三十話 殺戮抜刀
風は激しく唸りを上げて吹き付けてくる。この島に呼ばれた理由に合点が行って心の中は晴れ渡っているというのに、どうして外はこうも曇っているのか。
このまま行くと嵐が来るだろう。そうなると私の『心眼』は一つ潰れることになる。しかしそれも些細なことと思い直してアユムの後ろにぴったり付いて歩いていた。
雨の匂いが濃くなっていく、朝にはまるで思わなかった天気の変化に好奇心にも似た気持ちから上を向いて歩いているうち、道が徐々に傾斜していくのが判った。途中、石の尖った所を踏んでしまい苦悶の声と涙が出そうになるのを堪えてからは地面を警戒しながら歩いていた。
それにしても、もう大分歩いているというのに目的地に辿り着く様子が無い。
そのことを不審に思ったときにアユムが足を止める。それに合わせて私も足を止めた。
「今思ったんだけど、目が見えないのによくこんなところを、それも殆ど裸足で歩けるな。僕だったらたくさん転んでいる」
私は足首と土踏まずのところを布で縛っている。だから殆ど裸足と言われたんだろうと考える必要も無いことを考えてから、私は言葉を返した。
「拙者は確かに歩けてはいるが、石を踏んでいる。まだまだ未熟だ」
「石を踏まずにか、難しいね。ははは、こうして話してみるとトキナは、そうだな。魅力的で、話を続けたいと思える雰囲気がある。僕にもそういう魅力があれば、もっと上手に生きれそうな気がしてならないよ」
「無いものは有るようにしない限り、有ることにはならない。しかし、校長先生の言う魅力や雰囲気というのが生まれついてのものだと言うのなら、気の毒だが諦めたほうがいいだろう」
「今、僕はとても悲しいし、怒ってしまった。あなたのように容姿に恵まれた人間にこうもはっきりと言われると、やはり、むかつくね」
「言われなくても判る。しかし、拙者は自分の姿というものが見えぬからな。恵まれているかどうかは知らないが、敵か」
体温と息遣い。鼓動の音から割り出した人間は武器を持ち、私たちを取り囲んでいる。武装している。集団である。ということは、敵で間違いなかった。
「そうなのか? じゃあ早く始末してくれ」
「いいご身分だ」
しかし、おかげで私は自己を律することなく思うがままに人を斬れる。
「主君とはそういうものだよ、マイソード」
アユムは芝居でも見てきたのか、妙に浮かれた調子で言い切った。
私に、人を殺せと。それも、皆殺しだ。
その言葉に、私は壮絶な笑みを浮かべていた。
計る。敵の数を。
図る。敵の考えを。
測る。敵との間合いを。
私の口から、笑いが漏れた。
「型捨無流三代目 トキナ=アウヌムトゥス 主君が命により、オマエらを殺戮する」
斬る前の準備運動代わりに軽く伸びをしてから、腰から下げて引き摺っていた『季節名』を左手に持って無構えに立つ。
奮い立たずにはいられない。これから始まる惨劇に。これから始める殺戮に。
「我が主。残酷な事が苦手なら、これからの起きることには目を背けたほうが良い。夢見が悪くなるぞ」
トキナはそう言うと左手に持ったままのカタナをいつでも抜刀できるように鯉口と呼ばれる刀剣の鞘の口をゆるめた。
「鯉口を切れば五人死に」
その言葉と同時か、それよりも僅かに早く、岩の陰から鮮血が飛び散るのが見えた。そこで気付いたことは、トキナが岩の陰に潜んでいた人間を岩ごと斬ったということだった。けど、それは僕の目がおかしくなったことを認める必要がある。何故なら、彼女は柄に手をかけてすらいないのだから。
「柄に手をかければ十人死に」
楽にしていた右手でゆっくりと柄を掴んだときには、どうやら全員死んでしまったようだった。
「抜刀すれば数多死ぬ」
トキナはそれだけ言って、刀は抜かずに柄から手を放すと、どこか遠い目をしていた。彼女はいつも焦点の合っていない目をしているのに、何故かこの時は何かをはっきりと見つめているような趣があった。
「今のが、居合い?」
あまりにも不思議なその技に半ば忘我して僕が訊くと、トキナは私の方を見ているつもりなのか僕よりも僅かに横に視線がズレた状態で静かに言った。
「まあ、そんなところだ」
その言葉に、目に映らなかった惨劇に、僕は、思っていたよりもずっと強い手駒を手に入れたのかもしれないと、いつしか暗い笑みを浮かべていた。ただ胸の中が熱くて、嬉しくて仕方がなかった。僕自身が強くなったはずもないのに無敵になったと有頂天になりそうになっているのが自覚できる。だって、嬉しいんだから仕方がない。
「僕は良い手駒を持てて幸せだよ」
「拙者も、主が正直者だと不満で腹が膨れずに済む。ひとつ言っておくが、拙者は校長先生が道を踏み外すならば、そのときは、道を正させてもらおう。まあ、拙者が仕えるのだ。それはないと、信じているぞ」
僕は何故か意外に思えた。トキナが信じるだなんて言葉を使うところが、全く想像ができないから、思わず笑っていた。
「あなたに信じられると、何だか怖いね」
「ふんっ、無礼な」
トキナは少し拗ねたようにしてそう言うと、踵を返して帰ろうとする。これに僕は慌てて声をかけた。
「待つんだ。まだ仕事は」
「既に終わった。何なら周囲を探して回るといい、そこらじゅうに死体があるだろう」
トキナは僕の言葉を遮って強く言い切ると鍔鳴りの音を響かせて、そのまま歩いて行った。
後日、指示を出してその近辺を調べ上げたところ、総勢で五十名の惨殺体が発見されたという。その惨状を見た者の中には発狂するものもいたらしく、この情報を齎してくれた僕の知り合いも、普段余計なことは言わないのに「戦場の方が、ずっとまともな死に方ができる」と零していた。
もしかすると、僕はサムライという名前の悪魔を呼び寄せたのかもしれないと、そう思った。