26話 泰能のおもてなし
そろそろ夏も終わろうとしている日に、泰能は、一人で策を考えていた。
岐阜を統一したことにより、今川は、ついに上洛の支度を始めたのだ。
しかし、上洛するとなると、大義名分が必要になるため、泰能は、その大義名分になる理由を、ひたすら考えていたのだ。
「バカ殿も、一応足利の血があるにはあるけど……。ボロをだして他人とバレたら、大大名が黙ってるわけないしねー。どうしたらいいかしら?」
このように独り言をいっては、頭を抱えている。
かれこれ二時間くらいは考えていたためか、ストレスも限界な泰能。
いつもは、ストレスが溜まれば親長にぶち当てているのだが、その親長がいないため、発散できないでいる。
「仕方ないわね。外でも歩くことにしようかしら」
ため息をついて、立ち上がる泰能。
これは、泰能のリラックス方法であり、考え込んでも答えなど出ないのだから、外の新鮮な空気を吸い、頭をリセットさせようという方法である。
今回も、ブラブラするつもりで城下町に出ると、見知った顔が、二人の護衛を連れて泰能の元に歩いてきた。
「こんにちは。お久しぶりです」
「家康!あんた、こっちに来てたの?」
丁寧に頭を下げると、泰能に微笑んだ人物は、徳川家康。
どうやら、遠江から岐阜に来たらしい。
「どうして今川の連中は、家康様に対して失礼な口をきくのだ?」
護衛である姫武将の一人、本多忠勝は、怒りをあらわにしながら、泰能を睨みつける。相変わらずの家康一筋である。
「悪いわね。でも、位的には、私の方が上なんだから仕方ないでしょ?」
「貴様……。ここで殺してっふぐっ!?」
忠勝の言葉が途中でおかしくなったのは、もう一人の護衛、水色のポニーテールの人物が、わき腹に肘鉄したためである。
不意打ちをくらった忠勝は、わき腹を抑えつつ、怒りの顔をポニーテールの人物にむける。
「家康様に対する口のきき方を訴える前に、お前自身の口のきき方に気をつけろ。ひよっこが」
しかし、その視線をスルーした護衛は、冷静な声で忠勝を見ずに注意する。
そのセリフに忠勝が怒るだろうと思っていた泰能だったが、その予想を裏切るように、忠勝が舌打ちをしてそっぽをむく。
「申し遅れました。私は徳川四天王の一人、石川数正といいます。忠勝の無礼を、お許しください」
ピシッと背筋を伸ばし、きちんと頭を45度位で下げる数正。
名前をきいてから、泰能は思い出した。
家康の所には、今川のように四人の家老がいる。その中でも、今川では石川数正は有名だ。
「そう。あんたが石川数正なの。昔、バカ殿がしたことは、許してくれるとありがたいわ」
「……その事は、気にしておりません。家康様のためなら、私はなんでもしますので」
「そう。そう言ってくれると、こっちも助かるわ」
「それに、あの後泰能殿が義元公を叱ったと聞きましたので、私は水に流しました」
泰能は、先代の義元が、数正を辱しめた事を謝ったのだが、どうやら数正は気にしていないらしい。
良くも悪くも、徳川家は、家康信仰なのだ。そのため、家康のためなら命を捨てれる人物ばかりである。
(だから、三河武士は強いんだけどね)
そんなことを泰能が思っていると、数正が、鋭い目つきになる。
「ところで、家康様の話では、義元公は変わられたと聞きましたが?」
「……えぇ。変わったわよ」
「……私が今日来たのは、義元公の様子見でもあります」
「なるほどね。つまり、バカ殿が変わってなかったら、殺すことも考えていると?」
泰能が、口角を上げて悪い顔で言うと、数正は無言で頷く。
数正の目的を初めて知ったのか、家康が驚いた顔で数正をみる。
「数ちゃん!そんな目的で、私についてきたんですか!?」
「申し訳ありません。しかし、一度はこの身を犠牲にしましたので、それで変わられてないのなら、刺し違える覚悟です」
「ほほぉ。その時は、手を貸すぞ数正。姫が汚されては一大事だからな」
「忠勝まで!もー!!あなた達は、屋敷に上がらせません!それに、泰能さんの前で君主を殺すなど言っては、意味がないでしょ!」
「それなら、心配しなくていいわよ。案内するわ。ついてきなさい」
家康が慌てた顔であたふたするが、泰能は、それを無視するかのように微笑みを浮かべて、広大の屋敷にむかって歩き始めた。
しばらく歩いて、広大の屋敷につくと、なんと不在であった。
どうやら、雪斎とどこかに出掛けてしまったらしい。
そのため、泰能は勝手に上がり、家康たちに茶をたてることにした。
静かな部屋に、茶をたてる音だけが響く……。
客人は家康と数正のみ。忠勝は、屋敷に入る前に「お前は礼儀がなってないから、入るな」と数正に言われて、暇を潰すために、城下町を観て回っている。
「……泰能さん。一つ、お聞きしてよろしいですか?」
茶を出し終えると、家康が口を開いた。
泰能は、無言で頷き先を促す。
「泰能さんは、雪斎先生と古い仲なのですよね?いつ頃からの仲なのですか?」
「……どうしてそんな事を知りたいの?」
「いえ。ただ、気になっただけです」
「……そうね。雪斎とあったのは、10歳の時よ」
そう泰能が呟くと、静かに語り始めた。
雪斎が今川家に来たのは、義元が、仏門から戻ってきた時だった。
初めは、ただの大人しい女だくらいにしか思っておらず、気にもしていなかった。
ただの僧が、武家の人間に戦で敵うわけない。きっと、使い物にならないだろうと思っていたからだ。
しかし、すぐにその考えが間違いだと泰能は気づいた。
今まで、家中一の軍師だった自分では考え付かないほどの策を、次々と考えついては、戦に適用し始めたのだ。
そのため、その頃の泰能は、雪斎が嫌いだった。
意図的にに目を会わせず、もともとそれほどしていなかった会話すら、自分から拒否した。
自分でもわかるほど、醜い嫉妬である。
しかし、心のどこかでは信じていた。武家の自分の方が、戦で大きな手柄を上げられると……。
ある日、三河の松平家をどうするか悩んでいた時、泰能は、雪斎の部屋で策が書かれた和紙を見つけた。
泰能が考えていた策は、圧倒的武力による刈り取りであったが、雪斎の策は違っていた。
それは、衰退していく松平家を手助けし、従属させることだった。
策が記されていた和紙が、突然震え出す。
それが、自分の手によるものだと気づいた泰能は、もう一つのことにも気づいた。
和紙に染み込む、雫が、自分の眼から出ていることだ。
圧倒的な敗北感。自分の策は、今川の兵を消耗させるだけでなく、松平家の人間に恨みをもたらせる物。
しかし、雪斎の策は、兵を消耗させる事はなく、しかも松平家の人間に恩を売る策である。
(私は、この女には敵わない!)
3代続いてきた朝比奈家は、自分の代で終わってしまうだろう。
泰能は、嫌な時に聡明な自分が、心底嫌になった。
それから泰能は、策を出さなくなった。戦には参加するが、雪斎の策に全てを任せたのだ。
そうなれば、雪斎が目立つのは当たり前であり、雪斎が家老になるのには、それほど時間がかからなかった。
そんなある日。泰能が、いつものように星空を眺めていると、義元の自室から女の声が聞こえた。
(また、女を抱いてるのね……。あの男は……)
いつも無視していることだったが、今回は無視ができなかった。
義元の自室の前につくと、泰能は障子を開ける。
そこには、水色の髪の女の子がいたという位しか、泰能には記憶がなかった。
なぜなら、泰能の目が捉えていたのは、自らの君主の顔であり、次の瞬間には、全力で顔を殴っていたからだ。
普通、殿様に手をあげれば、打ち首は確実……。しかし、泰能は今川での功労が良かったため、牢に閉じ込められるだけですんだ。
解放される日付は決まっていないため、今でいう無期懲役である。
暗い牢の中で、腫れた目と頬を隠すように、泰能は膝に顔をつけていた。
すると、誰かが近づいてくる気配がする。
泰能は、食事の時間だと思い顔を上げると、目の前には、意外な人物が立っていた。
白い和服に、紅の髪の毛……。太原雪斎である。
しばらく無言で見つめあっていると、雪斎は、静かに座り、口を開いた。
「……どうして、殿を殴ったのですか?」
「……愚問ね。堪忍袋が切れたのよ」
泰能が質問を返すと、雪斎は微笑みながら、水を差し出してきた。
声を久しぶりに出したから泰能にもわかったが、ずいぶんとガラガラ声であった。
水を受け取り喉を潤すと、待っている雪斎に、今度は、泰能から声をかける。
「……で、そんな事をきくためにわざわざ来たのかしら?」
「まさか。どうやら、私はそれほど嫌われてないようですね」
「……嫌いよ」
「ふふっ。やっと会話ができましたね。本当は、もっと会話をしたかったんですよ?」
「……聞こえなかったのかしら?嫌いよ」
「実は、殿があなたを打ち首にしろと、うるさくて困りましてね」
「……すればいいじゃない。多くの家臣も、それを望んでるでしょ?」
「残念ながら、多くの家臣は打ち首に反対しています。なので、あなたの禁欲ができてないのが悪いのです。と言って、頭に2発ほどげんこつをあげました」
その事をきいて、泰能は目を丸くした。
君主を殴った自分ですら、いつ出られるのかわからない牢に閉じ込められたのに、まさか、2発も殴るなど正気の沙汰ではない。
すると、雪斎は微笑みながら続きを話す。
「そしたら、あの人。私も打ち首にするとか言い出しましてね。あまりにうるさいので、座敷牢に放り込みました」
「……嘘でしょ!?」
「本当ですよ。仏門で教えた事を忘れているようなので、一から教え込んでいます」
「……あんた。そんな奴だったの?」
「えぇ。あの人が今回手を出したのは、松平家の石川数正という人物でしてね。さすがに、私も堪忍袋が切れました」
そう言うと、雪斎はクスクスと笑い始める。
泰能は、初めは唖然としていたが、次第になぜか可笑しくなってきて、雪斎と共に笑い始めた。
しばらく二人で笑っていると、雪斎が、懐から鍵を取り出した。
「私は、本当なら策を出すつもりはありませんでした。僧が、武家のやり方に口を出すのは、どうかと思っていましたから」
「……なら、どうして策を出したのよ」
「あなたのせいですよ」
「……私?」
突然自分のせいだと言われた泰能は、不思議そうに首を傾げる。
なぜなら、心当たりがないからだ。
「初めてあなたの策を見たとき、感激したんです。まさか、自分と同じ策を考えられる人間がいるなんて!と。しかし、それと同時に、あなたに負けたくないという欲が出てきましてね。私も、まだまだです」
ガチャリ。という音と共に、鍵が開けられる。
「しかし、私のせいで、あなたは策を考えることをやめてしまわれた。それからというもの、張り合いがなくて、私もよい策が出てこなくなりました」
牢の中に入ってくると、雪斎は、泰能に手を差し出す。
「今川を強くするには、あなたの力が必要不可欠です。今までは競いあっていましたが、これからは、協力しませんか?あなたとなら、天下一の軍師になれる気がします」
微笑みながら、泰能に言う雪斎。
泰能は、笑みを浮かべると、雪斎の手を力強く握る。
「あなたじゃなくて、朝比奈泰能よ。それに、わ、私は、雪斎なんかに負けないくらい頭がいいから、油断してると追い抜くわよ?」
なぜか、雪斎と呼ぶことに恥じらいを感じた泰能は、顔を赤くしながら、ツンケンした事を言ってそっぽをむいてしまう。
自分の名前を初めて口にしてくれたことに、初めは目をパチクリしていたが、雪斎は、可愛らしく笑うとーー。
「私も負けませんよ。泰能」
そう返すのだった。
「で、それから私と雪斎が協力しはじめて、今川を大大名に押し上げたわけ……。てか、なんでこんな恥ずかしいことを話てるのかしら!」
自分の過去を話終わると、とたんに恥ずかしくなった泰能は、茶を一気に飲みほす。
その姿を暖かい目で見ていた家康は、静かに茶を飲みほす。
「飲み終わったようね。もう一杯いる?」
「いえ、結構です。今の話で、どれだけ雪斎先生が、泰能さんを信頼しているかわかりました」
「……まさか、私の時にそんな事件があったとは思いませんでした。ということは、私の身体をみられていた訳ですね」
「悪いけど、視界に入ってなかったわ。ムカつく顔を殴るのに、神経を集中させてたから」
「自分の君主に、ムカつく顔って……」
「ムカつく顔は、今も変わらないわよ。なんなら、殴ってもいいけど?」
「いえ。全て確かめてから、決めます」
「そう。それと、私と雪斎は信頼しあってる訳じゃないわよ?」
「えっ?違うのですか?」
「雪斎も私も策士だからね。腹の中では何を考えてるかわからないものよ。例えば、今現在聞き耳をたててることとかね」
そういうと泰能は、おもむろに障子をあけて、柄杓にくんだお湯を撒き散らす。
その場にいた雪斎は、予想していたのか、すぐさま横に避けたが、広大には直撃した。
「あちゃーーー!!何しやがるこのやろう!!」
「帰ってきたなら、早く入りなさいよ。このバカ殿」
「いえ。先ほど帰ってきたんですよ?」
「なるほどね。雪斎の先ほどは、30分前なの。あんたもさっさと入りなさいよ」
顔を両手でおさえながら、広大が悶絶していると、その背中を蹴り飛ばして、強制的に部屋に入れる。
次に、横に避けた雪斎の和服の裾を、太ももまで手でめくりあげる。すると、可愛い悲鳴をあげて雪斎が両手でおさえたので、その隙に背中を肘で押して、中に入れさせる。
「じゃ、ごゆっくり~」
ひらひらと手を振り、部屋から出ていく泰能。すると、部屋から、泰能!とか許さねーとか聞こえてきたが、あえて聞こえないことにする。
広大の屋敷の入り口までくると、泰能は、懐から手紙を取り出す。
「そうよ。お互い、腹の中では、なにを考えてるかわからないのよ」
そう独り言を呟いて、差出人の名前を見る。
そこには、足利義昭の名前が記されていた。