序章
暗い景色だ。
しかし、夜にしては暗すぎる不自然な光景がある。
耳にはうなりを上げる風の音とそれに揺られる梢の音が聞こえているのに体は何も感じず、周囲には木が一本も見当たらない。
ただ目の前には不思議な事に時折風に交じって宙を舞う枯れ葉と石敷きの長い道路があり、それだけがくっきりと色づいていた。
随分と色彩に欠ける。道路の上に一人佇む私は目の前の景色にそんな感想を内心で漏らしていた。
見れば自分の姿もまた、暗闇の中にいるせいか妙だった。手を見るとまるで自分が影になったかのように黒一色に染まっている。
暗闇より濃い闇を形作る自分はその濃さとは裏腹に、酷く薄いものに思えた。
この目ではっきりと見てしまったせいか、影のような平坦さと共に存在感の薄さを強く感じて目を逸らすと、いつの間にか遠くに街灯の明かりが灯っているのが見えた。
明かりを見つけた途端に暗闇にいるのが不気味に思えて、早足に街灯の明かりを目指して歩きだした。
やがて街灯の下まで辿り着いた私は何の理由も無く明かりの中へ入るのをほんの少し躊躇した。それに私自身驚きつつ、意を決して入る。
すると、街灯と同じように突然に目の前にモノが現れた。それはまだ幼さの残る女だった。
「あの……」
女は戸惑いを隠さない口調で私を見ながら言った。簡素な服に身を包んだ女は不気味に赤い光りを照り返す黒髪で目を覆い隠している。輪郭からして無駄の無さそうな造りの顔だが唇は青白い。それでいて頬はバラ色をしていた。
この時、私は女を無視しようと思ったが、この場に二人きりなのだ。話すことは何となくではあるが、禁じ得ないことだった。
「何?」
心にある抵抗感をそのまま声に出して少し不機嫌に言うが、女はとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「やっと話せる人が来てくれた。私の声が届く人が……」
そう言って女は何度も涙を拭う仕草をした。すすり泣く声もするので本当に泣いているのだろう。
面倒な相手に捕まったかなと思う矢先、女は慌てたように手で髪を何度も梳いた。
「あなたはサムライなんでしょう?」
女は私の左手に握られている野太刀を見てそう訊いてきた。これには首を傾げるしかない。
刀を持っているだけの者……。特に、私のような者が侍と呼べるほどのものなのかと疑問に思う。
「私は、ただの殺人鬼……侍じゃない」
あっという間に喉が干上がる。もう喋れないなと喉を手で押さえながら思っていると、女は何を思ったのか突然私に抱きついてきた。
不思議。何が不思議なのかと言うと、私がこんなにもあっさり組み付かれていることが正直、理解できない。一体何が起こったのかとこの事態に珍しく気が動転してしまう。
「お願い。私の母様になって」と言う女の顔を見る。それはいつ以来かも解らない、私に向けられた笑顔だった。
気が遠くなった。