二十七話 異邦人
肌に感じる熱の強い方に顔を向ける。暖かい。
この暖かさだけが私にとっての光だと気が付いたのは何時のことだか。
言葉に色が抜け落ちていることを変に思われ、目の前が見えないことを嘲られたのはいつ始まって、いつ終わったのか。
こんな感傷に浸ってしまうほどに生きられるなんて昔は考えてなかった。
これも二代目のおかげ。だけど全ては私のおかげ。
二代目は武人じゃなかった。だから刀をどう使うか悩んだ挙句に『季節名』に魂で負けた。
それでも師としても、剣士としても強かった。
何より、美味しい料理を作ってくれる優しい人だった。私は二代目のそんなところが一番好きだけど、そんなだから開祖には絶対に勝てなかったし、『季節名』の主としても不十分だった。
少し違うか。二代目の魂は弱くは無い。ただ、隙を見せ易いから、負けたんだ。
それにしてもこの刀、私の手には恐ろしく馴染んでる。きっと私のことが好きなのね。
正式に三代目になってからは二代目と一緒に大陸を歩き回って開祖を探して、本当に大陸からいなくなったことを確認してから、暇になった人生にちょっとした、彩りを加えようと与太話に乗って異神の島へと向かっているというのが現状だった。
私は魔術の影響で獲得した視覚とは別の感覚『心眼』で後ろを見る。そこには海賊という海の盗賊が額を刺されて死んでいる。海賊のおかげで私の服はボロボロだ。そういう戦い方をするから、私には『季節名』しか与えらなかった。
別に、あの着物が欲しい訳じゃないけど、あれは良い物だって判る。これ以上無いというくらいによくできた代物だ。
だって、あれは枯れることを知らない花みたいな物だから。
揺れを感じて周囲を確認すると、塩の匂いとは別の匂いを感じた。このとき、肌に感じる風と腹時計から時間帯が夜だということに気付く。耳を澄ませば、確かに夜の静寂が聞こえてくる。
泳ぐのがあまり得意ではない私はおっかなびっくりといった心持ちで傷んだ木の板を渡って、石敷きの固い地面を慣らすように二、三回踏んでから周囲に注意を払いながら歩いて行った。
どうやら、これで『季節名』宛てに来たという手紙の内容も本当になった。
幸運なことにこの島での仕事は決まっている。
実を言うと、私がこの島に足を運んだのはちょっとしたきっかけがある。
そのきっかけは一通の手紙。二代目が言うには私に島へと出向いて剣を教える立場になって欲しいという話だった。それと何か事件が起きた場合にそれを解決する力になって欲しいとも、手紙には書いてあったらしい。
せっかくだから来るだけ来てみたけど、この感じだと学校という場所に着くまでには大分かかりそうだ。
だって私、道を歩くの苦手だから……きっと迷うんだろうな。
思ったとおり道に迷いながらも学校に着いたとき、私の近くには人が集まって来ていた。
会話の端々を聞き取ってみると「始業してから今まで一度も」とか「もしかして今来たの!?」とか色々聞こえてくる。
「あの」若い男の声だ。「あなたが剣術の指導を担当してくれるトキナさんですか?」
わざわざ聞かれた。一応、外見の特徴を伝えておいてもらったのに、不十分だったのか?
「…拙者はトキナに見えぬのか?」
侍は形からだと考える私としては、人と話すときは拙者と言うことにしているけど、周りは静まり返っている。
私のたった一言が何か間違えたとは考えにくい。それでも場の静寂が破られることは無い。不信感と不快感から腕を撫でていると「何だあの猟奇的な雰囲気は?」とか「殺気を感じる」とか聞こえてくる。殺気なんて出してない。
「拙者は殺気立っているように見えるのか?」
話し声が消える。場が水を打ったように静まり返る。
「すみません。それよりここに来るまでに何かあったのでしょうか?」
男の要領を得ない問いに眼力を強めると、明らかに狼狽しているのが解った。
「何かとは?」
「いえ、出発する前に連絡をいただいた時とは声が違ったものですから」
「それはきっと拙者の師匠だ。拙者、機械の扱いには心得が無いゆえ」
殆ど与太だと思っていた私に代わって二代目が色々と手を回してくれていたことを思い出す。
おかげで、この何の縁も無い場所に居場所があるから、出てくるのは感謝の言葉ばかり。何だか少し癪だった。
「師匠って言ったねあの人? じゃあ弟子なのかな?」「若いしね」「あれ何かな?」「あれはカタナって言うんだよ」
「何で腰から下げてるの?」「たぶん、あれはクリエイトじゃないんじゃないのかな?」「島の外はまだあんな骨董品を」
聞き逃せないことを言う。私の刀が骨董品、役に立たない古道具?
「聞き捨てならぬな。拙者の剣が骨董品だと言ったヤツ、前に出ろ」
この一言に周囲が騒ぎ立つ。こういうときには静かにして欲しいものだ。
「自分が言いましたけど、何か問題がありますか?」
声の調子、心音、血の巡る音、それとそこに潜む感情を殆ど無意識に感じ取って解るのは、嘲りと傲慢さだった。
刀を骨董品と呼ぶくらいだから、きっと文明の発展度合いが違うんだ。それがこの驕りに近い自信の正体。
「今の一声で大体解った。どうやらこの島は拙者がいたところよりも随分と進歩した技術があるらしい。だが、それを扱う者はさして進歩はしていないようだ」
「ウィリアム先生。ちょっとこの人、試していいですか?」
「フィリップ君、それは困るよ」
「どう困るって言うんですか?ああ、もしかして俺が勝っちゃうからですか?」
頭痛がしてきた。相手の実力も解らない。自分の実力も解らない。
そんなのに好き放題言われて黙っているほど、私の堪忍袋はそう都合良くできてはいない。
「オマエに解るときが来ると信じて言っておく。持つ者が持たざる者を笑うことは自らの祖先を笑う恥知らずの行いだ」
「先生。向こうもやる気みたいですよ?」
ウィリアムの心音と呼吸が乱れに乱れているのが聞こえてくる。あまり気の強い男じゃないらしい。
「トキナさん!あなたの力は保証されています。ですから生徒を殺すのはやめてください!!」
最初、それが与太かと思ったけど、かなり本気で言っている。道理でそんなに心臓が暴れてるわけだ。
ウィリアムの大音声に周囲の雑音が途絶えた。緊張して震え上がる心臓たちの音が耳に届く。きっとウィリアムの言葉にはそれだけの信憑性があるという、その証明だった。
「拙者は教えるためにここに呼ばれて来たのだ。教える相手を殺しては元も子もあるまい」
私の言葉の効力は思いのほか効き目が無い。すごい癪だ。
それがいつの間にか顔にも出たのか、周りは余計に静かになっていた。
「先生はいつも大袈裟ですよ。だって相手は無駄に長くて鞘に入ったままのカタナ。こっちは――」
微かな風音。熱がフィリプの右手に集まっている。魔術でも使うのかと思いきや、集まったものが何かの形を得ていることに気付いた。
「――ハンドガンですから」
聞き慣れない金属の可動音のあと、ハンドガンが私に向けられた。ガンということは、鉄砲。飛び道具なのか?
「それで拙者の力を試すのか?」
冷静になって聞いてみると、ほんの少しフィリップに緊張が走る。結構、臆病なんだ。
「この距離で撃ったらお前死ぬぞ?」
その言葉で自分を勇気付けている哀れなフィリップ。何だかもう名前からして哀れに思えてきた。
「フィリップ君! お願いだからトキナさんを刺激しないでください」
「ウィリアム。フィリップに目はちゃんと付いているのか?」
「は? 何言ってんだお前」
フィリップは絶句するウィリアムを置いて苛立った調子でそう言う。頭に血が上り始めている。
私の最初の師匠でもあるフォルティスは戦いを挑まれたときにいつも言っていた。
「拙者がいいことを教えてやろう。喧嘩を売るなら、相手よく見て売れ」
フィリップの筋肉に動きが起こる。引き金を引く気のようだ。しかし、その動きと私が動く速さは違いすぎる。
弾が銃口から出たときには、私はそこにいない。本来ならいないけど、少し大道芸でも見せてみようという気になった。
小太刀を抜いて刃を撃ち出された弾の前に立てる。
そして、弾は真っ二つになってはるか彼方に飛んでいった。そもそも、弾自体が大した速さを持ってない。
「良かったねフィリップ。もし弾が当たって死んでたら、拙者、オマエのことを許すところだった」
体中の気がざわめいて、それが段々と眼を圧迫するのを感じる。
私の目は、見えはしないけど、魔力を使って相手に感情をぶつけることができた。
そのせいでどれだけ表情を消しても、目から伝わる感情に因縁を付けられて酷い目にも何度か遭った。
今では、それも便利な武器になった。私の感情は立派な凶器として、フィリップに突き刺さっている。
歯の根が噛み合わなくなったフィリップは恐怖している。
これくらいで心が折れるようだと開祖の前に突き出したらそれだけで死ぬ。だって、アレには昔の私だって死にそうになった。こうして比較する相手がいると二代目はやっぱり強いんだ。
「ヒッ」
手に持ったままの小太刀を足元に投げ付けてみるとフィリップは短く悲鳴を上げて尻餅をついた。
「格好悪い」
感想を言って小太刀を拾いに足を進めるとフィリップはどこかへと走って行った。
小太刀を拾って鞘に納めていると周囲の気配がおかしい。それで私に注がれる視線がどうにも居心地が悪くて、できることなら今横に抜けていった風と共にこの場を去りたかった。
「ウィリアム。オマエは拙者を案内する役ではないのか?」
こちらに意識を戻すとウィリアムは生徒達に解散するように言って学校に歩いて行こうとする。
私はその前に、ウィリアムの手を掴んで引き止めた。相手の心臓が飛び跳ねるのが解った。
「……なんでしょうか?」
私は手を放し、それからウィリアムの耳をつまんでそっと耳打ちをする。
「拙者は目が見えない。だから入り組んだ場所を歩くのは苦手ゆえ、できればゆっくり歩いてくれ」
そう伝えてから、私は何故この学校の人間に必要とされたのかを真剣に考え始めていた。