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砂の中をおよぐ  作者: センガ
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第四章 人の海 ─4─

 



 貴族のせかい。




 今夜、これから向かう場所。

 もしかすれば、私の待ち焦がれた人がいるところ。

 でも──もし再開出来たら、なんと言えばいいのだろう?




 私に、何かを、語る資格など、残されているだろうか──?





「緊張しているのか?」




 揺れる馬車の中で声をかけてきたのは、アイザックだった。

 我に返って正面に座るアイザックを見返す。


「出席者の大半は、貴族だろうけど、他国からの客も多いと聞く、けど、君は、私の後ろに控えていてくれれば大丈夫だ」


 顔に出ていた不安を、アイザックは、晩餐会への心配と受け取ったらしい。

 私の表情は、硬直して見えただろうか?

 己の事情など、細かく説明できるわけもなく、ソフィアは、アイザックの心遣いの分に礼を返した。



「私とパルム、フィデルも来てますからね。貴方は何か困ったらすぐに誰かに合図をすればよろしい」


 アイザックの隣に座っているのはマイセルだ。

 普段から厳粛さが服を着て歩いているような貫禄があるが、礼服を着ると、いつもの倍以上に圧が感じられた。


「では、念のため段取りを確認しておきましょう」


 マイセルなりの気遣いか、それとも生真面目なだけなのか、老執事は馬車の中で話を続けた。













「ずいぶんと久しいな、アイザック。母上の祝賀には顔を出さなかったな?」




 一行は、アイザックとよく似た顔つきをした男性と、向き合ってた。

 馬車から降りて、屋敷の中に入った途端に出会ったのが彼である。

 歳はアイザックより上だろう、フランベルクと近いかもしれない。


「体調を崩しておりまして、母上には後日詫びの遣いを送りました。兄上こそ、お変わりないようで。先日の武勲功労でまた誉をいただいたとか」


 アイザックに厳しさと年季を加えたような、精悍な顔つきは、兄と言われれば納得がいく。

 彼がマイセルの言っていた、オズワルド家長男、ヴィルフリート・オズワルドなのだろう。


「ふん、退役したとはいえ、鍛錬を怠るなよ。それにしても、社交嫌いのお前がわざわざ顔を出すとは珍しいこともある。よほどフランと仲がいいようだな。あれも全く物好きだ」


 アイザックよりも、背丈も肩幅もあるヴィルフリートは、傍に立っているだけで、アイザックが押し出されそうに見える。

 ふと、アイザックを見ていた赤茶の瞳が、ソフィアを捉えた。



『──!』



 鋭い瞳に、悪意こそ見られないものの、鷹に定められた標的のような、居心地の悪い気分になる。


「────また随分と風変りな奴隷を連れているな、アイザック。お前の遊びもいい加減にした方がいい。お前、お前の役割は何だ?」


『────……』




 射貫くような視線に、身が固まる。

 予想はしていたが、こうも早くに注目の的になるとは思っていなかった。



「この奴隷は返事もできないのか? お前は一体何を奴隷にさせている?」


『────ぅ』



 己が何か言う事を求められていると気がついたソフィアは、しかし何も答えることができなかった。

 吐いた息だけが、辛うじて音らしきものを生み出す。

 ヴィルフリートの視線を遮るように、アイザックの背中が正面に現れた。


「彼女は、訳あって話すことができないのです。兄上、私の屋敷の者にいわれのない批評をかけるのはお止めください。ソフィアは私の大切な書記官です。それに、私は、遊んでいるつもりなど一度もございません」


 こうしてアイザックの背中をみると、ヴィルフリートとの対比も相まって、小さく見える。

 それでも、ソフィアは、どこか、ほっとした。


「唖者か──お前が、そのようなものを傍らに連れて歩くのを、『遊び』だと言っている。仮にも一屋敷の主人を名乗るなら、それ相応の力を持つものでなくてはならない。オズワルド家を語る者なら、なおさらだ」


「オズワルドを語って力を借りるつもりなどありません。 これは、私個人の屋敷なのです。私が誰を傍らに置こうと、貴方には関係ない!」



 アイザックの声は、心なしか、いつもよりも固く、鈍く聞こえた。



「自分の判断が自分にだけ及ぶと思っている、それが甘いのだ。これの教育はまだ終わっていないのではないか? マイセル?」


「ええ、日々屋敷の主人にふさわしくあるよう、僭越ながらご提言させていただいておりますとも、ヴィルフリート様」


 話を振られたマイセルは、アイザックとは異なり、慣れた様子で会釈をし、返答した。


「兄上……!」


「どうやらこの愚か者はまだ教育がたりていないようだぞ。南東戦線で学んだかと思ったが、そうでもないか……」



 ソフィアは、アイザックの肩が盛り上がるように見えた。

 フランベルクと話している時とはまったく様子が違う。



「了解です。ですが、私は今は、一主人であるアイザック様にお仕えさせいただいてる一介の使用人に他なりません。あくまで、提言という形が、私の身分には分相応かと」


 マイセルは、いつもと変わらない調子で語った。


「──ふん。相変わらずだな」


 マイセルの態度を無礼と受け取らなかったのか、ヴィルフリートは改めて、アイザックに向き合い、

「ここはフランの屋敷だ。お前に会いに来たわけではない。次に会う時までに、その甘ったるい考えを直せ」


 と言い放つと屋敷の奥へと向かってしまった。


「……私は、何も直すところなど……!」


 とアイザックは、ヴィルフリートの背中へ言いかけて、途中でやめてしまった。




『…………』




 ソフィアは、アイザックに何か声をかけるべきか迷っていると、今度は別の貴族らしき男たちが寄ってきた。


「おい、アイザックじゃないか、これはまた珍しい」

「久しいな!アイザック!」


 歳はアイザックと近いだろうか、礼服に身を包んだ男たちは、典型的なアルケミア帝国貴族、といった風貌を放っていた。


「はぁ……」


 隣に控えていたパルムが、ソフィアにしか聞こえないほどの小さいため息をついた。



「これは、エドガー殿と、カール殿。随分とご無沙汰しております」


「相変わらず堅苦しいな、お前は」


 エドガー、と呼ばれた背の高い男は、気安い語り口でアイザックと会話している。


「歳は同じと言えど、エドガー殿は階級が上ですからね」


「お前は除隊したんだから、そういうの気にしなくていいんだぞ」


『……────』



 しかし、その笑顔と言動は偽物だと、ソフィアにははっきりと()()()

 たとえ視えなくとも、会話を注意深く聞いていれば、彼らがアイザックへの悪意にまみれていると気づけるほどに、嫌味が含まれた口調だったが。



「さっきヴィルフリート様と話してるのを見てたぞ。相変わらず、弟君には厳しい方だな」


「ヴィルフリート様もお忙しい方だ、久しぶりの兄弟の会話は一体何を話すんだ?」


 カールと呼ばれた、やや小太りな男も会話を広げてくる。



「いえ、特には。よくある家族の会話ですよ。母上について語っていただけです」


「エレオノーレ様、最近お見かけしたなぁ。確か剣技会にいらしてらしたな。アイザックの兄上たちを応援してらした。お前の兄弟は皆すこぶる強いな」


「アイザックも、残念だったな。その手と足のことがなければ、さぞ強かったんだろうなぁ」


「まあ、それは分からないことですよ。事故に会う前から兄上たちにはかないませんでしたからね」


「分からんぞ? それで、お前は相変わらず小間使いと奴隷と引きこもって読書三昧か? 」


「まあ、似たようなものです。屋敷の者たちは毎日よくやってくれていますよ」


「それにしても、もう少し帝都内部に住めばいいのに、よりにもよって。外延部でなくても。周りには農家ばかりなんだろう?」



 基本的に、階級が下の者は──特に奴隷は──挨拶以外はこちらから立場の上の者に話すことは許されない。

 そもそも語ることもできないソフィアだが、ぎこちなく続く会話を、ただ聞くことしかできない。

 彼らは、親しい会話を繰り広げる傍ら、機会さえあればアイザックと、アイザックに仕えているものを貶めようとしているようだった。

 アイザックと言えば、角を立てないように、静かに、じっと会話を続けている。



「で、お前が女の奴隷を連れてくるなんて珍しいこともあるんだな。しかも銀髪碧眼なんて見たことない。どこで買ったんだ? ん?」


 またしても自分に注目の的が当たってしまったことで、ソフィアは体をこわばらせた。


「ソフィアは、私の新しい書記官です」


「書記官、へぇ。元貴族の娘かなにかか?」


 エドガーは興味をそそられたと言わんばかりに、じっとりとした視線でこちらを見つめてくる。


「この主人、どう思ってる? 奴隷にはずいぶんと優しいって聞いたけど、よくしてもらえてるか?ん?」


 カールはずいっと、こちらに身を近づけると訪ねてきた。




「それとも、()()()()()()()()のか?」




 ソフィアにだけ聞こえる声で、付け足した。


『────……!』

「ん?」


 返事のないソフィアをみて、カールはソフィアが恥辱に耐えていると思ったらしい。


「──ソフィアは、訳あって話すことができないのです。ご無礼をお許し下さい」


 アイザックが、カールの後ろから助け舟をだすが、カールの笑顔に下卑たものが浮かんでいることには気がつかなかった。

 カールは、ソフィアから離れると、アイザックの方へ振りかえった。



「へえ! 話せない奴隷を書記官に? それで仕事が務まるのか?」


「彼女は立派に仕事を果たしてくれています」


「ふうん、この調子だと屋敷内で盲目や片足の奴隷でも集めてるのか? そのうち屋敷内がいろいろな髪色であふれかえりそうだな」


 と、赤毛のパルムを横目に見ながら言った。

 パルムと言えば、苦笑を浮かべている。


「……そういう訳ではありません。彼女の場合は、偶然が重なっただけです」


「まあまあ、お前に女っ気があることはいいことだな、アイザック。お前の屋敷もさぞ華やぐだろう。奥方がいないと寂しいだろう」


「そうそう、あと、もう少し社交の場には顔を出せよ。今日のフランベルグ様の会に来るなんて驚きだったよ。ん?」


「フラン殿には日ごろの恩がありますからね」




『────』



 ソフィアは、アイザックがあまり貴族の社交の場に出たがらない理由を、すでに察し始めていた。

 アイザックが、事前に話していた「アイザックの個人的な問題」とはこのことを指していたのだろう。

 それに、自身がアイザックの弱点のように扱われてしまったことに、ソフィアはアイザックにどこか申し訳なさを感じてしまった。



「ソフィアばかり話が言って悪いな」



 もうしばらく会話した後、エドガーとカールは、別の来客を見つけて去っていった。

 アイザックは、エドガーたちを見送った後、ソフィアの方へ振り返った。


『いえ、私の方こそ、アイザック様の荷物となってしまっているようで申し訳ありません』


 ソフィアは、ガウンの下にひっそりと携帯していた小型の筆記版を急いで取り出すと綴った。


「いつもこんな感じなんだ。ソフィアのせいじゃない」


 アイザックは、首を横に振る。


「そうそう、ソフィアがいない時は、俺がいつも的なわけだし」


 パルムは、苦虫を噛み潰したような口調で言った。


「私としてはアイザック様はもう少し言い返してもいいと思いますけどね。ヴィルフリート様のような本家の方は致し方ありませんが」


 マイセルは、どちらかといえば呆れているようでもあった。



『────』



 それでも、ソフィアは暗い気持ちになった。

 周囲から、様々な害意を感じる。

 ソフィアには、そんな害意が牙をむくとどうなるか、覚えがあったので、これから先が不安にしか思えない。





「まあ、ひとまず、ヴィルフリート様参りは終わったことですし、すでに懸念事項の一つが片付いたということで!」


「参りって……パルム」


「今回はパルムに同意しましょう」


 三人はすでに気持ちを切り替えているようだった。






「行こう、ソフィア」





 アイザックが話しかけてくる。


「まだ君の同郷者を探していない。ここからだ」





 ────そうだ。

 こうなることは想像できたはずなのに、私が、無理をしてまで来た理由。



 故郷への細い糸。



 ソフィアは、己を奮い立たせるに頷くと、アイザックの後を追った。


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