十五話 戦いは日常
私はここにきて、本当に微かではあるが、焦りというものを感じ始めていた。同時に、武者震いが止まらずにいた。
強者と仕合えるというそのことがこれほどに嬉しいものだとは思わなかった。だが、今の私の剣では大陸の魔術を組み合わせた剣に僅かに及ばないと今までのことから解っていた為に、たった二日という時間を思うと焦るのだった。
何か、魔術に匹敵する力であり、且つ、魔術やラングの使うような力ではない人間としての力を剣に持たせなくてはならない。何故そこにこだわるのかというと、私はどんな力でもそれが全て己のものだと受け入れるのが嫌いだからだ。
そうなるとまた理由を答えなければならなくなるが、それは「人間を超えた」という言葉が地獄の業火と同じくらい嫌いだからだった。超えられるはずがない。人は人である以上、いかに他者より優れようとも人なのだと、私はそれを己の在り方で証明したいのだ。
証明した後のことなんて全く考えてはいないけど、私の在ろうとする形は、人としての強さの体現。
それを成し遂げたとき私は人間を「超える」のではなく、人間を「窮めた」ことになる。たとえそのために何人斬ろうとも、それもまた「窮める」ことに変わりはない。
そういえば、最近人を斬ってない。それに、魔物もだ。掌に命の重み感じたいと思った。
左手に持った愛刀を抜刀する。三千人を斬っても、侍のうちでよく聞いた妖刀になることもなく、ただ快刀で在り続けるその刃鉄は、その時間を止めたように過去から現在に至るまで手入れを要したことはなく、早い話がこの愛刀は錆もしなければ刃こぼれもしないし、刀身が歪むことも無い。野太刀であるにも拘らずだ。つまりこの愛刀は、刀であって刀ではない得物と言えた。もしかすると、そうと気付かぬうちに、とうの昔に妖刀となっていたのかもしない。
それだけではない。この刀はどのような業を使ったのか、切っ先の重さが他に比べて重いという他にも、竹刀で言うなら先革から中結の辺りの部分をあとからくっつけたような節がある。
とは言うものの、煩雑な痕は全くない。それでもそう思わせるのは、普通、鋼を鍛えて引き延ばしたなら種々の鋼が混ざり合うはずなのだが、そこには混ざった様子が無い。そう言い切れるのは、そこには刃紋が無いことと、そして、そこから手元の方には刃紋があるという明らかな違いにあった。この途切れ刃紋は『季節名』の最大の謎であり、これについて何人かの刀工に尋ねてみたが、答えは分からずじまい。改めて考えてみても、不思議な刀だった。
そんなことを思っていても剣の腕は上がらない。私は左瞼を軽く撫でながら、今一度手に握られた愛刀を見て、一つの決意をした。
「――――うっ、ぁぁ……」
左眼が疼く。足がどこに着いているのか解らなくなってその場に倒れこむ。
そう、半年も前から承知していることだが、この眼は私の「人としての強さ」――武士道とも言えるものを喰っていく。
私は初めて、自らの行いを悔いそうになっていた。
忌まわしい左眼は私に何かを見せてくる。普通に生まれたのなら見ることの無い世界の面影を私の世界に重ね合わせ、実像を結んでいく。
世界が、変わる。
「……これは、唯識だ」
迷わず、乱さず、心を完全に支配する。見える世界が正しい世界ではないという否定と拒絶の意思によって、左眼は再び、“光”を失い、閉ざされた瞼の奥に隠された。
「?」
そうなったとき、私は一体何を見たのか解らなくなっていた。正しくは、忘れてしまった。そのことが、ひたすらに不気味だった。
だが、今はそんな迷いの種など育てる気も起きない。私は立ち上がると愛刀を鞘に納め、人知れず部屋をあとにした。
それから数刻、私はシルクリムと剣を打ち合わせていた。
暴風のごとくその場を荒れ狂う疾走とそれに雑じる稲妻の太刀は火花を散らし、戦いは嵐のような激しさを思わせた。
何故このようなことをしているのかというと、その理由はとても簡単なもので、私が修行の相手をして欲しいとシルクリムに願い、彼女がそれを受け入れた。ただ、それだけのことだった。
シルクリムは僧侶に近い立場に関係してか、月牙サン(げつがさん)を得物としているが、その刃は恍惚としてしまいそうなほどに美しい。そしてそれを伸縮自在と言わんばかりに持ち手の長さを変えて仕掛ける攻撃の数々は、もはや長柄武器の常識を無視した距離を選ばないものとなっている。
早い、速い、迅い――颯と左の大手を細切れにされそうになる。心なしか修行ではなくなっている気がした。
濃霧に霞んだかのように捉えられない連撃、続いてサンを回転させ鋤にも似た刃から繰り出される重い一撃に持ち手が痺れる。その隙を狙って振り切った刃を地へと突き立て、水平に小手へと蹴りを繰り出されるが、辛うじてかわす。
ここで、シルクリムがさきほど地に突き立てた刃を掬い上げるように抜いた。その刃には土の塊があり、それは躊躇無く、私へ向かって投げられる。それはさながら矢のごとき速さで飛んでくる。これは全力でかわす。着物を汚されるのは、とても嫌だからだ。
このまま防御に取り紛れていては、腕の一本を失ってしまいそうだ。
私は柄の持ち方を変えて応戦する。右手を逆手に、左手を順手にすることで剣術から杖術へと変化させ、続けて来る攻撃の全てを払い退ける。我が愛刀の奇剣ぶりをいかんなく発揮した戦い方だった。
型捨無流は剣術だが、その「剣」は刀のみに限ったものではない。それでは型に嵌まっている。型捨無流という流派の真髄は形を捨てる。転じて、型を捨てるところから始まるのだ。
それは、北より伝えられたとされる教えにある空、つまり色即是空より始まる臨機応変の武であると知れ――――
「型捨無流――空即是色」
三つの構えのうちの一つである「柔」の技。
これは最も優れた迎撃方法を見切りによって導き、剣を振るうというものであり、型捨無流を体現したものとさえ言える。だが、心眼の境地に未だ到達していない私では完全には使えない。
しかしそれでも、シルクリムの攻撃を凌ぐことはできていた。
一際強い、それこそ神の鉄槌かと思わせるほどの一撃を受け流す。
鋼を打ち合わせた音は暴力となって耳を突き、気を抜けば立ち眩みでも起こしそうだった。
「空即是色――素晴らしい剣捌きですね。攻撃を受ける上で肝要な察知・予想・判断・実行の四つを予知に近い勘によって、途中二つの過程を無視して察知した瞬間に違えることなく実行するなんて、察知されるような心の動きは無いはずなのに、私の攻撃を先読みするというのは、どんな魔術なんです?」
シルクリムが手を休めて訊いてきたが、私は気が抜けない。彼女の言うとおり、彼女の攻撃には殺気と言われるものなども含めて、あらゆる気が存在しない。そのため、うかうかお喋りに参加した刹那には死ぬ危険があった。
私は修行をやめるという合図として納刀する。シルクリムは微笑を浮かべて頷くと、得物を近くに立てられた二本の棒の間に物干し竿の代わりに掛け、かごに取り込んでいた洗濯物を干し始めた。
その途中、横目で軽く見られる。聞いているから話せと目が語っていた。
「単なる見切りだよ」
「大した想像力ですね」
短く答えると、短く返される。
シルクリムは作業を終えるとどこか晴れ晴れとした表情で私を見た。この修道女は楽しい、嬉しいの感情だけは前面に出してくる。
そして、その感情はとても純粋だと感じられた。
「今日はもう修行には付き合えませんが、何かお役に立てたましたか?」
物干し竿となった得物を見やりつつそう言うのは、何かの計算なのだろうか。下らないことを考えながら私は頷いた。
「そうですか。貴女に一つ、言っておかなければならないことがあります。その剣は一度浄化されていますが、あまり無闇に命を奪うと、取り返しのつかないことになります」
「どういうこと?」
「その剣は、魂を喰らっている。そして、その剣は今まで喰らった魂を研ぎ澄ましたかのような強い魂を持っています」
「私の愛刀に、魂があるの? それと、浄化された?」
「あら、そんなことはしたことがないという顔ですね。それでは訊きますけど、貴女は昔、何か斬らないと気が済まなくなっていたりしたことはありませんでしたか」
「一週間くらいあった。ちょうどその時、知り合いに預けたけど」
そう言うとシルクリムは目を見開いて驚いていた。
「それは、すんなりと預けたんですか?」
頷くと、彼女はまた驚いて、
「それじゃあ、預けられた人は今、生きていますか?」
などと尋ねてくる。これにも頷いたところ、彼女はとても感心した様子だった。
「とりあえず、その人が貴女の代わりに浄化を執り行ってくれたのでしょう。貴女といいその人といい、とても強い魂をお持ちのようですね。もう一度忠告しておきますけど、その剣は魂を喰らうようになっていて、その過程で自らの魂を持つようになっています。貴女がその剣で命を奪う度に、剣の魂は強くなります」
「それで、血によって穢れたこの刀が、呪いを振り撒いたりするの?」
そのようなものにはなって欲しくはないなと思ったので尋ねると、シルクリムは首を横に振った。
「穢れるということは、多分ありません。その剣は浄化された際に自らの魂を持った物ですから、とても強靭です。言うなれば、剣という自らの在り方を表したように鍛えられ、研ぎ澄まされたモノです。ですから心配なのはその魂が強くなりすぎるということです」
私は、その言葉ににとても安心した。同時に、勇気付けられたとも感じていた。
「……強くなりすぎたら、私の魂が負けるとでも言うの?」
「そのとおりです」
「私は刀であって、刀は私……そんなことはありえない」
「とは言うものの、私の目には全くそう映りません。そうですね……そこまで言うなら自分を斬ってみてはいかがですか? そうすれば魂が一つになれると思います」
「シルクリム。刀はその持ち主を斬るということは絶対に無い。私がこの世で斬れないものは唯一つ、私自身だから」
誰が言ったかは知らないが、『我が剣に切れぬもの無し』などというのは世迷言だと私は思っている。
それにしても傷付いた。私と愛刀の魂が一つでないというのは、どうにかして一つにしたいと思った。
「そうですか。頑張ってください」
不思議な笑顔に見送られているのを感じながら、私はその場を後にしようとして、足を止めた。
「シルクリムは、天武祭には出ないの?」
「私は中央より派遣された修道女という立場がありますから、野蛮なことには参加しません」
「それほどの強さを持ちながら、何故なの?」
私は確信していた。シルクリムの技は十年二十年なんていう段階の研鑽ではない。
まして、私のような才に後押しされた剣では決してない。
それは悠久の時、千年に近い研鑽を感じさせる最高の技。堂の奥の室のさらに奥、前人未到の領域に入っていた。
型捨無流に未だ存在しない奥義を超えたものを――背後の女は持っている。
それ故に戦えないことを惜しいと感じた私の疑問だった。
シルクリムは迷わない。ただ、言葉にするのに時間を取ったあとで言った。
「私と初めてお会いした時の事を覚えていますか?」
「覚えてるよ。壊れた楽器を一生懸命演奏していた」
「そうです。私は天武祭本選にて、場を盛り上げるための音楽を演奏する役目があります。それを放棄はできません」
得心が行った。彼女は彼女で果たすべき役割があるのだ。
理由は聞けた。ならばあとはもう去るだけの筈なのに、私の足は止まったままだ。
まだだ、まだ足りない。
「シルクリム。もう一度相手をしてもらえないかな?」
「生憎ですが、得物がありません」
「なら素手で相手をしてよ」
普通ならば愚かだと思うだろう。それでも、シルクリムはそう望めば、
「いいでしょう」
その望みを叶えてくれる。さすがは神に仕える者と言ったところか。
もう戦いは始まっている。神速の抜刀を行おうとしたそのときには既に、懐に潜り込まれていた。
殺される。
そう感じ取ったとき、比喩ではなく、私の体を電光が走った。
抜刀術の要領で稲妻を纏った手刀を放つ、それを見えない糸に牽引されるかのように飛び退いてかわすシルクリム。
私はきっと間抜けな表情をしていたはずだ。自分のしたことの訳が分からず、呆然としているのだから。
だが、シルクリムはその隙を突くことをせず、あちらも驚いた顔を見せて、笑っていた。あの毒のある笑いだった。
「フフ、今のは驚きました。思うに貴女は敵に攻め込まれたことが殆ど無いようですね。あれほどの速さがあるのですから、それも当然と言えば当然でしょうが、分かりました。下手に刺激をするのはやめて受け手に回りましょう。どうぞ」
シルクリムの言葉には目が覚める思いがした。
私は死に踏み込んだことはあれ、踏み込まれた経験なんていうものはなんと、皆無だった。
それ故に感じた死の感触の違いが、さきほどの攻撃を可能とする要因があった。だというのに、シルクリムはそれをもうしないと宣言し、両足を閉じ、両手を楽にして像のように立っている。
攻めてこなければ相手をしないという、言葉よりも遥かに明確な意思の表れだった。
なんだっていい。今はこんなにも、楽しいのだから。
足首をぶらぶらと振ってぽっくりを脱ぎ捨てる。素足が久々に地を踏んで土の感触を味わっている。
「本気で相手をしてあげるよ」
私には悪い癖がある。それは自惚れだ。たとえ手加減できない相手だとしても手加減してしまう。そんな悪癖の表れは他人からも見て取れる薄ら笑いと、そこに交じる虚ろな笑い声だ。
今、私はそうなりそうだった。だから、それを取り去るつもりで素足となり、宣言もした。
ここからは、全速力で戦う。
「「妖」の秘剣――両八双」
八双の構えをそれぞれ両側に同時に構えて見せる。
この曲芸が相手の目にはどう映るのだろうか。
「同時位相、ですか。人の身でありながらよくもそこまでと褒めてあげたいですが、それで私が斬れますか?」
私はシルクリムを見据える。これからの挑戦は、
「今から、それを試す」
人間を窮めたかどうかの判決となる。
軽い跳躍の後に地面を蹴り刹那で肉薄、上から十字に断ち斬る。
「!」
鋼の残光を目が捉える。その形は、中心を通ることなく左右で三日月を描いていた。
――――直前で逸らされた!
逸らされたことでまやかしが解けて、私の刀が元の一本に戻る。その形は、右に腰溜めた状態だった。
「フッ」
呆けている暇は無い。左足首を捻り左に一閃、それを避けたシルクリムは一歩踏み込んでくる。私は振り切った勢いを殺さずに一歩右にずれるようにして左足を交差させ、心臓を狙ってきた一撃をかわし、反転する中途で体を思い切り反らすことで直角に変化した一撃もかわして、反撃に後ろに倒れこむように突きを繰り出す。
逆さになった視界がシルクリムを捉える。
完全に意表を突いたと思えたそれは、シルクリムの衣服を大きく裂いただけだった。
真ん中に入った裂け目から白く美しい太腿が覗く。
その足は後ろに振られ、次の瞬間、私の頭を蹴り上げんと迫る。
私はそれを刀の刃を立てて構えることで牽制する。
そのまま蹴れば斬れるぞという脅しは完全に無視され、刀諸共蹴り飛ばされた。
それを利用して前方へと飛び上がり、回転して着地した。
ここで、右曲がりに大きく跳び、間合いを取る。
「これで、お互いに得物はありませんね」
シルクリムは片足で立った姿勢から、頭よりも高く上げた右足を折って膝を胸の高さで止める。
靴の爪先に食い込んだ形で、その指の間には私の愛刀が挟まれていた。
そう、私の愛刀はこの手からもぎ取られていたのだ。
シルクリムはこともあろうに私の愛刀をそこらに投げ捨てると、右足を下ろした。
愛刀への扱いに抗議の意味で半眼で睨みつける私を気にした風もなく、シルクリムは平然とそこに立ち問いかけてきた。
「ここで終わりにしますか?」
「体が久々に熱いんだ。もう少しだけ続けるよ」
それに、ここでやめたら、人間を窮められない。
袖に両手を入れ、指輪包丁を嵌めて、
「な」
気付いたときには羽交い絞めにされかけていた。
咄嗟に右足を前に出し、重心を落としつつ足を運んで腕から抜け出し、左手首と首を押さえ込むようにして回転させて投げ飛ばす。そのあとは綺麗に受身を取られてしまい追撃が間に合わなかった。
しかし、投げる瞬間には指輪包丁の刃がシルクリムの肌を裂いていた。
極限状態での動きは、まさに人間を窮めたもののソレだった。
「うっ、くっ、本当に……貴女は達人と呼ぶに相応しい」
シルクリムはここで初めて、汗をかいていた。手首と首から入った毒が想像以上に効いたようだ。
やがて毒の苦痛に耐えかねたのか、片膝を着いて息を荒々しく吐いている。
「これで、終わりだね」
もう、戦いは終わっていた。
――判決は下ったのだ。
「そのようですね」
手加減されて勝っても嬉しくはないけど、これで、人外の力を揮う決心はついた。
何故、手加減されていると感じるのかという理由は無い。けど、確信していた。
踵を返して歩き出す。解毒剤は後ろにいるシルクリムへと放り投げておくとして、私は愛刀を拾い鞘に納めた。
「シルクリム」
「なんでしょう?」
けろっとした感じの声。やっぱり手加減されていた。いくらなんでも、解毒剤の効き目はそこまで早くは表れない。
「ありがとう」
それは、至上の感謝の意を込めての言葉だった。
言いたいことは言ったので、返事は待たずにそのままこの場を後にする。
気が付けば、日は西に傾いていた。
……情け無いけど、私はその後すぐに、脱ぎ捨てたぽっくりを回収しに行く破目になった。
天武祭まで、あと二日。