一話 いい加減な回顧
目覚めるとそこは氷風組本部の離れの二階――私の部屋だった。
夢だとは思っていたけど、まさか、夢の中の人物の笑顔に心動かされるなんて思いもしなかった。
早く目が覚めてしまったのか、障子を開いて外を窺うとうっすら霧がかかっていたけれど、鳥の囀りと共に東から射す陽光が私の目を突いてきた。
瞬間、勢いよく障子を閉めた。この殆ど反射的な行動には理由がある。その理由は、私が赤い光が好きじゃないからだ。記憶を一番最初まで遡った時に見える風景、それが炎に包まれた建物と、人だ。あの人が焼け爛れていく光景で最初に思ったことは、炎が恐ろしいものだということで、最近思うことは、火葬はされたくはないということだった。死んだあとにせよ何にせよ、あのように炎に包まれて、体を喰われるのは本当に嫌だ。
私はそう思う中で過去を想起し始めていた。そう、最初の風景ではない。最初に耳にしたであろう言葉をそっと呟く。
「すべての命の価値は等しく……奪った命の分まで生きる」
これが私の生き方を決めた言葉でもある。あの火事の中で、炎に命を喰われていった人に託された野太刀を抱えて山の中をあてもなく彷徨っていた幼い私は獣に襲われた。いつの間にか鞘を失くしていた剥き身の野太刀を突き出したのと、獣の飛び掛ってきた時に僅かなズレがあったなら、私は死んでいただろう。そう、私は獣を殺して生き残った。
きっとその時だ。私のリンリカンというやつが打ち立てられたのは。
その時の私が幾つなのかは知らない。ただ命の価値は等しいってことを妄信していたから、山から人里へやって来た時に人を殺すのに何の躊躇もしなかった。人を殺して物を奪って生きていた。獣も人も同じ命、それを一度奪ったのなら、あとは同じだ。同じになってしまった。
そんな生き方をしてはいたが、日がな一日人を殺している訳も無い。暇な時は空を飛ぼうとしていた。鳥のように高く飛びたくて、懸命に跳び続けた。今では鳥にはなれないと解っているけど、私は鳥のように飛ぼうとし続けて色んなことをした。細かい事は省くとして、私は結局、飛べなかった。その苛立ちをぶつけるように、宙で回る最中に野太刀を振り回していた。
鳥になりたいという一心で跳ね回って、鳥のように飛べない苛立ちを刀に乗せて振るっていた私は、そのおかげか只人より遥かに優れた脚力とシセイセイギョ?というものを会得していた。だから幼い身ながら野太刀を振るって生き残れた。
何にせよ人を斬って生きてきた私に、いや、これは誰にとってもだが、ある時、危機が訪れた。どこかの山が噴火して、大規模な飢饉が起きたのだ。その被害の真っ只中に置かれた私は、あることをした。
人を食べて、生き延びた。元々何でも食べていたし、命の価値はみな同じという言葉を根幹として生きてきた私にとって、人を食うという選択肢はさほど迷う必要はなかった。ただ、一つ言えるとすれば、そうしなければ死んでいたということだけだ。
ただ、人を食べた時は他のどんなものを食べた時よりも、生きなければという気持ちが心を支配して、私以外の何かが心に巣食い始めたような気がしたことは鮮明に覚えている。味は、忘れた。
飢えの時代を何とか凌ぎきるために私は別の土地へ移動することにして、移った先でも人を斬っていた。
そんな時だ、ここ氷風組の組長に拾ってもらったのは。けど、良い出会いなのかはよく解らない。お互いに大きな傷を負ったし、組長はその傷が原因で半ば隠居の身となったのだから。
拾われた私は氷風組での汚れ仕事を一手に引き受けるようになった。
やることは今までと同じ人斬りなのに、それをするだけでお金がもらえたし、飢えることもない。それはゲキテキという他にない変化だろう。
それから何年か後、ある日突然私の体から血が流れた。それと一緒に下腹部に鈍痛を覚えて、あの時は寿命がきたのかと瞼を閉じながら眠くなるのを待った。その間に感じた静かな時間は得難い経験だったと思い返す度にそう思う。結局寿命はこなかったけど、その日から段々なのか急なのかよく解らないけど体つきが変わっていった。久しぶりに組長と顔を合わせた時にはやたらと驚かれ、あっという間に着替えさせられた。それが女物だと解った時に、私は女なんだと他人事のような心境で気が付いた。そうと知る機会が無かったのは私が人と離れて暮していたからだろう。それくらいしか理由が無い。
その頃から二度目のゲキテキな変化があった。組長が突然「刀を預けろ」と言い出したのだ。
訳が分からないまま、その場の流れ――時代の流れとも言えなくもない――で私は愛刀を組長に預け、代わりに勉強のための道具を色々と与えられたが、文字はどうも覚える気がさっぱり起きないので、組長に色々と読み聞かせてもらって覚えた。おかげで今の私には少しばかりのキョウヨウがある。ああ、おかげで一つ自慢できることがある。それは異国の言葉をいくつも話せるということだ。組長は手広く商売をしているらしく、異邦人がよく集まって話しているのを耳にするうちに覚えたというだけのものだけど。
ふと、目の前の壁に立てかけられた愛刀を見つけて、ぼんやり思うことがある。数日前に組長から返してもらったけど、あの何とも言えない表情は何だったのか?
そもそも用心棒として雇っている私から刀を取ることにどんな思惑があったのか?
ぼんやりした頭のまま、二三年の時を経て鞘付きで戻って来た愛刀の感触を確かめながら抜刀する。
「しっくりくる……鈍るどころか、より一体になれた気がする」
愛刀を失ってからの勉強の日々の中でも私は跳ぶのはやめてはいなかった。鳥のようにはいかなくても、跳ぶのは私の一部であり、意味のあるなしに関係なく楽しめるものだ。
時間をかけて刃を丹念に見ていると、降って湧いたようにして妙にしっくりくる理由に見当がついた。ただ単に、私の背が伸びたというだけだった。
後ろですーっと襖が開く音に振り返ると硬い表情をした組長がいた。組長は女には優しい。私がそうだと解った時とその前ではまるで態度が違うのだから、これは間違いない。
眼差しが妙に気遣うようなのもそのせいなのだと思うと、あまり有難みも感じられない。
けど、与えられたものに何ひとつ偽りがないと思うと、とても有難く感じられた。
「起きてたんか」
黙って頷くと、組長は頭を何度か掻き毟った。
「おめぇ、その、今まで悪かったのう」
何のことだかさっぱりなので首を傾げると、組長はぼそぼそと言い募る。
「女に人斬りなんぞやらせちまってよ。ワシも目が曇ったもんじゃわい。それでだな、そのう、おめえこれからどうする?」
どうすると今後の事を突然問われても何も言えない。ただ何となく予感がし始めていた。
「つまり、私はお役御免?」スッとした冷気にも似た私の声が空気を通り抜けていった。
喋ると疲れるから、私は滅多に喋らない。現に組長は私の声を聞いて驚いている。
「あ、ああそうよ。それで、おめえに教育施したのはワシの自分勝手な罪滅ぼしじゃ。おめえがこれから先に一人でも生きていけるようにっていうよ」
「ふうん」
放り出すことを前提にしての計画的な行動だったらしいけど、一応は身を案じて勉強させてくれたのだから文句は無い。ただ、来るべき時が来たという感じがした。