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砂の中をおよぐ  作者: センガ
3/15

第二章 指輪と腕輪 ─前─

やや長いので前後編となります、続けてお読みください。



 ──その人物は退屈そうに──こちらへと語りかけてきた──

 ──『罪人には戒めの焼印を、奴隷には束縛の首輪を、貴族には支配の指輪を、そして、市民には義務の腕輪を』──

 ──とは言ったものだけど──なら、何も持たないモノは何を持つと思う?







「おはようございます、アイザック様」

 目が覚めてから、しばらくぼうっとしていると、メリッサが寝室に入ってきた。昨晩はまた随分と雨の音が騒がしかった。

「今日は久しぶりに太陽が見られそうなお天気ですよ。あら、どうかなさいました、不機嫌そうな顔をなさって」

「嵐で付け根が痛んだせいか、昔の夢を見てな……」

「それは寝覚めが悪いですねぇ」

 メリッサが窓の日よけを開け、部屋に明かりを入れる。さらに窓を開けて、空気を入れ替えた。

 アイザックは新鮮な空気を嗅ぐと、随分と気分がマシになってきた。

 幼いころの事故で、右足の膝から下を切断するほどに怪我を負い、左手の方は、軍医として属州に派遣された際にこれまた事故で失った。幸い家が裕福なのもあり、普段は義肢をつけて生活している。もちろん事故当時は随分と落ち込んだものだったが、今はだいぶ落ち着いた。ただ、足は幼いころに無くしたからまだしも、両手が自由に使えないというのは、未だに不便に感じる。寝るときはさすがに邪魔なのではずしている。

 メリッサはベッドの傍らに置いてある義肢を手に取った。

「今日のご予定はいかがなさるんですか? 」

 彼女は慣れた手つきで右足、左手と義肢を取り付けていく。

「ここしばらく外出で家の面倒を見ていなかったからな、屋敷の仕事を片付けるつもりだ」

 数週間ほど前に『新しい者たち』がやってきたあとは、外での仕事が立て込んでいてゆっくりできなかった。

「……彼女の具合はあのあと順調か? 」

「ソフィアのことですか? もう怪我はだいたい治って、仕事を習い始めたところですよ。心配なら見に行けばいいじゃないですか」

「……どうだろうか……最初の印象がよくなかったからな。どうにも及び腰になってしまうな」



 銀髪の彼女の名前は、ソフィア、と言うらしい。体調が落ち着いたころに、再び会話しようと試みたものの、どうにも主人である自分の前だと反射的に怯えてしまうようだった。口の発音の形からなんとか名前を聞き出したところまでは何とかなったが、それ以上の会話は、うまく進まないか、ソフィアが沈黙するだけだった。以降何度か屋敷ですれ違うものの、相手が言葉を話せないだけに、軽い雑談ともいかない。仕事に忙殺されていて落ち着かなかったのもあって、あまりいい雰囲気で対話はできていない。アイザックは社交ができないわけではないが、パルムのようにすぐに打ち解けられるほど器用ではなかった。

「───きっと前の主人がよほど酷かったのでしょう。時間をかけて優しくしてあげれば打ち解けますよ」

「……おそらくそうなのだろうな」

 背中の焼印と首の傷を筆頭に、全身の傷をみればひどく扱われていたのは間違いない。

「今までだって最初は前の主人との扱いの違いで戸惑うものや、怯えていたものもいたじゃないですか。彼女もきっと、大丈夫です」

「でも以前、過去の傷から戻れなかったものがいたろう? 彼女も同じじゃないかと思うとな……」

 過去にもあの手の人を買ったことがある。残念ながら過去の傷から立ち直れないものもいた。そういった元奴隷は、市民権を得て家を離れた人々が連れて行った。せめて主人のいる屋敷の生活から離れるために。

 メリッサは寝具から普段着に着替える手伝いをしながら言った。

「アイザック様、日ごろ常々思っていましたが、アイザック様はもう少し自分の行いに自信を持ってもいいはずですよ。うちに来たほとんどの『奴隷だった』人々ははみな、屋敷に来てよかったと話しています。アイザック様がみなに公平な主人だからです。回復できなかった者たちも確かにいました。でもそれはアイザック様の非ではありません。それに、もしアイザック様に買われていなかったら、彼らだってすぐに商人たちによって処分されていたでしょう……」

 メリッサは力んでいるのか、腕を通すシャツを引っ張る力まで強かった。確かに、屋敷に住む大半の者は、元気そうに暮らしてるように見える。けれども、アイザックはいつも、心の片隅では自分の行いに自信を持てずにいた。もっと他の方法を取った方がいいのではないか、そもそもこんなことに意味があるのだろうかと。

「……本当にそう思ってくれるか?」

「私は信じてますとも、なんなら、自分の目で確かめればいいじゃないですか。彼らの顔がどんなに生き生きとしているか」

 メリッサは衣服を着せ終わると、アイザックの背中を励ますかのように、強くたたいた。

「ありがとう、メリッサ」

 胸の底の迷いは消えなかったが、メリッサの励ましは、少しアイザックを奮い立たせた。



 アイザックは、支度を済ませた後、朝食を取りに居間へ向かった。廊下でパルムとすれ違う。

「おはようございます! アイザック様、他の衆が話してたんですけどね、もし今度時間があったら畑の方も来てくださいよ。雨のせいでなかなか作業が進まないんですけど、大分耕せましたよ」

「進捗なによりだ。今日は畑の方まで周る時間があるか分からんが、見繕って向かうようにする」

「ええ、ではまたあとで! 」

 パルムはそのまま他の仕事をこなしに、反対方向へ向かってしまった。もうすぐ春先に撒いた穀物の収穫が始まる。畑といっても大した大きさでもないが、余裕があれば売って家計の足しにしている。アイザックの屋敷は最近畑を拡張したのもあって、人手不足気味だった。先日奴隷商のところへ向かったのは、追加の労働力が欲しかったからだ。



 アイザックは、朝食を終え、ひとまず屋敷の様子を見ることにした。書斎での仕事もたまっていたものの、朝のメリッサの勧めもある。比較的動ける男たちは、今日は畑の様子を見に出てしまっていた。アイザックが寝食を過ごす母屋から、離れの建物へ向かう。

「おはようございます、アイザック様」

「おはよう、セリノ、腰の具合はどうか? 」

「ええ、おかげさまで順調に回復していますとも」

 初老のセリノはもともと首輪持ちの奴隷だった。今は長く務めたのもあって、腕輪──市民権を得たが、屋敷で残って働いてくれている。

「おはようございます、アイザック様」

「ええと、君は確かプリシラだったか? どうだ、大分屋敷にはなじんだか? 」

 傍らで掃除をしていた中年女性のプリシラは、ひと月前、奴隷商の『少々難アリ』の檻にいた方だ。体調を崩していた当初よりだいぶ顔色がよくなったようだ。

「ええ、この屋敷はみな親切です。旦那様のおかげです」

「そうか、もし不便なことがあったら、遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます。アイザック様」

 プリシラは深々と腰を折る。

「私はアイザック様のようなご主人様に買われてとても喜ばしく思っています」

「そんなに改まって礼を言われるほどではないんだ……。プリシラ、顔を上げてくれ」

 彼女は姿勢を元に戻す。感謝されるのはもちろん喜ばしいことではあるが、一方で複雑な気分になる。結局のところ、自分はあくまでも彼らを買ったのに過ぎないし、平等に接しているだけなのに、感謝されすぎているような気すらしてしまう。

「いえいえ、滅相もない。旦那様はとても素晴らしいお方ですよ」

 プリシラは何度も頭を下げた。

「アイザック様!おはようございます」

 プリシラの感謝に対応しきれないでいると、周囲の者たちも挨拶をしによってきた。話題を変える機会でもあるので、最近の様子を聞いてみることにした。

 ──ここ最近の天気のこと、賃金で新しく靴を買ったけどなかなか足になじまずに豆ができることや、次の定期市では西からの商人が来ること、馬屋の裏手の木に鳥が巣を作って、ひな鳥が日々成長してること、人並みの生活をしていれば毎日のように聞こえる、他愛のない話。けれど、『人』扱いされない人々にとっては、もしかしたら、遠い話。アイザックは、腕輪や首輪の有無とは全く関係なく語りあう人々の会話が好きだった。彼らが話すこと、語ること、表情、言葉、ことば────ふと、彼女の姿が見えないことに気が付いた。

「そういえば、ソフィアがいないな。てっきりここで作業しているかと思ったんだが。彼女はどこに? 」

 急に場がすこし冷めたような気がした。それまで雑談にすっかり興じてた者たちは、とたんに口をつぐんだ。

「ああ、あの子ですか? 今日はフィデルが仕事を教えてますよ。シャーリーと一緒にね」

 プリシラが答える。

「彼女はうまくなじめてるか? 」

「なんというかねぇ、少し話しかけにくい雰囲気といいますかね……」

「と、言うと何か問題でもあるのか? 」

「違うんです、あの子が悪いわけじゃあないんです」

 他の者が、あくまでも個人的主観ですけどね、と念を置いて話し出した。





「それにしても、この屋敷のご主人様はすごい親切だよね! 私たちにこんな新しい服までくれるなんて。私、今まで新品の服なんてもらったことないよ。ソフィアはある? 」

 ひと月前に来たばかりのシャーリーは隣で馬小屋の掃除をしているソフィアに話しかけた。今日はフィデルにくっついて家畜たちの世話の仕方を習っている。ソフィアは一瞬掃除の手を止め、大事な話かとこちらを向いたが、特に用がないと知り、再び掃除に戻ってしまった。

 屋敷には若い女性はほとんどおらず、ひと月前に来た奴隷の中ではソフィアがシャーリーと一番年が近いように見えた───といっても、年を聞いても答えてくれないから、たぶん、なんだけどね───シャーリーは心の中で呟く。かわいそうに、ソフィアは前の主人にひどく乱暴されたみたいで、感情も言葉も無くしちゃったんだと、周りのみんなが言っていた。せっかく銀の髪がキレイなのに───年頃なためか、好奇心旺盛なシャーリーはなにかとソフィアを気にしていた。良くも悪くも凡庸な彼女の奴隷人生の中で、心を失った奴隷とこれほど距離が近いのも初めてだし、銀髪碧眼の異国の奴隷を見るのも初めてで、いろんな意味で惹かれる。最近はめげずに会話を試みているせいか、少なくとも、最初にあった時より、こうして投げかけた言葉に反応してくれる──ような気がする。ほとんど表情変わらないけど。

「新品ったって一度着たらお古になるだろ」

「そんなこと言わないでよーフィデル―」

 馬の様子を見ていたフィデルが茶々をいれる。フィデルはこの屋敷では数少ない、生まれたときから腕輪をつけている人、もとい──市民階級の人間だ。市民だけど、奴隷のシャーリーにも気楽に話しかけるので、シャーリーはすぐに打ち解けた。そうだ、この屋敷に長くいるフィデルなら知ってるかも。

「ねーフィデル―どうしてこんなにアイザック様は優しいのー? 」

 以前別の主人の所に仕えていたが、そんなに服や食べ物をくれなかったし、失敗するとすぐに怒鳴られた。それが普通だと思っていた。奴隷の両親の元に生まれてから十八年、当然のように首輪をつけて十八年、限られた世界しか知らない彼女にとって、アイザックはむしろ変な主人だった。

「優しいってのとはちょっと違う気もするけどな。なんでだろうな。アイザック様だからじゃないか」

「答えになってないよー」

「んーー、俺が馬をただの乗り物と考えてないのと一緒なんじゃないかな」

「それじゃあ意味が分かんない」

「そのまんまの意味さ」

 まあ、フィデルも少し変な人だと思うけど──ひと月過ごしてみてシャーリーは思う。この人、動物とか家畜には熱心だけど、人に対しては投げやりな時あるよね。

「おはよう、仕事は順調か?」

 その時、馬小屋に主人のアイザックが入ってきた。

「あ、ご主人様! おはようございます! 」

 シャーリーは素早く姿勢を正し、大きくお辞儀をする。ソフィアもうなずいてあいさつらしきものを返した。ああ、突然入ってきてびっくりした。今の会話、聞こえてないよね。

「元気がいいな。でも、そんなに堅苦しくならなくていいんだ。あと、ご主人様なんて、呼ばなくていいぞ。アイザックで構わない」

「はい! アイザック様! 」

 変わってるけど、アイザック様はちょっとくらい、仕事中におしゃべりしてても怒らないから好きだ。と、シャーリーは頭の中で付け足した。アイザックは馬の面倒を見ている最中のフィデルへ寄ってきた。

「こいつらの調子もよさそうです。これから収穫で忙しいから、今のうちにたっぷり休ませておかないと。ああでも、いくらこいつらがよく働くとはいえ、もういい年ですからね、そろそろ、新しい馬を買ってこいつらに少しは楽させてくださいよ」

「以前にも頼まれていたが、なかなかそちらまで手が回らなくてすまないな。今度こそ考えておこう」

「ありがとうございます」

「ところで」

 急にアイザックは真面目な顔つきになり、フィデルに顔を近づけて声を潜め始めた。ちらっとソフィアの方へ目線を投げかける。彼女は、今は馬小屋の端を掃除していて、アイザックたちからは少し距離があった。

「彼女のことなんだが……」

 どうしてソフィアのことで急に生真面目そうな表情になるのだろうか。フィデルは主人の意図がつかめなかった。

「ソフィアのことですか? 彼女ならちゃんと仕事してますよ。言われたことは全部覚えてるし」

「それはいいが、他は? 他の者からあまりうまくなじめてないと聞いたが……」

「うーん。そういわれれば、なじんでいる、と言い切れないですねぇ」

 フィデルは馬の背中をさする手を止めて、一瞬考える。

「怯えちまったウサギが鳥が入っている籠にに入っちまったみたいな感じ、といいえばいいんですか……横にいるシャーリーって娘以外は、気を使っていて寄らないか、触りがたそうにしてますね。ここら辺では見かけない外見をしているせいもあるかもしれませんね」

 フィデルは長年家畜を世話してるせいなのか、動物的な行動や、神経質な雰囲気には妙に聡いところがある。フィデルが確かに感じるならそうなのだろう。アイザックは、ソフィアの佇まいがどことなく近寄りがたい、と先ほど話していた者たちの言葉を思い出す。

「……そうか」

 アイザックはどうしたものかと腕を組んだ。

「まあ、あくまで俺がそう思ってるだけですけどね。指示されたことは全部こなしますし。生活には支障ないはずです」

 指示と言えば、手当てしていても自主的には食事を採ろうとしなかったが「食べなさい」と強く言えば食事もとるようになった、とメリッサも言っていた。

「そんなに難しい顔しないでくださいよ。まだまだなじむのには時間がかかるんですよ。ほら?馬たちだって、他所から買われて、なじむのに半年以上もかかったやつだっていますし。俺もしばらくは見守るようにはしますって」

「頼むぞ」

「はい」

 アイザックはフィデルの肩を確認するように叩いて去っていった。


 フィデルは、アイザックがソフィアを、傷ついた奴隷を買ってくるのは、怪我を負った家畜を見捨てられない自分と似たような気持ちなのでは、とたまに思ったりもする。フィデルは、家畜だから、といって、生き物たちの命をないがしろにはしたくない。奴隷も、きっと似ている。奴隷も家畜も同じ、使えなくなったら潰される存在。

「お前は運がいいな、ご主人様がアイザックで」

 遠ざかるアイザックの背中を見送ってから、馬のシャンディに話しかける。シャンディは与えられた飼葉を夢中になって食んでいた。フィデルは、愛おしそうにシャンディの腹を撫でてやった。

「何か言ったー?」

 シャンディに呟いたつもりの声はシャーリーに聞こえていたようだ。

「ん、お前に話したんじゃないぞ」

「やっぱりフィデルって変だよね……」

「やっぱりってなんだよ」




「おはよう、調子はどうだ? サヘル」

 馬屋を出たアイザックは隣の納屋の屋根に上っている男へ声をかけた。中年半ばの男は作業の手を止めた。

「アイザック様!おはようございます! 今日はいい天気ですな! 」

 屋根の上で距離があるせいもあるのだが、声が大きいのは彼の地声だ。

「屋根の雨漏りを直しているのか?」

「ええ、なんせここしばらく雨が続いてましたからな!納屋の中は水浸しで、これじゃあ外と何にも変わんねえですわ! 」

「おい、うるさいぞサヘル! アイザック様が来たからってそんなに大声でしゃべるんじゃねえぞ! 」

「屋根の上からじゃ城の皇帝にまで聞こえちまうぞ! 」

「うるせえ! やかましいのはお前らの方だ! 」

 サヘルと会話をしていたら納屋から他の者たちが出てきて野次を飛ばし始めた。アイザックはすっかり囲まれてしまった。

「アイザック様! サヘルなんて放っておいて、こっちへ来てみてくだせえ。馬車の留め具を直してみたんですけど、我ながらいい出来なんですよ! 」

「お前の腕なら今回もよい仕上がりなんだろう、ウルバノ」

「へへ、そんなこと言われると照れますやい」

「いたっ! ウルバノ、お前の腕力で叩かれたら痛いじゃないか」

 ウルバノ、と呼ばれた男は腕輪の付いた左手でアイザックの背中をバシバシと叩く。ここにいる中年かそれを過ぎかけた男性はみなもと奴隷だった。

「おい、アイザック様が倒れちまうだろ! 」

 会話を中断されたサヘルは、気に入らなかったのか屋根から地面へ降りてきて会話に加わる。にぎやかに雑談していた、その時──

「お前たち、アイザック様に気やすく触れたりするものではありません」

 と、低く、有無を言わさぬ圧力の声が場を支配する。声量だけならサヘルにはかなわないが、聞いたもの達の動作を止める力が備わっていた。アイザックは声が聞こえた方へ応えた。

「いいんだよ、マイセル」

「いいえ、よくありませんとも、アイザック様」

 マイセルと呼ばれた声の主は屋敷の方からやってきた。背筋を張り詰めているためか、はたまた、彼の発する空気が、細身の体を実際よりさらに高く見せている。

「お前たち、いくら何でもアイザック様へ対応が軽すぎます。特に最近の態度は目に余る。もう少し礼節を持ちなさい。お前たちとアイザック様には指輪と腕輪の違いがあることを忘れないことです」

「…………はい、マイセルさん」

 先ほどまで騒いでいた男たちは急に活気を失った。マイセルは、アイザックの家に長らく使えている執事であり、屋敷の中でも最古参の一人だ。屋敷を切り盛りしていることもあり、彼に反論できるものは多くはない。

「さ、お前たちは作業にお戻りなさい」

「お、おう」

 サヘルが答えると、

「返事はそうではないでしょう?」

「は、はい! 」

 人々はそれぞれ元の作業へと戻っていった。マイセルはアイザックの方へ向き直る。

「アイザック様も、お気を許しすぎです。もう少し自分の立場というものをお考え下さい」

「自分の屋敷内なんだ。彼らだって身内だから騒がしくしているだけだ。もう少し寛容でいられないのか? 」

「いいえ、こういった日ごろの態度というものは、隠しきれないものです。他の貴族様の前であのような態度が現れたらどうします? 」

「屋敷でのみなのふるまいは主人である私が好きにしていいと決めたんだ、他の貴族は関係ないだろう」

「アイザック様。私は貴方のために申しているのですよ。貴方が屋敷の市民も奴隷も誰もかも対等に扱いたいのは十分承知しております。オズワルドの家の貴族として大変ご立派です。ですが、屋敷の者たちを守りたいのであればこそ、彼らはアイザック様に敬意を示した態度でいるべきなのです。粗野な態度の彼らを見て、言い掛かりをつけてくる貴族の方々もおられます。奴隷たちに文句をつけることで、アイザック様を陥れようとするものだっているかもしれないのですよ? 」

「それは……」

 奴隷を対等に扱うアイザックの方針についていけず、屋敷を去る従者達も少なくなかったなかで、マイセルはアイザックの元に残った数少ない人間だった。アイザックが決めたならば、その方針を最大限発揮できるよう補佐するのが執事の役目、と言ってマイセルは人手不足の中屋敷を切り盛りしてくれいるのだ。決して元奴隷だからという見方でサヘルたちに厳しく接しているわけではない。

「……お前の忠告、心に留めておくよ」

「ご理解いただけてありがたく思います」

 マイセルは軽く、頭を下げた。マイセルが来たことでその場で雑談する雰囲気でもなくなってしまった。 今屋敷にいる者達の様子は大体わかったことだし、アイザックは屋敷での仕事に戻ることにした。




(後編へつづく)

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