間話 乙女の希望
ある城で、一人の男が寝ていた。
深夜は、家臣に近づかないように言っていたからか、男は静かに目を開ける。
「……やれやれ。ネズミが入ってきたようだな」
男は、ため息と共にそんな事を口にすると、枕元に置いてある刀を手に取る。
立ち上がり、意識を集中させると、抜刀と共に自らの脇の間に、刀を突き刺し、バックダッシュする。
「うぐっ!?」
肉を刺す感触と同時に、ネズミのうめき声が男の耳にとどく。
すると、男は刀を乱暴に引き抜き、振り向きざまに、ネズミを右上段から、斜めに切り伏せる。
「喜べ。天下五剣の一つで、あの世に行けるのだからな」
男は、動かないネズミにそう言うと、襖を開け、次の部屋にむかう。
その部屋には、男がコレクションとして貯めておいた刀が、保管してある場所である。
部屋に入ると、男はため息をつく。
「……すでに、包囲されているな。家臣を信じず、近くに置いておかなかった罰か……」
男は、自嘲気味に笑うと、天井に刀を突き刺す。
ネズミの苦しむ声が聞こえると、刀を抜き、血が垂れてきているのを気にせず、コレクションがある棚から、名刀を数十本取り出す。
包囲され、絶望的な状況でも、男は不思議と冷静であった。
おそらく、男ーー足利義輝ーーは、死ぬことを覚悟していたから、この状況でも冷静なのだろう。
義輝は、生まれたときから死ぬことを、覚悟をしていた。
小さいながらも、今の世では、将軍はお飾りなのだとわかっていたのだ。
だから家臣を一人も信用せずに、自分が生きるための力を追い求めてきた。その結果、塚原ト伝に刀を教えてもらい、鹿島新当流を習得できたのだから、よかったのかもしれない。
しかし、現実はこうである。
何が正しかったのか。何が悪かったのか。
義輝は、名刀を次々畳に刺しながら、頭の中で考える。
(もしも、家臣を信用していたら、こんな結末ではなかったのか?)
最後の一振りを刺し終わると、四方の障子が開かれる。
そこには、忍の格好の者と、見覚えのある家紋を着けた足軽が、数十人いた。
「足利義輝様。お久しぶりですね」
透き通るような声が、部屋に染みわたる。
その人物を、来てほしいと思いながら、同時に、その人物が首謀者でないことを望んでいた義輝は、近くにある刀を一本抜き、その人物に微笑む。
「……慕う者同士が殺し合うなど、悲しいものだと思わないか?松永久秀……」
見る者を誘惑する人物、松永久秀。姫武将でありながら、義輝の側に今までいた女が、足軽達の後ろに、微笑しながら立っていた。
「慕う者同士?勘違いしてますね。あなたはどうだったか知りませんが、私は、あなたを慕ってなどいませんよ」
おかしそうに笑う久秀をみて、義輝は、視線を下に下げる。
初めて久秀と会った時は、好かない女だと思っていた。着ている服は露出が多いし、男には、いつも笑顔で話しかける。
義輝は、そんな女が一番嫌いだったはずだった。
しばらくすると、久秀という人物は、ただの女ではないとわかったのだ。頭の回転は早く、戦場では、顔に似合わず、嫌らしい策を使い、敵を倒していった。
気がつけば、自分の家臣よりも信頼していた。
大きく息を吸い込むと、義輝は、刀を構える。
「やりなさい!」
久秀のかけ声と共に、足軽達が義輝に迫る。
しかし、義輝が一振りすると、足軽が一人づつ切り捨てられる。
あまりの速さに、足軽達の脚が止まる。
久秀は、舌打ちをすると、義輝の奥義の名を口にする。
「一の太刀。間近で見たのは、初めてね」
「光栄に思え。塚原ト伝の奥義で、この世を去れるのだからな」
「あらそう。お前達!包囲して、一気に突き刺せ!」
久秀の戦略で、足軽達が、義輝を包囲する。
四方から向けられる刃に、義輝は頬を緩ませる。
場所は変わり、ある道ーー。
一人の女子生徒が、風をきるかのように、走っていた。
その生徒の後方には、息を切らしている二人の山賊がいる。
女子生徒は、脇目もふらずに道を走り続ける。
「もう!なんなのあいつら!!」
刀を持った者に追われると、普通の人間なら恐怖が沸くのだが、この人物ーー水島薫の場合は、怒りの方が沸くらしい。
つい何時間前かに、とつぜん森の中で目を覚ました薫は、とりあえず公道を探すため、森から抜け出すことにしたのだ。
その時、不幸にも山賊に出くわしてしまい、襲われたのだが、制服の下の運動着までは切らせず、近くの石で山賊の一人を殴りつけ、拘束からのがれた。
すると、抵抗したためか、刀を抜いた山賊が一人いたのだが、抜くより前に薫が金的に蹴りをいれ撃沈させたため、これで四人いた山賊の二人を撃退させた。
それで、残った二人に追いかけられている訳である。
初めの方は、山賊も余裕なのか、笑いながら追いかけてきていたのだが、そこは陸上部。笑っている隙にどんどん差をつけたのである。
さすがに、山賊も本気で追っかけてきたのだが、関東大会で長距離を優勝した薫にとって、普通の道では、敵にすらならない。
むしろコンクリートではないため、足の負担もあまりなく、いつもより調子がいい感じである。
そのため、山賊の姿は、すでに薫から見えなくなっている。
「たく。しつこすぎるわよ。それにしても、制服を切られちゃうなんて……。明日から、学校どうしようかなー」
歩きながら、いまいち状況が理解できてない薫は、夜の道を歩きながら、月を見上げる。
「それにしても、綺麗な月ね……。月明かりがなかったら、危なかったかも……」
月を眺めながら、手を合わせる薫。
月に最大限の感謝をすると、薫の視界に町が見えた。
だが、普通の町とは違い、一ヶ所が激しく燃えていた。
「嫌な予感がする……」
その一ヶ所を見つめながら、そう呟いた。
薫が町を見つける少し前ーー。
義輝は、刀を抜き取り乱波を切り伏せる。
今ので、何本目かわからないほど、刀を抜き取っては捨てていた。
数十本は畳に刺してあった刀も、今では数えられるほどしかない。
「……まさか、ここまでとはね」
「簡単には、殺されんよ」
久秀が、冷たい目で呟いたことに、息を切らしながら答える義輝。
数人を斬り倒したため、義輝の回りには、死体が転がっている。
そのあまりの強さに、久秀の部隊は混乱してしまったため、一度攻撃をやめている。
「どうした。来ないのか?」
「焦らなくても良いですよ。お前達!畳を盾にして攻撃しなさい!」
久秀の策に、舌打ちをする義輝。
先ほどまでは、無数の刀があったため、畳を使うことが不可能だったのだが、今はその数が減り、畳を使用する事ができる。
そのために久秀は、わざわざ家臣を何人も立ち向かわせたのだ。
畳を盾された義輝に、勝ち目はなかった。
四方からくる槍が、義輝の体を深々と突き刺す。
吐血して、その場に崩れる義輝。
「そこまで。トドメは、私がするわ……」
家臣を下がらせると、久秀は、息をつくのも大変な義輝の目の前に、ナイフを持って立つ。
その瞳は、ひどく冷たい。
「ふっ……ここまでか」
「何か言い残すことは、ありますか?」
「そうだな……。なら、一つだけ、きいても良いか?」
「なんですか?」
「お前は、今幸せなのか?」
「……はい?」
予想外の質問だったのか、久秀が、首を傾げる。
義輝は、口角をあげる。
最後に、伝えるべき言葉のために……。
「お前を抱いた時の言葉……。あの一夜しか言わなかったが、あれは、お前の本心だろ?」
「…………」
「私を、愛してください……。だったか?」
「っ!?」
久秀が、義輝の言葉に一瞬動揺する。
それを、見逃す義輝ではなかった。義輝は、懐に隠していた短刀を抜くと、目にも止まらぬ速さで、久秀の腹部に突き刺す。
とつぜんの反撃に、目を見開く久秀。
その口からは、一筋の血が流れている。
「ふふっ。お前と、地獄に行けないのが、心残りだな……」
そう言うと、義輝から力が抜ける。
フラフラと、後退した久秀は、気づかう家臣を無視して、油の入っている瓶を、ナイフで割る。
「城に、火を放ちなさい。私は、夜風にあたってくるわ……」
家臣にそう命じて、久秀は、二条城から出ていく。
刺された短刀を抜いてもよかったのだが、なんでか抜く気分にはなれないため、そのまま京の町をフラフラ歩く。
京の町は、けして美しくはなかった。
建物は壊れていて、民は家の奥に引っ込んでいる。
表に出てきているのは、三好の家臣と、朝倉の家臣くらいだ。
「ふっ。京もこんなになってしまうなんて、本当に最悪な時代よ」
苦笑いをうかべて、近くにある寺の中に入る久秀。
思ってた以上に血液が流れてしまっていて、足に力が入らなくなってきているのだ。
壁を支えにして、ゆっくりと座った時、誰かが寺の扉を開けて、入ってきた。ここまでくるのに、久秀は、かなりの血痕を残していたから、どうせ落武者狩りだろうと思い、黙って死を受け入れるように、目を閉じる。
その人物は、ゆっくりと久秀に近づくと。
「あの。大丈夫ですか?」
「えっ?」
久秀に声をかけてきた。
しかも、見たこともない服を着た女だった。
今の京に、女が一人で出歩いているのも驚きだが、もっと驚きなのは、その女が、自分と瓜二つなのだ。
まるで、鏡を見ているみたいに……。
「……あのー。刀が、刺さってますけど?」
「ふふっ。地獄の鬼が迎えにきたのかと思ってたけど、まさか美女が迎えに来るとはね」
「えーと。私は、地獄の住人じゃないけど?」
「知ってるわよ。そんな綺麗な手の人物が、地獄の人間なわけないでしょ。それより、私を殺しにきたのかしら?」
「いえ。町を歩いていたら、血の後があって、それをたどっていたらここについただけです」
「なら、助けに来てくれたのね。悪いけど、大きなお世話よ。私は、これで満足なの」
久秀が、脂汗をかきながら笑って言うと、その人物は、困った顔をする。
おそらく、この女は、心配してここまで来たのだろうが、久秀にとっては、いらない気づかいなのである。どうしてか久秀にもわからないが、なぜかこのままの方が、気分が良いのだ。
「でも、その血の量だと……」
「あら。私に似てるくせに、性格は似てないのね」
「そ、そういえば私に似てる……。もしかして、ここは、パラレルなんたらの世界なの?」
意味のわからない単語を呟いて、首を傾げる女。
頭はそこまで悪くないようにみえるが、少し天然かもしれないと久秀は思い、微笑む。
神のいたずらなのかわからないが、今にも消えそうな人物と、これから生きるであろう二人を引き合わせるとは、なかなか面白いことをすると思い、久秀は、ある策を閃いた。
「ねぇ。あなた、身寄りはあるのかしら?」
「うんん。ないと思う」
「なら、この世界で生き残れないわね」
「……そう」
「もし、生き残りたいなら、私の服と交換すれば、生き残れるわよ」
「えっ。どうして服を?」
「あなたと違って、私はかなりの地位にいるからね。容姿が同じだから、私になれば、これから狙われることは少ないはずよ」
久秀は、苦しそうな顔をしながら、女に自身の策を教える。
すると女は、少し考える素振りをすると、意を決したように、久秀の鎧に手をかける。
「ほ、本当に脱がすわよ?」
「何照れてるのよ。女同士で、体格まで同じなんだから、恥ずかしがらないでくれる?」
「あなたは、恥ずかしくないの?」
「そうね……。男に脱がされることは多かったけど、女に脱がされるのは初めてね」
「えっ!?」
「あら。あなた、初なの?」
「やめてよ。私に似てるのに、そんな尻軽なんて……」
「この世じゃ、そうしないと生きていけない時もあるのよ。まぁ、今の地位なら、そんなことしなくても生きていけるけどね」
鎧が全てはずされて、次は着物を脱がせるだけだが、そこで女の手が止まる。
なぜなら、久秀の下半身は、ほとんど血まみれだからだ。
女は、嗚咽をつきそうになるが、なんとか気合いで堪える。
自分が生きるための、最初の犠牲者が彼女なのだから、ここで嗚咽をついては、失礼だろうと思ったのだろう。
だから、久秀は、あえて渇をいれる。
「だらしないわね。これくらいで、手を止めるなんて。さぞ、幸せな人生を歩いてきたのね」
「そうね。あなたよりは、幸せな人生を歩いていたわよ」
着物をだけさせ、女はなるべく久秀の身体を見ないようにする。
刀を抜こうか迷ったのだろう。久秀に確認するように見てきたので、首を横に振る。
この刀だけは、このままにしてほしかったのだ。
ついに、生まれたままの姿になった久秀は、目の前で背中をみせながら着替え始める女を眺めながら、その脱ぎ捨てた奇妙な服をみる。
変わった服だが、なぜか今の久秀には高級な服に見えた。
「ねぇ」
「何?」
「その服。私にくれない?」
「……別にいいけど。着させるのは難しいわよ?」
「かけてくれるだけでいいわよ。最後に、清潔な姫様になりたいだけだから……」
視界が、ぼやけ始める。
女は、言われた通りに服を久秀にかける。
「そういえば……。あなた……名前は?」
「……水島薫よ。最後に、してほしいことはある?」
「薫……。そうね……。この寺を……私と共に、焼いてくれる?」
「わかったわ。たぶん、あなたがもっていた油と松明を使えばできるはず……」
油を、寺の壁や床にまくと、薫はあることに気づいたのか、視点が定まっていない久秀にーー。
「そういえば、あなたの名前は?」
「松永……久秀よ。これで……あの人の元に……」
久秀の呼吸が止まり、瞳孔が開く。
薫は、外にあった木に火を灯し、寺の中に投げ入れる。
火が十分に回りきるのを確認すると、踵をかえす。
「久秀様!こちらに居ましたか!」
すると、タイミング良く三好の足軽が、薫の元にかけよってくる。
薫は、自らの美しい茶髪をかきあげると、足軽の元に歩いていく。
その瞳には、背後に燃える寺と同じような、荒々しい炎が灯っていた。