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季節名の道  作者: 元国麗
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二十二話 死者との邂逅

 


 嵐の中は別世界だった。降りしきる雨はとても冷たくて、地面に当たる前に雨粒同士がぶつかり合って、目の前で弾けてカーテンみたいに少し先を覆い隠してしまっている。身震いする寒さに試しに息をはあっと吐いてみると、白く曇っていた。

 とりあえず、前へ前へと足を進めるけれど、すっかりずぶ濡れになったわたしはやり場の無い苛立ちを適当にぶつくさ言いながら紛らわしていた。そうしないと本当にイライラした。

 迷路を歩き回っている迷子の気持ちでジメジメし始めた着物の裾を握り締めそうになったとき、遠くから何か音が聞こえてきた。雨音にかき消されそうになるその音を耳を澄まして拾い上げると、それが剣戟の音だと解って、音の方へと走って行くと、少しづつ雨は弱くなって、やがて、風を切る剣の鋭い唸りのあと、恐ろしい笑い声が響き渡った。

 笑い声が途絶えたあともその笑い声が怖くて根を張ったみたいに動けずにいたわたしの耳に、歌が聞こえてきた。


「冬はゆきて 春すぎて 夏もめぐり 年経れど きみが帰りを ただわれは 誓いしままに 待ちわぶる ああ……


 生きてなお 君世にまさば やがてまた逢う 時や来ん 天つみ国に ますならば かしこにわれを 待ちたまえ 


 ああ……」


 体が寒さとは別のもので震えるのが解る。ぬかるんだ地面の上を歩くたびに嫌な水の撥ねる音がする。守ることの大切さ、戦うことの恐ろしさを教えてくれた人が、五人の人を―したあとに歩いたときと同じ音。あの日、わたしが目にした月の色は一体、どんな色をしていたんだっけ?

 透明なはずの雨が、過去と重ね合わせるようにして、ほんの一瞬、紅く染まって見えた。


「――――――――!!!」


 雨がひたすらに怖いものに見えて、錯乱したみたいに右腕を振り回す。来ないで、触れないでと今はもう存在しない光景に声にならない絶叫を上げながら雨を払い除けようとして、けれどできるはずもなくて、訳が分からなくなって叫びだしそうになる。そんなとき、刀を握った左手からわたしの冷えた体を包み込むような、湧き上がるような温かさを伝えてくれて、何とか正気を取り戻すことができた。


「はあっ、はあ、ふう」


 乱れた呼吸を整えていると、水を吸った髪から色が抜け落ちて、元の濃淡のある水色に戻っているのが解った。黒い水滴が水かさを増して浅瀬になった水面に落ちて、黒色が溶けて広がっていくのを見ながら、心が落ち着くのをじっと待った。

 そのうち、水面に波紋が広がるのを見たわたしは波を起こしている原因へと目を向けて、落とし穴に落ちた。


「久しぶりだね」そんな懐かしむような声にわたしは頭を振って否定しながら「トッキー?」目の前の人に言葉をかけた。


「あれから十年、私の思ったとおり、エスは良い剣士になってくれて、本当に嬉しいよ」


 本当に嬉しそうに言葉を重ねる彼女はわたしの知っている人とは少し違っていた。まず髪が真っ白になっていて、服装も黒いぶかぶかのものをたくさんついたベルトで締めて体型にピッタリと合わせた感じのを着ている。何より、一番違うのは、手に持っている剣が彼女の嫌いな揺らめく炎のように波打った刃の長剣、フランベルジュだった。


「なんで?」


 埋葬までした。間違いなく死んでいるはずの人が、間違いなくここにこうして生きている。

 頭がどうにかなりそう。わたしは今立っている足場ですら怖くなった。

 それでも懸命に働く頭の中を知識が巡って、言葉を組み替えて答えを紡ぎだしていく。


『まずは二つ先の町でお会いしましょう。頑張ってください。魔王は・・・貴女にしか倒せない相手でしょうから』


 わたしにしか倒せない、魔王。


「トッキーが、魔王なの?」


 彼女は無言で頷いた。


「何で、人をたくさん殺すの?」


 真っ先に思い浮かんだ疑問に、トキナは口端を吊り上げた。ぞっとした。何が可笑しくて笑うのか、わたしには解らない。


「覚えているかな、エス。私は命の価値が平等だって言ったよね?」


「うん」


「私は命を比べる真似はしない。どんな理由かは知らないけど、この世に新たな生を受けたとき、私は人間じゃなかった」


「でも、トッキーはトッキーだよ!」


 わたしは何かが違っているように思えて、その間違いに対するように叫んでいた。


「心得てるよ。蟻であれ何であれ私が季節名なのに変わりはない。私が人を殺すのは単にヒツヨウセイが違ったからだよ」


「え――――」


 わたしは言葉の意味がいまいち解らなくて、口を動かせない。心の中で気持ちだけが動き回っている。


「私が魔物を斬る理由は生きるため、人を斬るのも同じだよ」


 そう言ってトキナは微笑を浮かべて、 


「けど、魔王と呼ばれるほどに命を奪ったのは、魔物となった自分の在り方として、人を滅ぼすのが一番正しいと思ったからなんだよ」


「どうして?」


 欲しくないものをたくさんもらって何もかもがイヤになってくる。いらないと言っても返せないから、どうしてという疑問が何度も口を突いて出た。そんなわたしをトキナは小首を傾げて眺めていた。


「手短に言うと、必要だから殺した」


「何が必要なの?何で必要なの?」


「私を含めた全ての魔物が生き延びるためにかな・・・王様は民を導くものだって、私は記憶しているけど」


「トッキーは……人じゃないの?」


「エスタシア。「心」は「人」じゃないんだよ」


 とてもひどい眩暈がする。置き去りにされた哀しさが胸にまで行かずに体を漂って、ひどく虚しい。


「私の言葉は思いの丈ばかり大きくて何も伝わるものがない。だから話はやめにして、さあ!戦おうエスタシア」


「お願いだから待って、」


 言葉を続けようとするわたしの声を掻き消すために、トキナは剣の鋭い唸りを上げながら美しい剣舞を見せる。


「三毒超克……型捨無流、開祖、季節名 一手所望す」


 その言葉の終わりに放られたもの――フォルティスに渡した短刀――を見たわたしは、目を見開いて、一秒後にはトキナを殺す覚悟を決めた。

 怒りがあらゆる躊躇いを取り去って、わたしを壊すぎりぎりまで昂る。


「イデアは偽りとなる……型捨無流二代目 トキナ=エスタシア 人の為に、あなたを倒す」


 この怒りが冷めないうちに決着を着けないといけない。わたしは哀しみをより深くし、怒りを憎しみへと変えて突進する。

 絶対に迷わない。わたしは小太刀を拾い上げて『季節名』の封印を解いて抜刀、滑空するように飛んで回転、剣を振るために限界まで閉じた腕を解放する。螺旋を描く剣の竜巻は、トキナの防御を容易く貫くはずだった。けれど、トキナは人差し指を立てるとそれで剣をあらぬ方向へと導き、わたしそのものさえ見当違いの方向へと逸らしてしまっていた。体勢が崩れて地面に倒れそうになるのを回避して、感覚に従って剣を構えると、トキナが鋭く打ち込んでくる。わたしは二刀での完璧な連携で応戦しているのに、トキナの攻撃の手を緩めることがまるでできない。

 数秒で百を数える剣の交わりを経て、わたしは悟る。トキナは、十年前よりも遥かに強くなっていた。


「……スッ」


 トキナの呼気に危険を感じて咄嗟に間合いから離れると、トキナの剣の残光が無数、雨を弾くのが見えた。驚異的な速さの剣、もしも直前の気の乱れを把握できなかったら、今頃わたしは――


「っ……?!」


 痛みに目が自然と傷を探す。肌を伝う雫に赤い色が交じっているのを見たとき、体から力が抜けて崩れ落ちそうになるのを堪える。雨が目に入って視界が悪くなる。そのうえで、涙が溢れて視界がどんどんぼやけていった。


「私の愛剣アイニはあまり行儀が良くなくてね。それでどうかな? 肉を抉り取られた痛みは」

 

 わたしは左手首に付けられた傷が手首を縦に切ってあるのを見て絶望した。それにこの傷口、放っておいたら死んじゃう。

 血が流れていくの見ていると不安と恐怖で気が逸っていく。平常心が保てなくなる。

 呼吸が乱れていく、落ち着かない、落ち着けない。こんな小さな傷で、


「わたしは、死ねない」


 居合いを以ってトキナを突き放したその隙に魔力を導いて欠損箇所にマテリアルを補完、失った血液の補充と傷口の治療をする。生命に対しての使用が極端に難しい魔術。

 それを行使したわたしにトキナは目を瞠って驚いていた。


「ずるいねそれ、けど、あっさりと死なれるよりかはずっと良いよ」


 トキナは剣を上段突きに構える。わたしも応戦するために構えた。

 間合いに飛び込む機会を探り合う最中に、体の中で痺れが膨張したような感覚がわたしを襲い、動きが鈍ってしまった。

 それを見逃すようなトキナじゃない。長剣の長さを活かした殺人剣が小手と首を何度も落としに襲い掛かってきた。それを捌くうちに、わたしはおかしいと思って、首に迫る剣を裾を持った腕で受けるという自殺行為に走った。

 けれど、思ったとおり迫っていた剣は颯と離れて、トキナは大きく間合いを取るとわたしを非難する眼差しを送っていた。


「やっぱり、この着物は大事なんだね」


 わたしはそのことに安心して気が緩んでしまったけれど、トキナはその隙を突こうとはしなかった。


「……卑怯者め」


 トキナはとても機嫌が悪そうな声でそう言うと、その姿を徐々に透明にして消えてしまっていた。

 嵐は通り雨のように過ぎ去っていた。日の光がとても温かくて、空から差し込むたくさん光は雲のすぐ上に神様がいそうに思えてきて、さっきまでここに魔王が居たんだと思うと神様に悪口のひとつでも言いたくなった。

 光に照らされている場所に目を移していくと、倒れて動かないマント姿がわたしの目に飛び込んできた。


「フォルティス!」わたしは抱き起こして声をかける。フォルティスはまだ微かに息をしていた。水を吸って重くなっていたフードが落ちて、素顔が――見えなかった。


「……面具までしてる」


 わざわざ顔全体を面具で隠していたことにわたしが驚き呆れていると、フォルティスがわたしを突き飛ばして、わたしは危うく転びそうになるのを宙返りして阻止した。


「ごふっ、あ、あれが魔王か。最高の敵だ。あれの言葉は目から鱗の連続だった……」


 フォルティスは恍惚とした雰囲気で立ち上がる。その姿は昔聞いた戦いに魅入られてしまった者の姿に似ていた。


「あれは神だ…一人の侍として、俺は奴を超えたいと強く願っている。だが、」フォルティスは言葉を切ると膝を着いて浅瀬に寝転がった。「絶対に勝てないと悟ってしまった。悟りの境地とは、何とも哀しい事だな」


「フォルティス。お願いだからおとなしくして。怪我の手当てをするから」


 掌に集中させた魔力の光を近付けると逃げられた。


「魔術の治療なら結構だ。鎧のおかげで致命傷にはなってない。ただ、剣気に当てられて気を失っただけだ」


「ウソつき。そんなに血を流しているのに、どうしてそんなウソ言うの?」


 遠ざかっていく背に、わたしは不満をぶつける子供そのままに、声をぶつけ続けた。

 彼の通ったあとの道は血が独特の模様を描いていて、わたしはそれを見つめながら、段々と視線を下げていく途中で、大事に思っている人たちがみんなわたしを裏切った。意地悪な人たちなんだと鬱屈した気持ちが溢れかえって、


「うわああああん!」


 思いっきり泣きながら、無茶苦茶に刀を振り回して暴れ続けた。暴れて、水を散らすのが段々面白くなって、いつしかイヤな気分は無くなって、無心で水面を切って遊んでいた。


「何やってるの?」


 声をかけられて首を向けたら、そこには秋ちゃんが焦点の合ってない目でわたしの少し横を見ていた。


「えっと、イヤな事があって、それで、刀を振り回してたら忘れられたから、振り回してたの」


「……呆れた。ところで、魔王は倒せた?」


 わたしは黙って首を横に振る。けれど、秋ちゃんは見えないから「さっさと答えて」と怒られた。


「わたしじゃ、倒せなかったの」


 出てきたのは吐息のように微かな声だった。わたしはそれを言い直そうと口を開いたけれど、唇がわなわなと震えて、何も言えなかった。

 膝が落ちそうになるのを堪えながら、わたしは輝く空を見上げて涙を流した。

 気が付けば、わたしは知りたいことがたくさんできていた。


 

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