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季節名の道  作者: 元国麗
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十七話 季節の変わり目(下)


 祭りの人ごみに流されないように気を配りながらエスタシアの手を引いて歩く私は、木よりも石に馴れ親しんだ人々の暮らしぶりに胸をざわつかせていた。褐色砂岩で建てられた建物の多くは塗料で染色が施されて個性を訴えてくるあたりが、故郷とは大きく違うし、造りは大雑把で洗練がされていないものも多いけれど、この活気がそれが人を活かすものなのだと教えてくれる。ただ、身分制度というものがこちらは厳しいのか、洗練されていると言えば、城はかなり技巧が凝らされていた。その点を鑑みると、大陸では建築技術があまり市井の者達には伝わっていないのだろう。いや、私が屋敷を建てたときは大陸の建築技法は相当のものだと感心したものだ。教会も蔦が絡まっていたりして老朽化してはいたが、いい仕事だった。

 そうなると、やはりヒンプの差というやつなのだろう。カイルが言っていたように領地を取られたりした影響で色々と問題を抱えたりしているのかもしれない。

 だが、結局この大陸の大工たちは、職人は、お金に見合う働きはきちんとするという情を切り捨てた仕事人なのである。


「お祭りなのに、楽しくないことを考えちゃったよ」


 自分の血の巡りに苦笑しつつ、私は常に愛刀を握っていた左手が今掴んでいるエスタシアの手を少し強く握った。


「うん? トッキー?」


 ――――不意に、この世界が私から遠ざかっていくのが解った。


 この死期を悟った感覚は、正直懐かしい。さすがに、潮時なのかもしれない。いくらアルロが優れた医者とはいえ、彼が気が付く道理は無い。死を悟ることなど、医者にできることではない。こればかりは自分にしか解らない。

 冬の山を思い出す。吹雪で見えなくなった世界に目を凝らしたときに見えた気がする、あの黄泉の国が、こんなにも近い。

 雲の流れが速い。血が滾っている。血が流れている。血が腕を伝っていく。

 大陸の鉄砲というやつか。如何せん、左手に握っていたものが悪かった。型捨無流と名乗りながらも、咄嗟の防御が型に嵌まってしまっているとは。

 シルクリムの言うとおりだ。死に踏み入る事に慣れていても、踏み入られるのには全く慣れていない。私はいつだって、死が踏み入るその前に、自ら踏み入っていたのだから、気が付けなかったときが終わりだったということだ。

 あらゆるものが加速して感じられるのに、心臓の鼓動だけが、こんなにも遅い。

 強張り手を握っていた私は、改めて握っている手を意識する。温かい。この手を守らないといけないと私は思った。

 手を強く引いてエスタシアの体を抱き寄せ、抱えるとそのまま全速力でその場から離れた。

 エスタシアが何か言ってじたばたしているが、関係無い、このまま敵を引き寄せるしか手立てはなかった。

 残像すら映させはしないと言いたかったが、それでは敵が私たちを見失ってしまうので、時折姿を見せながら郊外へと逃走を図った。

 森の中に逃げ込んだところで、思ったよりも当たり所が悪かったのか、信じたくはないけど、早くも体力を失くした私はすぐ傍の木に凭れかかっていた。


「トッキー…大丈夫?」


 ……子供にはこういうとき、安心させるために嘘を言えばいいんだったと私は朧な心持ちで思い出し、口を開いた。

 しかし、それはより大きな音にかき消されたのだった。

 爆発という、大きな音に。

 音のしたほうへ頭を向けると黒い煙と、ゆらめく大気の中に踊る炎から逃げようとしている人間達の姿が遠くから見えた。

 一体何が起きているというのだろう。私の頭の中は疑問で溢れかえっていた。


「もしや、戦か?」


 何とも間が悪い。神は平和に魔が差したか?いや、魔が差したのは人間か。

 浮ついた意識で必死に考える。『季節名』は城に置いてきてしまった。それに今城に戻るのはあまりに危険だった。私独りでなら、何とかなるかもしれないが、エスタシアを置き去りにはできない。何か考えなくてはいけないんだろうけど、私は、独りで生きる術ばかり磨きすぎて、そこに誰かを加えたらそれはもう邪魔にしかならなかった。

 そうだ。エスタシアは邪魔だ。けど、置き去りにはできない。それは何故?解らない。

 いつの間にか、私の頭の中では自問自答が同じ所をぐるぐると回り始めていた。

 私たちは森の中でずっと息を潜めていた。エスタシアにはかくれんぼだと言い納得してもらっているが、遠くの炎が消える様子は無い。この様子ではこう判断するしかなかった。

 アッチェントは、滅ぼされた。天武祭という一大行事を控えてのこの蛮行は、この大陸に大きな波を引き起こすだろう。

 どこの国が仕掛けたのか、首謀者は何者なのか。そういったことは只の殺人鬼には推し量ることすら無理だ。私に考えられるのは、カイルやノイル、エルムスやトーマスにアルロにシルクリムなどの身近な人の安否だけだった。きっと、他の多くの人間が同じ思いで、あの炎の中を彷徨している。


「トッキー?」


 エスタシアはもう、気が付いているのかもしれない。だから、こんなにもおとなしいんだ。


「エス…エスの家が火事になっちゃったのは、分かる?」


 もっと上手に言えない自分が、何だか可哀想だった。


「…うん」


 そのときだった。

 それは、私のあるかないかも解らない隙を突いた一撃。

 凭れかかった姿勢だったために大きく飛び退くこともできず、私は、エスタシアを逃がすのが限界だった。


「――――、あっ……ぐふっ」


 月の光を照り返すソレは一瞬、私という罪人を裁くために振り下ろされた断頭の刃にも見えた。

 

「ぁ……、くっ」


 左肩を大きく割いたそれは、見間違えるはずの無い、私の愛刀だった。

 強い風が吹きつける。音がびゅうびゅうと鳴り止まず、木の葉は風に舞い上げられていた。

 愛刀を木から引き抜き、崩れ落ちそうな体を気力で立たせる。鼓動がよりゆっくりとなっていくのが解った。

 もはやここまで、完璧な致命傷というやつだった。私は、己の死を悟った。

 しかし、ここで死ぬ訳にはいかない。ここで死ぬことは、私の在りかたが許さない。

 手に握った刃を放して柄を握る。刃の長さがこんなところで仇になるとはついぞ思いもしなかった。


「敵は、だあれだ?よくも傷を負わせてくれたね、殺してあげるよ」


 殺気を放って闇夜を見つめると五人の人影がゆらりと音もなく現れた。やれやれ、全員かなりの手練のようだ。


「仕損じたか、想像以上の相手だったようだが、その身体ではもはや戦うことはできまい。それでも姫を守るのか?」


 聞き覚えの無い男の声に目を向けると、鋭い眼光をもって私をこの場から退かそうとしていた。

 おかしな話だ。こんなときに、左眼が違和感なく開いた。死に限りなく近い今の私は、目の前の世界に嫌気がさすこともない。左腕は使えないが、それを補って余りあるものを今の私は感じていた。

 全身を電光が走る。それに敵が怯んだ一瞬の隙を突いて一人を切り伏せる。


「――」


 苦悶の声は出させない。間髪入れずに首を刎ね飛ばす。最後の戦いだ。今宵は、返り血を浴びないための余分な動きは省かせてもらうことにした。


「な」


「ん」


「だ」


「と」


 面白い芸だけど、聞くのは一度で十分だ。

 一の刹那が満ちるまでに一歩踏み出す。私の心臓の鼓動は遅い。この鼓動一つを終えるまでの時間はひどく緩慢だ。

 獣のように歯茎をむき出しにして、笑いを形作っていくのが解る。その間にも刃は大気を通り過ぎ、敵へと向かう。それを受け止めて見せる敵が私の背筋を震わせる。

 もっとだ。もっと受けろ、捌け、私を喜ばせろと思う矢先、相手の剣が私の愛刀に両断され、そのまま分割される。鈍刀なんて使うから、そんな死に方をするんだ。命を預ける物は慎重に選んだ方がいいと心の内で助言するが、もし聞こえたらなら来世で活かすといい。きっと役に立つだろう。

 止まることなくすぐに次の敵へと向かう。エスタシアを盾に取ろうとしている時点で勝負は着いた。たちまちに一刀両断にして身を翻し、足を止める。残された二人は愕然としているのかこちらを阿呆のように見つめていた。


「そうか、貴様、融魔だったのか。油断していた、この俺ともあろう者が、」


「無駄口が多いよ」


 言葉の通り無駄口が多い方を両腕と首を飛ばして斬り捨てる。心なしか切れ味が良くなっている気がした。

 あとは大将を斬れば終わりだと、そう思い一気に距離を詰めて刺突を放つ。それは、確実に相手の額を刺し貫く必殺の一撃だった。

 刃は額の中心、眉間へと吸い込まれるようにして真っ直ぐに向かっていった。

 そんなとき、実にゆったりとした調子で音が耳に届いてきていた。

 

 こ――――ろ―――――――し――――――――――――だ――め?


「ころしちゃだめー!!」


 それは、エスタシアの悲鳴だった。


「!」


 しまった!剣尖が僅かに右上に逸れた。大将は私の動きを捉えている。

 だからこのままでも倒せる。

 ただし、それはこの刺突が一寸の狂いもなければの話だ。 

 

『抜かったな、小娘』


 仮面の下に顔を隠している大将が、何故だかそう言っている気がした。

 僅かに逸れた刀を紙一重のところで避けるべく大将は体を屈めて私の刺突を肩に受けながらも、そのまま構わず手に握った短刀で私の心臓を刺し貫き、手早く引き抜いていた。


 死んだ。


 間違いなく、死んだ。だが、残された刹那の時を以って私は大将の首を刎ね飛ばした。

 そして、秒という時が満ちる。五つの屍から勢いよく噴き出す血が、雨となって私の世界に降り注いでいた。

 永遠を思わせる狂言じみた動きが止まれば、当然のことながら世界は見せかけの狂言に気付いてしまう。そして、私の死が確かなものだと教えようと心臓から零れずにいた血を穴から零していくのであった。

 もう少し、私の狂言に付き合ってくれてもいいと思うんだけど、自分から続けられないなら、世界は付き合ってはくれないものだと今しみじみと思い知った。

 腰砕けと言うのか、私はその場に崩れる。死んだと確信してから生きている時間が妙に長い。

 目の前で小さくなって私を見つめている女の子の普段の行いが良いから、神様がお願いを聞いてあげているのか、もしくは神よりも高い世界に住むという悪魔に私が気に入られたのかは解らないが、幸運なことに違いはなかった。


「あ、う」


 エスタシアは震えていた。このまま置いて逝くにはいかないと、強く思わされた。

 どうやら、左眼の力が私をぎりぎりのところで引き止めているようだ。あと数刻、一日は保たせられると私は判断した。役に立たないかと思えば、ここ一番で活躍をしてくれたことには素直に感謝しておこう。

 改めて姿を確認すると、体を走る電光が血を弾いてくれていたのか、私は他人の血に汚れてはいなかった。


「エス、私と一緒に来てくれる?」


 私の言葉にエスタシアは戸惑いを見せていた。自分の手とこちらを見ては何かを躊躇するようにしていたが、しばらくするとおっかなびっくりとした様子でこちらに来ると私の左手を両手で掴んでいた。

 哀しい事に、左手にはもう感覚が残っていなかった。


「エスの家は火事になっちゃたんだ」


「うん」


「それでエスの家に火をつけた怖い泥棒が今の人たち」


 命を奪いに来るのだから泥棒で間違いは無いだろう。それなら私は大泥棒だと思い笑い出しそうになるのを何とか堪えた。


「うん」


「怖い人たちは追いかけてくるだろうね。だから、逃げなくちゃならない」


「う、うん。ねえトッキー、血が出てるよ?大丈夫?」


「心配しなくていいよ。エスは必ず『季節名』が守ってくれるから」


 右手に握られた愛刀は私の血を吸ってからずっと脈動を続けている。この分なら何も問題は無さそうだと思えた。

 それからは国の全体を見渡すために山を登っていたのだが、途中で雨が降り始め、それによって生じた濃い霧の中を彷徨い歩いた。

 やがて、朝陽と共に霧が晴れた頃、山の頂上から見下ろした私の目に飛び込んできたのは、ただ一箇所だけ、何の変化も見られない闘技場と、そこから流れてくる力強いオルガンの旋律だった。

 思い起こせば、今日は天武祭の日だった。

 戦いが私を呼んでいる。最後の戦いに相応しい相手がそこに居る。


「いいね。決着をつけよう、シルクリム」


 そう、たとえ仏になってでも、この戦いに決着をつけよう。

 朝陽を祝福するように笑って、私は空へと踏み出した。 



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