第四章 人の海 ─2─
──今度のフランの祝賀会に、ソフィアも同行したい──
端的に言ってしまえば、そういう内容だった。
もちろん彼女の筆記版にはもっと丁寧に書かれていて、フランが話した奴隷が、ソフィアと同郷のものかもしれないから、気になる、とのことだった。
もし同行できないのなら、その奴隷がどんな様子か教えてくれるだけでも良いという。
アイザックは、ここまで個人的な願いごとをしてきたソフィアに驚き、すこし舞い上がってしまったので、三度ほど読み直さなくてはいけなかった。
フランから銀髪碧眼の奴隷の話を聞き、ソフィアに心当たりを訪ねようと迷っていたところである。
まさかソフィアの方から話題を持ち掛けてくるとは予想していなかった。
「やっぱり、君も、心当たりがあったのか?」
『はい、私と似た外見をしているものは、私の知りうる限り、同郷の者しかおりません』
いつもであれば、悲しげに瞳を揺らめかせているだけの彼女は、今日は返事をためらわない。
──彼女みたいな珍しい人種に何も聞かないでいる君の対応には、時折驚かされるがね
フランに言われたことばが脳裏を走る。
普段は過去を語らない彼女が語ってまで会いたい相手。
アイザックも、ソフィアの出自に興味がないわけではなかった。
ましてや、市場での事故で、どうやら彼女が不思議な力を持っているらしいことまで分かったのだから。
それでも、アイザックは今まで、聞けなった。
「聞いてもいいかな。君は、もしかして、北の大陸から来たのか?」
ソフィアは意外そうな表情を浮かべた。
どうやら図星のようだ。
『はい。でも、どうしてご存じだったのですか?』
「偶然書物で読んだんだ。北大陸に君似た外見の人々が住んでいるとね」
そこには、彼らの瞳に力が宿っているとも書かれていたが、アイザックは、そこまで問いただしていいものかと、まだ決めかねていた。
まるで、おとぎ話か、魔法みたいな力。
──危険を察知する力が彼女に仮にあったとして、どう扱えばよいのだろうか。
──それこそ、彼女を日ごろ連れ歩いて危険を察知してもらうのか。もしそんな魔法のような力があったら、彼女はますます周囲から目立ってしまう。
さほど危険を感じない帝都に住んでいる以上、そんな力があったところでアイザックには関係の無いようにも思えたし、ソフィアが何も言わない以上、問う緊急性も感じられなかった。
というより、むやみやたらと問いただして、彼女を悲しませたくなかったのかもしれない。
「でも、どうしてこんなに南まで下ってこれた? 海を渡らないといけないだろう?」
地理的に陸続きになっている西の国から、さらに海を渡った向こうにある北大陸。アルケミアからは【果て】とも呼ばれる世界。アルケミア帝国内にいる北の人々さほど多くはない。
『【スヴャードスチ】──アルケミア人が【果て】と呼ぶ大陸の国──で、最初に私を買った主人が西の都市国家スピサからの方でした。そのあと何度か売り買いされるうちに、結果として南下してしまったのです』
そして、アルケミアと【果て】を仲介しているのが西の国々である。
スピサは西の都市国家群の一つだ。
それでもアルケミアからは程遠い。
西の国から国の間を売られたとしても、アルケミア帝国方面に来ないで終わる可能性の方が高い。
「だとしたら、君の同郷がこちらにいるのはほぼ奇跡に近いという訳か……」
北から南下するには、道中の安全を確保できる武力、移動の経費のための財力などが必要であり、そうやすやすと移動できるものではない。
『はい、アルケミアまで来たのは、私だけだと思っていたものですから』
「それは確かに嬉しいだろうな。話を聞く限りでは、主人にも気に入られているようだし、達者だといいんだが」
『その人物が無事と分かるだけでも、私には嬉しいのです。ですから、どうか同行させていただけないでしょうか』
彼女の双眼が訴えるようにアイザックを見つめる。
彼女の瞳のなかに、アイザックと、周りの景色が映りこむ。
最初に会った時は、両眼に、こんなに世界を映し出していただろうか?
「──私としては、連れていく分には別に構わないんだ。その、少し問題があってね。ああ、君の方じゃなくて、私の個人的なものだよ」
アイザックは一度言葉を区切る。
ソフィアの表情が少し陰る。
「聞いていたかもしれないけど……兄が来るんだ、一番上のね。兄は、というより、オズワルド家の者は、私の今の暮らし方が好きではないんだ。こんな言い方はしたくないけれども、私と一緒にいる『慣れ親しくしている首輪持ち』が嫌いでね。君を何かと不快な気分になるかもしれない」
『不快な気持ちとは、どのような意味でしょうか』
オズワルド家だけではない、貴族が多く集まる機会だ。基本的に、自らの血統を誇りに思い、階級の上下関係に厳しい、というより、それが普通のアルケミア貴族というものだ。
「フラン殿は貴族の中でもかなり寛容的な方なんだ。けれども兄上や他の貴族は私に対してあまり良い印象を持っていない……君に何か当てつけされないのか心配なんだ」
フランの屋敷で開かれる手前、物理的な害を加えてくるわけではない。
精神的に皮肉や嫌味を飛ばしてくるだけだろうが、自分の屋敷の者にそういった害が及ぶのが、アイザックには腹立たしかった。
『アイザック様のお気遣いはありがたく思います。ですが、私の心配をなさってくれるなら大丈夫です』
「……いいのか?」
『アイザック様が気を悪くされないようであれば。これは、アイザック様が招かれた晩餐会ですから』
「ソフィアがそこまで気になるというのなら、止めはしないよ。会いたいのだろう?」
『もう二度と出会えないと諦めかけていたのです』
「なら、それで決まりだ。もちろん、君が気分を害さないよう私も注意するさ。これは私だけが受けるべきと咎めなんだから」
『なぜですか? そもそも、身分の低い私たちが、非難を受けるのはしかたのないことです。アイザック様が咎められることではありません』
「違うよ、ソフィア。これは、俺の問題なんだ、君たちは関係ない」
彼らを普通に扱って、普通の彼らが何のいわれもなく咎められていいはずがない。
「もう一つ、聞いていいか?」
アイザックは、ずっと気になっていたことを、訪ねてみた。
『──?』
「君は、スピサで買われたと言っていたが、その、君は、初めから奴隷の身分ではなかったんじゃないか?」
──元は奴隷以外の階級だったのか。
最後まで、口にせずとも、ソフィアは質問の意図が伝わったようだった。
『────……』
ソフィアは、うつむき加減で、どう答えようか迷っているようだ。
アイザックは、質問を追加したことをひどく後悔した。
「……話すと辛いことなら、いいんだ。悪いな、いつも過去を詮索しないと言いながら、約束を破っている」
『申し訳ありません。本来なら、お伝えすべきなのでしょう』
「本来も何も、人間誰しも、語りたくない過去はあるんだ……俺も、右手を無くした時のことは、いまだにあまり人に話したくないから……分かってるつもりなんだがな……」
自分のこととして実感してても、他人に接するとうまくはいかない。
「とにかく、マイセルには私から伝えておこう」
アイザックは、なんとか場を収めるために、話題を打ち切った。