第7話「腹ペコメイドは徘徊する」
《魔王城のとあるメイド》
私の名前は、エリナ。魔王城で働くメイドです。
まだ新米の私は、上司のリュシー様によく怒られます。
蛇女族特有の、氷のような冷たい視線を向けられながら怒られると、怖くてうっかりお漏らししてしまいそうになります。
ついさっきも、掃除をしていたときに客間のテーブルを壊してしまいました。
リュシー様に、「この馬鹿力狼っ娘!」と怒られました。
でも、しょうがなかったのです。
あの虫を見たら、反射的に体が動いてしまったのです。
黒くテカった体に、あのカサカサと素早い動き。
嫌悪感と本能で、反射的にテーブルを叩き壊してしまいました。
今は休憩時間ですが、トボトボと廊下を歩いているところです。
「お腹空きました……。ひもじいです……」
テーブルを壊した罰として、お昼抜きの刑に処されたのです。
リュシー様は、悪魔です。獣人を兵糧攻めするなんて、とんだ人でなしです。
そんな時に、たまたま通りがかった厨房からは、とても美味しそうな匂いがしてきます。
「ちょっとくらい、良いですよね……」
いつもは大勢いるコックの人たちが、今は居なそうです。
昼食の準備が終わり、今は休憩中で出払っているのかもしれません。
というわけで、チャンスです。
ちょっとだけなら、誰にも迷惑にならないはずです。
厨房の中を覗き込み、人がいないかを確認します。
その時でした。
「おおー! 獣耳メイドじゃん! 犬……? いや狼耳かな?」
「――!?」
いきなり声を掛けられて、かなり驚きました。
後ろめたい行動中だったためか、驚きもひとしおです。
ちょっと漏らしそうになったのは、秘密です。
振り向くとそこには、見た目あまり特徴のない男の人が立っていました。
この厨房のコックの人たちは、見た目からして濃い方ばかりなので、そういう意味でも驚きました。
それにしても……、全く気配を感じさせませんでした。
銀狼族の私は、魔族の中でも特に気配に敏感なのにです。
気配を感じないのは、凄く弱い人か、はたまた強者が気配を消している時です。
この方は初めて見ますが、誰でしょうか。
つい緊張してしまいます。
「唐揚げを作っていたんだけど、味見してみる?」
“からあげ”とは何でしょうか。
言い方からすると料理の名前……。
ふとそこで思い出したことがあります。
一昨日、魔王様が変わったとの通達がありました。
国民への発表はまだですが、お城で働く私たちには極秘事項として通達されたのでした。
あの可愛い見た目からは想像できない程に、超強い魔王様が屈して、その座を譲ったと、このメイドは聞いております。
初めその話を聞いたときは、私にも優しかったローザベル様に……と憤りの気持ちがあったのですが、どうやらそのローザベル様も嬉しそうにしているらしく、今は憤りの気持ちはありません。
あれでしょうか、自分より強い方に仕える喜びを、ローザベル様も感じたということでしょうか。
“からあげ”という単語は、たしかその新魔王様がらみで聞いた気がします。
「あの……、お名前をお聞きしてもいいでしょうか」
聞くのが怖いですが、つい問いかけてしまいました。
「お、俺? イツキ、だけど。……獣耳メ……仲良くしてくれると嬉しいな」
イ・ツ・キ……様。
間違いありません。新魔王様です。
リュシー様が、たしかに言っていました。
冷や汗が止まりません。
あのローザベル様が屈したという以上、強さの天井がまったく想像できません。
気配を感じさせなかったのは、その強力な力を隠していたからですね。
私が黒いカサカサを叩き潰すように、この方の怒りに触れたら私も叩き潰されてしまいます。
さらに思い出しました。
“からあげ”というのは、コカトリスの肉を使った料理のことだと、皆が噂していました。
あの石化を使う魔獣は、手練れの者でも簡単には仕留められないと聞いています。
確かAランクの魔獣だったはずです。
石化を食らったら、私の自慢のモフモフ尻尾もカチカチになってしまうのでしょうか。
そんなコカトリスを倒して料理してしまうとは、さすが新魔王様です。
きっと、いとも容易くコカトリスの群れを蹂躙したのでしょう。
「私はメイドのエリナです。私のことは食べても美味しくないと思いますっ」
コカトリスのことを考えていたら、変なことを口走ってしまいました。
言ってから気づくとは、まさにこのことです。
「……ぷっ。面白い子だね。ちょっと待っててね」
イツキ様は、そう言って奥の方に行ってしまいました。
怒っていない様子で、ほっとします。
戻ってくるときには手に大きなお皿を持っていました。
「それが……からあげ……ですか」
それがコカトリスの料理ですか。
コカトリスは食材としても超高級なものだったはずです。
通常、メイド風情が口にできるものではありません。
「そう、これが唐揚げ。いっぱいあるから、遠慮しないで食べてごらん」
イツキ様が笑顔で大皿を差し出してくれました。
その時、つい反射的に体が動いてしまいました。
黒いカサカサをテーブルごと叩き潰した時と同じよう……、同じにしたくはありませんが、目の前の茶色い料理を反射的につかんで口に入れていました。
この料理、見た目の派手さは無いのですが、匂いがヤバいです。『美味しいです』という匂いを全く隠す気がありません。
もっとヤバいのは、想像をはるかに超えて美味しいことです。
「……モグモグ」
口の中が美味しさでいっぱいです。
この美味しさは、コカトリスだから?それとも料理方法が上手いから?
きっと両方なのでしょう。
美味しすぎて、下半身に力が入らなくなり、足が少しカクカクしてしまいます。
美味しすぎて、ちょっと涙ぐんでしまいました。
美味しすぎて、漏らしそうになったのは、きっと気のせいです。
私は狼であって犬ではないので、マーキングはしないのです。
「味はどう?」
「…………(コクコク)」
イツキ様が問いかけてきます。
失礼なことだと分かっていますが、口を開けたら美味しさが逃げてしまいそうで、必死にうなずいて肯定の意思表示をします。
「そっか、なら良かった。もっと食べていっていいからさ」
お言葉に甘えて、大皿の“からあげ”を全部食べてしまいました。
食べてから、さすがに全部はまずかったかと思いました。
「ごめんなさい! 美味しすぎて、全部食べてしまいました」
こんなに美味しいものを食べさせてもらっても、私にお返しできることはあまりありません。
「いいよ、いいよ。色々試したくて作ったやつだからさ。美味しそうに食べてもらえて嬉しいよ」
「……イツキ様にこれだけのことをしてもらって、何もしないというのはあまりにも申し訳ないです。何でも言ってください!」
魔王様とメイドの関係である以上、この料理は関係なしに逆らえないのです。
それなのに、一方的にこんなに美味しい思いをさせてもらって、何もしないではメイドが廃ります。
「じゃあ……、耳を少し触ってもいいかな?」
「……えっ?」
「い、いやなら良いんだ。ごめん、変なこと言ったね」
イツキ様がワタワタしています。
そんなことでいいんでしょうか……。
「いえ、存分にお触りください。もしよろしければ、尻尾もいかがでしょうか」
イツキ様は触りたいと仰いましたが、この方なら私の方から触って欲しいくらいです。
つい尻尾も追加してしまった私は、はしたない子でしょうか。
「じゃあ……」
イツキ様が優しく耳と尻尾をなでてくれます。
「……ぅん」
気持ちよくて、つい目を細めてしまいます。
「フワフワで最高だよ」
イツキ様はそう仰いますが、美味しいものをご馳走になって、優しくなでられて、最高なのは私の方です。
リュシー様の罰には感謝です。
とても幸せなひと時でした。