11話 堺の商人
「いたっ!」
雪斎は、針で自分の指を刺してしまい、刺してしまった指を口の中にいれる。
戦の策などは得意中の得意である雪斎だが、どうも、縫い物や料理はいまいちらしく、さきほどから、自分の指を刺してしまっている。
「あんたって、バカ殿のことになると、妙にはりきるわよね~」
縁側で、茶菓子を食べながら、泰能が呆れたように言う。
「泰能には、あと五年くらいしないと、わからないと思いますよ?」
いたっ!といって、また刺してしまう雪斎が、口を尖らして言う。
その様子をみて、深いため息をつく泰能は、雪斎の茶菓子も食べてしまう。
「あぁー!私のお饅頭!!」
「あんたは、縫い物に集中しなさいよ」
人差し指と、親指をなめながら、泰能が注意すると、雪斎は、頬を膨らまして、縫い物をさいかいする。
「それにしても、やっと、全盛期の領国にもどったわね」
「それもこれも、殿あってのことです」
いたっ!と、またもや刺してしまう雪斎。
「あんた、縫い物向いてないわよ。私が、してあげよっか?」
「結構です。こういうのは、自分でしないと意味がないので」
恋をしたことがない泰能には、雪斎の気持ちが全然わからない。
だが、雪斎が広大のことを、大切に思っていることはわかるので、あえて、手助けをしないのだ。
例えば、今の雪斎の縫いかたよりも、簡単に縫える方法があるが、教えてあげないように。
「てか、それ気に入るの?」
「殿なら、喜んでくれます!」
場所は変わり、岡崎城の城下町ふきん。
一人の男が、袋を持ちながら、歩いている。
年は、三十くらいである。
「やっと、三河か。さてさて、義元公は、どこでっしゃろ」
方言からして、関西地方の人間である。
男は、稲を植えている農民を見つけると、今川義元のところに案内してくれるよう、頼むことにした。
「すんません。そこの御仁」
「うん?」
顔をあげた農民は、ずいぶんと汚れていた。
上半身は、裸であり、下半身は不思議な物をはいている。
普通の人間にはわからないが、この男にはそれがなんなのか、わかった。
(あれは、南蛮人がはいとったパンツゆうものやな。この男、宣教師を追い剥ぎでもしたんか?)
そう、この男は和泉の堺からきた人間である。
名を、今井宗久という。
和泉とは、今の大阪府の南部らへんである。
堺の人間は、南蛮人と交流があるので、外国到来のものは、他の人間より知っているのだ。
「実はですな。わて、今川義元公に会いに来たんですが、どこに行けば会えるかわからんもんで、案内を頼んでも、ええでっしゃろうか?」
「そうなんですか。わかりました」
体を洗ってくるといい、農民の男はどこかに行ってしまう。
かなり、危険そうな農民であるが、作り笑顔が、商売の基本である宗久には、その心を隠すことができる。
(まぁ。殿様に会いに行くんやから、あんな泥だらけは飽きまへんか)
しばらくすると、農民が戻ってきた。
驚いたことに、袴と着物を着ていた。
それを見て、宗久は、また追い剥ぎのものだろうと思い、農民が案内をしてくれるのを待つ。
しかし、農民は案内をせずに、突っ立ている。
(なんや?案内すんには、銭をよこせっちゅうことかいな)
そう思った宗久は、懐から銭をだしてーー。
「少ないけど、これで頼んます」
「いえいえ、お構い無く」
まつ毛まである黒髪を横に振りながら、農民が、銭を拒否した。
その行動に、訳がわからない宗久。
「…………」
「…………あの。そろそろ、案内してくれますか?」
「案内なんて、必要ないですよ。ここに、いるじゃないですか」
そういうと、自分を指して農民がいう。
この男は、何を言ってるんだと、宗久は顔をしかめる。
三国を支配している殿様が、こんな男の訳がない。
そこで、宗久はやっとわかったのだ。
この男は、義元公にあげる物を、狙っているのだと。
「あきまへん。あんさんに頼んだ、わてがアホやった。この荷物だけは、あげることができまへん。それでは、さいなら」
宗久が、その場を立ち去ろうとすると、遠くのほうから、馬を走らせて武士がむかってきた。
馬にのっているのは、女である。
姫武将であろう。
それをみて、宗久は運だと思った。
あの女子なら、きっと、義元公のところに、案内してくれると思ったのだ。
「すんまへーん!義元公のところに」
「殿ー!また、汚れたのですか~。泰能お姉さまに怒られちゃいますよ!」
姫武将は、宗久を無視すると、農民の男の前で、馬を止めて、叱りはじめた。
口を開けっぱなしにして、唖然とする宗久。
「なんだよ親長。田植えくらいで、大げさな」
「ですから。私が、泰能お姉さまに怒られるんです~!」
「あっ、そうだ。あそこで、口開けてる人を、大広間に連れてってあげて。なんか、俺に話があるみたいだから」
「ふへ?わかりましたけど……。きちんと、綺麗にして来てくださいね」
「わかってるよ」
この農民のような男が、今川義元だと宗久が確信したのは、もう少し後のことである。
「誠に、申し訳ございません!まさか、義元公が、田植えしておるなど、しりませんよって!!」
広大の前で、土下座する今井宗久。
当然、広大は気にしていない。
「我々の殿は、農民の働きを手伝うことがあるので、間違えても仕方ありません」
雪斎のフォローにより、宗久が、安堵の息をはく。
「殿。このように、勘違いなさるお人もいるので、そろそろ農民の仕事はお止めになってください」
「えー。農民との、ふれ合いだぜ?」
広大が、不満の声をもらすが、雪斎も譲る気はないらしい。
「今までは無視をしていましたが、三カ国を統一したからには、威厳も考えてください」
「でたよ、威厳。めんどくさいわー」
宗久がいることを忘れているように、二人は言い合いを始めてしまう。
「あの~。ええでっしゃろうか?」
さすがに、そろそろ商売を始めたかった宗久が、二人の間に割ってはいる。
「えっ?あぁ、そうですね」
自分の失態に気づいた雪斎は、顔を真っ赤にして、宗久に話すようしむける。
「ほしたら。えー、義元公はん」
「はい。なんでしょう?」
「まずは、こちらを見ていただきまっせ」
そういって、宗久が風呂敷をほどく。
すると、風呂敷の中には、長い筒のような物が入っていた。
しばらく見ていた広大は、それがなにかやっとわかった。
「火縄銃か!」
「種子島ですね」
同時に、雪斎と声をだす。
しかし、呼びかたが全然違った。
「おい。火縄銃だろう?」
「はい。種子島ですよね?」
「なんだよ、種子島って。島の名前じゃん」
「種子島から到来した、南蛮兵器ですよね?」
雪斎が、宗久に確認するように言う。
広大は知らないが、この時代では、火縄銃を、種子島と呼んでいるのだ。
呼びかたが違うだけで、同じものなのだが。
「雪斎はんの、言うとおりでっせ。これは、南蛮兵器の種子島ちゅう、物ですわ」
「ぬぬぬっ!納得できない!火縄銃だろうが!」
「このさい、呼びかたなのど、どうでもいいでしょ?」
負けた感じがしたのか、広大はむすくれる。
それをみて、雪斎は嫌な笑みを浮かべ。
「どうしましょうか。客人の前で、変な態度をとる人には、狸と同じことを教えましょうかね」
そう言った。
その言葉は、ある意味死刑決行の言葉である。
広大は、家康と共に雪斎の授業を受けるようになったのだが、なんと、家康の授業はスパルタであったのだ。
隣の部屋で受けてる広大にも聞こえるほど、毎回家康の鳴き声が響いてくる。
どんな事をされてるのかは、知らないが、廊下で家康と会うたびにーー。
「義元様。雪斎先生には、あまり逆らわない方がいいですよ。私のように、なりますから……」
震えながら、そう言うのだ。
それを一気に思い出した広大は、真っ青になりながらーー。
「た、種子島ね!うんうん。知ってる知ってる!欲しかったんだよ!!」
早口でそう言うと、種子島をさわってみる。
種子島は、意外と重かったが、構造的にはそれほど複雑ではなかった。
発射口から、鉄の玉を入れて、縄に火をともして、火薬を灰皿のような場所にいれて、引き金をひくだけである。
「いいね。新しい、戦力になるかもな」
一瞬で、種子島の構造を理解した広大は、戦力に充分たりると考えたようだ。
ここが、広大の素晴らしいことだろう。
この時代では、あまり種子島を必要とする大名は少ない。
外の国からきた人の武器は、使いたくないという考えかたなのだろう。
しかし、未来からきた広大は、やっと鉄砲に巡り会えた喜びのほうが、大きかった。
「お気に召されたようで、何よりでっせ」
「これ、買うよ」
「ほんまですか?せやったら、店の者にもってこさ」
「在庫は、どれくらいあるの?」
突然の発言に、宗久は固まった。
宗久の予想だったら、ためしに百丁くらいだと考えていたからだ。
在庫をきくということは、あるだけ買うつもりの者しか言わないだろう。
「さ、三千丁くらいですな」
「そうか……」
宗久の額に、冷や汗が現れる。
まさかと、思っていたが、そのまさかだった。
「それ、全部買うよ」
「ほんまに言うてるんで?バカにならない額でーー」
「ただし、全額の二割引で買わせてくれ」
広大の発言により、宗久は唖然とする。
突然の、値引き交渉である。
しかも、全額の二割引など、突然の交渉にしては、やりすぎである。
「殿、突然すぎますよ」
さすがの雪斎も、とがめるような口調で言うが、広大には聞こえていない。
「何も、ただ二割引してくれって訳じゃない。その代わりに、今川家では、堺での商売は、宗久さん意外のところとはしないようにするよ。悪くない話でしょ?」
広大の提案は、簡単に言うと、専属契約のようなものである。
自分達は、堺での商売は、宗久さんとしかしないから、そのぶん割引にしろと言っているのだ。
「た、確かに、義元公がしてくれはったら、心強いけれども……、どんな商品もでっしゃろうか?」
「あぁ。ただし、俺の気に入ったものならね。今のところは、種子島ならいくらでも買うよ?」
へらへらと笑いながら、恐ろしい提案をする広大に、宗久は真っ青になっていた。
種子島のために、ここまで交渉してきたのは、義元と織田の姫だけだっからである。
「お、恐ろしいですな。義元公わ」
「嫌だな、そんなでもないだろ。ちなみに、宗久さんが頑張らなかったら、この契約は破棄するので、そこんところ注意ね」
つまり、自分の望んだ物が無くなれば、すぐさま手を切ると言っているのだ。
そのためには、自分の好きそうなものを探して、持ってこい。
回りくどい言い方であるが、緩めの脅迫である。
「くくくっ。はぁーはっはっは!」
「どうした宗久さん。笑い出して」
「すんません。義元公は、殿様よりも、商人むきかもしれませんな!」
この歳で、自分を脅迫するとは、宗久も思っていなかった。
この人物は、大物になると、宗久は直感したのだ。
「ええでっしゃろう。二割引どころか、三割引にして差し上げますわ!」
「マジで!?やっほーい!」
「しかし、条件があります!」
ここまでやられたので、宗久もやり返さなければすまなかった。
「なんだい?」
「義元公が、上洛したあかつきには、名前を貸してもらいますで?」
いわゆる、虎の威を借りたいと言うことである。
もちろん、そんな小さなことを気にするな広大でわない。
「いいよ。じゃんじゃん使ってくれ」
「ほな、交渉成立ですな」
「そうだな。期待してるよ、宗久さん」
こうして、この商売は幕を閉じた。
「足軽鉄砲隊。これで、織田さんに対抗できるかな」
広大の手元には、教科書がある。
そのページは、桶狭間の戦いのページだ。
三河を統一してからも、広大は、ときどきこうして眺めている。
この運命は、変えられるのかどうか……。
「もし、変わらなかったら、俺は死ぬのか……」
死……。
今まで、身近になかったものが、この時代では、明日訪れる可能性がある。
そのことを考えると、身体が震える広大。
「義元様。よろしいでしょうか?」
家康が、障子の前で声をだす。
急いで教科書をしまった広大わーー。
「入っていいよ」
と返答をする。
静かに障子を開けて、家康が入ってくる。
「どうしたの?」
「はい。実は、尾張のことです」
尾張には、織田信長がいる。
その尾張のことなら、何か動きでもあったのだろう。
「信長が、尾張を統一したそうです」
「そう……。弟さんを、殺したんだね」
尾張では、内部紛争が多かったらしいが、信長が、実の弟を殺したことで、統一できたようだ。
「統一の次は、おそらく美濃かこちらを狙ってくると思います」
「やっぱり、避けては通れない道なんだな……。しかし、情報がずいぶん早いね?」
家康の情報の早さに、広大が気づくと、家康は、懐から紙を取り出す。
「これは、信長殿からの、内応の書状です」
「家康ちゃんの、好きにしていいよ?俺は、君を止める資格はないからね」
広大は、家康が敵に回るなら、それでいいと思っていた。
それほどのことを、先代がしたからだ。
しかし、家康は書状を破り捨てた。
「私とて、武士ですから。一度決めたことは、変えません」
「そうか。ありがとう、家康ちゃん」
広大が素直に礼をのべると、頬をほんのり赤くして、家康がうつむく。
その姿は、まるで恋する乙女である。
しかし、この鈍感男は気づいていない。
夏が近づいてるから、暑いんだなー。程度にしか、考えていないのだ。
「その、義元様。このような書状は、私だけに渡されたとは考えられません。もしかしたら、裏切り者が出てくる可能性もあるので、つねに、疑いの目でかかってくださいね」
「うん。わかった」
しばしの沈黙ーー。
家康と広大は、視線こそあわせているが、どちらも黙ってしまう。
ふいに、家康が口を開いた。
「あの、義元様。失礼ですが、お歳わ?」
「えっ!?」
突然の尋問に、アタフタする広大。
家康は、ただ、きいただけなのだが、広大にしてみれば、今川義元クイズのようなものだ。
これで、おかしな年齢を言えば、偽者だとバレてしまう。
「えーと。じゅ、十五くらいかな?」
首を横にむけて、冷や汗をながしながら答える広大。
当たれば命拾い、ハズレれば、首はねもありうる。
横目で、家康の反応をうかがうとーー。
「い、いいお年頃ですね」
予想とは違う返答がきた。
さすがの鈍感男も、やっと気づいた。
家康の、熱いの視線にーー。
(あれ?これ、ヤバイパターンじゃね?)
そんなことを思った瞬間、家康が急に帯をほどいた。
「ほぉわ!!」
さすがの広大も、このような事態に慣れていたので
、素早くその手を阻止した。
「な、何してんの!?」
「そのお歳で妻がいないとなると、私が拒絶したときに、義元様も女子を恐れるようになってしまったのでしょ?」
「はへ?いやいや、女の子を恐れたりしてないよ!」
会話をしつつも、家康はどんどん脱ごうとする。
それを阻止するために、広大も抵抗するが、いかんせん、白い肌が見えてくると、視線をそらしてしまうので、劣勢である。
「い、家康ちゃん!?俺は、恐れてないから、今すぐやめるんだ!」
「いえ!これは、一石二鳥なのです!ですから、必然であって、ご命令であって、使命であって!」
支離滅裂になり、混乱する家康は、力任せに、広大を押し倒す。
「い、家康ちゃん?落ち着こう!今なら、まだ間に合う!!」
「そうですよ。三河の国主である私と、義元様が夫婦になれば、誰も文句は言わないはずです……」
広大の腹の上に股がりながら、ブツブツ言う家康。
髪の毛が邪魔で、その表情はわからないが、広大の経験上、危険である。
「そうなのです。これは、決定事項なのです。義元様ーー」
顔をあげた家康は、まさに酔っている感じだ。
目はトロンとしており、唇に人差し指をつけて、控えめな胸が、ほとんど見えている。
まるで、この瞬間を待っていたかのような、積極性である。
「フフっ。あのときとは、逆ですね……。義元様?」
「えーと。い、家康ちゃん?いったい、どうしたの?」
あまりの急展開に、思考がついていかない広大は、とりあえず、家康の着物をつかんで、なるべく胸を隠すようにする。
「義元様。今だけは、我慢をしないでください」
「してないっとおわ!」
後半がおかしくなったのは、家康が、広大の胸にしだれかかってきたからだ。
身長差により、広大の胸に、家康の頭がある。
「義元様……。心の臓が、早いですよ?」
「そ、それは、家康ちゃんが……」
「嬉しい。私のような、面白みのない身体でも、興奮してくださってるのですね?」
真っ赤になっている広大は、頭が爆発しそうである。
だからだろう。
最悪の視線に、気づくのが遅れたのわ。
「ずいぶんと、楽しそうですね?」
凍りつくような声ーー。
いつの間にか、部屋の入り口に人が立っていた。
「狸の分際で、私を出し抜こうなど、一万年早いですよ?」
薙刀を持ち、鬼のような形相の人物。
人、この者を太原雪斎という。
「雪斎!?」
「せ、先生!」
家康と広大が、恐怖の声をだす。
二人の顔から、血の気がひいていく。
「フフっ。まずは、狸を三枚におろして。殿には、座敷牢で、反省してもらいましょうか。もちろん、私とゆっくりお話でもしてね」
瞳には光がなく、恐ろしいことを考えている雪斎。
家康は、すぐさま着物を戻すとーー。
「義元様!この話の続きはいずれ!」
そう言って、天井の板をはずして、鬼の視界から離脱する。
「えっ~~!?ちょっと、嘘でしょう!?」
おそらく、一番の被害者である広大は、素早すぎる家康の反応に、大声をだす。
当然、鬼の標的は、広大一人になる。
「殿。ひどいではありませんか!私のときは、困った顔をしておきながら、狸には甘い顔をして!」
ヒュンヒュンと、薙刀が、空気を切り裂く。
広大の身体は、すでに冷や汗だらけである。
「おち、おち、落ち着け雪斎!!」
「でも、大丈夫ですよね!今から殿わーー」
薙刀を、広大の首にあたる寸前で止める雪斎。
その顔は、悪の笑顔に染まっている。
「私と、長い話をするのですから……」