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砂の中をおよぐ  作者: センガ
5/15

第三章 仕事と報酬と ─前─

今回も読みやすくするために、前後編になります。

続けてお読みください。

 ──よく働いたね、忠実な僕には褒美をあげようか──

 今日みたいにちゃんと働いたら、もっと褒美をあげるよ──

 もちろん、働かない番犬がどうなるかなんて、簡単なことだよね?──







挿絵(By みてみん)







「ここまで進んだならいいだろう。キリもいいことだし、ここで終わりにしようか、ソフィア」

 アイザックは隣の本棚で作業をしているソフィアに話しかけた。今朝は、書庫で本の整理がてら、虫干ししたり、同じ種類の書籍をまとめ直したりしている。ソフィアは、慣れた足取りで、手元にあった最後の本を棚に戻し、書籍をまとめたリストに書き込んだ。

「もうすっかり慣れたものだな。呑み込みが早くて助かるよ」

 ソフィアは頭だけで軽く礼を返した。

「君は最初の頃から手早かったけど、以前にもこんな仕事を手伝っていたのか? 」

 すると、ソフィアは悲しそうに眼を伏せて、首を横に振った。

「……すまない。過去の詮索は無しだったな。今の質問は忘れてほしい」



 ソフィアがアイザックの仕事を時折手伝うようになって、ふた月ほど経とうとしていた。屋敷に来た当初と比べると、大分落ち着いてきたし、体調が回復したことで、銀の髪も、碧色の瞳も少し光が戻ってきた。

 相変わらず、会話する量は限られているし、過去のことはほとんど語ろうとしない。聞いても今みたいに悲しい表情を返してくるだけだった。

 それでも、アイザックには、彼女の回復がわが身のように喜ばしかった。やはり、病人や怪我人が回復する過程を見ていると暖かい気持ちになる。



「そろそろ市街に出かけるとするか。今日は市で混んでいるだろうし」

 アイザックも手元に残っていた最後の大型本を棚に戻した。こちらの棚はまだ整理が終わってないから、次回片付けるつもりだ。

 すると、ソフィアが近付いてきて、何やらもの言いたげな顔をしている。

「どうした? 」

 ソフィアがアイザックの真上を指さす。本棚の上の方には、アルケミア帝国のシンボルである獅子の形の、木彫りの彫刻が飾られている。

「あれが何かって──とっ!」

 突如ソフィアがアイザック服の袖をつかんで引っ張った。重心が崩れ、ソフィア側に傾く。


 ──ガチャン!


 ほんの一瞬までアイザックが立っていた場所には、棚の上の彫刻が落下していた。木彫りとは言え、それなりに重量のあるものなので、当たりどころが悪ければ軽い怪我では済まなかっただろう。ソフィアはこの事で棚を指したのだろう。

「助かったよ、ソフィア」

 しゃがんで彫刻を手に取ると、台座の部分が朽ちていた。本を押し込んだ衝撃でバランスを失って落ちてきたのかもしれない。

『壊れてしまいましたね。大切なものでしたか? 』

 ソフィアは、近くに置いてあった紙の欠片に木炭で書き記した。

「まあ、父からもらった少ない品のだけどね……」

『それは大切なものなのではないでしょうか? 直せるとよいのですが、かなり壊れていますね』

 ──アイザックは父親とあまり折り合いがよくない。名家であるオズワルド家で、奴隷と親しくしようとするアイザックをあまりよく思っていないのだ。この獅子の彫像も、アイザックがこの屋敷に移った時、『アルケミア帝国の貴族であることをゆめゆめと忘れる出ないぞ』と言いながら、儀礼上、渡してくれたものだった。

 などと彫刻にまつわる小話を聞かせると、ソフィアは

『けれども、御父上からもらった数少ない品なのですよね? 大切にすべきだと思うのですが』

 と返してきた。

「いやいや、これは皮肉だったんだよ。私にはどうしても父が『獅子は獲物と一緒にいるべきではない』と言ってるようにしか聞こえなかったんだがね」

 かと言って粗末に扱うのもはばかられ、こうして書庫に飾ってある。書斎の方に置いておくとどうにも父親に見られているようで落ち着かない。

「それに、古いものだったからな。まあでも一応、直せないか、後でサヘルに見てもらおう」

 サヘルは粗雑な性格ではあるが、細工や道具の扱いには丁寧なので、これも直せるだろう。



 ソフィアに彫刻を手渡して、アイザックは立ち上がった。そこに、マイセルが入ってきた。

「失礼します、アイザック様、馬車の準備ができたとフィデルが申しております」

「ちょうどよかった。こちらも片付いたところだ、すぐに行くと伝えてくれ」

「かしこまりました。おや、その彫刻がどうかされましたか? 御父上にもらったものでは? 」

 マイセルはソフィアが作業机に置いた彫刻を指さす。

「ああ、台座が朽ちていたみたいでね、落ちてきたんだ。とっさにソフィアが教えてくれなければ、当たるところだった」

「そうでしたか。せっかくですから、これを機に居間にでもお飾りになられてはいかがですか? 彫刻としてもなかなかのものと、常日頃思っていましたから」

「……ああ。まあ考えておく」

 提案自体は軽く思ったものらしく、彫刻の話はそれで終わった。

「ふむ、立派ですよ、ソフィア。しっかりとアイザック様にお仕えしているようですね」

 マイセルは書庫の中を見渡して言った。彫刻の事も含めて、仕事全体の評価のようだった。厳格なマイセルなりの謝辞だろう。

『恐縮です、マイセル様』

「貴方が読み書きできるのも助かりましたよ。イグナシオが引退してから、アイザック様の仕事の補佐ができるものいなくて、苦労なされてましたからね。パルムに覚えさせようとしましたけど、うまくいかなかったですからね」

 マイセルは大きなため息をついた。

 アイザックは、マイセルがパルムに読み書きを教えていた時のことを思い出し、苦笑した。結局、厳しすぎるマイセルと、マイペースなパルムの学習速度に差がありすぎてうまくいかなかったのだ。

 ソフィアはなぜアイザックが苦笑しているか分からず、ただ首をかしげるだけだった。



 マイセルはそれだけ伝えに来たのだろう。書庫から離れる際に彫刻を指さした。

「彫刻を運んでおきましょうか? ちょうどサヘルたちの所へ向かう途中でしたので」

「ありがとう、頼んだ。私とソフィアは街に行ってくる」

 屋敷のことはマイセルに任せて、アイザックとソフィアは、フィデルの待つ玄関へ向かった。






「それで、今日はまず、いつもの書籍商へ行くんですよね? 」

 馬車に乗り込むと、フィデルが聞いてきた。アイザックの向かいには、ソフィアが座った。普段なら一緒のパルムは、別件が片付いていないので来ていない。

「ああ、頼んであったものが入ったと聞いたからな」

「了解です」

 フィデルは馬を走らせた。アイザックの屋敷は、帝都ベルグの中心部からはやや離れたところにある。

「西からの市は連日大賑わいって話ですよ。今回はおんなじ時にいくつもの商隊が到着したんで、また特に規模が大きんだそうで。」

 馬車を走らせている最中に、フィデルが外から話しかけてくる。

「らしいな、私が頼んだ本も西からの商人が仕入れたものだろう。店に寄った後は市へ行く」

 アルケミア帝国は、南の大陸に位置する国の中では、最大版図を誇る。帝都ベルグは北を海、南西を河に囲まれた場所に位置している。ベルグから西は、かつてのサンドリア王国──今や多くの奴隷はサンドリア人だ──そのさらに西へ進むと、やがて大砂漠(デシ・エルト)が大地を覆っている。商人達は、砂漠に点在するわずかなオアシスを伝って、砂漠向こうの国々から珍しい物や情報、はたまた人まで運んでいる。少し前に、隊商が到着して、ベルグの中心で市を開いているのだった。

「パルム達とはそこで合流するのでしたよね? 他のやつらも何人か便乗してついてくるような話をさっき聞きました」

「そうだ。みな、市が気になるのだろう。ちょうど、賃金を払ったばかりだし」

 アイザックの屋敷では、働いているものにはみな仕事量に応じて、市民、奴隷に関わらず賃金を払っていた。これも、アイザックの方針のひとつだった。

「それと、今回は旅芸人達が新作の見世物を開くと聞いたからな、観に行くつもりだ」

 フィデルと会話している間、ソフィアは窓の外の景色を眺めていた。

「そういえばそんな話をしていましたね」

「フィデルは、気になっているものとかないのか? 」

「それがですねえ、今回は、西から珍しい生き物を売る商人がいるって聞いたんですよ。それくらいですかねぇ」

「食べ物とか、装飾品はいいのか? 先月なんて、シャーリーは真っ先に賃金を使い果たしたと聞いたぞ」

 人生で初めて賃金をまともにもらったシャーリーは、喜びのあまり、甘いものを買いこんだあげく、食べ過ぎで腹痛を起こしていた。メリッサが笑いながら話していたのだ。

「珍しい酒でも入っていたら飲んでみたいですが、それ以外は特にないですね」

 フィデルは相変わらず、動物の事以外は興味がないようだった。



「ソフィアは、何か欲しいものとかあるのか? 」

 アイザックは、話題を向かいのソフィアにも振った。外を向いていても話は聞いていたのだろう、ソフィアは、特別ほしいものもないのか、首を横に振った。

「そういえば、先月の初めての賃金で何を買ったか聞いてなかったな。何かに使ったか? 」

 アイザックの仕事の補佐をしている分、他の者より、わずかばかり多く賃金を受け取っているはずである。

『いいえ、まだ使っていません。興味があるものも、特にはありません』

 ソフィアは、脇に置いてあった小さな板に、書き込んで答えた。

 外にいても、書きたい時にはいつでも書けるようにと、サヘルに作らせた、携帯用の簡易な物書きだ──薄い板には、紙片の隅を留めるくぎ穴が開いていて、紙片が留めれる。それに、細長い木炭を粘土で巻いたペンのようなもので書き込む──屋敷内では、結局文字がまともに読めるのはアイザックとマイセルだけなので二人相手にしか使えないのだが、おかげで出先でも会話ができるようになった。

「そうか。それとも、貯蓄でもしているのか? 」

 奴隷から解放されて、腕輪持ちになった際に、暮らしていけるよう貯蓄をするものも当然いる。

 ソフィアは、肯定とも、否定ともいえない、曖昧な表情しかしなかった。

「まあ、市を見たら欲しいものも見つかるかもしれないしな」

 ソフィアは、どうでしょうか、と言いたげに首を傾げた。

 馬車は、ゆっくりとした速度で、中心街へ向かって走っていった。






「これはこれは、アイザック様。ようこそいらっしゃいました。そろそろ、いらっしゃられるのではないかと思っていましたよ」

「やあルシオ、アナスタシアの具合はどうだ? 」

「ええ、あの子も今はすっかり元気になって、今では駆け回っていますとも」

 アイザック達を出迎えたのは、左手に腕輪をはめた、書籍商の主人、ルシオだった。

 ここ最近の世間話をしながら、アイザックとルシオは、店の奥へと入っていった。ソフィアは無言で二人の後に続く。

 ルシオの店は、主に帝国外から輸入した書物を扱っている。アイザックの仕事で使う医学書や技術書、個人的な興味で読み漁る歴史書や異文化の書物も数多く仕入れている。アイザックも時折訪れては、目ぼしいものがないか物色したり、今回みたいに目当ての物を取り寄せたりしていた。



「これらが、今回仕入れたものになります。アイザック様のお望みにかなっていますと嬉しいのですが」

 ルシオは、本棚に入りきらず、床に平積みになっている書籍の山をかき分け、隅にまとめてあった本や巻物の束を持ち出してきた。

「ああ、申し分ない。 この本など、私がまさに探していたものだよ」

 アイザックは店の作業台の上に置かれた本を一冊一冊、覗いていっては、目当ての本をいくつか脇に置いた。

「これは随分と珍しい本だな」

 アイザックは、美しく表紙が装飾された、小ぶりで、赤い革張りの本を手に取った。

「さすがアイザック様、御目が高い。美しい本でしょう? 中の図案の美しさだけでも、目を奪われますよ」

「見てくれソフィア。どう思う? 二百年ほど前の西のトーレ王朝時代に書かかれた、歴史書なんだ」

 本の山に紛れるように立っていたソフィアを呼ぶ。アイザックが手渡した本をソフィアはパラパラとめくり、手元の筆記版を手にする。

『ただの歴史書ではなく、多くの情景が詩で描写されていて、読みごたえがありそうですね』

「ああ、同感だ」

「これはまた驚いた。その奴隷、第三古語(アル・サルス)も読めるのですか?」

 脇でやり取りを見ていたルシオは目を丸くしている。

「ああ、そうなんだ。ソフィアを連れてきたのは初めてだったか? 彼女のおかげで、いつも助かっているんだ」

 アイザックは、得意げにソフィアに目をやる。

 ルシオは、今になってソフィアの存在をようやく認知したかのように、ソフィアの頭から爪先まで見まわした。

「ずいぶんと高かったのではないですか? 」

「──え? 」

「珍しい外見ですし、学もあるときてる。さぞ、値が張る奴隷だったでしょう……いったいどこで()()()()()のですか? 」

「──それは──」



 ルシオは、ソフィアのことをあくまで奴隷、としてしか見ていない。

 当然だと、帝国中の誰もが言うだろう。

 なぜなら、首輪を嵌めているから。

 アイザックが今選り分けている本のように、モノのように扱われる存在。

 気に入れば大切にし、気に入らなければ乱雑に扱う。

 使えれば使い、役に立たなければ捨てる。

 首輪を嵌めている、というのはそういう意味だ。

 優秀な奴隷は、早馬のように高値で取引される。

 珍しい外見の奴隷は、魅力的な鳥のように人気がある。

 だから、ルシオはソフィアが価値のある奴隷だと思ったのだろう。

 実際は、ことばも失うほど傷ついて、檻の片隅でただ死を待つだけだった彼女である。

 読み書きができるなどとも知らず、ただ、気にかかった程度の理由で、タダ同然の値段で引き取ったのだ。

 ──奴隷商に行ったら珍しいかったものでね、処分寸前で安かったし、買ったら、まさか識字能力があったとは。以来仕事の補佐をさせている。いい買い物だったよ──

 などと、本人の前で、否、たとえ本人の前でなくても、語ることは、アイザックには憚られた。

 事実だ。けれどもアイザックが思っていた形ではない。

 だって、それは──



『奴隷商で衰弱して死にかけていた私を、アイザック様が買い取ってくださったのです。私は御覧の通り、声も出ないために処分直前で、さほど値が高くなかったのです』

 当時の光景を思い出して、返答に詰まっていたアイザックの傍らで、ソフィアが言葉を綴った。

「ソフィア……」

 アイザックにとっては、まるで、モノのやりとりのようで、腑に落ちない──

「へえ! なるほど、それは運がよかったですな。私ももう一人くらい仕事で使える奴隷か使用人が欲しいところなんですけどね。なかなか手に入れるのは難しいものです」

 ルシオは構わず話を続けた。

「お前も、アイザック様に買われて、光栄に思うのだね」

『おっしゃる通りです』

「アイザック様。よい買い物をなされましたな」

 ルシオは、アイザックの方を向いてニッコリと微笑んだ。

「あ、ああ。まあな……そうだ、この後に市へ寄るつもりなんだ。まだ本を見終えていないし、こんなにも残っている、もう少し商品を見させてもらっていいか? 」

「ええ、もちろんですとも」

 アイザックはソフィアの話題から逃れたくて本のページへ気持ちを集中させた。

 店に他の客が入ってきたようで、ルシオの奴隷が主人に知らせにきた。ルシオはしばらく席を外すが、すぐに戻ると言って、その場を離れた。





「はあ」

 アイザックは、ソフィアと二人きりになると、読んでいた本を置き、大きなため息をついた。

『購入される本はお決まりになられましたか? 』

 筆記版がアイザックの眼前に差し出される。アイザックは横に立っていたソフィアの方へ顔を向けた。

「ん……さっきのルシオとの会話のことでだ。私の代わりに答えてくれてありがとう。でも、君の自身のこと、もう少し他の言い方はできなかったのか? 丁寧に、とでもいえばいいのか」

『丁寧ですか? 』

「あれでは、まるで君がモノみたいな言い方だろう? 商品の買い取りの話ではないんだし。君自身嫌ではないのか? 」

『慣れています。実際奴隷はモノ同然なのですし、お気になさらないでください』

「奴隷だって人間だろう。それに、慣れたら……いけないだろう……」

 ソフィアは、アイザックの態度が腑に落ちないのか、しばらく筆記版を眺めたあと、次のように書いた。

『無礼な質問をお許しください』

「無礼なことなんてないんだ。聞いてくれ」

『アイザック様は、どうして奴隷が道具扱いではいけないとお思いなのですか? なぜ、奴隷も人間として扱われなくてはならないと考えておられるのですか? 』

 奴隷が道具ではいけないなら、逆に、どうして奴隷がヒトでなくてはならないのか? という逆説の質問だった。 

「どういう、意味だ?」

 質問の意図が分からず、アイザックは問い直す。

『道具は使い道がある限り使われます。役に立たないモノ、使えないモノは道具にすらなれませんから。そして、奴隷は、使える道具でなければ存在すらできません。仮に私が人であったなら、一人で生きていく術はありません。腕輪も持たない人など、どうやって生きていけるのでしょう? 奴隷であることは、少なくとも道具として使える価値があるという事です』

「君は──どうして、そんなことが言えるんだ。君自身の事なのに?」

 いくら奴隷の立場とはいえ、普通、ここまで自分を道具扱いできるだろうか。

『現に、私に識字能力がなければ、アイザック様は、私をここまで重用なさらなかったでしょう』

「それは──」

 確かに──否定はできない──アイザックはマイセルや、ルシオがソフィアに驚いたり、感心したりしていた時の、自分の心中を思い出す。

『道具は、価値がある限りは存在を許されるのですから。少なくとも、私は今までそうやって生かされてきました』

「道具であることで、存在を許されたとでもいうのか──?」

 ソフィアは、肯定する。

 役に立つから、価値があるから生かされる。価値がなければ死んでも誰も困らない存在──考えたことがあっただろうか。

 結局、アイザックは、何もしなくても生きていくことを許されていたから。貴族だったから。

 何も持たないよりは、奴隷として、誰かの庇護のもと、使われた方がいいと、彼女は選んで、生きてきた。



「──君が過去にどんな事情があったかは俺には分からない。道具でなければ生きていけないなんて、俺には想像もつかない」

 勝手に、奴隷も人間だとアイザックが信じていただけだったのかもしれない。今まで、奴隷の立場からの世界について、考えが足りなかったと、アイザックは気がついた。

「けれど、君がたとえ読み書きできなくても、話せなくても、動けなくても、何も持っていなくても、君は、人間だ。道具じゃない。俺は、君を、人として扱うよ」

 アイザックは、まっすぐにソフィアの瞳を見つめた。

「──────」

 ソフィアは答えない。

「──ソフィア?」

 ソフィアの木炭を持っている手は、震えていた。彼女は、何かを言いかけて、言おうとして口を動かした。

 ただ、息だけが、本の間の狭い廊下を通り抜けただけだったが、アイザックには、ソフィアの言ったことが、口の形から、はっきりと分かった。

 ────どうして?──────と。

 痛みをこらえるような苦悶の表情と、信じられないというような驚きを混ぜたような、表情。

 今までの会話で、彼女をそこまで追い詰めてしまったものは、一体何なのか──

「この声!やっぱりアイザック様だ!一人でお話ですか?」

 会話を断ち切ったのは、弾むような少女の声だった。アイザックとソフィアは、同時に声の聞こえた方へ振り向く。

 店の奥からは、小さな少女が本の隙間から、顔をのぞかせていた。

「アナスタシアじゃないか。すっかり元気そうだな」

 本の間を縫うようにして二人に近寄ってきた10歳前後の少女は、大きな笑顔を浮かべている。

「彼女はルシオの娘だよ」

 一応ソフィアに説明する。ソフィアは小さくアナスタシアに礼をした。

 少女は、アイザックとソフィアを交互に見つめた後、不思議そうに言った。

「今日、アイザック様が来るってお父さまが言ってたから。アイザック様はどうして一人でお話しされていたのですか?」

「ソフィアと話していたんだよ。彼女は訳あって話せないからね、話す代わりに文字を書いているんだ」

「文字を? 見せて! 私ね、最近お父さまに読み書きを習っているの! 」

 少女は、ソフィアの持っている筆記版を覗こうとした。アイザックはソフィアに目線で合図する。

『初めまして、アナスタシアさま。ソフィアと申します』

「すごい!きれいな文字だね」

 少女は率直な感想を呟いた。

「アイザック様に教えてもらったの? 声が出ないのに話せるって、私の足みたい。アイザック様が作ってくれた足、見せてもいいよ」

 少女は、スカートの裾をたくし上げて、自慢げに左足をソフィアに見せた。

 左足がある場所には、アイザックが着けているものに似た、義足が嵌っていた。

『────』

 ソフィアは、可憐な少女の見た目とはあまり釣り合わない鋼の義足を見て、どう反応すればいいのか迷っているようだった。

「アナスタシアは春先に事故に巻き込まれてね、私が義足を作ったんだ」

 ソフィアにだけ聞こえるように小声で伝えた。

「もうすっかり義足に慣れたみたいだな」

「うん!新しい足があれば好きなところにいけるの!アイザック様はすごいね。今度は、声が出なくなったら、話せるようにしたんだね」

「文字は私が作ったわけでもないのだけどね。まあでも、確かに、言葉は、ソフィアにとって、義足みたいなものかもしれないね」

 なかなかにいい発想かもしれない。子どもの発想は侮れない。

『アナスタシアさまの言う通りです。アイザック様のおかげです』



「これ、アナスタシア、勝手に店の方へ来ちゃいかんと何度言ったら分かるんだ」

 他の客との用が終わったのか、ルシオがアイザック達への元へと戻ってきた。

「だって、アイザック様に会いたかったのだもの」

「すみませんねぇアイザック様。この子が邪魔してしまいまして。ほら、お前は奥へ戻るんだ、アイザック様はこの後用事があるんだ」

 ルシオはアナスタシアの頭を優しく撫でると、母屋へ戻るように向きを変えさせた。

「アイザック様、次来た時はもっとゆっくり来てくださいね。私、今度は走れるところを見せたいな」

「ああ、また来るよ」

 少女はアイザックに手を振ると奥へと消えてしまった。



「あの子、すごく明るくなってねぇ、これもアイザック様のおかげですよ」

 ルシオはアナスタシアの背を見つめながら、しみじみと言った。

「最後にあった時よりますます元気になったみたいでよかった」

「あんなに立派な義足、よかったのですか、タダ同然のお値段で。やはり今からでもお支払いを」

「いいんだよルシオ、貴方にはいつも世話になってるし。それに、あの年で足を失くす辛さは、私も分かるからね」



 アイザックは、義肢──義足や義手──の設計を仕事、というか研究している。

 元といえば自分の義肢をもう少し改良できないか趣味の延長で実験していたのだが、他にもより使いやすい義肢がほしい人々はいるもので、彼らにも設計するようになっていた。

 一口に義足と言えども、単純に棒を足に取り付けてバランスを取るものや、出来るだけ本来の足に近い機能や着けやすさなどを追求すると、製作と加工にそれなりの値がはってしまう。



「もうあの子が左足を無くしてから、ずっとふさぎ込んでいてね、外にも出ない、好きだった本漁りもしなくなって不憫なものでしたよ。アイザック様もさぞご苦労されたのでしょう。せめて私に出来ることは何なりとお申し付けくださいね、アイザック様」

「ああ、そうするとしよう。そうだ、本が決まったんだ、こちらの山を全部買い取りたい」

 アイザックは机の上で分けられた山の片方を指し示した。

「ありがとうございます」

 ルシオは本を数えて値段を示した。アイザックは懐から必要な数の銀貨を出した。

「そうでした、アイザック様、一冊、あなたが好きそうな本があるのに、お見せするのを忘れていました。こちらの本でして、北大陸のちょっとした見聞録です。少し痛んでますが、中身は読めます」

 ルシオが近くの棚から引き出してきたのは、小さな本だった。

「ああ、この本は読んだことがないな、これももらうとしようか。いくらだ? 」

「いえ、こちらの代金は結構です。もともと気に入っていただけたら差し上げるつもりだったのですよ」

「そんな訳にもいかないだろう、どうして、また突然に」

 アイザックは、本をルシオの方へと、返そうとした。

「……アナスタシアの分だとお考えください」

「だからその件は構わないと言ったろう? 」

「いいえ、単に義足のお値段だけではありませんのです。あなたはあの子に笑顔を取り戻してくれたのですから。私にとっては、どんなに金を積んでも手に入らないものです」

「ルシオ……」

「こんなもので埋め合わせが出来るとは到底思えませんが、こうでもしなければ私の気持ちが収まりません。どうか、受け取ってください」

 ルシオはアイザックの胸にグイグイと本を押しつけた。

「分かった、受け取っておくよ」

 アイザックは右手で本を手にした。

「ソフィア、本を外で待ってるフィデルに運んで行ってくれ。呼べば運ぶのも手伝ってくれるはずだ」

 ソフィアはただ頷き、持ち運べるだけの本を持ち去っていった。

「店の者にも運ばせましょう。おい!誰かいないのか!」

 ルシオは手を叩いて、店の者を呼んだ。首輪をつけた奴隷が、主人の命に従って、本を運び出した。アイザックも店でよく見かける、無口な奴隷だった。



 机の上から本の山が消えると、ソフィアが戻ってきた。他愛のない会話をルシオとしていたアイザックは、ルシオに別れを告げた。

「また来る、見聞録も、礼を言おう」

「ええ、アナスタシアも喜びますとも」

 ルシオは、一人の父親と、商人とどちらともつかないような笑顔でアイザックに別れを告げた。


第三章 仕事と報酬と ―後― へつづく

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