表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
季節名の道  作者: 元国麗
37/59

三十四話 拾い物と疑い 

 日が昇ったことを背に感じつつ、私は地面から伝わる冷たさに眠気を打ち消されながら、気休めに軽く足を叩いて温めていた。

 その様子をアユムは黙ってしばらく見つめていたが、やはり思うところがあったらしく、おもむろに口を開いた。


「僕は先に帰っているよ。あぁ、トキナ」


「如何した?」


「いや、ただね。寒いのなら靴でも履いたらどうかと思ってね」


「確かに不便は多いが、直に地に接していないと判らないこともあるのでな」


「そうかい。それじゃあ」


 アユムが去ってからしばらくの間、私はその場を動かずに耳を澄まし、匂いを吸い込んで周囲のものを感じ取ること集中した。そうすることで気を落ち着けてから立ち上がった私は、あるものを足の裏に感じて繰り返しそこを踏んだ。

 小さい、子供の足跡だった。まだそう古くはないけど、新しくもないこの足跡…近くに大人の足跡がないところからして一人で動いているのは判る。けどこの森は賊がいなくなったとはいえ人里からは遠く、安全とは言い難い。

 知らず溜め息に似たものが漏れる。昔の事に心が揺り動かされていたせいもあってなのか、私はこの足跡の主を探すことに決めてしまっていた。

 人助けに情を割くのは、余計なことのはずなのに。それをやろうと思い立った私はきっと、甘い。これじゃ二代目みたいだと肩を落として歩き始めてすぐに、それでもいいかと開き直っていた。二代目はそういう性分で、私はそういう性分ではないんだ。ガキ一人に構うくらいの気まぐれで気を落とすようではやってられない。

 人の気配を探りながら残された足跡を辿る内に徐々にではあるけど、着実に目標に近付いているのが判った私は少しだけ早足に進んで行った。

 気配は弱く、身体が冷えているのだろう。震えていると理解するのに数瞬も要することはなかった。

 すぐ近くにまで来た時、湿気が口の中に広がった。焚き火をしようとして失敗したのか湿気た火種と枝の匂いもする。川が近くに流れているらしく、少し歩くと朝露に濡れた小石を踏んで足に巻いた布が濡れるのが伝わってくる。幸いここは下流のようで、尖った石を踏む心配はない。それだけのことに天狗になった気分で足跡の主へと交互に片足で跳びながら近付いていくと、その音を聞きつけたらからか、相手は慌てて飛び起きると走り出した。けど、こんな場所で眠っていことと身体を冷たくした状態で急に動こうとしたからすぐに転んでしまっていた。その様を鼻で笑いながら近付いて行くと足跡の主が怒鳴る。


「くるんじゃねえ! おめぇは誰だ?!」


 妙に訛りのある話し方。この辺に住んでいる訳ではなさそうだ。それにしても、随分と擦れた声。そのせいで男か女かイマイチ判らない。


「誰だってきいてんだ?!」


 私が助けようか否かで迷っていて答えないのが頭にきているらしく再び怒鳴る。これまでの疲れなどもあってか色々と拍車がかかっている。限界が近いんだろう。体力が底を突きかけてるというときに叫ぶのは余計に体力を損なうだけなのに。


「オマエを探しに来てみたのだが?」


「おめぇ何言ってんだ? どうして、おめぇが探しに来るんだ?」


 相手からすれば私は突然現れた得体の知れない人間でしかない。偶然通りかかったという言葉も今やすぐに嘘だとバレる。というより信じはしないだろう。けど、この子は何でまず私が何者かということを問いかけてきたのか?それはそれで不自然なように思える。


「つかぬことを訊くが、オマエ、悪さでもしたのか?」


「……」


 相手は答えなかった。そのつもりだろうけど、私にはそれで十分だった。このくらい誰でも判るか。いくら『心眼』を持っているとはいえ、この程度のことは遼東之豕りょうとうのいのこ、大したことはない。


「何か後ろ暗いことがあるようだが、拙者にはどうでもよいこと。オマエ、助かりたいか?」


 本当に昔に感化されたみたい。言うことが昔フォルティスに言われたこととそっくりだった。


「おめぇ、何なんだ?」


「オマエこそ」


「あ、あちきはヤナギ」ヤナギの強い視線が『季節名』に注がれている。


 一瞬だけ浅くなった呼吸と強い警戒心を発した心音が刀を怖れるヤナギの心を教えていた。

 試しに左手に持った『季節名』の鍔を軽く打ち鳴らすと無様に尻餅をついている。思わず喉の奥から笑いが漏れる。


「やはり恐ろしいか? ククッ、オマエ、武器を手にした者が怖いのか?」


「うるせえぇ! あちきにだって剣があればおめぇなんか怖くねぇんだよ!?」


 剣があれば強くなれるとでも言いたいのかもしれない。確かに素手よりはマシになる。人が鍛えた牙は確かに拳よりも優れた牙になる。けど、それで強くなれるというのは勘違いだ。

 私はまず最初にそのことを教えられた。その教えは強く印象に残り過ぎていて、そう、私はその教えを強く信じている。だから今の言葉は聞き流すことができず、腹立たしさも手伝ってか『季節名』を鞘から抜きヤナギへと放っていた。


「うわぁ!?」そう言ってヤナギが再び無様に尻餅を着くのが分かった。「いきなり何すんだ?!」


「剣があれば、拙者など怖くないのだろう?」


 私の言葉を耳に入れた途端、ヤナギの心音が怒りに満ち、冷えていた身体に熱が点るのが判った。これは唯人とは思えない熱だと思ったとき、その熱がすぐ傍まで迫っていた。それが魔法だと気付き身体を逸らして見送ったところで雑な踏み込みが砂利を散らす音が聞こえる。あまりにも読み易い動きに私は苦笑しながら。目前に迫る白刃を五指に捕らえた。


「素手で刃を受け止めた?!」


「いちいち五月蝿い奴だな。いいか?刀で人を斬るんじゃない。体で人を斬るんだ。刀は人を斬ってくれない。刀は人を斬るものだが、何時の時代だろうとも、人を斬るのは人なんだ。オマエのようなガキの一太刀で…拙者が斬れるものか」


 『季節名』を軽く奪い返す。そのときにつんのめったヤナギの胸倉を空いた手で掴み上げてみれば、随分と軽い。


「何だオマエ、ガキだとは思っていたが、思った以上にガキなんだな」


「放せよ、このッ」


 言葉と共にヤナギは手の内にしまっていた何かを私の目に向かって投げ目潰しを仕掛けてきた。それで怯んだ隙に逃げようとしていたんだろうけど、生憎と私はその直前に瞼を下ろしているから平気だしそもそも視界を持たない私には通用しない。しかし、かなり勢い良く肌に叩き付けられたそれは私の頬を切り、血を流させた。知らず胸倉を掴む手に力を込めてしまう。それで首を絞められたヤナギは足をバタつかせて暴れ始めたので仕方なく下ろすとすかさず攻撃を加えようとしてくる。こういうガキはしつこいな。うんざりしながらそう思っていると、とうとう限界が来たようでしばらくふらついた後で倒れた。


「全く、手のかかるガキだ」


 思ったよりも頑張ったその気力は認めようと内心で続けて、私はヤナギを脇に抱えて歩き出した。

 暗い世界の中で、脇に抱えた冷たいものは不思議な温かさを私に感じさせている。不思議なことに。まあ、人の温もりというものは大体そんなものだった。フォルティスだって二代目だって、人は大体温かい。

 ヤナギを連れて学校に戻って来た私は部屋に戻ってみて、知らず首を傾げていた。ここにきて何かの違和感が急速に膨れ上がっている。脇に抱えたヤナギが少しだけ重く感じてきているのとは違う。何か忘れものがある訳でもない。何故そう思うのかといえば、何か忘れているような気がしてならないからなんだけど、どうしてもその正体が突き止められない。

 そうして数秒思い悩んでいると、こちらに向かってくる心音が一つ。ウィリアムだ。私はヤナギをその場に降ろして部屋の外へと少し急いで出た。私としても不自然さを隠しきれないとは思ったけど、もう遅い。


「あぁ、おはようございます。トキナさん」やっぱりウィリアムは妙だと感じている。「床が濡れていましたけど、どこかに出かけていたんですか?」


 思わぬ言葉に表情を変えた瞬間、ウィリアムの心音が遠くなって聞き取りづらくなる。その変化は形容し難く、知らず首筋を汗が伝っていくのが判った。どうしてかというと、どういう状態なのか把握できないからだ。私は視力を持たないがその分全身でものを視ることができるように修行を積んできた。だというのに、『心眼』の焦点がウィリアムという人間に合わなくなる。

 それは有り得ないことだった。一度感じ取った感覚を拾い損ねるなんて。

 内心で動揺しながら私は体温でぬるくなった足の布で床を二三度拭くという、大して意味の無いことをしながら、更に意味も無く鞘で床を叩いていた。動揺のし過ぎだった。


「少し森のほうへ出向いていた」私は平然と言った。


 このとき、『森』という言葉にウィリアムの心音が微かだけど変化する。


「何故森に?」


 どういう意図を持って聞いているのか判らないその言葉に、私は不信感を覚えた。『心眼』を以ってして意図が読めないということは、何か普通の意味ではない点に意図するところがあり、それを隠している。ウィリアムはそうした意図を隠すことで私に知られた訳だけど、私に判ることはそこまでだし、何か勘付いたと思われるのは良くない。


「何故と言われても、拙者が外を出歩くことに、森にいたことに何か思うところでもあるのだろうか?」


 良くないとは思っても、口は自然と動いていた。


「いえ、別に」


 それは心を閉ざそうとする言葉だった。少なくない動揺がウィリアムの脈の乱れから手に取るように判った。

 ウィリアムが何かを隠している。そのことに気付いているせいか、どこか裏を読もうとしている私は私にそれをやめさせることにする。気にする必要もないことを気にしていると気疲れしちゃう。


「ところでウィリアムは何故ここに?これから部屋に戻るのか?」


 私の問いにウィリアムはしばらく間を置いてから、目的を思い出したように「あぁ」と短く息を吐いた。私からすればウィリアムとは偶然出会ったという認識のはずなのだから、私がそう言えばウィリアムは別の用事があると言ってこの場から離れることができる。今の反応だってそれを計算してのものだけど、私が部屋から出なければ彼は部屋のドアをノックしてしまっていたんだろう。そうなっていたとき、彼がどんな行動に及んでたのか、それはあまり考えたくないわね。

 まあ、その場合も別の用事があるとウィリアムの方から言えば何も問題はないんだけど、彼の心理状態を感じ取っているせいで、その当てが外れる可能性はかなり高いことが判っていた。 


「いえ、図書館へと向かおうと思っていたら足跡のようなものが見えたので、不思議に思って辿ってみたんです。そうしたらトキナさんの部屋に続いていたものですから、どこへ出かけていたのかと思いまして」


 何をしていたのかを聞きたいのではないのか?その言葉をギリギリとところで呑み込んだ。


「そうであったか。しかし、そうだな…床を汚してしまったな。あとで掃除しておこう」


「ええ、そうしてくれると助かります。では、私はこれで」


 自然な会話で、普通なら何の問題も無いはずのやりとりの中で、私はウィリアムの不審な点を感じ取っていた。そのせいでウィリアムも私に少なからず不審な感じを受けていることだろう。今はそうなっていないけど、これからの動き次第でその芽は育っていくかもしれない。もしかすると、分かれて数分もしたら疑いが雨後の筍のようになっている可能性もあるけど、そこはあくまでも可能性。気にしたところでなるようにしかならない。

 ウィリアムが去ってから、道具を探すのには多少苦労したけど、私は私の言葉に従って床の掃除をしていた。

 しばらくすると、そこへ誰かがやって来て私のすぐ傍で立ち止まる。


「あのー……一体、何をー」


 手を休めて声のほうへと顔を向ける。相手は私の答えを待っているようだった。


「見て判らぬか? 掃除をしているのだ」


 相手はどういう訳か言葉に窮する。何故か、困っている。もしかして、私が困らせている?  


「拙者、何かオマエを困らせることをしたのか?」


「えーと、その、掃除用具をですね…勝手に持ち出されてしまうと、それ自分のだから、勝手に使われると仕事が…」


「なるほど。これはすまなかった。返そう」


 言ってモップを差し出すと、相手はそれを受け取った。けど、それだけ。次の行動を起こす様子が無い。


「如何なされた?」


「すみません。もしかして、あなたが島の外から来たっていうサムライの人ですか?」


「いかにも」


「なら、カタナにも詳しいですか?」


「詳しくはないが、扱い方は承知している」


「あの、お願いがあるんですけど、もしよければ一緒に来て欲しいところがあるんですけど――」


 相手の心は初めから今まで、ずっと不安そうな音を出している。あまりにも不安げなそれは、かなり下手な演奏を聴かされているようで癪に障ったけど、言っている言葉の内容には興味があった。


「すまぬが、今すぐには無理だ。用事を片付けたら拙者からオマエを訪ねる。行くのはそのときでよいか?」


 私にはアユムから、主君から命じられた任がある。まずそれを済ませないといけない。私用は二の次だった。

 

「あ、はい。それでいいです。ただ、来てくれるって約束してもらえれば良かったので」


 約束。その言葉は私の中では特別強い力を持っている。だからこそ、その言葉に知らず気持ちを寄せていたけど、それも部屋の中に置いてきたヤナギが動き出したのが判った瞬間にどこかへ置いて走り出していた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ