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少年、現れる。 2

 灯油を補充したヒーターが教室を暖め始めた頃、担任のトーキョー先生がやってきた。トーキョー先生というのはクラスメイトの男子が一学期の初めに命名して以来、すっかり定着してしまった担任の綽名である。本名は(あずま)(けい)といって、三十歳の英語教師。いつも黒いパンツスーツを着たスタイルのいい女性で、教え方も昨年転勤していった中年男性の英語教師よりずっと丁寧。だから生徒からの人気は高い方だと思う。トーキョー先生と私は、毛先が肩につく長さで若干内巻く癖のあるショートボブがよく似ているとクラスメイトから言われたことがあった。けれどもトーキョー先生が赤みのある茶髪であるのに対して、私は普通の黒髪だ。

「それじゃあ、SHRを始めます」

「起立」

 私が立ち上がると、がたがたという椅子の足が床を擦る音が輪唱するように響いた。全員が立っているのを確認する。

「礼、おはようございます」

 再びがたがたという椅子の音。トーキョー先生は欠席者や遅刻者がいないことを褒め、風邪やインフルエンザにはくれぐれも気をつけるようにと、この季節お決まりの言葉を言った。

「あと、突然ですが皆さんにも関わる重要なお知らせです。今日からこのクラスにもう一人、生徒が増えます」

 ……えっ。

 一瞬だけ、教室の中が水を打ったように静まった。

「先生、それって――転校生ってことですか?」

 すぐに最前列の席にいた男子が訊ねた。トーキョー先生は微笑んで頷く。

「ええ、そうです。お父さんがイタリア人のハーフで、つい最近ミラノから来日してこの町に移り住んだそうです」

 そのとき、SHR終了のチャイムが鳴った。クラスメイトの間には「早くハーフの転校生を見たい」という好奇心とは別に、「せっかくだから一時間目の授業をできるだけ削ってやろう」という妙な意気込みが湧き出ているようだった。

 私の脳裏に浮かぶのは、あの天使。

 もしかして彼のことだろうか。

「……ん」

 不意に後ろから肩を叩かれ振り返ると、数分前に昇降口ですれ違った親友の八枯(やつがれ)(ひそか)が頬杖をついて笑みを浮かべていた。

「やったじゃない、つゆり」

「何が」

「何がって」

 右手を頬から離し、ぐいっと顔を寄せてくる密。彼女の後頭部で結ばれたポニーテールがさらりと揺れた。

「イタリアから来た転校生だよ。イタリア語検定四級取得者の実力発揮できる機会到来ってことでしょ。こんな漫画みたいな展開滅多にないわよ。何かのフラグが立ったらすぐ教えてね」

 フラグ、か。よく密が話す内容に出てくる言葉だが、私としては実際にフラグなんてものがあるとは思えない。

 私は曖昧に微笑んで頷き、前を向いた。教室の戸が開いて転校生が入ってきたのはそれと同時だった。

 それまで背の高い草が揺れるようにざわざわとしていたクラスが急に、しん、となった。

「……ぁ」

 私の喉がか細く震えた音を出す。

 転校生は、私が見た天使と全く同じ容姿をしていた。つまりあの少年だった。

 教卓の前に佇む彼の顔を改めて見つめると、やはりハーフであるためか東洋人でも西洋人でもない気がした。やや高めの鼻や色素は確かに東洋人にはないものだが、かと言って西洋人のような彫りの深い眼窩は持っていないようで、顔立ちはどちらかと言えばオリエンタルに見える。

 視線だけで周囲を見回すと、すでに男女問わずクラスメイトが彼に魅入っていることがよくわかった。そのうちの何人かは呼吸と瞬きすら忘れているようだ。まるで一斉に催眠術にかけられたかのように。まあ、無理もない。

 クラスメイトにかけられた催眠術を解いたのは、トーキョー先生が黒板に文字を書く音だった。かつかつ、と白いチョークが筆記体のアルファベットを連ねていく。

 Azami Cantarella

 そう書き終えたところで、トーキョー先生はチョークを置いた。

「それでは、自己紹介をどうぞ」

「初めまして。父の都合でイタリアのミラノから来ました、アザミ・カンタレッラです。よろしくお願いします」

 決して片言ではない流暢な日本語で彼はそう自己紹介した。想像していたより意外に小柄な体格――とは言え私を含む女子よりは身長が高い――だが、喉仏はそれほど大きくないもののちゃんと見えるし、中学二年生の年齢から考えて変声期は恐らく過ぎているはず。それでもクラスメイトの男子からは感じられない、どこか『青年』とか『大人』とかにはなり切れてはいないような凛として透き通った声だった。

 ぺこり、と彼が頭を下げると、クラスの女子を中心とした盛大な歓迎の拍手が起こった。

 

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