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少年、現れる。 6

 憂鬱な気持ちのまま迎えた五時間目、六時間目の授業は意外にも滞りなく終わった。どうやらカンタレッラは授業中に何かをすることはないらしい。

「あ、安居院さん」

 掃除の時間になり、三班の私は一階の廊下へ向かおうとしたところでトーキョー先生に呼び止められた。

「はい。なんですか?」

「あのね、安居院さん。カンタレッラくんも三班になったんだけど、昨日は慣れてなかったみたいで、あまり掃除ができなかったんですよ」

 ああ、なるほど。

「わかりました。私が教えます」

「そうしてくれると助かります。本当に安居院さんは頼りになりますね」

「いや、そんなことないですよ」

 私は踵を返し、未だ席に座って頬杖をついているカンタレッラのもとへ向かった。彼はこちらに気づくと、どこかぼーっとした表情から面白い遊びを発見した子供のような笑みに変わった。

「何か用? つゆり」

「用も何も、今から掃除しに行くよ」

「へえ」

「あなたも私と同じ三班で、一階の東側廊下を箒で掃くの。ほら、早く立って机を下げて。遅れるから」

 実際最後尾であるカンタレッラの席と、それよりも前の席合計五つが下げられないまま残っていて、教室担当の一班が迷惑そうな顔をしていた。

 無言になったカンタレッラは私の目をじっと見つめてきた。日本人は他人と目を合わせることが苦手だが、それは外国人から見れば不思議なことだったり失礼なことだったりするらしい。つまり極端に言えば日本人以外には当然のようにできて、日本人にはあまりできないこと。彼もわかってやっているのだろうか。ならばと思い、私もカンタレッラの目を見つめ返した。

「…………わかったよ」

 不意にカンタレッラは立ち上がり、席を下げた。彼が一人で教室を出ていった直後、突っ立ったままでいる私の耳に小さな拍手が聞こえてきた。

「え、何」

「さすがだな安居院。お前すげえよ」

「ありがとう、つゆり」

「学級委員長があの転校生に勝ったな」

 一班の生徒が私に向かって拍手をしていた。慌てて両手を振る。

「別に、そんなたいしたことじゃないから」

「これからも頼むよ、安居院さん」

「う、ん……。じゃあ行くね」

 気恥ずかしさを感じながら、私は教室を出て一階の廊下に急いだ。他の班員はすでに箒を手に、掃き掃除を始めていた。カンタレッラの姿を探すと、掃除用具が入ったロッカーの前にぽつんと立っている。もしかして箒がなくなったのだろうか。後ろから覗き込むと、箒はぎりぎり二本残っていた。

「早く箒取りなよ」

 無言で割り込むのも悪いかと思って声をかけてみると、不満げな顔が振り返った。

「ねえ。どうしてこんな時間があるの?」

「え?」

「ぼくが前いた学校では、生徒に掃除をさせる時間なんてなかったよ。大体効率が悪いだろ。掃除を担当する大人に全部やらせれば、その分生徒が勉強したり遊んだりする時間が増えるのに」

「ここは日本なの。あなたがいたイタリアじゃない。こういうのを受け入れることも大切だよ」

 私はロッカーから箒を取り出し、一本をカンタレッラに持たせた。そして掃除を始める。廊下の掃き掃除はまず溝に向かってひたすら掃いて、最後にその溝からごみを集めるというやり方だ。

「カーヴォロ」

 小さく聞こえたその言葉は、カンタレッラが発したものだった。それは以前父さんが私に教えてくれたパロラッチャ――イタリアの罵り言葉だった。

「日本人は絶対に公共の場で使っては駄目だからな」

 そう言っていた父さんの笑顔を思い出す。だったら何故中学生の娘に教えたのだろうか。謎だ。

 確かカーヴォロは英語のシットとかと同じような意味合いで使われるが、そのままの意味はキャベツだし、パロラッチャの中では比較的柔らかい表現だったはず。それを吐き捨てるように使ったカンタレッラは、渋々私や他の班員がやっている様子を真似て掃除し始めた。

 十五分が経過すると、そこで掃除は終了となる。塵取りに集めた砂や埃といったごみを外に捨てて、用具を片付ける。

「じゃあ、教室に戻るよ」

 そう言って振り返ったところにカンタレッラがいなかった。一体どこに消えたんだと辺りを見回すと、一階のトイレ掃除を終えた一年生の女子二人に何やら話しかけているカンタレッラの姿があった。彼の本性をまだ知らない一年生は顔を赤らめながら楽しそうに会話をしている。

「カンタレッラ」

 私が声をかけると、意外そうな表情でこちらを見た。そして一年生二人に笑顔で手を振ると戻ってきた。

「何」

「何じゃないよ。勝手にいなくならないで」

「でももう掃除は終わっただろ」

「完全に終わってないときにあなたはいなくなったの」

「掃除なんかするよりも可愛い女の子と話す方がいいじゃないか。イタリアなら常識だよ。それにさっきの二人、なかなか可愛い顔立ちだったよ。ベッラだ」

「だからここはイタリアじゃないんだって。女子を口説くのは掃除が完全に終わってからにしてよ」

「じゃあ今ならいいんだね?」

「前言撤回。やっぱり駄目。帰りのSHRが終わってからにして」

 先ほどからこちらをちらちらと気にしている三年生の女子に向かっていこうとしたカンタレッラの肩を掴み、私は彼を教室に連行した。


 

イタリア語メモ


 カーヴォロ(Cavolo) 「畜生」「くそ」

 ベッラ(Bella) 「美人(女)」「美しいもの」

 

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