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少年、現れる。 5

「安居院つゆり、だよね」

 カンタレッラが初めて私に話しかけてきたのは昼休みに入ってからだった。それまでの授業中や休憩時間、私は彼が何か問題行動を起こすのではないかと気を張っていたのだが、意外にもカンタレッラは普通に大人しく授業を受けていた。休憩時間はずっと一人で席に座っている。印象的なことは三時間目の英語で、教科書の英文をネイティブな発音ですらすらと読む姿に「おお。やっぱり英語もぺらぺらなんだ」と思ったくらいだった。

 いつものように密と机をくっつけて一緒に弁当を食べていた私は気を緩めていたこともあり、反応が一瞬遅れた。

「え? あ……」

 箸で持ち上げていた卵焼きを一度弁当箱に戻し、顔を左に向けて、視線を上げた。そこに立っていたのがカンタレッラ以外の人物だったなら、私の身体に緊張感が走ることはなかっただろう。

「う、ん。そうだけど」

「へえ」

 カンタレッラはゆっくり頷いたかと思うと、突然右手を素早く伸ばした。私の顎を掴み、そのまま手前に勢いよく引く。椅子の上でがくんと重心を崩し、私は膝から冷たい床に落ちた。反射で突いた両手がぱちん、と音を立てた。掌と膝がじんわりと痛む。

 一度俯きかけた私の顔を、いつの間にか屈んでいたカンタレッラはぐいっと持ち上げた。目の前に翡翠の玉が二つあり、それに私の驚いた顔が鏡のように映っているのが見える。彼の瞳だ。

「ふん……。瞼は一重だし、眼鏡は野暮ったいし、鼻もそんなに高くない。醜悪ではないけれど、特に可愛くもない地味な顔だ」

 静まった教室でカンタレッラの声はよく透って聞こえた。何これ、顔の値踏みでもされてるのか。

「それが、何?」

 私は顎を掴まれたまま、喋った。

「言いたいことがそれで終わりなら、手を離してよ。私まだ食事途中なんだけど」

「…………」

 カンタレッラは右手を離したかと思うと、視線を私の机に向けた。そして机の上にある弁当箱に手を伸ばし、私が先ほど食べようとしていた卵焼きをつまんで一口だけ齧った。咀嚼して飲み込むと、ぺろりと唇を舐める。

「美味しくない」

 それだけ言って柳眉を歪ませると、彼は不意に私の口を開かせ、食べかけの卵焼きを押し込んできた。突然のことに抵抗する間もなく、戸惑う。

 何? なんで私の卵焼きを取ったの? 横取りするなら全部食べればいいのに。食べかけを返すなんて何様のつもり? 中学生にもなって何を考えているんだ。

 口に入ったものが零れ落ちそうになり、慌てて口を閉じて右手で覆う。そうしているうちにカンタレッラは、自分に向けられたクラスメイトの視線を完全に無視して自分の席へと戻っていった。

 私は椅子に座り直し、口の中の卵焼きを噛み砕いて飲み込む。そして、箸をふりかけご飯の中に潜らせたまま固まっている密に小声で言った。

「密の言った通りだ」

 彼は、確かに危ない。

「……でしょ」

 密は肩を竦めて、ご飯を口に運んだ。

 カンタレッラのしたことは、少なからず人を不快にさせる行動だ。そしてクラスの空気を悪い意味で変えてしまう。しかし大きな問題を起こしているわけではないし、大人に相談したところですぐ解決できるようなことでもない。いきなりカンタレッラが私を殴ってきたのならそれを報告することに躊躇いは微塵もないが、顔を値踏みされて卵焼きを齧られました、なんてすごく馬鹿らしくて大人に言えるようなことじゃない。報告するこっちが恥ずかしくなってしまう。そんなことを泣きながら教師や親に訴えることができるのは、精々十歳に満たない幼い子供だけだ。

 彼は多分、巧妙なんだと思う。他人に確実に不快感を与えておきながら、他の誰かに告げ口する気を削ぐようにしている。そして残酷で意地悪だ。他人を悪びれもなく簡単に踏み躙ることができるほど。

 あんな転校生の面倒を、これから私が見なければいけないのか。

 私は憂鬱な気持ちで弁当の残りを平らげた。


 

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