。

 切っ先に重みが無い分、多少力んでしまったが、いい切れ味。この剣、気に入った。

 私の動きを受けて、殺気が集まって来るのが分かる。人というよりも獣じみた殺気が共有されている。

 私はこの空気を知っている。吸う度に、吐く度にそれが体へと馴染んでくるのが分かる。

 これは、戦の空気だ。

 殺気が私を闘争へと駆り立てる。気持ちの昂ぶりが剣の舞となって風を切る。

 

「三毒超克」それを口にして、私は己が欲に惑わされていることに気付き、愛剣を背に差した。


 周囲が燃えているせいで喉が焼けるように熱いが、それよりも助けた相手をどうにかしないといけないだろう。

 そう思って相手を見たが、悪い空気を吸い過ぎていた。すでに意識は無く、以前の私のように中もかなりやられている。

 助からないか。少し考えてはみたものの結果は変わらない。それに何時までもここにいては私もせっかくの命を無駄にしてしまう。後ろ髪を引かれる思いはしたが、火事場は御免だし、この場をあとにすることにした。


 それからしばらく歩いた私はそこから程近い町へと辿り着いた。

 道中、魔物はかなり増えているのが目立ったが、害はそれだけに留まらないらしい。


「まるで何時かの大飢饉の時のようじゃないか」知らず口が言葉を発していた。


 痩せた犬を追い回す亡者同然の生者がいつしかいがみ合い争って、呆気なく力尽きていき、泣いている赤ん坊を母親が近くで恨めしそうに見詰めている。

 地獄とはいかないまでも、この惨状への既視感と共に歯に、舌に、人の血肉の食感と味が呼び起こされてくる。

 気分の悪さに我慢できず一つ唾を吐き捨てると、痩せた野良犬が寄って来てそれを舐める。

 かつての私もこの犬くらい懸命だったのかと思うと失笑する。そして唾棄した己の辛抱の無さに呆れた。

 一体何があったのか、まず私ははそれを知るところから始める事にした。

 けど、私は今大陸のどこにいるのか全く知らない。旅をしようと考えてはいたが、地図など目にしたことも無い。

 馬鹿は死ななきゃ治らないと組長は言っていた。それで、私の馬鹿は治っているのか?


「地図は嫌いなんだ」


 誰に対してという訳でもないのに言い訳をしてしまう。何だろうこの心細さは?面白くない。

 エスは無事だろうか、私の屋敷は壊れていないだろうか。様々な疑問が頭の中を回り始める。

 沈黙は時に最大の回答者となるが、時に最悪の質問者となる。

 人を啓発したり、孤独を与えたり、罪に気付かせたり、罪を行うようにけしかける。沈黙ほど手強い話術の持ち主はいない。

かくいう私も一度も言い負かしたことはない。そもそも、己が心の内で言われることだ。勝負は死ぬまで着かない。

 道の真ん中で佇んでいると寂しい風が体を撫で付けていった。

 さてはて、私は何をしよう。それを決めるための手掛かりは得ていたものの、それを為すにはとにかく見聞が必要だった。


「まさか、トキナさん?」


 声を掛けられるとは思いもよらず、内心で驚きながら振り返るとそこには白髪に深緑を思わせる瞳の男がいた。

 私の記憶にあった姿と比べて随分とくたびれてはいたが、間違いなく恩人のアルロだった。


「やっぱり、トキナさんだったんですね、よかった。ずっと探していたんですよ」


 と言って、私の手を取ると笑みを浮かべる。疲労から顎を突き出しながらも、その目で瑞光のように私を見ている。

 私も微笑を返す。この男なら色々と知っているだろうと当たりをつける。外れにはならないはずだ。


「私もあなたを探していたんだ。侍は恩を忘れない。あなたに恩を返しに来たよ」


 偶然は言葉一つで必然へと変わる。ほんの些細な偶然を如何様によって運命へとすり替えることができる。


「神に感謝しないといけませんね」


 神。その言葉がこの二度目の生において決して無視はできない言葉だということを、私は本能的に感じていた。

 興味深いと、いずれその存在を確かめよう。このとき、強い敵意のようなものと共に私はそれを心に留めた。

アルロは私をギルドへと連れて奥にある会議室へと通してくれた。


「檻のようだと思っていたけど、こういうときはいい拠点になる。ギルドは知恵があるね」


 ここを拠点として集まった人々が備蓄した食糧などを分け合っていた光景からそう述べると、アルロは表情を固くし、歯を食いしばると苦々しく言う。


「そう、中央は本当に知恵がある。彼らは不正の極致をなしてみせた。正しくもないのに正しいと思わせる。今のあなたのように判断を誤らせてね」


 思わぬ反応に私は目が楽しんでいることに気付く。口がその先を知りたそうに微かに震える。


「アルロ。私に大陸の現状を教えて欲しいんだけど」


 そう言うとアルロは表情にこそ表さないがどこか笑っていた。なるほど、私を焚き付けるつもりの言葉だったのか。面白い。


「中央は入念な仕込を終えて、今、この大陸に覇を唱えているんです」


 その一言に私は思い切り首を傾げるしかなかった。私の記憶とその行為は辻褄が合わない。


「中央は上手い具合に大陸の秩序を保っていたはず、それを打ち壊して覇を唱えることの利が見えない」


「彼らはずっとこの大陸を統治したかった。けれど位置は四方を囲まれていた。だから機を見計らっていた」


「そのためにややこしい偽善を長いことしていた……とんだ如何様だね。じゃあ魔物というのは」


「彼らが四方の戦力を削るために用意した仕掛けの一つです。自然発生したものだとばかり思っていましたからね。

 まんまと騙されましたよ。まさか裏で糸を引いていたなんて・・・待ってくださいトキナさん。あなたは何故そこまでのことがすぐに分かるんですか?」


 私はそれに答える前にまず、左眼を指す。


「左眼? 初めて会った時は閉じていて、今は開いている。いえ、それよりもその眼は、神獣の!」


 絶句するアルロに私は答える。


「この眼が閃かせるんだよ。というより、アルロの話を繋げてくれている」


 知識とは違う映像とも違う。けど、言葉として理解を促してくる。命令をしてくる。

 集中しないと聞き取れないが、何かをしろと言ってきているのは間違いなかった。

 この左眼は中央から齎された。そして、私のように己の体に別の生き物、魔物の一部を取り込んだ人間がいる。

 融魔。どうやらこの存在は中央が強者を手中に収めるための手段の結果といったところか。何故だか私は命令を受け付けないようだが、特A級と呼ばれる傭兵達を操れば戦力は十分過ぎる。

 傭兵を管理する立場にあったのも全ては統治を実現するがため。表向きは周囲の人間のためだと偽って、階級をつけ腕を競わせ、優秀な者には力を与え、機が来れば操れるようにしておく。これだけでも大した手の込みようだ。

 一部の者は必ず国が召抱えているだろうから、頭を討ち取る際にもさぞかし便利だろう。本人さえもそうとは知らず、常に隣に控えている脅威に獲物は決して気づく事ができないのだから。

 中央はそれ以上のことをずっと長い間続けていた。その組織力と手段に私は感心する。

 そこで、思い当たりそうな記憶があるとしたらひとつだけ、あの金髪碧眼の女性が言っていた。


『それでもあなたは特A級です』


 あれはそういう意味での言葉だったのだろうか。私も操られる者の一人だと内心で続けていたのだろうか。


「どうやら融魔というのも中央の仕掛けのようだけど、私の読みではあなたは知り過ぎている気がする」


 それだけ入念に根回しをし、不正の極致をやってのけていたのなら、今更になって馬脚を現すとは考え難い。アルロは独力でその真実に気付いたのだろう。そして、私の力を必要としていた。今度はその理由を尋ねようとしたが、


「まさか、あなたが融魔だったなんてっ」アルロは驚愕に顔を染めると壁に掛けられていた得物を手にする。「私を消すつもりで来たという訳ですか?!」


「アルロ、それは誤解だよ」


 そう言ったときには既に、私の心臓目掛けて鋭い一撃が打ち込まれようとしていた。


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