二十三話 開祖の疑問、二代目の疑問
夜になって町へと戻ったわたしは濡れた体を引き摺って服屋さんへと飛び込んで、着替えた服とタオルを買ってお店を出た。濡れた着物のお手入れのことも考えて、服屋さんに預けたから、しばらくはここに滞在することになった。
視線を逸らすと左手に握られた『季節名』は今までどおりの短刀仕込の長刀に戻っていた。それが何だか哀しかった。
まずは、この世界に彼女がいる理由を知らないといけない。そう思ったわたしは知っていそうな人物に、シルクリムに話を聞くことにした。
さっきの飲み屋さんでシルクリムはわたしの話を聞いたあと、何だかよくない笑顔を見せてわたしを不安にさせた。
「まさかアッチェントの転生術が完成していたなんて。なるほど、合点が行きましたよ」
「どういうこと?」
訊いてみるとシルクリムは蝋燭立てから肝心の蝋燭を抜き取ると尖った先端でカリカリと魔法陣を描いてくれた。けれど、わたしにはそれが何を意味しているのか解らないから、魔法陣を食い入るように見ることしかできない。
「トキナと一度話した際に言ったことなのですが、大陸は転生術への関心が非常に高いのです」
「そうなんだ」
「それで、貴女の今は亡き故郷でも転生術が、密かに開発されていたのです。しかし、それは邪法だったのです。それが全ての災厄の始まりと考えても何ら間違いはないでしょう」
「細かい事は放っておいていいの。それよりどうしてトッキーが魔王なの!?」
興奮するわたしを宥めようとシルクリムは両手をどうどうと言って動かす。この人はわたしに隠し事をしてた。そのことで掴みかかりたい気持ちを何とか抑えて椅子に座った。
「教えて」
シルクリムは頷くと魔法陣を蝋燭立てでトントン叩いた。
「これは私がアッチェント滅亡後に知ったことなのですが、魔物が誕生したのは、この転生術の失敗が原因だったのです」
「それって」
「そうです。今大陸に蔓延る魔物というのは、転生に失敗した者の成れの果てなんですよ。つまり私の親戚ですね。まあ、魔物の全てがそういったものだという訳ではありません。魔獣と魔人という分類もありますし」
長々と聞く話でもないから、わたしは話に割り込んだ。
「魔王もその転生術で生まれ、じゃなくて、転生したの?」
「ええ、きっと中央の統治に異を唱える者たちが中央が行った粛清に便乗して奪い取ったのでしょう」
「粛清って……まさか、アッチェントは中央に滅ぼされたの?」
「そうですが、細かい事は放っておきましょう。トキナが魔王として転生したのは十年前、予期せぬ成功によって新生した魔王の力はご存知の事かと思いますが、魔王は私のような転生体とは違い魂を洗浄することなく全てを継承した転生者。つまり転生術の真の成功体ということになります。私の考えではその術ももはやその魔王の手で消し去られたでしょうが」
「どうして?」
「トキナの多分、性格でしょうか。トキナが今でも人を殺していることからして、術を行使した人間が生きているとはどう考えてみてもありえません」
「シルクリム。トッキーを止めるにはどうしたらいいの?」
「それを私に訊くのですか?でしたらこう答えましょう。頑張ってください。いい大人なんですから」
「わたしまだ十七だよ。大人じゃないもん乙女だもん」
「頑張るって言ったのは貴女ですよ」
膨らませた頬を掴まれて、空気を抜かれる。不満を唸って表すと指が食い込んできて、口を開けられたところで中に薄い、フィルムに似たものを入れられる。それは舌に貼りついて、強烈なハッカみたいな味がした。これはシルクリムが昔おしおきと言ってわたしに食べさせていたマズイ食べ物だった。
「――――――――」
わたしは思い切り苦しみながら舌に貼りついたものを前歯を使って取ろうとしたけれど、全然取れなくて、わたしは奇声を上げてじたばたしていた。
三分経ってようやくピークを過ぎた味覚への暴力はわたしの舌を未だにいじめてきていて、呼吸をするのも大変だった。
「ハーハー、ひ、ひどい。しょれはもうしない約束はのに」
大人って、厳しい。それにウソつきだ。舌がヒリヒリして上手く喋れない。
「頑張ってください」
綺麗だけど酷い笑顔だ。涙がちょちょ切れる。魔王打倒の前にシルクリムを打倒したい。そんなことを思いながら、飲み屋さんをあとにしたあと秋ちゃんに取ってもらっておいた宿の二階の部屋に行って、窓を開け放ったあとでベッドに横になる。
彼女との再会はわたしの夢を崩壊の一歩手前のところにまで追い込んでいて、何だか泣きたくなった。でも、泣けなかったから、気分転換に出掛けることにした。
歩きながら空を見上げたら月は明るくてまん丸で、星も綺麗で、こうして見ていると今までのことがどんどん思い出されていって、何だか落ち着く。落ち着きすぎて怖いくらいだった。
それからずっとぼうっとしていたら、後ろから重なった声がかかった。
『ひ〜め〜さ〜ま〜!!!』
爆発みたいな声に驚いて体ごと振り返ると、そこには二人の男の人。わたしにとってとても大切な人たちがいた。
「トーマス!エルムス!」
二人が走って近付いてくるからわたしも走って、トーマスに抱き上げてもらう。
「会いたかったよ〜」
「姫様、ずっとお会いしたかった……」
「ハハハ、お久しぶりですなあ。本当に大きくなられて、ハハハ、しかし髪の色が元に戻っていますが何かありましたかな?女とは身だしなみでいかようにも変化すると言いますからな、ハハハ」
「これは雨で落ちちゃったの。でも嬉しいな。二人と会えるなんて」
「ハハハ、私も嬉しいんですがね。今日は疲れが溜まっているのでここで失礼させていただきしょう、ハハハ」
エルムスは随分あっさりと去ってしまった。もう少しいてくれると思ったから寂しさが増した。でも大分年だから、休みたいっていうのには嘘は無い。それにゆっくり休んでくれたほうが明日遊んでくれるかもしれないと思って気を取り直した。
「姫様、剣を置き去りにしてますよ」
「あ、忘れてた」
何だかとても悪いことをした気持ちで『季節名』を拾おうとすると掌に痛みが走ったものだから慌てて引っ込めて、恐る恐る手を見てみると、横一線に綺麗に切れて血が流れていた。カッとなったわたしは感情に任せて考えなしの行動に出た。
「このお!」
お返しにと蹴っ飛ばすと『季節名』は虹のように綺麗なアーチを描いて宙を飛んで、誰かの手によって掴まれていた。
その手がどんな人なのか目線を動かしたとき、砂利を滑る音と剣同士がぶつかって弾かれる音がした。
わたしの前に立ったトーマスはたったの一撃で剣を杖にして何とか立っているような状態になっていた。
「トーマス!?」
「姫様!逃げてください!!」
「私を蹴るなんて、酷いなエスは」
首が石になった気がした。月明かりを背にしていて顔ははっきりと見えないけれど、間違いない。彼女だ。
「トーマスが相手なら少しは話す余裕があるかな」トキナは虚ろな笑い声を響かせた。「剣で仕合うなら人として勝負しようかと思って来たんだ。はっきり言うと、頭の上にいつも雷雲があるのは気分の良いものじゃない」
トキナは右手で空を指差しながら言うと、トーマスに『季節名』を向ける。
無言で「そこをどけ」と言っている。彼女の殺気は「殺す」という意思じゃなく「殺される」と思わせる。そんな殺気を前にしてもトーマスは一歩も引かなかった。
一時だけ見えたトーマスの目の光は、とても悲しい色をしていた。
「やはりあなたは変わった……今のあなたは人を思いやる心が失われている」
トキナはその言葉に力を失ったみたいに刀を下ろして言った。
「それは私が一番自覚してるよ。でも、これがシュウセイというものだって思うと、案外楽に割り切れたよ」
その言葉にわたしは我慢の限界がきたことを感じた。
「…トーマス。剣を貸して」
トーマスから剣を受け取ったわたしはトキナの正面に立って向かい合った。
「その剣じゃ勝てないよ」トキナは何を思ったのか『季節名』を返してくれた。「それはもうエスのものだけど、もっと大事にして欲しいかな」耳に痛い言葉をおまけしてくれた。
剣を返す。トーマスは剣を鞘に納めると怖い顔をしながら、わたしたちから少し離れた。
わたしが抜刀して刀を大上段に構えるとトキナも同じ構えを取る。その構えの意味するところはひとつしかない。
「虚虚実実の勝負といこうじゃないか」
トキナは妙に嬉しそうな声で言った。
お互いに同じ構え、同じ呼吸をしてこれから同じ動きをするはずなのに、それをする剣の放つ光だけが違っていた。
わたしの剣は月の光を受けて蒼く、トキナの剣は黒々とした剣の周りに赤い光を纏わせていた。
『型捨無流――奥義――』
声を重ね、動きを、全てを鏡のように合わせて動くお互いの動きに、トキナは微かに笑っていた。
心臓の鼓動がひとつ終わった瞬間に大気を押し退けながら一歩を踏み込んで、斬る。
『裂界!!』
同時に振られた剣の刃が正面からぶつかる。髪の毛一本ほどでもずれたらお互いに真っ二つになるんじゃいかと思えた。
時間が止まったように思えたとき、剣が交差する。動き出した時間に合わせて、地面が見えない斬撃に鋭く抉られて、空を漂っていた雲が割れた。
お互いに同じ流派を窮めていることからさすがに一撃では決着が着かない。
剣を高速で打ち合う、けれど高速で動くのは剣だけじゃない。体の動きは悟らせず、走る速さならわたしは十年前のトキナよりもずっと速い。
周囲を砕くように強烈な力で跳び回りながら剣を振るい続ける。空気を切り裂く刃は足で加えた分の加速も受けて、熱気を立ち昇らせて陽炎を起こして、やがて不可視となる。
「型捨無流――陽炎」
トキナとわたしは「妖」形が根本的に違う。これが、わたしの型捨無流の技。
これほどの速度の剣を避けるのは、いくら彼女でも不可能のはず。そう、わたしは自分に言い聞かせてその命を狙って刃を向けた。
その剣を見切っているトキナは恐ろしくゆっくりと動いているように見えた。けれど実際はとても速い。
そんなずれた動きで剣を天に掲げると、トキナは何の素振りもなくわたしへと迫って跳んで来た。それに反応したわたしの剣は、間違いなく、急所を狙わされていた。
咄嗟の事に体が硬直してしまったわたしの両肩とお腹をトキナは同時に貫いて、お腹にそのまま突き立てて下にゆっくりと斬っていこうとした。
「あ―――――――ぅ!!!」
髪を引っ張られたときみたいに剣の動きに合わせて膝を着いてしまう。両肩から先は動かない。トキナの剣は骨と肉をズタズタに切っていったから、普通に刺されるのよりもとても痛かった。
「臍を貫かれると痺れるらしいけど、どうかな?」
痛みでお腹に力が入る度に刃が体に食い込んで痛みを起こす。体中から冷や汗や脂汗が流れ出て干からびるんじゃないかと思えてきた。血も流れていくから意識が、無くなりそうになる。それなのに、体に入り込んだ凶器がそれを許してくれない。
「エスは我慢強いね」トキナは柄から手を放すとしゃがみこんで顔を近付けてきた。「男だったら死んでるだろうね」
痛みが薄れてきたと思ったら、今度は痺れて動けない。
「まさかっ、剣に毒を塗るなんて」
「まさか、私は自分に毒は塗らないよ。今エスが動けないのはそういう場所を刺しているからだよ。トーマス?動かない方がいいよ」
遠くで地面を滑る音がする。きっとトーマスが急に足を止めた音なんだと思っていたら、トキナが微笑を浮かべて、わたしの顔をじっと見てきた。
「?」
朦朧としている意識ではよく考えられない。だからわたしはぼうっと彼女の顔を見ていた。
「命って尊いよね。けど重いって言うわりには軽いよね。でも貴重だ。でも腹の足しにはならない」
言っている言葉のひとつひとつの意味は解っても、それがどう繋がっていくのか解らなくて、わたしは戸惑った。
「ねえエス。命って何なんだろうね?」
そんなことを訊かれてもわたしにはよく解らない。だから黙っているとトキナは光の無いくすんだ目でわたしのことを静かに見つめてくる。
「エスは命が大切なものだと思った。それが私のものであっても変わらずに。だから剣が一瞬止まった。でも、命が何なのかは解ってないまま、そんなことをして良かったの?」
「何を言ってるの?」
「命って何なんだろうね?」トキナは同じことを小首を傾げて言うと、わたしから剣を引き抜いた。「エスはもう少し修行をしたほうがいいんじゃないかな。今のままじゃあ、私に掠り傷一つ負わせられないよ。フフフフフ」
わたしはその言葉を耳にしたあと、血の赤が広がった地面に顔が近付いていくのが解った。