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砂の中をおよぐ  作者: センガ
7/15

断章  溺れる者たち

本編とは少し話の離れた外伝になります。

 









 私の家族はもういない。

 私の故郷はもう存在しない。


 幸せな家庭だった。

 寡黙で働きものだった父。

 朗らかで、家族全員を精神的に支えていた母。

 勤勉な兄は、次の満月の夜に妻を迎え入れる予定だった。

 兄妹たちの面倒をよく見ていた姉。

 毎日駆け回る妹、弟たち。


 私の故郷は灰の中。

 その灰だって、今は風雨にさらされ霧散した。


 たまたま村を離れていた私が駆け付けたころには、辺りには死臭が漂っていた。

 村を襲った男たちが、生き延びた人々を捉えて、草地の上に縛って転がしていた。


 私は村のすぐそばの森から全てを見ていた。

 男たちの首が刎ねられるのを。

 女たちが辱められるのを。

 年寄りたちが生きたまま焼かれるのを。

 子どもたちが泣き叫ぶのを。


 私には何もできなかった。

 今、ここから一人で立ち向かったところで、武器を持った多勢に不利なことは目に見えていた。

 何より、私は、捕まって、奴隷にされるのが恐ろしかった。

 死ぬのが怖かった。



 私は焼ける村に背を返し、全てから逃げ出した。




 村が焼かれた日、逃げ出した私は、近くの村へ転がり込んだ。

 人を集め、武器を持ち、私の村を助けてくれと懇願した。


 村人たちが用意を整え、駆け付けたころには、故郷は形をとどめていなかった。

 姉が村の近くの林で転がっているのを発見した。

 身ぐるみをはがされ、両足の間からは何色ともつかない液体が流れだしていた。

 彼女のお腹には、来月生まれる予定の子どもがいた。




 私は、


 私は激しい後悔に襲われ、


 逃げ出した己を呪った。




 せめて、周囲の様子をうかがっていれば、姉が辱められているのを発見できたかもしれない。

 もしかしたら、相手は一人で、こちらが不意を打てば、誰か一人くらい助けられたかもしれない。


 失意にうなだれる私に、調査のため派遣されてきた兵士は、言った。

「この辺りを縄張りにしていた○○が突如武器を手に入れて、あなたの村を襲ったようだ」


 正直、そのあとの兵士の話はよく聞いてなかった。

 敵の正体が分かったのだ。


 私は、敵の名前を心に刻み付け、復讐を誓った。




 あれから長い年月が経った。

 私と同じように、故郷を焼かれた他の村の人々は、いつしか共通の目的をもって集まるようになった。

 皆、目的は私と同じだった。

 生き延びた理由も同じようなものだった。

 だからこそ、私たちはもう二度と逃げださず、敵を殲滅すると誓った。

 肉体を鍛え、技を覚え、武器を手に入れた。


 ついに、故郷を滅ぼした○○を焼き滅ぼすことができた。

 皆、肢体を引き裂き、生きたまま焼いた。


 私たちは復讐を終えると、もう二度とこのような悲劇が起こらないように、痛みを共有するものとして、地域を守る自警団となった。


 ところが、敵は新しく現れ続けた。

 大したことのない集団がいつの間にか力をつけ、何かと私たちの地域を荒そうとした。

 そのたびに私たちは立ち向かい、敵を追い返した。

 そのうち、一連のやり取りには黒幕がいることが分かった。

 どうにも、武器を流している組織がいるらしい。


 調べていくうちに、その組織は、私の故郷を滅ぼした○○にも武器を売っていたことが分かった。

 私たちは、ついに黒幕の正体を突き止めたのだ。


 争いを終わらせるべく、組織を潰す計画が入念に練られた。

 計画は完璧に見えた。

 万が一、一人が失敗しても幾重にも保険を掛けてある。

 組織を徹底的に消し去るためだ。

 これ以上不幸を生み出さないために、跡形もなく排除するために。


 私は、私の手で終わらせたかった。

 もう痛みを覚えるのは私たちで終わりにしたかったから。

 だから、私は計画の主犯として立候補した。


 今、目の前に標的がいる。

 組織の首領との会談は、思ったよりもすんなりと進んだ。

 私は、自警団の武器を余分に補充する取引という名目で、会談を開いたのだった。




 期待していたわけではないが、首領の正体は意外なものだった。

 女だったのだ。

 細くて、当人は武器など握れなさそうな手つきをしている。

 女は淡々と取引の話をした。

 時折、隣で控えている小間使いに目線を送っている。

 小間使いは首輪を嵌めている奴隷だった。

 正直拍子抜けした。

 こんな女が、今まで武器の取り扱いをしていたのだろうか。

 女だったら、凌辱される恐怖は知っているだろうに。

 下種たちに武器を持たせたら、同じ女が襲われることは薄々承知で、武器を売っていたのだろうか。

 私は激しい怒りが胸の中に沸き上がるのを感じた。

 もちろん、表面には欠片も出さなかった。

 あくまでも、にこやかに商談を続けた。


 女との会話中に、部屋に、新しく女の使いの一人が入ってきた。

 女の耳元で何かささやくと、女は初めて、眉を動かした。

 それは、狼煙だった。

 外で仲間たちが動いたのだろう。

 わざわざ敵の真ん中で商談をしたのだ。

 敵は自陣にいると油断しきっている。

 だから裏をかいた。


 女は使いに外へ下がるように手を振り、隣の奴隷に再び視線を送った。

 奴隷はただ、頷き返した。


 使いの者が部屋を出て、部屋にはこちらの部下が一人、向こうは女と奴隷、護衛が一人になった。

 さあ、今だ。

 女と、隣の()()()奴隷はどう見ても戦いに向かない。

「では、商談成立といきましょうか──殿? いや、司令官どの?でしたか」

「ええ、こちらも同意です。それと、司令官だなんてとんでもない──とお呼びください」

 女は座っていた椅子から立ち上がり、握手をかわそうと、身をこちらに乗り出した。



 隠してあった武器を取り出し

 無防備にさらけ出す女の首筋に突き刺す

 見た目は悪くないから、殺した後に辱めてもいいかもしれない

 そう、姉を殺したやつらみたいに

 隣の奴隷は部下にくれてやる──












「そして、お前は跡形もなく切り刻まれる────はずだったのに!! 畜生! どうしてだ!」


「あんたの長い昔話なんてこれっぽっちも興味がないのだけど。はあ」


 女は、目の前の椅子に縛り付けられている男を見下しながら、大仰なため息をついた。


「私が知りたいのは、あんたの自伝じゃなくて、誰があんたたちに私の情報を流したってとこなんだけど、肝心なところは端折るって、そりゃあないじゃない」


「ふざけるな! 俺たちの計画は完璧だったはずだ! 素人の仕事じゃないんだ!分かりっこない!」


「確かに、なかなかにいい計画だったんじゃない? 私も以前だったら結構危なかったかもしれないね。□□がいなかったら、ね」


 女は横に控えている銀髪の奴隷を見やる。

 男は信じられないと言わんばかりに奴隷を見る。先ほど男を捉えたのも、護衛の方であって、奴隷は何もせずに見ていただけである。


「お前が……一体何をした?」


 男の憎悪に満ちた眼差しを向けられ、奴隷は身をすくませた。

 確かに男が疑問を抱くのも無理はなかった。なぜなら奴隷は、まだ少女の顔立ちがわずかに残る、無力そうな女性だったのだから。


「あんたがそんな下種な目つきを向けるから□□が委縮しちゃったじゃないか」


 女は男の後ろに控えていた部下に目線をやると、部下は男を再び痛めつけた。


「□□、そいつには教えてあげてもいいよ。ここまで来た冥途の土産というやつかな」

 

 女は、まるで親に内緒で食べた菓子を教えるようなものいいで、奴隷に話を促す。

 奴隷は、おずおずとした口調で語りだした。虫一匹殺せなそうな声色だった。


「……──私は、貴方たちの、いえ、私の周囲にある殺意や害意の『衝動』のようなものが視えるといえばいいのでしょうか。貴方は表面上はうまく隠せていました。普通では気がつきようもありません。ですが、私の目には貴方たち全員の衝動が視えていたので、事前に警告しておいたのです」


「……──は? 」


 男はにわかには信じがたいと言わんばかりだ。

 奴隷の瞳は、確かに少し珍しい碧色をしているが、別段奇妙な点は見られない。


「ま、よく分からないでしょうけど、分かりやすく言えば、□□には、何を隠そうが、どんな『殺意も持っている』時点で丸見えってこと」


「……なんだその魔法みたいなたわけた話は! 」


 男はコケにされた気分になった。


「まあ実質魔法だよね。魔法がなんなのかは私には知ったことじゃないのだけど。まあ、私はそこは気にしない性質でね。それより大事なのは、道具が必要な能力を持っているか、私の動かしたいときにちゃんと動くか、という事だからね。武器も一緒だよね」


 女は奴隷の方に左腕をかける。


「□□は、ちゃんと役に立って、ちゃんと思い通りに動くんだ。ここ数年一番のお気に入りってわけ」


 女は奴隷の頬に口づけを軽く落とした。チュッという場違いな音が室内に響き渡る。

 その動作は、男が、戦いの前に自分の剣に落とす口づけに、心なしか似ている気がして、男は身震いした。


「どうりでお前はぬけぬけと今まで生き延びてきたわけだ。その道具を使って、お前を潰そうとするやつらを避けてきたってのか」


「半分正解。あんた、伊達に司令官を名乗っているだけあって、結構頭が切れるんだね。私が今まで生き延びてきたのは、私の能力によるものなのだけど、ときどきは□□、ってこと」


 男はじろりと奴隷をにらみつける。


「お前のせいで、お前のせいですべて台無しになったのか……! そいつを誰だと思ってる?!

 その女が売りさばいてきた武器のせいで、今までどれだけの無実の人々が犠牲になったと思っているんだ!? 」

 

 男は怒りの吐き口を見つけ出したのか、奴隷を罵倒し始めた。


「そんなに□□を罵っちゃかわいそうじゃないか。この子は、私が脅しているんだからね。『働かないと殺す』って」


 女は自身の口から信じられないようなことをあっさりと言った。


「□□は多分、あんたらの計画を潰して悪いと思っているよ? ね? □□? 」


「そ、それは……私は──様に仕える身ですから、お守りするのは当然の義務──っ」


 女が奴隷の頸椎あたりを撫でると、奴隷は突然口をつぐんだ。


「駄目じゃあないか、□□。本当のことを言うって、約束でしょう? 」


「は、はい……」


 奴隷は男の方へと向き直ると、この場にそぐわない、か細い声で語る。


「──様。私は、その……本当に申し訳ないとは思っているのです……貴方たちの動作はとても自然でした……あと一歩だったと思います」


「……お前、それ、本当にお前の意志で言っているのか……?」


 男に確認され、奴隷はどういえばいいものかと戸惑った顔をする。

 演技をするでもなく、ただ本当に自分の意志で話しているようでありながら、何かに怯えているようでもあった。


「ちゃんと司令官殿の質問に答えてあげなよ、□□」


 後ろから女主人にささやかれ、奴隷は頷く。


「今まで、その眼で、こいつの暗殺計画を潰してきたのか? その女が死んだ方が世の中のためなんだぞ? 」


「……私が──様に仕えて以来、ずっと護衛をしています。──様が何をしているのかも、知っているつもりです……」


 隣では女が、よくできた教え子の成果を嬉しそうに見守る教師のようにうんうんと頷いている。


「俺たちがそいつを殺せば、お前も救われる可能性があるとは考えなかったのか? 今までだって、俺たちのような奴らを手引きして殺させれば、こんな仕事から手を洗えるはずだと考えなかったのか? 」


 男の口調は徐々にまくしたてるように早くなっていった。


「……──考えました。考えて、──様に全て報告しました」


「まあ、飼いたてのころは少し反抗気味だったから、私が□□にいろいろ教えてあげたんだよ。今じゃこの通りとっーても従順」


 女の嬉々とした表情と、奴隷の今にも泣きだしそうな表情が、ちぐはぐなコントラストを男に見せていた。



「……こんなことは嫌だと思ったことは? 」

「いつも、思っています」

「知っているけどね、□□は死にたくなかったから。司令官殿と同じだね」

「……こんな目にあって、死んだ方がマシだと思わなかったか? 」

「……思っています」

「でも、死にたくない。そういうものだろう? あんただって自伝で言ってたじゃないか」



「…………」

「貴方の身に起こった悲劇には同情します……私も、同じような境遇ですから」

「…………ふざけるな」

「…………え? 」


「ふざけるなと言っている! もし、本当に嫌なら、どうしてその女を道連れにして死ぬくらいしなかったんだ! その女を殺せなくても、本当に詫びたいと思うなら、()()()()()()()()()()()()()()()!! 」


 男は、イスに縛り付けられたことも忘れ、身をしならせて叫んだ。


「この売女が! 自分の命惜しさに他の命を差し出すクズが!! 」


「……私……は……」


「はーい、そこまでにしておいてもらおうかな。これ以上は□□に汚い言葉を聞かせられないよ。こう見えて、この子、結構()()()()だからね」


 女は場を鎮めるために、手を叩いた。

 それでも男が口を閉じなかったので、控えていた部下が再び男を黙るまで痛めつけた。


「□□は、外に出ようね。あとはよろしく」


 女は部下を見やると、部下は男の尋問を再開した。

 部屋を出、ドアを閉めても、男の悲鳴は外まで聞こえてきた。










 女と奴隷は、先ほど商談した部屋へ戻った。


「まさか、同情しちゃった? 」

「……え?」

「あの司令官殿の自伝だよ。そんなに、共感できる話だった?」

「……それは」


 女はソファの横前にあるテーブルからワインの瓶を掴む。

 奴隷へワインを見せると、奴隷は頷いた。

 毒の入っていないことを確認した女は、ワインをグラスへ注ぐ。


「故郷を焼かれて、家族を失い、命惜しさで生き延びたなんて、まるであんたみたいだものね。違うとしたら、あの司令官殿は、その後、力をつけ復讐を果たしたってところかな? 羨ましい? 」


「……羨ましいと思います。私は、復讐は望みませんが、自分たちで守ることができるなど、あの方は、強い方だったのでしょう」


「そんなことだろうと思ったんだよね、心優しい□□ちゃん」


 女は誰に対するでもなく、空中で乾杯の動作をすると、ワインを優雅に飲み下した。


「じゃあ、ここから、心優しい□□ちゃんの気が楽になるような、真実を聞きたい? 」


「真実、ですか……」


「そう、あの男の自伝もまあ、退屈しのぎくらいにはなるだろうけどね、あんな英雄譚、()()()()()()()でしょう? 」




「あの司令官殿の率いる『自警団』、支配下の村には金やら女やら要求するんだ。払えない村は潰して、全員奴隷にするのさ。そうそう、自伝からは漏れていたけど、故郷を取り戻そうと立ち上がった集団は全員返り討ちか奴隷にした」


 横に立っている奴隷が浮かべている表情を知ってか否か、女は楽しそうに話を続ける。


「『自警団』の構成員はみんなはぐれ者ばかり。村から追い出されたもの、ごろつき、奴隷より働かない無能とか、そんな力を誇示することしかできない連中」


 女はグラスにワインを継ぎ足す。


「確かに、司令官殿の故郷を潰した奴らに武器を売ったのは、もちろん私だったけど。司令官殿達が集まったら、思ったより勢力が拡大しちゃってね。司令官殿達に武器を売ったのは、当時商売敵だった連中なんだけどね。潰そうと思って、支配されている村にも武器を渡してもいつも追いかえしちゃって……正直、硬直状態で困ってたんだよね。勢力が安定しちゃうと、良くも悪くも戦闘は減るからね」


「困っていた矢先にあの連中が私のことを嗅ぎまわってきたわけ。□□が最初にその痕跡を見つけてくれたあとに、調べたら、なんとまああの司令官殿達が、わざわざこちらに殺しに来てくれたってわけ。これで支配下にあった村は解放されるね。めでたしめでたし」


 女は飲み終わったグラスを机に置いた。


「どう? 少しは気が楽になった? 捕まえた男と殺したその仲間は、実は極悪人でした、って知って? 」


 奴隷が答えることがなかった。


「だいたい、『痛みを共有する自警団』だっけ? 本当に同情するなら、□□の気持ちも分かってあげればいいのにね? 可哀そうに。 なのに首輪をつけて尻尾を振ってるってだけで、扱いは乱雑だわ、自分の命惜しさは棚上げにして『喉を掻き切って死ね』だなんて、ねえ? 」


 女は手を振ると、奴隷にソファに座るよう指示した。奴隷は女の隣に座る。


「結局、苦しみだとか、悲しみなんて感覚なんて共有できないんだよ。共有できる感覚は痛みだけ。膝を叩き潰して背中がかゆいなんて言うやつはいない。だから人は他人を傷つけることができる。分かるのは、どこを傷つければどこが痛むかだけ。そして、武器はその情報を元に作られる」


 女の隣に座った奴隷は、うつむいていて表情が見えない。

 女は奴隷に寄り掛かった。


「ふふふ、既存の情報に、僅かな言葉の羅列を少し足すだけで、急に同情を誘わなくなるなんて、おかしいと思わない? さっきまで共感できていたのに、手のひらを反すように態度なんてかわるんだ。私たちの感情って薄っぺらいと、感じない? 」 


 グイッと奴隷の顎先を掴んで、女の方へと顔を向かせる。


「ねえ? □□? さっきまであいつに同情してたけど、今はがっかりしていない? 」


 奴隷の顔は、苦悩に満ちていた。


「私は……そのようなつもりでは……」


 わずかでも、主人の方から顔を逸らそうとするが、抵抗することは許されなかった。


「あー……かわいいね。少し話を聞いただけでそんな悲しくなっちゃうんだ? そういう純情なところが、私が気に入ってる部分の一つでもあるけどね」


 女はやや乱れた奴隷の前髪を耳にかけてやる。その手つきはひどく優しく、自愛に満ちているようにも見えた。






 ドアをノックする音が聞こえる。女が許可すると、先ほどの部下がやってくる。

「情報主を突き止めました────」











 ──その夜。


 拷問された男は、イスに縛り付けられたままだった。

 部屋に、何者かが入る音がする。

 男はヒッっと上ずった声を上げる。

 暗闇の中、現れた人影は、先ほどの銀髪の奴隷だった。


「なんだ……お前か」


 相手の殺意のなさを感じたのか、男は途端に態度を変え尊大になった。


「……ごめんなさい」


 奴隷は、ポツリと呟く。


「少しでも申し訳ないなら今すぐこの拘束を解け、俺を逃がせ」

「……できません」

「ならせいぜい消え失せろ、そして自害しろ」

「…………」



 奴隷は、無言で立ち去った。

「……おい、冗談だ! 頼む! 助けてくれ! あんたも無理矢理従わされてるんだろう? 気持ちは分かる! 頼む! 」


 ドアを閉める直前、男は助かる手段がもうないことを自覚し、懇願した。


「なあ、さっき罵ったことは謝るよ! お前もあんなに痛めつけられたら従うしかないんだよな? 分かったんだ! ここから逃がしてくれればお前を金持ちにしてやるぞ、そうだ! 首輪をはずしてやってもいい! 」

 ドアは、音もたてずに静かに閉じた。









「やっぱり助ける気にならなかった? 」


 地下の部屋を上った階段の先には、女が待ち構えていた。


「──それは」

 

 奴隷は予想外の女の登場に、身を固くする。


「怒ってるわけじゃないし、いいんだよ、心優しい□□ちゃんなら、もう一度あの司令官殿に会いに行くと思っただけ。私が言ったことと、あの男が言ったこと、どちらが本当だろう? ってね。で、何か分かった? 助けてあげたいと、思った? 」


「──分かりませんでした。死ねと言われた後に、助けを懇願されました」


「……フフフ……あくまでも自分は助かりたいなんて……本当にありふれたやつだったね」


 女は、おかしくてたまらないのか、右手で腹部に手を当てて笑い出した。


「安心するといいよ。あの男と私の違う点を挙げるとね、一所懸命に働く□□のことは、私がこれからもずっと、大切にしてあげることができることだよ」


 女は、いましがた繰り広げられていた争いの主にはとても見えない、美しい微笑を浮かべた。


「これは本当。さ、行こうか」


 階段を上り切った奴隷は、女主人の後へと付き従った。

 最後にもう一度だけ、地下の部屋を、男の方へと振りかえった。

 地下からは、まだ男の嘆願が聞こえる。




「…………ごめんなさい……ほんとうに、ごめんなさい」




 奴隷は、誰にも聞こえないような小さな声で、誰にでもなく、呟いた。








(了)


次回、本編に戻ります。

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