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眠り姫の爪痕 (2)

 私がその日記を見付けたのは、休日の昼下がり、部屋を掃除している時だった。

 私は自分の部屋を持ってはいないが、我が家には“テリトリールール”がある。私と母は、2DKアパートの二部屋を「寝室」「作業室」と名付け、それぞれを二分して共用しているのだ。だから掃除は面倒である。自分の物と母の物とを全て把握しておかないと、捨てられる物も捨てられないのだ。

 この時私が片付けていた部屋は、「作業室」だった。六畳一間に勉強机が二つ押し込まれ、役場勤めの母と高校生で音楽部の私、二人分の資料やら楽譜やらプリントやらがあちこちに収められている。つまりは「一番使う分面倒な部屋」だ。こまめに片付けないとすぐに大変なことになるので、私は週一のペースで手を入れている。

 この時は、時期の変わり目だったので、暖房絨毯を敷くために掃除をしていた。とりあえずいつも通り、散らばったプリント類をファイルに振り分けて綴じ、はたきをかける為にファイルを棚から全て出そうとして、手を止めた。

 本棚の一番上から楽譜のファイルを取り出す際に、だすん、と重い音がしたのだ。見た目から異変は感じない。150cmの私の背丈では、微妙に棚の奥が見えないのだ。どうやら、壁に沿って立てられていたファイルか何かが倒れたようだった。

 近場にあった椅子によじ登り、薄暗い棚の奥を覗き込むと、見たことのないノートが倒れていた。A4サイズくらいの鼠色のノートで、無駄に広い背表紙に刻まれた「Diary」の金文字がこちらを向いていた。薄汚れて所々金箔の剥がれた文字から、新しいとは言えないノート______日記なのだろう。

 しかし、何か不自然だ。

 見た事がない、ということは、母のものなのだろう。先週掃除をしたときには、こんな物は無かった。ということは、最近母が置いた物なのだろう。だが、ここは私の“テリトリー”なのだ。母がこの場所に仕舞い込む理由がない。

 試しに、勢いをつけて手繰り寄せてみる。予想以上に重い。ざざ、と音がして、手にふわっとした感触があった。

「っうわっ、つ!」

 棚から引きずり出した瞬間、大きく埃が舞った。声を上げた際に布マスクがずれたらしい。隙間から、掃除機の排気のような臭いと埃が入り込んできて、喉がいがらっぽくなる。涙目で激しく咳き込みながら椅子にうずくまり、フローリングを見ると、広い範囲に埃が散ってしまっていた。

「聖南ー、どうしたのー?」

 物音に、一階でドラマを見ていた母が反応する。

「なんでもないー!」

 咳を落ち着けてから返事をし、空いている左手でマスクの位置を戻す。そして、お腹の辺りにある日記に目を落とした。日記の重さに思わず抱え込んでしまったが、黒いジャージの腕と、胸から太股にかけての一帯が、埃で白くなっていた。

「あっちゃぁ……」

 やっちまったなー、と思いつつ、どうせ掃除するんだから、と、そのまま埃を払い落とす。ジャージが綺麗になったら、次は日記だ。手でなぞった所から、黒い革の色が現れる。黄ばんだ紙の厚さは15cm程もあり、所々黒ずんで縒れていた。

(……埃が、こんなに?)

 _______先週掃除したときには、こんなもの、無かったのに。

(……これ、どうしよう)

 頭の中で、警報が鳴る。

 得体の知れない、こんなもの、私が開くべきではない?

 否。

 開いては《いけない》、と、誰かの強い意思に抑えつけられているような、不自然な感情が、私の手を止めた。

 しかし、なぜだかわからないけれど、どうしてもこれを《見なければならない》という強い衝動があった。


「私は忘れない」


 不意にくぐもった声がした。自分の声だ。マスクに触れた唇が動くのは、脊髄反射で動いてしまった時のような、奇妙な感覚だった。

 警報が大きくなる。

 気持ちが悪い。怖い。得体が知れないのは、どうやら日記だけではない。私自身が、何か異常を来しているのだ。

「……」

 暫く日記とにらみ合った後、私は先程よじ登った椅子に腰掛け、日記を膝に置き、マスクをしっかり付け直してから深呼吸した。

 ______何が何だか、今一わからない。しかし、今この日記を母に見せに行くのは得策ではない。もしかすると私に見られたくないものかもしれないし、もしかしたらお父さんのものかもしれない。いずれにせよ、私は好奇心が一等に強いのだ。いくら警報が鳴っても知ったことか。

 そっと、表紙を持ち上げる。

 一ページ目は薄い中表紙で、青みがかった灰色の地色の中央に、黒で“Diary”と印字してあった。その下に“~from S to S′~”と手書きで書き添えてある。母の字ではない。言ってしまえば、癖は私の字にそっくりだ。fはフォルテの表記に似ていて、oは傾き気味、mは筆記体。Sは書き終わりに線を下に引っ張ってあり、tは縦棒がくいと上に払ってある。もしかしたら父の字だろうか。だとしたら、気付かぬうちに、随分似たものだ。そう思い、少し微笑んでから、中表紙をぺらりと捲った。

 ______後から思う。

 何故この時、「この字が自分のものである」と判断できなかったのだろうか……書いた覚えがなかったから、てっきり親のものだと思い込んでいたから、仕方がなかったとは言え、もし「何故自分の字が」と疑念を持ってページを捲ったなら、後々の衝撃も、少しは和らいだだろうに。

 ぺらり、という、その音の後に現れた文字は、子供のそれだった。

「?」

 A4の罫線を無視して大きく書かれたその文章は、汚くて少々読みづらい。漢字混じりなので、小学校低学年辺りの子供の字。とすると、幼き日の私が、父の日記に悪戯書きしたのだろうか?生憎、本人たる私は、何も覚えていないが……母は、今日掃除をすると知っていて、本棚に忍ばせ、ちょっとした思い出を読ませてやろう、とでも思ったのだろう。驚く私を思い浮かべ、一階でいたずらっ子のようにニヤつく母を想像すると、こちらも自然に頬がゆるむ。

全く、子供めいたことを突然思いつく母である。

 にしてもきったない字、と苦笑して、文字を目で辿る。

 わ……た、しの、ゆ……めは、

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■。

「……あれ、」

 なんだ、これ。

 私は、俄かに目眩に襲われたような気持ちの悪さを感じた。

 なんなんだ、これ。

 ここに文字が書いてあるはずなのに。書いてあるはずなのに______


 ______読めない。

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