三十六話 型捨流
「どこかの武術の大会に紛れ込むのであろう? 場所はどこなのだ?」
私がそれからほどなくしてアユムの元を訪れ、今回の仕事について尋ねたとき、最初不思議がり、後にハッとする。
「あぁ、それはここだよ。ここ。すまないね、君は言わずとも分かっていそうな感じがするから」アユムは肩を竦めていた。
「言わなきゃならないことも省いてしまったみたいだ。そうだった。君は見えなくとも分かるんだった」
「わざわざここで行うのか…それでその大会に拙者が出場する。それで何故紛れ込むことになる?」
「それは、言葉のアヤさ。ところでトキナ。どうして僕は剣を教える先生をわざわざ招いたのに、それを遠くに送らなくちゃいけないんだい?」
なるほどその通りと納得したところで私が部屋から出ようとしたところでアユムが背後で手をさっと上げる。それが待てという合図だと把握するのは容易かった。
「如何した?」
「今回の大会の主催者は僕だ。だから参加者の情報・・・武術の流派なども当然僕の耳に入る。そのなかに、気になる流派を見つけたんだ。そこで、まず手始めにその流派の使い手に接触してみてほしい」
「流派と、その者の名は?」
「型捨流…カイル=サークス。聞き覚えは?」
「いや」言いながら思う出そうと努力するが、何も浮かばない。「全く」
型捨無流と何か関わりがありそうな気はするけど、判断材料が足りなさ過ぎる。
「まぁ、向こうは結構歳を取っているからね。ちなみに、君の師匠も同じ返答をしていた」
二代目も知らない相手となると、やっぱり直接会ってみるのが得策ということね。
「判った。ククク、拙者もその者に興味が湧いた」
「物騒なことはまだしないでくれ。するなら試合の時に。これは…いや、頼んだよ」
私は無言で手を振って部屋を後にする。それにしても、空手というのは物足りない。
剣が無いと物足りない。それを穴埋めしようとするかのように、次に私はヤナギと一緒に学校が管理するという稽古場へと足を運んでいた。ここは大会期間中に参加者が滞在する宿も兼ねており、例の男、カイルがいる可能性は高い。どうやら二代目も別の場所へ行ってカイルを探しているらしいが、それは特段気にすることでもない。
「一体どうしたんだおめぇ。いきなりあちきを強くするなんてよぉ」
ヤナギは手近な木刀を一振り手にすると調子を計るようにして二三度振るう。風切り音からしてブレているのは明らかだ。
私は刃引きされた剣を使おうと思ったけど、生憎そんなものはないので、木刀を手に取る。固く冷たい感触は刀の柄を握るのとは大きく違っている。
「構えろ」
私が左八双に構えるとヤナギは正眼でも八双でも上段でもない下段でもない構え、脇構えになる。
これがヤナギの最も自然な構えだということを私はよく憶えておくことにした。
「とりあえず何でもいい、打ってこい」
私は少し膝を曲げた体勢を取る。そうして高さを合わせるのだけど、この当然の手加減がヤナギには不服だったのか手に力が篭もるのが判った。
「うりゃあ!」
力任せの一撃を腕の力と剣先の動きだけで返して頭頂部で寸止めする。
けど、ヤナギはそれを無視して乱暴に切り返してくる。
それを柄で打ち落としヤナギの手から木刀を離す。木刀は床を回転しながら滑って行った。
「痛っ~」
得物の扱いに慣れていないヤナギは手に伝わってきた痺れが想像以上の苦痛だったようで両手をぶらぶらさせている。
「さて、どう教えれば良いのやら」
そんな言葉が口を吐く。そのとき、稽古場に入って来た男が木刀を拾い上げるのを感じ取っていた。
「誰だ?」
「俺?俺はカイル、カイル=サークスだ」そう名乗ったカイルは稽古場の壁に掛けられている『季節名』を見ている。「ところであの壁に掛けられてる野太刀は君のなの?」
「いや、今は故あってそこのガキに預けている」
「へえ、まあいいや。君、俺と軽く手合わせしてみないか?」
人懐っこい声で言うカイルは木刀を振る。
鋭い。どこまでも鋭い音が私の五感を刺激した。
「よし、お相手致そう。ヤナギ、少しどいていろ」
私とカイルはゆっくりと向かい合い、お互いの間合いを探り合う。
「まずは名乗ろう。型捨流 カイル=サークスだ」
「型捨無流三代目 トキナ=アウヌムトゥス」
これで準備は整った。
カイルはほんの一時、正眼に構えて私の喉元へと切っ先を合わせると下段に構える。
それだけで判る。眼に見えない分、この男の姿が巨人のように大きくなって感じた。
型捨流の実力、この眼で見極めさせてもらう。
「へえ、やっぱり君が三代目だったんだ。ははっ、季節のめぐりを感じるなぁ」
その言葉に気を取られた一瞬、その一瞬で――カイルが踏み込み――私の木刀は乾いた音を立てて地面に叩き落されていた。
呆然としていた。そんな私にカイルの一刀が生み出した風が遅れて吹きつけてくる。
それに加えて何も握っていない空手が生々しく私に伝える事実は・・・敗北だった。
「そんな馬鹿な!……ッ」思わず叫んでいることに気付いたときにはもう遅い。
それを教えるかのようにカイルは木刀を振り下ろされた状態からゆっくりと持ち上げて肩に担いだ。
「いやあ、危なかった。俺の実力がはっきりしない状態のこの一撃しかチャンスなんてないからさ、本気の本気の本気の本気で打ち込ませてもらったよ」
カイルはカラカラと笑うと木刀を放り投げてこの場から立ち去ろうとする。
「待たれよ!」私は語気を強めて言った。
「ん? わざわざ呼び止めるってことは、まさか君も本気だったの?」
「そうではない。ただ――」
「ただ?」
「拙者は何故負けた?それを教えてくれ」
「それは簡単だよ。君は殺人剣で、俺は活人剣だった。その違いが、大きな違いになったんだ」
「そうか。それは、納得行かぬな」
「君は自分の体に攻撃が来ると読んで、いや、そう思い込んでた。けど実際に俺が狙っていたのは君の木刀だった。君は自分の剣の理から判断したことを俺がやると信じ込むっていう間違いを犯してたんだよ」
「拙者が読み違えた結果だと、そう言いたいのだな?」
「じゃあ、一体どういう過程でこうなるのさ?」
「拙者の『心眼』が見誤るはずは、ない」
「『心眼』も剣も知識も道具。その使用者が扱いを間違えば、結果も変わる。これって当然だよね」
乾いた氷のような声から感じた冷気に私は身を固くしてしまっていた。この感覚には確かに覚えがある。
「初代、季節名…?」
「シュエ? どうかしたの?」
カイルはシュエと呼んだ。開祖じゃない? 記憶が混乱しかける。
暗闇しかない記憶に呑まれそうになったところに、開祖に似た雰囲気の女がカイルの放った木刀を拾い上げる。
それでようやく気付く。シュエはまだ幼い子供だった。ヤナギと比べても大差が無いほどに。
「あなたが型捨無流の四代目になるかもしれない人?」
シュエがヤナギへと問う。私としては何故ヤナギが四代目と目されるのかが判らない。
確かに型捨無流は今まで弟子が一人というようなそんな感じを受けはするけど、今ここにいるカイルやシュエなどの存在からすると別に弟子が複数いてもおかしくはないはず。
私はこの人たちと開祖との繋がりのようなものをはっきりと感じて、半ばそれを確信していた。
「おめぇは?」ヤナギはどうにも判らない様子で言葉を返す。
「私はシュエ。そこのカイルから剣を学んでいるの」
「そうなのか」
「それにしても不思議だわ、あなたはてんで才能なんか無さそうなのにね」
無邪気で、だからこそ力を持った笑い声が響く。全くもってその通りだけど、ヤナギにも多少の才はある。
そのことを言っておこうかと思っていると、ヤナギは私の傍に落ちていた木刀を掴んで走り出していた。
「くらえぇ!!」
脇構えからの切り上げ。怒りによる気力のなせる技なのか、驚くほど鋭い一撃だった。
けど、シュエはそれを巧みな重心移動と剣捌きで返すと容赦なくヤナギの面を打つ。
狙いは眉間。当たればそれは、数を数えるよりも簡単な死を予想させた。
故にそれを阻む。私は間に入って「柔」形でシュエの刃筋を逸らした。
「オマエ…まだ幼いのに、凶暴な奴だ」
「あなたみたいに無力じゃないから」
「おのれ、愚弄するか」
過去に…生きてきたことに唾を吐かれて怒らないほど私は寛容でも、ましてや腑抜けでもない。
私の怒りが心頭に行きそうになったところで、カイルが壁となってシュエを庇う。
「待って待って! 頑是無い子供のすることなんだからさ、大人として、大目に見てくれないかな?」
「子供子供と、いつから子供だとか大人だとかそんな区別があったのだ? 大人だから子供は許せと?
笑止、拙者がシュエを許さぬということに変わりはないわ」
「でも――」
「けど、何もしない。けど許さない。シュエ…その名前、よく憶えておこう」
「三代目」シュエは私をそう呼んだ。「あなたは何で剣を学んだの?」
それだけ言うとシュエは答えも待たずにカイルを連れてこの場を離れていった。
そして、この場に残された私は口の中で今し方言われた言葉を反芻する。
――何のために?
私はその疑問は危険だということを知っている。
何のために生きるのか?何のためにそれをなすのか?何のために?
「何のために。その言葉こそ、何のためにあるのか知りたいものだ」
吐く息と一緒にそう言うと、ヤナギが短く息を吸うのが判った。
「なあおめぇ、あちきに剣を教えてくれよ!あちきはっ……あいつに勝ちたい!!」
何のために。それは例えば、誰かに勝ちたいから剣を学ぶということなんだろう。