二十九話 主君と侍と
適正を試すというのが先送りなったので宛がわれた部屋に戻った私が眠って、朝を迎えたとき、部屋の前にアユムが何かを持って立っていた。きっと私が起きたのとアユムが部屋の前に来たのは同時のはずなので、私がすぐに扉を開けると少しだけ驚いた顔をする。
「おはようトキナ師範」
朝の挨拶としては最高と評していいくらいの静かな口調に私は少し活力を貰った気がする。
「その師範というのが正しいのかどうかは判らぬが、よい日和であるな、校長先生」
「しかし」アユムの視線が私の爪先から天辺をゆっくりと見ていた。「やはりその格好は頂けないな。だから、これに着替えるといい。ウィリアムの言葉を受けて一応クリエイトで作ってある。着ればすぐに体型に合った服になるはずだ」
私が襤褸同然の着物を着ていることが気掛かりなのだろう。私自身も気になってはいたし、礼を言っておこうか。
「ありがとう。心遣い感謝する」
礼を言うとアユムは何も言わずに着物を渡して去って行った。手触りからして馴染み深いほうの着物らしいが、などと思いつつ着替える。
そして、最後の仕上げに私は帯を前で結ぶ。まるで遊女のようだけど、そうじゃないと上手く結べない私としては仕方の無いことだった。
所変わって教室へとやって来た私は自己紹介という難問に立ち会っていた。
これに私は名乗る時に嘘は言わないということを代々守っているという流儀に則って自己紹介をすることにした。
「型捨無流三代目 トキナ=アウヌムトゥスと申す。アウヌムトゥスとはどこかの国で秋という意味だそうだ」
それで終わってしまったことに対してウィリアムも生徒達も空気に間が空いた気がしたのか、ウィリアムが一つ咳払いをすると口を開いた。
「そういえば、トキナさんは亜麻色の髪に飴色の瞳をしていますね。どこの出身なんですか?」
水を向けられたこととは別に、私がそのような容姿をしていることに驚いていると教室が静まり返っていた。
「まさか、地雷?」とか「またしてもあの本人否定の殺気が」とかまた周囲のやかましいこと。少しうんざりする。
「ノステアノの「色薄き大地」だ」
私の故郷は色が薄いと言われていた。フォルティスが言うには雪というのが沢山降っていて、一面がその雪の色に染められていたからだというらしいが。
「ノステアノ……あの北の島ですか。確かあそこは」
ウィリアムが戸惑いながら言う言葉に、私は何の躊躇いも無く答えた。
「滅びた。大火山の噴火によって跡形も無く消えたが、まあ詮無きことだ」
「そうですか。それで、肝心の剣術はどのようなものを?」
「居合いだ。とはいえ、居合いに関しては開祖はからっきしで、二代目は小手先の技とする程度だったので、居合いを本格的に修行したのは拙者の身体の都合によるところが大きいな。まあとにかく居合いという鞘から刀を素早く抜いてすぐさま納める技を修めている。しかし、オマエたちに居合いを教える気はないが」
もっとも、開祖の剣の一太刀はその全てが居合いのようなものだったと聞いた。『季節名』をあらゆる間合いで振るうことができた開祖に対して、二代目は長刀の不利を補おうと試行錯誤をした結果、攻撃に手数を加える意味で小太刀を必要なときに抜刀するという特異な二刀流を用いた。私の場合は、間合いに入られる前に必殺するという方法を取った。
そうなると、型捨無流という流派がまるで受け継がれていないように思えるけど、基本は同じ。ただ、「妖」形という構えの違いがそれぞれの特色となって随所に現れているに過ぎないのだけど。
教える気が無いという言葉に周囲が納得の行かないという雰囲気を醸し出したのを感じた私は言葉を付け加えた。
「そう疑うものではない。剣術は教える。ただ、拙者の居合いの技は教えないというだけだ」
すると、一応納得したように周囲の疑念は消えた。
そんなとき、席に着いていた生徒の一人が立ち上がるとおずおずと言った。
「あのう、師範はどうしてそんな長いカタナを使っているんですか?」
そこはかとなく期待していた質問だった。ただし、聞いて欲しくないという意味合いでの期待だが。
「さてな。拙者の流派の開祖の代より、剣技を継承せし者が振る刀だということくらいの認識でしか持ち歩いてはいないが、この刀、野太刀はよく斬れるから重宝している」
「どのくらい斬れるんですか?」
「どのくらい?実際に見せることはできぬが、口で言うなら、ある程度の心得があれば七つ重ねた死体を一刀両断にするくらいだと言えば、判ってもらえるだろうか?」
「実際には見せてもらえないんですか?」
「それは無理だ」
そう言うとその生徒は引き下がってくれた。聞き取ってみると、随分と緊張していた。私に質問するのはそんなに緊張することなのか大いに疑問だった。
「もう質問は終わりか?」
気を紛らわすつもりで水を向けてみると、以外にもずっと机に伏せていたフィリップが声を上げた。
「師範はその先代たちと比べると強いんですか?弱いんですか?」
難しいことを訊いてくるな。私の心に迷いが生じたことに私は酷く不愉快になった。
「さあな。戦ってみなければ判らぬ」
そう言ったそのすぐあとに、コウナイホウソウというものが流れてきた。アユムが私に何か用があるとのことらしい。
教室にいつまでいても私には何の益も無いので、天の助けといわんばかりに私はアユムの所へと向かった。
そして、アユムの部屋へと入って行くと、アユムは私に突きつけるようにして言った。
「あなたの腕試しも兼ねてしてもらいたいことがある」
私は剣を教える他にも問題が起きたときにはそれを解決する役割もあったことを思い出して、気が滅入ってしまった。私の掟はあまり賢いとは言えないので、面倒な事になることを思うとそれも一際というやつだ。
「トキナはサムライだろう。「忠」の精神をしっかり見せて欲しい」
「あぁ、そうか。そうだな。拙者はオマエに仕えると決めたことになる訳だから、そうなるのか」
絶対の掟の上を行く絶対の掟を持ち出されては嫌とは言えない。というより、今になって思い当たるなんて驚き。
「僕があなたを呼んだのにはその「忠」の精神を見込んでのことだ。正直、僕には敵が多いわりに味方が少ないから」
ほんの少しアユムの生い立ちや今の背景が見え隠れしたけど、そうなんだ。私はアユムに一生仕える立場になったんだ。
侍とは一人の主君に一生誠実に仕えるもの。剣を教えるだけならお願いだから受けるだけでいい。けれど今のように指示を受けて動くなら、それはたとえ雇われただけだとしても侍にとっての主君に変わりない。つまりアユムは私の主君という位置づけになる。
今にして思うことがあるなら、聞いた話の内容はきちんと考えたほうがいいということだけど、アユムは悪い相手では無いので、反省する事はあっても、不満は今のところ何も無いのだけど。
それにこうして考えることからして、私は誰かに仕えてみたかったという、いい証明だった。
ただし、仕えるとしても奴隷にも召使いにもなる気はないので、口調を改める気はない。
「それで、拙者は何をすればいいのだ?」
「武装している集団をサクッと始末して欲しい」
不満は僅かに募る。早速の掟破りに私は憮然とする。それでも、その心には喜びがある。
掟無しで人を斬ることは、嫌いじゃない。久しぶりに奥義を使ってみようか。
「あい判った。それで、仕事場所までの案内役はいるのだろうか?」
「それは大丈夫。僕が案内するよ」
その言葉に私は黙って、主君の後に続くことにした。