挿話 惑わされても執念は消えず
暗黒渦巻く空に雷が踊る。
その下では魔王と呼ばれる者と英雄となろうとする者が対峙し、今まさに決戦の火蓋を切ろうとしていた。
嵐の中にありながら英雄を目指す男は天を指す。
そこに見えない己の宿星のありかを。
黒い外套に身を包み、目深に被ったフードの奥、そこにある両の目からは金色の輝きが放たれ、その異様を嵐によって作り出された暴力的な霧の中で際立たせている。
そして、腰に差された長十手を徐にその両の手に握る。
「星は語った! この俺が勝利し、英雄となることを・・・・・・」
その声の奥に潜む獣の咆哮を聞いて、フォルティスの求めた敵である「魔王」の称号を冠する女は艶然と笑った。
「フフ、フ……英雄。何とも滑稽に響く言葉だよ」
女は嵐の中にあって静謐だった。
その長い白髪が水を滴らせることは無く、鳶色の瞳は灯火にも似た強い眼光によりその存在とそこにある嘲りの意思を強調する。
黒色の拘束服に身を包むその姿は世において魔王と呼ばれるには似つかわしくなく、まるで囚われた罪人のようにしか見えない。
フォルティスは目の前にいる魔王の真の名を知らない。
だがそれでいい。目の前の相手が「魔王」という役割を持ってさえいれば名などさしたる問題とはならないのだから。
「魔王にはそう聞こえるか?」
「そうだね。そうとしか言えない」
言葉と共に掲げられる長剣の持つ赤い輝きにフォルティスは心を奮わせる。
敢えて構えて見せる女のその動き一つで伝わる魔術めいた剣の技量。
否、魔術とはせいぜい現象の再現に過ぎない。
それに対して目の前にあるこの剣技は正に創造の域!
魔術を遥かに超越した人外の剣……是非とも破りたい。
打ち克ちたい。
ならば、如何にして奴の剣の術理を破る?
警戒を維持しつつ、思考に没入するフォルティスに魔王の言葉が割り込む。
「まさか、計算してるのかな?」
魔王の声には幾許かの失望が表れている。
フォルティスはこの魔王に対して、互いの考え方の違いをはっきりと感じていた。
「はからいなくして必殺は無い」
「死合いは計算で行うものじゃないと思うけど、もっとも、君が計算をしたいのなら弾き出せる数字は一つしかない」
「……」
「命の数を数えてみるといいよ。何、そう難しくないよ。一つ! たった一つを数えればいいんだから」
言い切ると魔王は身を転がしてフォルティス目掛けて飛び込んでくる。水や泥を大量に撒き散らしてフォルティスの視界の自由を奪いながら。
――なんて小癪な真似をしやがる。
嵐の中にあってただでさえ不自由なところに追い討ちをかけてくる。これにフォルティスは内心で舌打ちし、同時に頭に血を昇らせていた。
――あの長剣で地を転がって距離を詰める? そんなバカなことはありえない!
それがありえるこの現状への認識が遅れた自身への怒りと共にフォルティスは無数に降りしきる雨の中に混じる凶刃を辛うじてかわす。
しかし、背に一筋の傷を受ける。浅くはあるが痛みが体の動きを邪魔しようと、それを強く訴えかけてくる。
痛みに集中が散りかけたところを狙い打つようにして魔王は馬蹴りを繰り出し、それをフォルティスは首を刈られる直前で身を伏せると共に魔王の軸足へと蹴りを入れ、体勢を崩そうとするが、その蹴りは空を切ると共に服が水を吸い込み肉体に負荷をかける。
そのほんの僅かな負荷が、フォルティスの調子を僅かに狂わせる。
僅かな狂いが、次の攻撃へ転じるために決めた機と実際に動き出す機を外させる。
結果、ほんの僅かのズレも許さぬ一撃の効果は見る影もないものとなり、フォルティスは攻撃後の隙を、魔王にとっての絶好の機会を与える形となる。
魔王の右腕が伸びる。それも刺突の如く鋭く、それでいて緩やかに。だが、その手の形は指を軽く曲げているだけで、手刀でも拳でもない半端な形であることをフォルティスの目は確かに捉えていた。
そして、その手がフォルティスの顎のすぐ傍へと迫った時、手が握りこまれ、その反動で浮き上がったことでフォルティスの顎を軽く打ち上げ、続けてそのまま襟元を掴み引き寄せる。
適した瞬間、魔王は一歩を踏み込み左腕を振り上げ、フォルティスが反応するその時を狙ってこれを畳み、肘を鎖骨へと叩き込んだ。
打撃の威力を殺す為に肉体にそれぞれ弛緩と緊張を強いるフォルティスの制御の感覚を計り、それを見極めたうえでのこれを乱そうとする連撃に更に一手、自由となっていた右による掌打から伝わる破壊の波が鎧越しに肋骨を撓ませ、内臓を潰さんとする。
「――――、ガ」
こうなっては痛みを逃す術など無いにも拘わらず、愚かにも体はそれをしようと体勢を崩そうとする。
そうなれば詰みだと理解するフォルティスの理性は、ここで左手に掴んだ命綱を引く。
牽引されて来るのは水面下に隠していた十手。
それは魔王にとって完全な死角から飛来する。
しかし、牽引の挙動は全く隠されておらず、その腕の動きから軌道を読み切った魔王は飛来する十手を目で追うこともなく容易く掴み取ると、そのままフォルティスへと振るう。
これにフォルティスはもう一つの十手を打ち合わせ、次の瞬間、予め投じておいた十手の紐を魔王の首へと輪の形で引っ掛け、瞬時にこれを掴んで引く。
絞殺するために。
だがそこに、微かな違和感が生じる。
「!」
次に起きた事にフォルティスはただ驚愕する。
紐を引く為の持ち手、鍛えられた鋼の十手がまるで箸のように容易く折れたのだ!
「!?」
一度ならず二度の驚愕はフォルティスにとって愚の骨頂。
致命的な隙でしかない。
「――」
その事が三度目の驚愕へと姿を変えようとした時、魔王は地に突き立った自身の得物を手に取ると間合いを開いた。
それが意味するところはつまり、仕切り直しということ。
既に死神に味見をされて怯え切った己を鼓舞する意味も込めて、フォルティスは叫ぶ。
「どういう積もりだ? 答えろ!」
「あなたを相手にして、今の形で勝利するのは気分が良くないだけだよ」
この言葉を受けてフォルティスの目の光が揺らぐ。
「……勝負に随分と拘るな。貴様は本当に魔王か? それともまさか、武人なのか?」
「どうだろうね」
「もし武人ならば、剣を放り投げたりはしないだろうが、わざわざ仕切り直すというのなら、剣を抜け。剣で勝負しろ……お前の真髄はそれだろう――初代、季節名」
「くっくっくっ」魔王は顔を綻ばせると剣を引き抜き構える。「あなたは強者だ。競う価値があり、負かすことに生まれる価値はより高い。けど、殺す価値はない」
「意味の分からないことばかり言いやがる」
「殺すには惜しいと言ってるんだよ。でも勝負をする以上は殺生がつきまとうし、これがないと勝負にならない。殺さないように加減するのも同じこと。だから、命を奪われないように守り切って欲しい」
――殺したくないが、殺す気で戦いたいだと? なんて無茶苦茶な。
「お前は何が目的なんだ?」
ふと出た好奇心からの言葉。
それは魔王に考える素振りという、隙だらけの構えを取らせた。
一瞬、これを必殺の機会と踏んだフォルティスだったが、踏み止まって返答を待つことにする。
それは彼の矜持に傷がつくからなどという理由からではなく、必殺と思ったその瞬間に動き出す兆候を察知され、威圧されたからに他ならなかった。
「言葉で気を引いて敵を討つ。確かにその手段は私もよく使ったよ。だからこそ、私には通じない。それにこの嵐の中での戦闘に不慣れなあなたの動きじゃ通じたとしても仕留め損ねることは間違いないよ。加えて言えば、あなたはこの嵐で刻一刻と体力と気力を削られている。あなたはもう全力を発揮できない。せいぜい花火の見せる煌きのように一瞬に賭けることしか、もうできないよ」
「だからそれを見せてさっさとくたばれとでも言う積もりか?」
「まさしく、その通り」
「あぁ、思えばここだけに訪れる嵐なんて罠に違いないな。だが、妙だな。お前は相手を弱らせながら戦うようなのは趣味じゃないだろ?」
「さて、どうだろうね。私は勝つ為には何でもするよ……そろそろお喋りはやめよう。今は喋ること自体が、体力を大きく損なう行為になる」
「おいおい、まだ答えを聞いてないぜ?」
「答えは簡単だよ。でも今それを言うとあなたは剣を引くだろう」
それで十分だったのか、フォルティスは肩を落とすと首を横に振ってみせる。
「無駄骨か。それでどうして、お前は俺と戦うことを未だに望むんだ?」
「言葉は糸口になってしまう。だから、お喋りは大嫌いなんだよ」
それだけを言って、魔王であるとされている女は剣を構える。
「君が強いから。私は強者と戦いたいと望んでいる。たったそれだけのこと」
「ハハハハハハ。じゃあ、見せてやろう――――俺の本気を」
言葉と共に、降り注ぐ嵐は時を止めたかのようにしてその動きを制止させる。
それは紛れもない理外の事象であった。
「渇!」
フォルティスの一喝と共に嵐は再び大地へと降り注ぐ。
この一瞬の出来事の後、濃密な力がフォルティスを中心として渦巻き始める。
だが、その力が強過ぎるのか、フォルティスは苦痛に喘ぎ、その体は悲鳴を上げる。
「戦う前にも思ったことだが、俺はお前が「魔王」という役割さえ持っていればそれでいい。俺は母との誓いを果たすため、「英雄」になれるのなら、誰であろうと、何人いようと殺してみせる。「魔王」が人の負の情念を食らい育つことでなるのなら、「英雄」とはその血を浴びることで産声を上げる。だからこそ、俺はお前を斬る」
季節名はまるで違う世界の言葉でも聞いたかのように目を丸くする。
「そんなことに、一体何の意味があるのかな?」
心底分からないという口調で言われた言葉に、フォルティスは目の光を煌めかせる。
「人を殺し続けたその果てに怨霊神とまでされた奴が何を言う! 貴様こそ殺すことに一体何の意味があったんだ! 答えられないだろう? 無為に殺しを続けてきた貴様には」
「無為じゃないよ。私は生きるためだけに命を奪ってきた。それをまるで殺すために生きてきたかのように言われるのは心外だな」
「そんな生き方は間違っている。生きるために奪った命は、奪われたことを知る者がその価値を大事にしていればしていたほどに、お前の命を奪う命になっていく。それはつまりお前は自ら奪わなければならない命をいたずらに増やして摘み取る人でなしであることでしか生きられない畜生心の塊だってことの証だ。そんな貴様を信じたあいつを思うと俺は、悲しさで胸が張り裂けそうな思いがする」
「そうやって、人は愚かな闇に包まれる」
哀しげに呟いて、季節名は手にした剣をあっさりと放り捨てる。
「何だと?」
激情を湛えたフォルティスの眼光が季節名を射抜こうとする。
「さとりに至らぬ私は執着を捨て去れない。それでもキミの執着が愚かしいのは分かる。キミの苦しみや悲しみというのは、愛だとか正義だとかそんなものから生まれてくるものなんだろうね。善を為そうという心意気は認めるけど、自我に寄った善は所詮よこしまなもの……雑毒の善でしかない」
フォルティスは言われたことの半分も理解できなかったが、心の奥底から沸々と湧き上がる怒りだけは理解していた。
「人殺しという悪を積み重ねながら、この俺に善を説こうだと? ふざけるなよ」
「私は世間と争い、殺し、盗み、欺いて生きてきた。そして何より殺し続けてきた。既に道を外れた人間の言葉は聞くに堪えないのかもしれないけど、キミだって道を外れかけているんだよ? 分かるかな?」
「俺は武門だ。仏には縁がない。それ以前に、俺の望み、願いに誤りなど存在しない」
「それはただの名声への執着だよ」
季節名が発するのは抑揚の無い声ではない。
しかし、感情というものが感じられず、フォルティスは戸惑う。
まるで鏡を前にした時のような錯覚を覚える。そんな不思議な響きを持った声だった。
だからなのか、言葉よりもその声にフォルティスの心は乱される。
「ただのなどとは言わせない!」
「そうやって怒ること自体が、苦しみの証拠だよ」
「ただの執着だと? 苦しみだと? 俺の行いは無意味だと、滑稽だと言うのか?」
「最初にそう言ったよ。でもその苦しみを私のものにしてあげてもいい」
「何を、何を言っている?」
フォルティスは己の心に、見えない糸が絡みつこうとするかのような感覚を覚えた。
「私が「英雄」になろうかと言ってるんだよ。そうして、キミはここで執着から離れるといい。欲望に追い回される生というのは無常なもの。私を謗るのなら、キミは「英雄」になどならない方がいいよ。キミが私の血を浴びて育つというなら、それは悪の根源となる。キミが本当に正義として、善を為したいというのなら……悔いたくなければやめるといい。悔いれば、キミの正義は途端に悪に取って代わる」
惑わされるのはうんざりだと、フォルティスは季節名の言葉を内心で撥ねつける。
心をざわめかせるのは季節名の言葉にフォルティスが感じ入るものがあるからである。
それでも、目の前にいる相手はこの上ない悪であり、言葉が善であろうが何だろうが、不変の悪であることは間違いない。
そもそも、人を惑わすものこそが悪なのだ。そう判断したフォルティスの眼光には力と共に憎しみが宿る。
「仏門の戯言ばかりをべらべらと抜かしやがる。大量殺人鬼が教えを学びながらも道を外す。その時点でお前には何の意味もない。正しさなど何一つもない。やはり畜生心の塊、悪の権化だ」
季節名はフォルティスを見ると、やにわに微笑む。
それは感情の境界がひどく曖昧であり、フォルティスには判別不可能な表情とも言えない何かとして映った。
「とうとう私を憎んだね。善人としては実力不足だ。「英雄」には憎しみで十分だけど」
「善人としての実力不足おおいに結構! 俺は「英雄」になれればそれで十分!」
話を打ち切るようにして、フォルティスは拳を構える。手の内に寸鉄を忍ばせることも忘れない。仕掛けを発動させる機会さえ掴めば、勝利できる。
「英雄」になれるのだと、フォルティスは己の内に秘めた闘志を燃やす。
季節名もそれに応じるように右足を一歩前に踏み出す。嵐の中という視界の悪いこの状況である以上、彼女もまた相手の目を盗むようにして、構える際に指先に丸みのある刃のついた指輪を嵌める。
互いに素手を装い、その油断を突いて相手を殺す心算を立てていた。
「三毒超克……型捨無流 開祖 季節名。せめて私により多くの死境を覗かせて欲しい」
「……二天一流改め、深夜流忍術 フォルティス=深夜」
両者共に動かない。まずは様子を見るためなのか、石のように動くことをしない。
しかし、本気となったフォルティスには時間的猶予が残されていない。彼の足元から徐々に水面が赤く染まっていくさまは、その事実を季節名の目にも明らかにしている。
だが、季節名は動かない。ただ相手が自滅するのを待つ気配とは違い、だからといって攻めに徹しようという気配もない。完全な隠蔽状態を維持している。
次の瞬間、前触れもなくフォルティスの顔面が三度叩かれる。
フォルティスは攻撃を受けながらも、攻撃の正体を見切っていた。
その正体は、この嵐によって降り注ぐ雨粒。季節名はそれを手刀に乗せてフォルティスへと高速で弾き飛ばしたのである。
それを即座に理解したフォルティスに、季節名の策は意味を為さない。
精神的なショックを与えることで作り出した隙を突くことができない以上、既に必殺はありえない。戦いで有利に立てない季節名は攻めあぐねる。
そう予測した瞬間、フォルティスは季節名から繰り出される上からの手刀を受け、足を地に沈み込ませていた。
――ぬかるみに嵌まった! いつからそんな状態に?
反撃と脱出を同時にこなすべくフォルティスは瞬時に蹴りを繰り出そうとして、思わず曲げた膝を踏み抜かれてしまったことで先手を打たれてしまう。
「くっ」
フォルティスは季節名を睨もうと目を向けるが、その姿は忽然と消えている。
それが意味するところに気付いた時には、フォルティスは季節名の空中からの飛び蹴りを胸に受けていた。
その衝撃が完全に肺腑へと到達したことを確信した季節名はその場にて着地し、
次の瞬間に殴り飛ばされる。肉体が負荷のほとんどを散らしたが、それでなくとも腰の入っていない大振りの拳であり、大した脅威とはならない。
だが、続けて顔面を捉えてきたフォルティスの拳は同じ大振りでありながら季節名を六メートル近く吹き飛ばした。
鼻骨に響く痛みに気を悪くしながら、季節名は身体を器用に動かして着地する。
フォルティスは腕を突きだしたまま、季節名との距離を一足飛びに詰めてくる。
季節名はこのフォルティスの動きにまるで気を払わず、凄まじい加速によって走り出し、そのまますれ違いざまにフォルティスの腕の肉を指環の刃によって削ぎ落とす。
しかし、苦悶の声は上がらないことに季節名は疑問を抱いた。
常ならば、肉を削がれた痛みと刃に塗られた神経毒によって相手は苦しみに支配される。
おかしい。
季節名の疑問は一瞬毎に強くなる。
そして、その瞬間に終わりを告げたのは、音も無く接近するフォルティスの姿だった。
一、二、三と、季節名は連続して攻撃を受ける。防御が間に合わず、無防備に受けたこの攻撃の威力は凄まじく、体を突き抜ける衝撃波は嵐を吹き飛ばす突風と化していた。
そこにいるという気配でフォルティスの動きを感じ取っていた季節名の、その感覚を完全に欺かれた結果である。
だが、季節名には納得が行かなかった。雨粒がものに当たり散っていくことで得られるそこに物体があることを示すある種の日影のようなものがフォルティスの接近時には感じられなかったからだ。
嵐は嵐としての激しさはあるものの、雨粒が落ちる瞬間は季節名の周囲では常に一定の間隔となっている。それ故に気配を生じさせない敵が相手であっても見落とすということはないように仕組まれていた。
気配で欺き、仕掛けを破った。結果としてはそれだけのことでも、後者を成し遂げることは不可能に近いはずなのだ。
季節名は続く攻撃を捌き、痛みを無視しながら考える。
考えながら、仕掛けに頼ることをやめ、フォルティスへと反撃する。
反撃で打ち出した拳はフォルティスの拳によって弾かれ、手首を掴まれると空いた脇へと恐ろしく鋭い拳が叩き込まれる。
フォルティスはこの瞬間こそが必殺だと判断した。それだけに拳の力は尋常ではない。
「――ッ」
季節名は痛みで堪らず姿勢が崩れたところに今度は鳩尾へと拳が刺さり、体がくの字に折れたところで頭を掴まれ、下に引かれた瞬間に合わせて膝蹴りを顔面に叩き込まれる。
都合三度の膝蹴りを顔に受けた季節名の頭がようやく下がる。
そこでフォルティスは手の内に隠していた寸鉄により季節名の盆の窪を強烈に打った。
そして、同時に針を打ち込んだ。
糸の切れた人形のように倒れた季節名を見て、フォルティスは確信を持って叫んだ。
「獲った!」
それはフォルティスが戦闘を再開してから、ようやく心の内を見せた瞬間だった。
だからこそ、倒れ伏した季節名が今度は糸に引かれる人形のように立ち上がったことに驚きを隠すことができなかった。
「あ?」
続いて来るのは衝撃、ただひたすらに衝撃の連続。
勝利を確信し、脱力したところに襲い掛かる無数の衝撃は、まるで機関銃でハチの巣にされるのと何ら変わりない状態であり、フォルティスはただ無様で奇妙な踊りをさせられることになってしまっていた。
攻撃を受ける度に肉が削がれ、血が飛び散る。血が未だ涸れず、肉がなくならないのは鎧のおかげもあったが、フォルティスが自身に施した強化によるところも大きい。
もしどちらかが欠けていれば、季節名はとうにフォルティスを殺していただろう。
延命はできたが、フォルティスの思考も痛覚も衝撃によって白く塗り潰されている。
唯人ならとうに死んでいるだろう状況で、それでもフォルティスは生き、考える。
――俺は、
考えるうちに体は動き、浮きかけていた足は大地に根付き、腕は季節名の攻撃を捌いていくようになる。
――「英雄」に、
季節名はたった一瞬のうちに形勢が互角となったことに驚き、喜ぶようにして微笑む。
しかし、それはフォルティスにとってはどうでもいい。
――目の前のこいつを殺し、俺は「英雄」になる。
今やフォルティスの眼光は執念一色に染まっていた。
「執念。素晴らしい執念。そうだった。私も、私にも執念がある」
「俺はお前を殺す。俺は殺す」
首にも傷を受けていながら、フォルティスの意識は鮮明だった。
執念と殺意のみで彩られた寸鉄による猛攻は舞台と同じく嵐そのもの。
それを季節名が爪の刃で受ける度に火花が散り、血の花が咲いては散っていく。
その先に見えてくる不変の光景に、季節名は、フォルティスは手を伸ばそうとする。
相手の命を奪おうとする。
その命を、欲するが故に。
季節名は微笑する。その心は死境を覗くのではなく、踏み入って戦うフォルティスへの歓喜に打ち震えていた。
「まさか踏み入るとは……いいね。キミの命が欲しくなったよ」
「貴様は死ななければ、今ここで、すぐにでも死ななければ、俺に殺されなければ……命を差し出せ、神様と仲直りさせるチャンスをくれてやる」
「仲直りも何もないよ。仲違いすらしていない」
「地獄へ落ちる人間にはどっちも同じだ」
フォルティスが回し蹴りを放つ。季節名も同時にこれを放ち、ぶつかり合う。
そのまま蹴りの応酬を続けお互いが半歩体を移動させた時、季節名の背後に隠れる形で飛び出してきた何かがフォルティスへと向かって回転しながら襲い掛かってくる。
「!」
完全に不意を突かれたフォルティスは、季節名が放り捨てた筈の剣に鎧を切り裂かれた。
「何故だ? いつの間に、俺はここまで」
この運びに至ったのは単純に、季節名があらかじめ剣を放った地点に来るよう誘導し、機を見て柄を踏み抜けば、地面に埋まった石を支点としてフォルティスへと飛ぶように仕掛けていたのである。
そうしたのは、フォルティスが撤退も視野に入れていたから。
そうさせない為に、強者と戦う為に季節名は武器を捨て、フォルティスに意識せずとも勝機があるのだと感じられるようにしてみせたのだ。
「私の兵法は相手の不意を打つこと。これで、勝負ありだ」
フォルティスは最後の反撃を行おうと声にならない叫びを上げ、全力を込めて一歩踏み込む。
季節名はその足を払い、倒れ込むフォルティスの首へと剣の平を叩き込んだ。
この一撃で、彼は己の敗北を認めた。
読んで頂き、ありがとうございました。