十八話 決戦
決闘者が分を競う祭壇でもある闘技場に足を踏み入れる。薄靄を照らす光は柔らかかった。
空間を埋め尽くす音楽は背筋を震わせ、戦いを求めてやまなくさせる。気分は最高潮だった。
「トキナッ! 無事だったんだね!!」
カイルが真っ先に駆け寄ってくる。心臓を刺されたので無事ではないが、気が付かないならそれでいい。
後ろではノイルが縄を使って数人をまとめて縛り上げているのが見えた。
ノイルと目が合うと、目を細めて私を睨んだ後で驚いた表情をしている。何か言い出されても困るので首を横に振ると理解してくれたらしく、ぐっと息を飲み込んでくれた。
「カイル。この子をお願い」
ぽんと背中を押し出すとエスタシアはしがみついてきた。困った。
「姫様……」
適した瞬間にトーマスがエスタシアの手を引いて私から離してくれる。微苦笑しながら礼をすると礼を返された。
「ハッハッハッ、姫様が無事で良かったですよ。ハッハッハッ」
エルムスは普段よりも愉快そうに笑うと壁際へと下がっていった。傷一つ負っていないあたり、中々できるようだ。
「二人とも、エスタシアのことは頼んだよ」
「トッキー?」
私は何も言わずに軽く手を振って、闘技場の上でオルガンを弾く女に声をかけた。
祭りということもあってか、煌びやかな衣装を身に纏ったシルクリムは、音楽の余韻も消え去らぬうちに、あっという間に私の前に移動していた。
「おはようございます。トキナ」
「シルクリム、おはよう」
まだ、余韻は終わらない。
「お祭りはめちゃくちゃになってしまいました」
「そうだね。でも今日がお祭りだということに変わりはないよ」
余韻が、終わる。
「武の頂点を、目指してみますか?」
笑顔と共にシルクリムは武器を構える。私もそれに合わせるように抜刀した。
「そこが私の求めた場所ならね」
爆発させた。全身全霊の力を以って踏み込んだ。
幾度と無く刃がぶつかり、寺の鐘のように低い響きと、風鈴のような高い響きが合わさった音色が瞬く間に耳を殺した。
その途中、私の一撃はシルクリムの剣先から生まれる円の動きに巻き取られてそのまま愛刀を手から失った。
一旦死地から離れる。それはシルクリム相手には今まで見せたことの無い純粋な跳躍だった。
これは布石だ。着地した足で思い切り地を踏んで膝を曲げ、次の一瞬で奴の死地へと入り込むための。
そもそも、私が最も得意とする動きは跳躍に富んだ神速の殺しの剣、飛翔剣術に他ならない。
「型捨無流奥義――ニルヴァーナッ」
抜刀していた短刀による神速の刺突を繰り出す。激しい火花を散らしながらも力技で逸らされる。続いて首を狙って降る刀は予想外だったのか辛うじて避けたはいいが、腕を僅かに切られていた。
ここで、いつ手を離していたのかシルクリムは鋭い拳を下から突き上げて私の手から短刀を飛ばすと、転じて得物の柄で私の喉を潰しにかかってきた。
私は咄嗟に柄を掴んだが、地面に押し倒され、シルクリムはそれにのしかかる形となった。
体重もかけてきているんだろうけど、相当に重い。このまま押し潰されかねない状況になった。
自慢じゃないけど私の華奢な腕は見かけによらず怪力だ。それでもシルクリムはその重みに世界でも加えたかのような馬鹿力で押してくる。徐々に柄が喉へと近付いていくのが忌々しかった。
足を使って投げるなり何なりしたいのだが、左腕が動かない今では、その一瞬で首を潰されれば終わってしまう。
まさか、純粋な力勝負になるとは考えていなかった。
「あああぁぁァァァーーーー」
シルクリムは本当に修道女なのか疑わしい攻撃を私に加えてきた。感覚が鈍って気にしなくなっていた左肩を一切の容赦無く踏みつけてきたのだ。それもかなり力強く、力士の四股のように重い。戦いの最中に意識が飛ぶなんて、驚きだよ。
衝撃で肺に溜まっていた血を吐き出すと、シルクリムは咄嗟に距離を置いた。私と同じで血に汚れるのは嫌いのようだ。
奇跡のようなことだが、私はまだ負けていなかった。
すぐさま体勢を立て直して、全身の力を抜いて構えを無くす。左肩が引き攣るのは、この際しょうがない。
「「柔」形奥義――舞踏操指」
やって来る必殺の一撃、それは私の急所を正確に突いてくる。だが、その全ては直前で逸れていた。
「指で……!!」
得物という一つの重しを取り払った私の手の速度は神速を超えている。その指先に意識を集中すれば敵の剣尖を逸らすことは造作も無いことだ。多対一でなら人形劇のように戦場を操り、同士討ちに持ち込ませることだってできる。
私は指先一つでシルクリムの攻撃の全てを捌き切っている。だが、片腕の上に本当に指一本で相手取れるほど、目の前の敵は遅くはないのだ。
「どうしました? 風に圧されて指が刃に触れられてませんよ?」
「そういうのは攻撃を当ててから言ってほしいな」
口は災いの元という諺があるが、その通りとでも言うかのように腰を強かに打たれた。
つんのめる体勢を元に戻そうと足を一歩踏み出すと、膝が力無く落ちた。してやられた。
「幕です」
月牙が首の真上に構えられているのを感じる。さすがに首を切られれば必殺だ。
「まだだよ」
力が抜けていた一瞬が過ぎ去ったあと、私は本能的に身体の気を操作したとでも言うのか、雷光を纏った状態となってシルクリムから距離を置いていた。
気分を害する力だ。最期であるからこそ、やり遂げねばならない、果たさなくちゃいけない誓いがあるというのに。
「貴女がどうして人の命を奪うのか訊いてもいいですか?」
私は笑い出しそうになるのを堪えながら言った。
「…懺悔しろとでもいう気?人の命?なにかなそれ?私は命を奪う理由に区別を付けた覚えは無いよ」
「理由があるようなら、それを教えてもらえませんか?」
「殺すということは、己を生かすこと。私はそれを自分の生き方の中で見出した。でも、研ぎすぎた刀は折れるとも言うから、私は自分を生かす分だけ殺してきたんだよ。
生きるのなら、死ぬ。死ぬのなら、生きる。生きるのなら、生きる。死ぬのなら、死ぬ。
シルクリム。あなたはこの四つのうち、どちらを選んで生きてきたの?」
「答えを吟味する前の質問ですか。四つの内容については私なりの勝手な解釈で構わないですか?」
「構わないよ。それを聞いてから斬ったほうがずっと充実できそうだし」
「私は三番目を選びます。命は唐突に失くしてしまうものですが、きちんと使いたいと考えていますので」
「言っておくけど、私は二番目だよ」
ゆっくりとすり足で間合いを計りあううちに、私は小太刀にそれとなく接近していた。そしてそれをゆっくりと引き抜き、構える。シルクリムに気付かれない様に上手く足を運ぶのには苦労したが、どうやら上手くいったようだ。
シルクリムも私の動きの流れが自然に行われていたことに気が付いたのか目を丸くしていた。
「まさか注意を逸らされるなんて」シルクリムは驚きの表情を微笑に変えた。「貴女と話すのは思いの他、楽しかったようですね。私自身、とても驚きですが」
「私は小太刀の落ちた場所を把握するのに必死だったよ」
「そうでしょうね。貴女が僅かでも挙動にそういったものが混じっていたなら私はすぐさま決着を着けようとしていました」
「これでも、如何様は大の得意技だよ」
「私には貴女がいつも如何様をしているように見えますが」
「戦いに如何様はつきものだよ。だって、敵の隙を見つけ出して攻撃するっていう基本からしてそうじゃない?」
短刀を逆手に構えて、真っ直ぐに腕を突き出し、もう片方の手で手首を掴んで固定する。
「その構え、どこぞの暗殺者を彷彿とさせますね」
「修道女というわりに、野蛮な事に詳しいね」
刃先が両刃の造りである短刀の波紋の輝きは美しい。だが、こうして改めて見ると、刃先以外はあちこち錆びているのが解った。
「泥に汚れた鏡のようですね。所々錆びていて、刃こぼれも目立っています。使えそうなのは刃先だけ。そのような剣で私が斬れますか?」
「斬りはしないよ。刺すだけ。それと言っておくけど、錆びていようと刃がこぼれていようと、この小太刀は最高の一振りなんだ。何せ、私の命を一度は奪った刃だから」
組長、あなたの愛刀を随分粗末にしてしまった。
再び走る。互いの足が、刃が、大気を踏み潰して、切り裂いていった。
しかし、せっかく仕切り直したというのに、圧倒的にまずい。一撃を受ける度に刃が震えて、手が痺れた。
打ち合わす度に私は傷付いていく。蝋燭の灯りのような意志が風に吹かれて頼りなく揺れる。幾度も消えそうになった。
私の筆先で文をしたためるような滑らかな剣捌きは空を切って、紙の代わりであるシルクリムには紙一重で避けられる。
ここで、如何様を使う。右手から左手へと素早く持ち替えて回転して一歩分距離を詰めた斬撃を放つ。虚を突いた一撃は、見事に心臓の近くを抉るが、決め手にはならない。そこで、私は剣戟を打ち合わせて距離を詰めていた愛刀を地面から引き抜いて切り上げた。
土を掘った一撃は避けられたものの、土煙が一瞬、シルクリムの視界を塞ぐ。
その一瞬、この一瞬で勝負を決める。この決め手を使って、
「型捨無流――奥義――――」
小太刀を鞘に納めて上段に構え、全身の気を高める。それに合わせるように私という天と地を雷が結び、雷光を迸らせた。
そして、電光が『季節名』の刀身を覆ったとき、全ての力が頂点に達し、弾けた。
「裂界!!」
打ち込みは面、小細工如何様一切無しの必殺剣が世界を断ち切る力を持って振り下ろされた。
シルクリムはそれを空を舞う羽のように滑らかな動きで受け、得物を減速のために犠牲としながらもその凶刃をかわした。
だが、甘い。型捨無流の奥義はその全てが三段構えになっている。今の第一段目。続いて来る二段目は、
「風がっ!!」シルクリムは驚愕していた。「真空を生み出した?!」
世界に負わせることができないと思い続けていた。それは傷。そんな私の否定を否定した一閃が負わせた世界の傷口、その傷口を塞ぐために世界は周囲の空気を飲み込んでいく。そして、その傷口の前に居るシルクリムは空気同様、飲まれるのだ。
世界が震える。洞窟に隙間風が吹いたときにも似た風の音が微かに聞こえたとき、シルクリムは全身から血を噴き出して、それでも尚、二つになった得物を両手に持って立っていた。
だが、それも刹那で終わりを告げる。最後の三段目。すり足で一歩、突きを放つのにも似た足捌きで、滑るように間合いを詰め、私は振り下ろしたままの刃を返して、一直線に切り上げた。
面という動作、一見単純なその動きを奥義にまで高めた神域の必殺剣が、ここに決まった。
「トキナ――そうなのですね。死神の片棒を担ぎ続けたその剣は天よりの才などではなく、煉獄より賜りし才だったのですね」
身体の中心に描かれた線から血を流し、全身に付いた血を血で洗い流しながら、シルクリムは立っていた。
――――最後の一刀はひとひらの差で、届かなかったのだ。
風が吹き、それは血風となって私たち二人の間を通り過ぎていく。
互いにもう死力を尽くしている。だから、あとはどちらが先に倒れるのかという話になっていた。
息を長く吐くと、魂が散っていくのが解る。この戦いを始めるその前から、私の心臓はもう、動いていなかった。
「本当に仏になってまで戦えた。生死を越えた先に勝利を得られなかったのは、残念だけど、無念じゃないかな」
最後に私は詠った。
「 光映え 奇しき力 我迷う 声は残らず 我が名はあらず ただ手に携えし 刃の名を借りて
生けし季節は 常に死があり 我はただ 見い出し光に消えた闇なり この手は何も与えることなく
風と同じく 過ぎれば消える この我が心 誰を思う 我が光 それはなんぞ それはあとなき夢なり
月はささやき 日はもくして ただ我を照らし 祝福する 武の頂を この手は掴み そして果てる 」
ゆっくりと左眼の瞼が落ちていき、世界が傾いていった。
――光に満たされた世界で私は、風に舞うひとひらの桜の花びらを見た気がした。